第93話 禁忌

 それから数日かけて、密林の中を進んだ。

 出てくる魔物は、大百足おおむかで蜻蛉とんぼ、蜂と、徹底して虫ばかりだった。どれもが大きく、群れで襲いかかってくる。中でも蜂は鋭い尾針と、そこから滴る猛毒が厄介だった。蜂は見かけ次第矢で射殺すか、どうしようもない時は火の魔導で焼き殺す。火の魔導は後始末が大変だったけれど、シエスは極小規模の嵐を起こして無理矢理に鎮火してくれていた。


 僕と双子の重戦士組は、主に百足の足止めが役割だった。他の皆が飛ぶ魔物へ対処している間、百足の大群を引きつける。エトトとオトトは王国語を全く話せないから初めは意思疎通に手間取ったものの、慣れてくると、僕が最前線に出て、盾で先手を防いでから鎚ですり潰し、彼ら二人は僕の少し後ろで盾を構えて鎚を躱した百足を足止めする、という役割分担ができていた。

 双子の二人は僕より少し年下くらいで、なぜか僕に懐いてくれた。戦闘の合間、密林を奥へ進んでいる間に、僕の鎚や盾、鎧をぺたぺたと触っては不思議そうな顔をしていた。通訳してくれたルシャによれば、僕の馬鹿力の源がどこにあるのか探っているらしかった。

 彼らも僕と同じで魔導を扱えない。その不利を双子ならではの絶妙な連携で補っている。合図もなく互いの背中を守り合う姿は圧巻だった。でもやはり、かつて僕も悩んだような攻撃力不足を感じているようで、道中にはどうすれば僕のような『力』を使えるようになるのか教えてくれとせがまれてしまった。

 僕自身、『力』の正体をはっきりと理解している訳ではない。アルコノースが語った『志』について語る訳にもいかず、曖昧にぼかして答えては二人から質問攻めにあう、の繰り返しだった。そのおかげか、少しだけ帝国語に慣れることができたけど。


 マナイさんは相変わらず、戦闘が終わる度にガエウスに付きまとっては、ガエウスに適当にあしらわれていた。クルカさんはシエスとだいぶ打ち解けたようで、小休憩時に並んで座って干し肉をかじる二人の姿が微笑ましかった。


 一緒に進んできて分かったことだけれど、彼ら『詩と良酒』はとても堅実なパーティだった。

 特にリーダーのマナイさんは、行き過ぎたガエウス信仰は別として、慎重な人だ。戦闘時は絶対に無理をしない。加えてパーティ全体を良く見ているし、一歩後ろにいることの多いレンジャーの特性を活かして、一番苦戦している前衛を支援するのがとても上手かった。

 僕らも、ガエウスを除けば慎重さと堅実さが売りのパーティなはずだから、とてもやりやすい。この依頼が終わった後も、一緒にまたダンジョンへ潜りたいと思えるほどの相性の良さを感じていた。




 そんなふうにして、マナイさんたちパーティと距離を縮めながら連携の練度を高めつつ、数日後に僕らはある地点にたどり着いた。軍が作成した地図に、奥部、と記された箇所の入り口だ。

 その前で、立ち止まる。


「これはまた、すごいな」


「見るからに、異様、ですね……」


 入り口を見て思わず零してしまった僕のつぶやきに、ルシャも似たような反応だった。それくらい、『サルニルカ島』の奥部はこれまで歩いてきた道とは異なる景観、異様な雰囲気を湛えている。

 密林のダンジョンで奥と言われても、それは軍が便宜的に定めた区分けで、ダンジョンの見た目に違いはないだろうと思っていた。けれど僕らの目の前にあるのは、濃い暗闇だった。生い茂る木々は唐突に密度を増して、ただでさえ遮られがちだった日光が、奥部ではほとんど全て遮断されている。ただの密林であるはずなのに洞窟のような暗闇が、僕らの前に口を開けている。

 元木こりの僕からすれば、この光景は異常だ。木々は密集しすぎると逆に上手く育たない。糧である日光を互いに遮り合ってしまうからだ。なのに奥部の木々は、そのほとんどが暗闇に浸って、互いの幹を密着させながら、それでも高く力強くそびえている。日光に代わる何かを養分としているようにしか思えない。それが、魔素なのだろうか。


「ふむ。こんな森は私も見たことがないな。理解の及ばぬ摩訶不思議、まさしくダンジョン、といったところか」


 マナイさんは一歩前に出て、暗闇に満ちた奥部を覗き込んでいる。怯んだ様子はない。


「とりあえず、少し休みましょう。ここでナタさんたちと合流する手筈になっていますから、彼女らが来たらこの暗い中をどう進むか、少し話し合わないと――」


「どうやら、そうもいかねえようだぜ」


 小休憩を提案しかけた僕を、ガエウスの声が遮る。見ると、奥部の入り口近くに立つ木の傍で、ガエウスが何かを掴んで掲げていた。紙片のようなものが、彼の手の中でひらひらと揺れている。


「ガエウス、それは?」


「『先に行くよ』、だとよ。奴ら、連携する気はこれっぽっちもねえようだな」


 つまらなさそうに鼻を鳴らして、ガエウスは紙を僕へ放った。紙には確かに、ナタさんの筆跡。彼が読み上げたこと以外のことは何一つ書かれていなかった。


「……参ったな。奥部からは、少なくとも地図作りくらいは分担しないとならないのに」


 ここまで独断専行されてしまうと、色々と面倒が多い。……ソルディグがいれば、少なくとも連携くらいはとれていただろうか。以前王都で受けた共同依頼の時は、『蒼の旅団』側にも協働する意識はあったのに。

 どうしたものか。隣ではルシャが目を瞑って、ため息をついていた。とりあえずは、少し休むか。


 そう思った時だった。



「魔物、来るぞ」


 静かな、けれど妙に通るナシトの声。ここまでの道中でも何度も聞いた、戦闘開始を告げる声。一瞬で空気が張り詰める。


「前、奥部からだ。デケえぞ。一匹きりみてえだが」


 ガエウスは既に弓を構えている。ようやく僕にも、気配が感じられた。奥部の闇の向こうに、無数の足が蠢く音。百足、だろうか。けれど何か様子がおかしい。気配が波打っていて、殺気立っている。物凄い速さでこちらへ向かっている。


「エトト、オトト!前にっ」


「Ад!」


 僕が先頭、少し後ろに双子二人。これまでと同じ百足一匹なら、これで事足りる。でも、嫌な予感がする。

 盾を呼び出して、構える。前を見ると、魔物の気配は確かに近付いているのに、耳障りな足音がいつの間にか、消えていた。

 背筋が震える。前方で地を這いながら近付いていたはずの気配は、浮き上がっていた。無数の羽音が迫ってくる。


「みな、気を付けろ!この大物、飛べるぞ!」


 マナイさんの声とほぼ同時に。奥部の暗闇を食い破って、黒黒と大きな何かが姿を現した。


 百足が、数え切れないほどの蜻蛉のはねをその長い体にびっしりと生やしている。僕にはそう見えた。違和感のある光景。魔物以外でも、翅のある百足なんて聞いたこともなかった。

 たじろいでいる暇はない。翅百足はねむかでは僕ら前衛を越えて、ルシャのあたりを狙っているようだった。

 直ぐに手斧を取って、上空へ『力』を込めて投げる。脳天めがけて飛んだ斧を、百足は首を器用にぐにゃりと曲げて、避けた。……これまでの奴らより強いかもしれない。


「ナシト!二人と、後ろへ!」


 魔導師組を後退させる。敵の強さが分からない内は、シエスの範囲魔導は使いたくない。火炎や嵐、衝撃の余波でこちらの視界が狭まるから、一撃で仕留められない場合は反撃への対処が遅れてしまう。

 ナシトとシエス、クルカさんの気配はあっという間にかき消えた。流石ナシト、レンジャー並の隠密だ。

 ガエウスとマナイさんは言うまでもなく、既に姿を消していた。


 翅百足はかなりの速度で飛んで、僕と双子の頭上を越えた。ルシャへ一直線に向かっている。越える一瞬、百足の尾にあたる部位に、無数の棘のような何かが見えた。そんなもの、これまでの百足にはなかった。嫌な感じがする。

 ルシャは剣を抜いて静かに立ち、迎え撃とうとしている。彼女なら何が来ても全て躱すだろう。万が一当たっても、『癒し』がある。でも、僕が守る。


『力』を意識する。脚へ流しながら、後ろを振り向く。踏み込む。地を踏み抜いて一瞬で、ルシャの前まで跳ぶ。


「ロージャ?」


 ルシャの前で止まって、彼女を背にしてまた振り向く。翅百足は奇声をあげていた。何か、来る。


「ルシャ、奴の尾のところ、見ておいて」


「は、はいっ」


 翅百足が、下半身を振り上げた。盾に『力』を込める。百足が飛びながら、僕らめがけて鞭のように体をしならせた。そして尾から、棘が飛んだ。

 棘は四本。先端からは何か滴っているように見える。盾で受けると、少しの衝撃の後、棘は簡単に折れて地面に散った。

 一瞬だけ翅百足から目を離して、盾を見る。案の定、棘の毒で僅かに凹むように表面が溶けていた。ここまでの道中でも何度か目にした溶け方。


「これは……蜂の毒?」


「似てるね。でも、まだ分からない」


 なんとなく分かってきた。百足の図体。蜻蛉の翅。そして蜂の毒。奥部までの魔物の特徴を継ぎ接ぎしたような翅百足。なぜこんな魔物がいるのかは分からない。でも、討ち取ることはできるだろう。もう散々相手にしてきた魔物の集合体のようなものなのだから。


「ガエウス、マナイさんっ!まず、落としてっ」


「承知したっ」


「あいよ」


 僕の声とほとんど同時に、左右から矢が飛ぶ。左からの矢は翅の腹を、右からの矢は翅の根元を、それぞれ貫いた。翅百足の体が、右に傾く。


「やる気あんのかっ、マナイっ!遅えぞっ」


 ガエウスの檄が飛ぶ。よく見ると、ガエウスのいる右側の半身からはもう、無数にあったはずの翅が消えていた。根こそぎ撃ち落とされている。たった数瞬の内に、一つ残らず。


「おお……これが神の眼……これが、死の弓っ……!」


 マナイさんの声は感極まっていた。そんな状況じゃない。

 百足は地に墜ちている。僕が跳ぶより先に、僕の背からルシャが消える。もう任せても大丈夫だろう。彼女はここまで、蜂の群れの中でも無事だった。それでも心配になるのは、恋人として当たり前だと思う。思わず叫んでいた。


「ルシャっ!棘に気を付けて!」


「ええ、勿論!」


 ルシャが駆ける先で、翅を失った百足は彼女を見据えて、また尾を振るった。彼女へ真っ直ぐに棘が飛ぶ。それをルシャは余裕を持って躱して、そのまま百足の頭部近くで止まった。剣を抜き放つ。その刀身には魔導が満ちているのか、白く淡く輝いて綺麗だった。


「これで、終わりです」


 つぶやく声が聞こえた気がした。剣が振るわれる。ルシャの剣は下からするりと百足の首を滑り抜けて、振り上げられた白い刀身には血の跡ひとつなかった。一拍置いて、百足の頭がずり落ちる。緑紫の血が噴き出して、百足の体も崩れ落ちた。

 ルシャは亡骸が動き出さないのを確認して剣を収めると、すぐに僕の方へ振り返って、凛と笑ってくれた。




「見れば見るほど、おかしな魔物だな」


 戦闘の後、戻ってきたナシトたちと共に翅百足の亡骸を検分していると、マナイさんがつぶやいた。


「虫に詳しいという訳でもないが。翅の付き方といい、取ってつけたような棘といい、不自然さばかりが目立つ」


 戦闘中に僕が抱いた、継ぎ接ぎという印象をマナイさんも感じていたようだ。


「魔物は魔素という超常に親しんでいるとはいえ、自然の生き物の範疇であるはずだ。自然に生きるものが、こうもおかしなことになるとは、考えにくいが……」


「はっ、今更だな」


 ガエウスがぶっきらぼうな声を出した。けれどその眼は真剣に、百足の遺骸を睨んでいる。


「この依頼が胡散臭えのは、最初からだろうが。軍からのよく分からん依頼に、よく分からんパーティの指定。あげく、ちぐはぐな魔物まで現れやがった。だがまあ、見えてきたぜ。軍ってのは嘘しかつかねえ。どうせ、俺らがいるこの島は、生まれたてのダンジョンじゃねえんだろうよ」


「……ガエウス様。新しいダンジョンではないとしたら、一体――」


「さあな。軍の実験場とか、そんなんだろ。王国軍に唯一追い付けねえ禁忌の魔導を、必死こいて研究してたってとこか」


 ガエウスの語りを、うまく理解できない。軍の何らかの陰謀に僕らが巻き込まれている可能性は、僕もなんとなくは感じていた。けれど、禁忌の魔導とは、なんだろう。

 思わずナシトを見る。彼だけは変わらず、いつもの凪いだ調子で立っている。そのナシトが口を開いた。


「禁忌の魔導の内、この百足は、『融合』だろう」


「融合?」


「ああ。交わらぬものを溶かし繋げる『融合』。人と魔の域を踏み越える『転化』」


「王国のクソ宰相の得意技だ。それを奴は、要りもしねえのに『大戦』で使いやがった。どこにも書かれちゃいねえがな。それから帝国も、研究から引くに引けなくなったんだろうよ」


 禁忌の魔導。そんなものがあるのか。『大戦』で使ったということは、もしかすると、ガエウスの友人のスヴァルクは、それで魔物に『転化』させられてしまったのだろうか。

 王国の宰相。『大戦』の秘密。ログネダさん。色んな仮定が頭に浮かんできて、混乱しそうになる。一連の物事が繋がりそうで繋がらない。軍はこの依頼に何を隠している?僕らは、一体何に巻き込まれている?



「けっ。結局、かよ。お前がいるなら冒険も見つかるかとまだ、期待もしてたんだがな――」


 ガエウスのつぶやきに、振り返りかけて。



 奥部の闇の向こうで、凄まじい爆音が轟いた。続いて、島全体を揺らすかのような、重い咆哮。島の奥の奥で、何かが目覚めたような。


「……まさか」


 ルシャが息を呑む。ガエウスだけが軽い調子で笑って、立ち上がった。


「……嬢ちゃんたち、やらかしやがったな」


『蒼の旅団』が、この島の最奥部の魔物と接触した。僕もなぜかそう信じられた。


 ガエウスの過去と帝国の闇を前に混乱しかけた僕をよそに、事態はもう切迫し始めていた。

 もう考える時間はない。すべきことを見極めて、行動しなくては。

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