第94話 無数の眼

「どうするのだ?ロジオン」


 魔物の咆哮の余韻を耳の奥に感じながら、マナイさんの問いかけに振り返る。


「飛び込むか、様子を見るか。……正直に言えば、『蒼の旅団』が何に巻き込まれても、自ら招いたこととしか思えんが」


 マナイさんの言葉は、もっともだった。『蒼の旅団』、ナタさんたちは事前に定めた連携方針を全て無視したのだから、協働の意思は無いと判断して僕らが追わずに彼らが全滅したとしても、依頼完了後に何か問題になることはないだろう。

 理解は、できる。ただ。


「はっ。どうせ、行くんだろ」


 ガエウスの声。相変わらずつまらなそうで、でも僕を見る眼は少しだけいつもの、楽しげな雰囲気を宿していた。僕をからかう時の、皮肉っぽい笑み。


「自分じゃあ、損得勘定ができると思ってるみてえだが。結局はただどうしようもねえ甘ちゃんだからな。どうせ、あの嬢ちゃんたちが死んだらユーリが悲しむとか、馬鹿みてえなこと考えてんだろ」


 そう、なのだろうか。

 ユーリはもう関係ない。そう思っている。そのはずなのに、どうしてかガエウスの言葉を否定する気にもなれなかった。



 ガエウスには答えず、皆の方を向いた。

 これ以上、考える時間はない。僕らの安全と依頼の達成を優先するなら、魔物の暴走が収まるまで様子を見て、丁寧に対策を講じるべきだ。リーダーとして、そう判断すべきであることも分かっている。

 でも。僕自身は、この得体の知れない魔物の咆哮に今、向かっていきたいと思っている。理由は、はっきりとは分からない。ただ、ここに留まったとしたら、僕は見捨てたことになる。救えるかもしれないものを、救う必要はないと、そう断じたことになる。そのことを思うと、胸の奥で苦いものが湧き出るような、そんな錯覚に囚われてしまう。

『蒼の旅団』のナタさんたちは僕を嫌っている。僕だって、僕を毛嫌いする彼女たちと仲良くなりたいとまでは、思わない。でも、死んでほしいなんて思っていない。彼女たちを憎んでいる訳じゃないんだ。助けられるなら、助けたい。でもそれは自分のわがままで、わがままなんかでパーティを危険に晒す訳には――


 ふと、手をくいと引かれた。見ると、シエスがちまりと手を握って、僕を見上げている。


「ロージャ」


 緊迫した状況なはずなのに、緊張感の欠片もない無表情。いつものシエス。


「ロージャがしたいように、して。私は、ついてく。傍にいる」


「……シエス」


 シエスがいつも通りなのは、僕を信じてくれているから、だろうか。ふとルシャの方を見ると、力強く頷いてくれた。ナタさんたちを分かりやすく嫌っている彼女さえ、僕に任せると、そう言っている。

 守るべき人たちに、また背中を押されてしまっている。でも彼女たちがいるから、僕はここまで真っ直ぐ進んでこれたんだろうな。


 すうと息を吸って、勢い良く吐く。決めた。

 今は、心に従う時だ。


「……行こう。今は彼女たちも仲間だ。もし危ないなら、助ける。嫌われてるとか、自業自得とか、関係ない」




 日も差さない闇の中を慎重に、でも前へ前へと進む。ナシトの呼び出した光の球のおかげで周囲が見えるものの、日中の森とは思えないほど濃い暗闇の中にいる。

 進むべき方向は分かりやすかった。魔導が続けざまに放たれているのか、地が爆ぜるような轟音と、その度に響く魔物の雄叫び。戦いの音は徐々に近付いてくる。

 魔物の咆哮のせいか、道中にはあの翅百足や他の魔物を見ることはなかった。気配すら近くには感じない。それが分かってからは、進む速度を速めて、ほとんど駆けるようにして奥へと向かった。


「ロージャ、この声、何か奇妙です」


 駆けながら、ルシャが僕の隣まで来てつぶやいた。


「魔物の声のこと?」


「ええ。……声の大きさも、震え方も、魔物のそれなのですが。時折、言葉のようなものが、聞こえるのです」


 言葉?人語を解する魔物ということだろうか。

 シエスに欠片を埋め込んだあの無貌の男のような、『果て』を知る化物だろうか。それとも、暴れているなら、アルコノースのような神獣、なのだろうか。

 それとも。ナシトの言う、禁忌の魔導が生み出した何かか。


「帝国語で何か、叫んでいるような……いずれにせよ、ただの魔物ではなさそうです。どうか、気を付けて」


「分かった。ありがとう。ルシャも、無理はしないで」


「ふふ。それは私の台詞です。……優しさは、貴方の強さですが。彼女たちを守って死ぬなんて、許しませんよ」


 そう言って、ルシャは腕を伸ばして、僕の手を一度だけ、ぎゅうと握った。冗談めかした言葉だったけれど、握る手にはいつもよりずっと力がこもっていた。

 もちろん、と答えようとして、瞬間。視界の先に、不自然に明るい一点が見えた。魔導の光ではない。あそこにだけ、なぜか日の光が差している。


「見えてきたぜ」


 ガエウスの声に、思考を切り替える。走りながら兜を発現させて、背から盾を取る。皆に向けて、最初の方針だけ伝えておかないと。そう思って口を開いた。


「これまで通りにいこう。まず敵の攻め手を見極める。『蒼の旅団』が倒れていたら、ルシャは治癒を優先して」


 返事はなかった。それが肯定の合図なのも、もう分かっている。

 光はもう目の前に迫っていた。飛び込むように駆けながら告げる。言葉の裏に、僕のわがままに付き合ってくれる仲間たちへ、感謝を込める。


「行こう。武運を」


 僕の言葉に、背にした皆の気配が一気に張りつめるのを感じながら、光に飛び込んだ。



 眩い光に一瞬目がくらむ。一瞬だけ目を閉じて、直ぐに前へ向き直る。そこは開けた地だった。日も差さない鬱蒼とした密林の中にぽっかりと、何もない地が円形に広がっている。まるで闘技場か何かのようだった。

 そして僕らの目の前には、異形の化物が横たわっている。体中から真紅の血を流して、苦しげなうめき声を響かせている。


「なんだ、君たちか。遅かったね」


 盾を構えて魔物を観察していると、横から声がした。目を向けなくても分かる、ナタさんの涼しげな声。


「何をしにきたの。ここは私たち四人で十分なことくらい、貴方でも分かるでしょう」


 続いて、苛立たしげなルルエファルネさん。彼女も無事そうだ。でもまだ警戒を解いていないところを見るに、決着はまだついていない。倒れた魔物をもう一度注視する。


 二本の脚と頭らしきものが見えた。けれど腕のようなものは大小さまざまに体のそこら中から生えていて、人型なのか不定形なのかも、よく分からない。大きさは、キュクロプスほどだろうか。僕よりは遥かに大きいものの、伝承の巨人や神話の鳥ほどではない。


「ちょっと。返事くらい、したらどう――」


 ルルエファルネさんの棘のある声は無視して、どんな魔物なのか尋ねようとした、その瞬間。

 倒れた魔物の体中で、眼が開いた。無数の赤眼が虚ろに、けれど濃厚な殺意をのせて、僕らを見据える。見据えながら、魔物はゆっくりと、二本の脚で起き上がった。


「……っ、まだ、再生するの」


「やれやれ。弱いくせに、しぶとさだけは一丁前だね」


 魔物の体から流れ出ていた血が止まっていた。『蒼の旅団』が付けただろう無数の裂傷がみるみるうちに盛り上がって、消えていく。あれは、『治癒』の魔導?

 完全に立ち上がった魔物が、捻じ切れるような声で叫んだ。もう観察している暇はない。来る。

 前に出ようと一歩踏み出しかけて、ひゅんと音がした。僕の目の前を、ナタさんの剣が遮っている。


「手出しは不要だよ、幼馴染くん。君らが手を出しても、滅するのが遅くなるだけだ。まあ、そこで見ててよ」


 ナタさんはそれだけ言って、消えた。一瞬姿を見失って、気配を追うと、もう魔物のすぐ脇にいた。ルルエファルネさんも同じように、魔物の方へ跳んでいる。二人とも、相当な速さだ。

 魔物の腕を掻い潜って、ナタさんが静かに剣を抜く。魔導を纏った剣が閃いて、一振りで無数の腕を斬り落とした。けれどその一撃だけで、ナタさんは後ろへ跳んで距離を取った。


「今度こそ、終わらせるっ!」


 かけ声と共に、ルルエファルネさんは跳び上がって、魔物の上空で鋭く剣を振るった。振るう度に魔物の体に大口の傷がぱくりと開いて、絶叫が響き渡る。あれは、風の魔導剣だろう。不可視の斬撃。

 見ると、『蒼の旅団』の残りの二人も魔物と距離を詰めていた。四人で魔物を囲いながら、反撃の余地を与えず魔物を蹂躙している。

 魔物はまた血を噴き出しながらかろうじて立ち、斬撃の嵐をただ耐え続けている。魔導の剣撃が地をも抉って、爆音と土煙が立つ。



 戦闘に割り込む余地は、あまりなかった。


「流石は『蒼の旅団』、ということか……助けも、必要なさそうではないか?」


 マナイさんは弓に矢をつがえつつも、警戒をいくらか緩めているようだった。

 確かに、このまま終わるのかもしれない。ソルディグがいないとはいえ、彼らは今や王国一のパーティで、その実力なら僕らの助けなど必要ではないのかもしれない。それならそれで、別に構わない。


「どうすんだ、ロージャ。このへんの魔物はあいつ一体みてえだぜ」


 ガエウスは周囲を哨戒し終えてもう戻ってきていた。


「前に出られてしまうと、僕ら盾組が入れない。……少し待とう。『蒼の旅団』も手こずっているようではなさそうだしね」


「けっ。最初から最後まで、つまらねえ依頼だぜ」


 このまま終わるなら、それでいい。つまらなくても、誰も死なないのが一番だ。けれど、まだ何か起きそうな気がする。ただ丈夫なだけの魔物なら、帝国軍が僕らを利用する必要もない。

 現に、あれだけの斬撃を受けながら、魔物は今も再生を続けている。あの無数の眼はまだ、昏い光を失ってはいない。


「ナシト。念のため『魔導壁』だけ、備えておいて。『蒼の旅団』を守れるように」


「ああ」


「シエスも。シエスは、僕らを守るやつを」


「ん。それなら、いつも準備してる」


 二人の返事に安心する。僕らはまだ誰も気を抜いていない。

 もう一度魔物を注視する。体中血だらけで、じっと耐えている。押し潰すような斬撃に、歪な巨体をふらつかせながら、それでも何かを待っているような。

 そうして、斬撃が止まった。攻め疲れたのではない。ルルエファルネさんの剣が、眩い光を放っている。何か、大技が来る。


「これで、終わり――」



「Аааааааааааа!!! Оньллоб, онлобб!!! Едгг мам, Жжденя!!!」


 何かを放とうとしたルルエファルネさんを遮って。魔物が狂ったように叫んだ。ここ数日で耳に慣れた響きの言葉が聞こえたような気がした。

 体中の眼が全て見開かれて、その瞳孔がさらに紅く輝き始める。


 瞬間、悪寒がした。あの輝きは、どこかで見た。思い出せないけれど、あれは、魔導の兆し。巨体の隅々までを埋め尽くす眼が、同時に魔導を放ったら――



「ナシトっ!シエスっ!!」


 意識の外で、僕は叫んでいた。シエスが杖を振り上げる。

 ほとんど同時に、魔物の眼が弾けて、血が噴き出す。その血を掻き分けるようにして、おびただしい数の紅い線がほとばしった。赤黒く輝く、全てを焼き溶かす熱線。それが地と空を溶かしながら、僕らへ、『蒼の旅団』へと迫る。

 気が付くと、僕はシエスの前に跳んでいた。盾を構える。

 熱線は僕らの少し前で見えない壁にぶつかって、輝きながらその壁を突き破った。けれどまた何かにぶつかって、徐々に勢いを減衰させている。シエスは『魔導壁』を破られる度に同じものを生み出し続けているようだった。最後には、紅い熱線は壁を削りきれずに消えた。

 一瞬の攻撃。圧倒的な熱によって地面は不自然に抉れて、放射された熱線は遠くに立っていたはずの木々も貫いて、どろどろに溶かしていた。でもシエスのおかげで、僕らは皆無事だった。


「……ロージャ。私の魔導、信用して」


 後ろから、シエスのぶすりとした声。そういう訳じゃない、と返そうとして。

 土煙の向こうに、『蒼の旅団』の人たちが見えた。ナタさんと、男性メンバー二人。無事なようだ。彼ら、名前は何と言ったっけ。一瞬思考が逸れかけて、すぐにルルエファルネさんの姿が見当たらないことに気付いた。


 魔物が奇声をあげながら、駆け出している。目を凝らす。魔物の走る先に、金色の何かがうずくまっているのが、見えた。魔物が、倒れたルルエファルネさんの元へ向かっている。『蒼の旅団』の三人はまだ気付いていないのか、動き出す様子がない。

 ルルエファルネさんだけ、ナシトが守りそこねた?信じがたいけれど、理由を考えている暇はない。


「ルシャっ!」


「はいっ」


 ルシャも、エルフの娘の危機に気付いているようだった。二人同時に、駆け出す。ルシャはルルエファルネさんの元へ。僕は異形の魔物の前へ。『力』で跳んで、走る魔物の目の前で無理矢理に止まって、立ちはだかる。


「Ждення? Жженяя!!」


 魔物は僕を見ていない。気付いてすらいないのかもしれない。何かを叫びながら、一心にルルエファルネさんの方へ駆けている。体中の眼は潰れているものの、他の傷と同じように再生を始めているようだった。でもまだ先程のような熱線は放てないはずだ。


 ここは僕が止める。盾を背に回しながら、別の手で背から鎚を取る。

 両手で鎚を握り締めて、走り迫る魔物の左脚へ、横から鎚の頭を叩き込む。鎚は容易く脚を吹き飛ばして、魔物は体勢を崩した。落ちてくる頭には、眼が無かった。

 脚めがけ横へ振り抜いた鎚の勢いのまま、『力』を込めた足を軸に、その場で回転する。回りながら、落ちてくる化物の頭へ、今度はすくい上げるように鎚を叩きつける。眼の無い顔を正面から押し潰す。


 異形の魔物の頭は抵抗もなく体から離れて、吹き飛んだ。けれど、これで終わりではないだろう。ルシャがルルエファルネさんを抱えて離れたのを背に感じながら、鎚をもう一度、握り直した。

 頭を失った化物は倒れて、動かない。その眼はただ、僕をじっと見つめていた。



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