第92話 大百足

 数日の船旅の後。僕らは河口を越えて海に出た。


 帝国の南に広がる海は果てしなく広かった。この海の先に何があるのかはまだ良く分かっていなかったはずだ。別の国があるとも、魔物に満ちた魔境があるとも聞いたことがある。未知の世界。『果て』のことがなかったら、ガエウスはここにも行きたいと吠えていたかもしれない。


 海岸沿いを進んでいると、空と海の青に紛れて、遠く海の上に小さな黒い点が浮かんでいるのが見えた。あれが『サルニルカ島』だろう。海岸近くという訳でもなく、かといって沖合というほど離れている訳でもない。ただぽつりと佇んでいるように見えて、魔物のはびこる禍々しい雰囲気はここからではまだ感じられなかった。普通の島に見える。あれが、最近になって突如現れたというのだろうか。見た目からだけでは、とても信じられない。

 船は徐々に、その島向けて近づいている。甲板の上には、僕ら三パーティが皆揃っていた。シエスも、まだ少し顔色は優れないけれど、しっかりと自分の足で立っている。

 ダンジョン攻略の準備はもう整っていた。



 船旅の間には、僕とマナイさん、ナタさんの三人で何度か話し合った。攻略方針を決めるためだ。


 共同依頼というのは意外にやりにくい。それぞれのパーティがそれぞれの強みを持っているから、それを最大限活かせるようにパーティ間の連携には細心の注意を払わなければならない。

 僕らのパーティは標準的な冒険者パーティらしい構成、だと思う。壁役の僕と、遊撃のルシャ、中距離からの撹乱と不意打ちがガエウス。シエスが範囲殲滅で、ナシトは全体の補助。役割は分かれていて、誰が最も重要な役となるかは敵の特徴によって変わる。

 マナイさんたち『詩と良酒』は少し変わった編成だ。リーダーのマナイさんはレンジャーで、ガエウスと似た立ち回りをする。妹のクルカさんは魔導師で、シエスとナシトの役を一人でこなす。ただどちらかといえば攻撃系の魔導が得意らしい。他の二人、双子のエトトとオトトは僕と同じ重戦士で、僕よりも守りに特化した戦い方をするとのことだった。パーティとしては、敵の攻勢をひたすらに耐えてクルカさんの魔導で仕留める、という戦いを好む。

 そして、ナタさんたち『蒼の旅団』――ソルディグとユーリはいないから、本隊と支隊の混成といった風だけれど――は、全員が魔導剣士だ。ルルエファルネさんは魔導主体、ナタさんは剣術主体の戦い方をすると聞いたから得手不得手はあるようだけれど、彼女ら二人も他の男性メンバー二人も軽装で、剣を携えているのみだった。四人全員が回避しつつ敵の注意を逸らしあって一瞬の隙をつく、素速い戦いを好むという。相変わらず、重戦士の僕とは相性が悪いようだった。

 三つとも、毛色の違うパーティと考えていいだろう。もっと時間があったなら、互いの長所短所を共有し合ってしっかりと連携の体制を作るのだけれど。


「別にまとまって動かなくてもいいんじゃないかな」


 話し合いのはじめ、ナタさんは三パーティ各自での攻略を提案してきた。


「いや、これは別に、幼馴染くんが嫌いだから言っている訳じゃないよ。初めての共同依頼で、私たちが急に協力しようとしたって上手くいきっこない。それなら、各自で別々に進んで、調査した方が良いかなって、そう思ってるだけさ」


 ナタさんの言い分も、理には適っている。下手な連携で邪魔をし合うくらいなら、集合場所だけ定めておいて、それぞれが見つけた情報を定期的に共有し合う程度に留めておく方が効率的かもしれない。

 でも、引っかかることはある。僕らパーティが個別に潜ってなんとかなるようなダンジョンなら、帝国軍はわざわざ共同依頼として複数パーティを指名しないだろう。


「ナタと言ったか。私は少々、嫌な予感がしていてな。我らのパーティ単体ではどうにもならぬ相手が湧いて出てくるような、そんな気がするのだ」


 マナイさんも、僕と同じような考えだったようだ。


「なんだ。今更怖気づいたの?」


「まさか。だが長たる私が驕る訳にはいかん。我らのパーティはこの中で最も弱い。見栄のために個別に動いて、全滅して迷惑をかけたくはないのでな」


 ナタさんからは、僕らと協力しなくても攻略できるという、自信のような強気を感じる。まあ、『蒼の旅団』は輝かしい実績を持つパーティだ。ナタさんの実力を良くは知らないものの、彼女はソルディグと行動を共にするようになってもう長かったはず。こうした依頼も多く経験してきたのだろう。

 でも、これは共同依頼だ。不安なパーティがいるのなら、彼ら本来の力を引き出せるように上手く工夫しなくては。そう思って、口を開いた。


「僕としても、最初から最後まで別行動というのは避けたいな。少なくとも、最奥部の正体不明の魔物は、皆で攻めた方がいいと思う」


「なら、最後だけ合流すればいいんじゃないかな」


 ナタさんからは嘲笑うような調子もない。純粋に、良いと思う案をただ提案しているような響きだった。その自信は、少し羨ましい。


「今回の依頼は『サルニルカ島』の奥部調査と、最奥部の魔物討伐だ。だから、こういうのはどうかな。島の入り口近くではまとまって敵に当たる。連携を試しつつ、敵の危険度を測る。その後で、敵が強大ならそのまま一緒に動く。別行動でも問題ないと思うなら、奥部までは別行動にしよう。奥部にたどり着いたらまた連携して、敵を測る」


「……それだと無駄に時間がかかりそうじゃないかい?」


「まあ、そうだね。でもこの依頼に明確な期限の指定はないよ。最奥部の魔物には連携して当たらないといけないなら、それまでに連携の練度を少しでも高めておきたい」


「なるほどな。私はロジオンの案に異論はない。あの島については、分からないことが多すぎる。慎重になって、なりすぎるということもないだろう」


 マナイさんの賛同の声に、ほっとする。

 僕は僕らのやり方しか知らない。規格外のガエウスやシエスがいるから、実は僕らの攻略法もおかしくなってきているのではないかと、最近よく不安になる。

 ナタさんはどう思っただろう。見ていると、彼女はひとつため息をついて、僕らに向けて皮肉っぽい笑みを見せた。しょうがないとでも言うような。


「まあ、いいよ。筋も通ってるしね。それでいこうか。……皆で一緒に動く時の編成とか考えなきゃいけないのは、面倒だけどね」



 それから、何度かに分けながら三パーティの連携体制を話し合って。ある程度形が見えたところで島が見えて、今に至る。

『サルニルカ島』はもう目の前に迫っていて、船は島の浜辺に停泊するべく準備を進めている。島の内部は鬱蒼と茂る木々に覆い隠されていて、よく見えない。一応、奥部までの軍作成の地図はもらっているけれど、分かりやすい一本道がある訳でもない。油断するとすぐに迷ってしまうだろう。

 少しずつ進もう。この依頼で、『果て』に繋がる何かを見つけたい。でも最も大切なのは、皆で無事に帰ることだ。慎重にいこう。




「ロージャ、上ですっ」


 ルシャの声。異臭のする魔物の血が飛び交う中で、場違いなほど凛と響いている。

 上からの奇襲なら、ナシトの『魔導壁』にぶつかるはずだ。まずは目の前の大百足おおむかでに集中する。無数の足を蠢かして、僕よりも大きな百足は双子の兄の方、エトトに巻き付こうとしていた。別の大百足を叩き潰したばかりの僕には、注意を向けていない。

 鎚を、大百足の残骸から引き剥がす。緑とも紫ともつかない体液が撥ねる。そのまま一歩跳んで、エトトを狙う大百足の胴と距離を詰める。鎚を水平に、横薙ぎに振るう。空気が弾けて、大百足の長い横腹に風穴が開いた。


「お見事っ」


 マナイさんの声は楽しげだった。見上げると、また別の大百足が中空で静止していた。上から僕らを奇襲しようとして、見えない壁に阻まれている。そこへマナイさんの矢が吸い込まれて、大百足の脳髄を貫いた。

 後ろからは、鋭く剣が風を斬る音と、百足の外殻と肉が断たれる耳障りな音。ルシャと『蒼の旅団』の四人は手際良く百足を屠っているようだった。

 周囲を確認しながら、鎚と盾を持ち換える。後は守りに徹して、ルシャたちが囲まれないように、後ろに通す百足の数を調整する。直ぐにエトトとオトトの横に並んで、盾を構え直した。大百足が殺到する。

 敵の数は随分と減っている。油断は禁物だけれど、この程度なら僕らの敵ではなさそうだ。



『サルニルカ島』へ侵入して、僕らは直ぐに大百足の大群に出くわした。見たこともない大きさの百足が、密林の中を埋め尽くしていた。けれど、さほど脅威でもない。この百足の毒は大した強さでもなく、肌に触れると鋭い痒みに襲われる程度、というのが僕らの見立てだ。素手で触れなければ問題ないし、かすってしまっても速効性は低いため、戦闘後に塗り薬でも塗っておけば大した影響もない。ルシャの『癒し』に頼る必要すらない。わさわさと動く足は気色悪いものの、結局ただ大きいだけの虫だった。

 話し合いで決めた通り、僕と双子の三人で前に出る。百足たちの注意を僕らに向けて、その背を魔導剣士とレンジャーの皆で狙い撃つ。残りの魔導師の三人は、戦場が密林ということもあって、今は頭上からの奇襲への対応だけを任せている。範囲魔導を放てば、木々が燃えたり倒れたりして厄介なことになるからだ。後処理の手間を考えて、魔導はもう少し面倒な魔物が現れた時まで温存しておく。

 連携というほど練ったものでもない、単純な協働。それでも今のところは上手く回っている。



 程なくして、大百足を殲滅した。島にはまだ入ったばかりだけれど、この百足と同程度の魔物ばかりなら、少なくとも奥部に入るまでは不意打ちにだけ注意していれば大丈夫だろう。


「余裕、だね」


 大百足の遺骸を検分しながらそんなことを考えていると、後ろから声がした。ナタさんだった。剣にこびりついた血を払いながら、飄々とした歩みを崩さずに僕に近付いてくる。


「この程度なら連携の練習台にもならないかな」


「そうかもしれませんね」


「まあ、うちのルルは連携の前に、虫に慣れる必要があるけど。……エルフのくせに虫嫌いなんて」


 ナタさんの声は、少し遠いところに隠れるように立っていたルルエファルネさんへ向けられていた。ナタさんは皮肉るようににやにやと笑っている。


「う、うるさい。森に生きていたって、苦手なものは苦手なのよ」


 今、僕らの周囲には百足の死骸がそこら中に転がっている。ルルエファルネさんは明らかに口元が引きつっていて、顔色も少し青かった。


「私のことは、いいのよっ。……ロジオン、もう分かったはずよ。この程度、私たちのみで十分。決めてあった通り、私たち『蒼の旅団』は別行動とさせてもらうわ」


 ルルエファルネさんの提案は、案の定だった。

 連携はまだぎこちない。もっと数をこなす必要がある。でも、弱い相手を無理して共に倒す必要もない。それに、『蒼の旅団』は先行してくれるだろうから、この先の魔物を間引いてくれるだろう。共にいると険悪な雰囲気になりがちだし、むしろ別行動の方が利が多いのかもしれない。


「分かりました。僕も同じように考えていたところです。奥部への入り口で、改めて合流しましょう。先に着いても、侵入せず僕らを待っていてください」


「……遅くなるようなら、奥部も私たちのみで先行するわ。遅れないことね」


 ルルエファルネさんはそう言うと、そのまま密林の奥へとひとり歩き去ってしまった。

 ダンジョン内でひとりになることは、ほとんど自殺行為と同義なのだけれど。虫への恐怖感からか周囲への警戒は張り巡らせていたから、油断するということもなさそうで、これも彼女たちの自信の表れということだろうか。

 ナタさんたち他のメンバーも彼女の後についていった。僕らも進まなくては。


「我らは君たちと共に行くぞ。ガエウス様の妙技、近くで見られるこの機会を逃す訳にはいかないのでな」


 マナイさんはいつの間にか僕の横に立ち、『蒼の旅団』の背を見ながら笑っていた。ついに本音が漏れている。


「それにしても、ガエウス様。先程はあまり、射てはおりませんでしたが。何故でしょう」


「んだァ?別にてめえにゃ関係ねえだろうが」


 話を向けられたガエウスが不満げな声で答えた。確かに、ガエウスの矢はあまり飛んでこなかった。いつもなら、雑魚相手でも矢を惜しまないのに。


「別に、理由なんざねえよ。必要ねえと思っただけだ」


 ガエウスの声は普通だった。この男がダンジョン内で普通というのは、異常だ。冒険の只中にいるのに騒がない。それだけでやはり気になってしまって、ふと聞いてしまう。


「ガエウス。何かいつもと違うと、そう感じるなら――」


「なんでもねえよ。強いて言うなら、ここまで来てもまだ、冒険の匂いがしねえ。腹の底が震えねえ」


 ガエウスの声は、真剣だった。彼はただ本能で、何かに勘付いているのだろうか。矢の消費を抑えているのは、喜ばしくない何かに備えているのかもしれない。


「……んだァ?俺がはしゃいでねえと信用ならねえのか?そりゃ心外だな、『相棒』?」


 声の調子がおどけたものに変わる。見ると、僕を見るガエウスは嫌味ったらしく笑っていた。不機嫌という訳ではなさそうだ。

 不安は残る。でももう進むしかない。奥の奥まで行けば何か分かるだろう。そう信じて、行くしかない。


 そう、気合いを入れ直したのに。



「……ムカデは、食べない?」


「止めておけ。この類は、口中が腫れて二日は痒みが消えない」


「ナシト、食べたの?」


「似たものを、大昔にな」


「……すゴい」


 後ろから魔導師三人組の和やかな会話が聞こえてきて、僕まで和んでしまいそうになった。

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