第95話 余興

 得体の知れない、歪な姿形の化物が僕を見ている。脚と頭を失って、けれど気配は少しも衰えた様子もなく、ただ無数の瞳がじっと、僕を睨み据えている。


 気配の圧は、大したことはない。これくらいの相手なら『力』を得る前にも相手をしたことがある。ただおかしいのは、その再生力。『蒼の旅団』の猛攻でも殺しきれない化物を、どうやって殺すか。

 一瞬の逡巡で思いつくのはやはり、魔導の力に頼ること、だった。


「ナシト!君たちの、いちばんの魔導を頼むっ!それまで僕が、時間を稼ぐっ」


 魔物から目を離さずに叫ぶ。返事はないけれど、ナシトならいつも通りうまくやってくれるだろう。

 僕の『力』は、人の域を外れてはいても結局、個の武力だ。殴る力と疾さ、受け止める硬さがおかしくなっただけで、この化物を一瞬で欠片も残さず消し飛ばすことは、できそうにない。

 でも別にそれで構わない。僕の仕事は守ることだ。皆を守れればいい。負けなければいい。それ以上は望んでいない。皆の力で勝てればいい。皆の力でも殺しきれないなら、逃げればいいだけのことだ。


 無数の眼はまだ僕を見ている。熱線で破れた眼も、もう完全に回復しているようだった。狂ったように血走って、けれど微かに理性のような、人らしい何かを感じるような。帝国語に似た叫びといい、この魔物はやはり、帝国軍の実験台か何かなのだろうか。

 魔物が動き出す。僕が吹き飛ばした脚も頭も、生え始めたかと思えばみるみるうちに大きくなって、一瞬で元の状態に戻って、立ち上がった。尋常ではない回復力。先程より早くなっている気すらする。

 眼のない頭から、捻じ切れるような叫び声があがる。体中の眼はまだ僕だけを見ている。来る。

 化物は体を折り曲げて、歪に生えた複数の腕を地につけた。そのまま勢いよく駆け出す。猿のように手で地を叩きながら、恐ろしい速度で僕へ迫ってくる。地が揺れる。

 鎚と盾を持ち換えて、盾を手に待ち構える。無数の腕と、無数の眼。あの熱線のことを考えると、背に回っても死角はないだろう。でも、止めるだけならやりようはある。

 射程に入ってすぐ、化物の腕が振られる。思考を止めて、『力』を腕に、盾に流す。僕を真横に吹き飛ばそうとする拳の一撃を、盾で受け止める。衝撃で、僕の足が僅かに地面へ沈む。鈍い音が響いて、化物の腕が止まった。続いて上から二本、違う腕の殴打が迫る。最初に受け止めた拳を盾で弾き飛ばして、すぐに盾を上へ向ける。腕を二本まとめて受け止めると、また少し、足が地にめり込んだ。次は、盾のない方から別の腕が振るわれる。それも同じように、受けた。受ける度に、衝撃と鈍い音。

 何度かの殴打の後で、僅かに魔物の動きが止まった。連撃の合間の、息継ぎをするような一瞬の隙。それを認識するより早く、僕の身体は勝手に盾を背に回して、鎚をその手に取っていた。

 頭が駄目なら、心の臓を潰す。頭の上から正面、化物の胸へ向けて鎚を振り下ろす。ありったけの力で鎚を握る。鎚の柄がしなって、胸を撃ち抜く。一拍遅れて風が震えて、化物の胸には大きな風穴が開いていた。化物の動きが止まる。

 ただ、無数の眼の色に変化はなかった。肉が盛り上がって、胸の穴が塞がれていく。化物は何事もなかったように、僕へ拳を振り上げて、連打を再開した。面倒だな。


 無数の腕のがむしゃらな殴打を、盾でひたすら防ぐ。

 攻めをいなしながら、魔物の全身から目を離さない。怖いのは拳よりも熱線だ。あれを盾で受けて、無事でいられるかは分からない。眼はまだ輝き出す気配はない。連射はできないのか。そう思いかけた時。

 化物が吼えた。どこか痛々しい声。そのまま、口を大きく開いたままでこちらを向いている。真っ黒な口内が、微かに紅く光り始める。

 背筋がざわつく。口から熱線が来る。

 僕の真後ろには、いくつかの気配。躱す訳にはいかない。降り注ぐ腕の連撃を盾で振り払って、魔物の顔の正面へ盾を向ける。ナシトとシエスが『魔導壁』を備えてくれているだろうけれど、この至近距離では防ぎきれないかもしれない。その場合は、盾の魔導を発動させる。

 化物の口の紅い光が色を増して、僕へ向けて溢れ出そうとした瞬間。無数の腕の僅かな隙間を掻い潜って、一本の矢が化物の口内に吸い込まれていくのが見えた。熱線が放たれる刹那に飛び込んだ矢は、魔物の口内で爆ぜて、頭ごと吹き飛ばした。熱線は、放たれず消えた。

 無数の眼が、僕から視線を外した。視線の先には、ガエウスの気配。


「面倒くせえ野郎だな」


 また生え始めた化物の頭を見ながら、ガエウスは呆れたような声をあげた。


「ロージャ、ナシトが呼んでるぜ。この目玉野郎は、双子とマナイと俺で抑える。行ってこいよ」


 ナシトが僕を呼んでる?

 魔導の発動に僕が必要になるとは思えないけれど。ガエウスはそんな僕の思いを見透かしたように、鼻を鳴らした。


「シエスが何か、シャレにならねえのを撃つんだとよ。……おい、マナイ!行くぞっ!前出ろっ」


「承知したっ!我らも行くぞ、エト、オト!」


 ガエウスの声に、『詩と良酒』の三人が僕を追い越して、前へ駆けていく。疑問は残るものの、とにかく早くナシトの元へ向かおう。そう思って、後ろへ跳んだ。



 ナシトは少し離れたところにいた。近付いてみると、その足元には途方もない大きさの、複雑な魔導陣が描かれていた。魔導陣の真ん中には、シエスが立っている。目を閉じて、何かを唱えるように小さくつぶやき続けている。僕が来たことにも気付いていないようだった。


「来たか、ロージャ」


 ナシトが静かに近付いてくる。


「ナシト、話って」


「ああ。これから此処に、星を落とす」


 ナシトの言葉が予想外に過ぎて、一瞬息が止まる。うまく理解できない。星とは、何かの比喩だろうか。


「シエスが上空、大気より上に大岩を呼び出す。それをあの魔物に落とす。俺とクルカが軌道を調整する。それだけだ。ロージャは合図まで敵を抑え、動かすな。合図の後は、全力で避難しろ」


 ナシトはそれだけ言うと、顎をくいと前へ揺らして、行けと促した。相変わらず、本当に必要最低限のことしか言ってくれないな。まあいいけれど。

 でも、一つだけ聞いておく。


「……『蒼の旅団』には、このことは?」


「ルシャに魔導で伝えてある。ルシャが奴らの傍にいる。行け」


 確かに、僕らのいる側とは魔物を挟んで反対側に、『蒼の旅団』らしき人影が見える。ルシャもルルエファルネさんの治癒で、彼処にいるのだろう。


「ロージャ、気をつ――」


「集中しろ、シエス。お前が誤れば、全員死ぬ」


「……ん」


 片目を開いて僕へ何か言いかけたシエスは、ナシトの声に少しだけむっつりとしていた。この二人は、戦闘時でも本当に変わらないな。

 のんびりしている暇はない。また魔物の元へ駆けようと脚に『力』を込めかけて、一瞬、近くにいたクルカさんと目が合う。


「……Ичаду」


 彼女が何とつぶやいたのかは分からなかった。でも声音から、僕を心配してくれているような気がした。眼だけで、大丈夫だと返す。

 これだけの仲間が一丸になっている。互いを信じて、背を預け合っている。そんな僕らが、頑丈なだけの魔物に、負けるはずがない。

 僕の胸に満ちるこれは、自信だろうか。仲間が僕を支えていることを知って、ようやく信じられるようになった、僕らの強さ。

 地を蹴って、跳ぶ。油断はしない。僕が守る。皆で、勝つ。



 近付くと、魔物は地に倒れ伏せていた。全身に矢が突き立っている。立ち上がろうとする度に、マナイさんが矢を放っては眼に突き立ち、化物が悲鳴をあげる。


「飽きたな。ロージャ、後、任せていいか?」


「駄目だ。合図まで、こいつをここに張り付ける。僕が正面、ガエウスは後ろ。マナイさんたちは左右を、頼みます」


「ちっ。お前ひとりで十分じゃあねえのか」


「十分だよ。でも、念には念を、だ」


 魔物が立ち上がる。マナイさんたちと、不満げなガエウスが散っていく。魔物はまた再生しながら、けれど動作は少しだけ、緩慢になっていた。血の跡も消えているはずなのに、無数の眼が昏さを増しているからか、眼の下には涙の痕のような影が見えるような気がした。


「Уумечсоп……Иддопшог.......Аааааааааааа!!」


 人の言葉のような何かが聞こえる。この魔物が、人の成れの果てだったとして。それでも僕にできることは、殺すことだけだろう。人としての意思も、まだ残っているのかもしれない。元に戻す手段があるのかもしれない。でもこの化物はもう、僕の仲間を害そうとした。今も僕らに殺意を向けている。危険な相手だ。

 化物が吼える。迫る化物の腕の速さは先程と変わらなかった。盾で受け止める。注意は僕だけに向いているようだった。熱線だけに気を付ける。眼が輝き出す気配はなかった。


 それから、しばらくただ防ぎ続けて。


“ロージャ。行くぞ”


 ナシトの声が頭に響いて、ずきりと頭痛がする。魔素が体内を駆けた時の不快感。気にせずすぐに、盾と鎚を持ち換えて、鎚で化物の両脚を横薙ぎに払う。鎚の頭で化物の膝から下を、食い千切る。魔物が地に墜ちる。


「ガエウスっ!みんな!走ってっ!」


 僕の声と同時に、皆が四散していく。『蒼の旅団』も姿が見えなくなっていた。ルシャも無事に距離を取ってくれただろうか。魔物に背を向けて走りながら、真っ直ぐにナシトと、シエスのいる方へ向かう。

 ナシトとクルカさんの姿はなかった。二人の気配らしきものが上の方に微かに感じられるから、きっとナシトの魔導で浮遊しているのだろう。シエスだけが魔導陣の真ん中で、杖を掲げていた。

 顔が見える距離まで近付いた時、シエスは目を開いた。僕の頭の後ろ、倒れ伏した化物を一心に見つめている。口が開く。魔素に満ちているだろう喉を震わせて、いつもと変わらない声が響く。


天撃メテオリート、『極点ポリゥス』」


 シエスの声とほとんど同時に、シエスを抱き上げた。シエスの役目は、魔導の発動までだ。後の微調整はナシトの役目。そのまま脇に抱えて、走り出す寸前、ちらと振り返る。その瞬間、だった。


 不自然なまでに直線の稲妻が、天を真っ二つに切り裂いた。


 シエスの落とした大岩が大気を貫いて、光ったのだろうか。その一閃は立ち上がりかけていた魔物へ、真っ直ぐに落ちた。聞いたこともない爆音と、何もかもを震わす衝撃。ありったけの『力』で走っているのに、もう爆風が迫るのを背に感じた。

 一瞬で確信した。間に合わない。シエスを僕の胸に回して、覆い隠すように抱き締める。シエスもきゅうと抱きついてきた。

 暴れ回る風に飲み込まれる。身体が浮き上がる。そのまま僕らは吹き飛ばされるようにして、僕らを囲っていた森の中へ頭から突っ込んでいった。



 爆風は森の木々まで押し倒して、数瞬の後で消え去った。『サルニルカ島』の奥部の森はこの数秒で、その面積を大きく減らしたようだった。

 僕とシエスは、木々の枝葉の中に突っ込みながら、草の茂みに落ちてなんとか止まることができた。周囲に気配はない。ゆっくりと上体を起こして、腕の中のシエスを見る。


「シエス、大丈夫?」


 シエスはまだ僕にくっついている。表情はいつも通りで、魔素酔いを起こした様子もない。あれだけの魔導の後で、それでもいつも通りなんて。本当に、この娘の才覚は底が見えない。

 ふと、僕の胸にあったはずの小さな手がぐいと伸びて、僕の兜を取った。シエスが下から僕を見つめながら、僕の頬をぺたぺたと触る。ぐにと抓まれて、少し痛い。


「ん。ロージャも、大丈夫。よかった」


 シエスはそう言って、少しだけ頬を緩めた。


「ありがとう。それにしても、あんな魔導、いつの間に?」


「この間、思いついた。クルカがあの鳥に捕まって、落とされたとき」


 シエスのへんてこな説明に、思わず笑ってしまう。アルコノースに落とされたクルカさんと、今回の魔導。似ても似つかない。

 すぐに我に返る。おしゃべりしている場合じゃない。シエスのまったりした様子に、まだ戦闘中なことを忘れかけてしまった。立ち上がって、シエスの腕を取って、彼女も立たせる。


「行こう。みんなの無事と敵の討伐を確認しないと」


「ん」


 シエスを促して、また森の外、戦闘の跡地へ向かった。



 シエスの魔導の爪痕は凄まじかった。僕らが戦っていた開けた地は、その大半の地面が大きく抉れて、窪んでいた。衝撃で丸く削り取られて、ますます闘技場のような雰囲気を強めている。

 窪みの底には、ガエウスがいた。魔物の痕跡を探しているのだろうか。僕らの気配に、ガエウスが振り返る。


「おおい、ロージャ!目玉野郎、跡形もねえぞ!依頼達成の報告、どうすんだよ!」


 僕らに向けて文句を言うような声は、戦闘中より少しだけはしゃいでいた。シエスの規格外の魔導に何か、くすぐられたのかもしれない。


「そのへんはまあ、また後で考えよう!」


 遠くにいるガエウスに答えて、大声で叫び返す。ガエウスはひらひらと手を振って、また周囲の確認に戻っていった。

 周囲をざっと見ると、『詩と良酒』の四人とナシトはもう、森を抜けて姿を見せていた。


「ロジオン!無事だったかっ」


 マナイさんはすぐ近くにいて、こちらへ歩いてきていた。手を振り返す。他の皆はそれぞれ少し離れたところにいるけれど、誰にも怪我はないようだ。後はルシャと、『蒼の旅団』か。


「……とんでもないね。シエスちゃん、だったっけ」


 そう思ったところで、後ろから声がした。


「ナタさん。ご無事でしたか」


「おかげさまでね。まったく、これじゃどっちが化物か、分からないなあ」


 皮肉っぽく笑いながら肩をすくめるナタさんに、少しだけ不快感が湧く。シエスは確かに規格外でも、それは努力の成果だ。化物では、決してない。

 シエスが一歩、ずいと踏み出す。彼女も化物扱いに、怒ったのだろうか。


「シェストリア」


 呼び名の方に怒っているようだった。ナタさんは呆れたように笑って、シエスの頭を撫でようとする。シエスはそれをひらりと躱して、僕の背に隠れた。じとっとした眼でナタさんを睨んでいる。


 ナタさんの後ろには、ルシャとルルエファルネさんがいた。手を上げると、ルシャは笑って応えてくれた。怪我はないようだ。よかった。

 ただ、ルルエファルネさんは笑うルシャと対照的に、暗い顔をしていた。思い詰めたような眼で、何かに急かされるような雰囲気で、口を開いた。


「あの、ロジオン。今回は、その――」


「それにしても、幼馴染くん。良かったのかな。あの魔物を、消し飛ばして」


 ルルエファルネさんの声を遮るように、ナタさんが何かを話し始める。声はいつもと同じ、笑うような嘲るような、真意の見えない響き。


「……どういう意味です?」


「あれは、元々人だったのに。帝国の都合で化物にされた、可哀想な被害者なのに」


 ナタさんの声に、弛緩しかけた空気が変わる。この人は、何を言っている?全てを予め、知っていたかのような口ぶりで。


「軍も、外道だよね。自分たちで創り出しておいて、暴走して処理が面倒と分かったら部外者を呼んで、始末させて。それで金だけ渡して、実験場の跡地はダンジョンってことにしてさ。ほんと、国ってのはクズだよね」


「……待ってください。貴女は、一体何を知って――」


「まあ、いいんだ。ここまではただの、余興だから。本当の冒険は、ここからなんだから、ね」


 ナタさんはいつの間にか、剣を抜いていた。訳が分からない。分からないのに、僕の本能は、戦いの始まりを確信している。手が勝手に、背の盾に伸びていた。


「ナタ、貴女、何をしているの――」


 ルルエファルネさんの困惑したような声音。それが響いた瞬間に、ナタさんの姿はかき消えていた。

 そして、風を切る音。ナタさんはマナイさんの背で、その背を斬り裂いて。血が舞う。


「Манай!」


 クルカさんの、悲痛な叫び。

 その声に応じるように、今度はガエウスのいる窪みで、光が走った。窪みの中心から、光が湧き出ている。光は広がって、抉れた跡に丸く屋根をかけるように、窪みを覆って。


「これは……『阻害』の、魔導?」


 ルシャのつぶやき。けれど僕は、その声に応えることができなかった。

 窪みの中心、光の壁の向こうに、ガエウスの他に知った顔があるのが、見えたから。その人が此処にいるなんて、あり得ないはずなのに。どうして、此処で、剣を携えて?


「ログネダ、さん……?」


 僕の声なんて、聞こえていないだろう。でもログネダさんは、僕に振り返って、応えるように優しく、昏く笑った。

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