第91話 拒否と和解
エルフの娘、ルルエファルネさんの言い放った言葉に、一瞬固まってしまった。
シエスが、エルフの縁者?そうは思えない。シエスの過去については、詳細に聞いた訳じゃない。シエスは過去を引きずってはいないし、魔導都市でも、帝国に来た今でも、シエスはきちんと前を向いて魔導師となるために日々努力している。だから、過去についてシエスから無理に聞き出したくはないと思っていた。きっと、ひどく辛い過去だろうから。悲しい思い出をわざわざ思い出させる必要もない。
もちろん、いつか話してくれればいいなとは思っているけれど。その時は、シエスが僕にしてくれたように、ずっと彼女の隣にいる。
ただ、シエスの父親も母親も人間だったはずだ。僕もかつては城都市で活動していたから、風の噂に聞いた記憶はある。高貴な身分だから遠縁にエルフがいる可能性はあるものの、シエスの耳は別に長くはない。普通の耳だ。
ルルエファルネさんは何も言わず、僕をじっと見ている。僕の答えを待っているようだ。エルフ云々はよく分からないけど、シエスの『果て』の欠片については、言い訳はちゃんと考えてあった。シエスについては、軽々しく教える気はない。
彼女はまだ自衛できない。僕らで守る必要のある女の子で、『果て』の欠片が胸に埋まっているなんて、それこそ命を狙われかねないような情報を明かす気はなかった。
「エルフ、というのは分かりませんが。シエスは普通の女の子です。ただ、少し特異な体質なだけで」
「……体質?」
「ええ」
「……それで?」
ルルエファルネさんは僕の話の続きを待っているようだった。
一応、続きの説明も用意はしてある。シエスは魔素酔いをしない体質だから、首飾りの魔具に溜めた魔素を体内に循環させている、ということにするつもりだった。循環させているのは単に魔導の訓練のため。ナシトとも話してそこまでおかしくないと確かめておいた言い訳だ。当のナシトはこちらを見ずに釣りを続けているけれども。
ただ、ふと思う。『蒼の旅団』、少なくともナタさんとルルエファルネさんは確実に僕を嫌っている。だから今後関わるのは極力避けるべきと決めてある。なら、シエスが魔素酔いしない体質だと明かすことも、危険かもしれない。ほとんど魔素酔いをしない人間というのは歴史上全くいない訳ではないけれど、シエスほど魔素酔いから縁遠い魔導師は、ほとんど神話に近い存在だったはずだ。信頼できる相手ならまだしも、協力の姿勢すらない彼らに明かすのは、違うな。
そう思って、言い訳を引っ込める。正直に話す代わりに少しばかり、交渉の真似事でもしてみよう。
「それだけです」
「……どういうこと?魔素を蓄積できる特異体質ということなの?」
「蓄積、まではしていないと思いますが」
「……貴方、頭の巡りもあまり良くないようね。私の問いに、正確に答えなさい。魔素を体内に蓄積できる種族なんて、魔物の他にはエルフかドワーフか、それ以外は半魔しかいなかったはずよ。あの娘は、そのどれかとでも言うの?」
ルルエファルネさんの語気がまた強まった。どうやら敬語もあまり得意ではないようで、いつの間にか外れていた。
「シエスは人間です」
「なら、なぜ――」
「すみません。貴女の問いに答えない場合、今回の依頼に何か、影響はありますか?」
わざと彼女の言葉を遮る。これで彼女が怒ってくれるなら、有り難い。ルルエファルネさんの睨む眼が一段と鋭くなった。
「……共同依頼なら、互いを知っておくのは、当然でしょう」
「シエスは魔導師です。まだ半人前ですが、魔導の腕前は十分と判断しています。他、得手不得手など必要なことは、後ほどナタさんと話す際に伝えておきます」
「私が知りたいのは、そういうことでは――」
「他の情報は、必要ですか?この依頼に」
「貴方……!」
良かった。怒ってくれた。
こちらに言いたくないことがある時は、気付かれない内に別の話題に気を逸らす。技術とすら呼べないような初歩的なことながら、交渉の基本だった。もちろん、本で読んだだけだけど。
「シエスの体質は少し特殊ですが、依頼に悪影響をもたらすものではありません。貴方がたに危害も加えません。もし必要と判断すれば、また僕からお伝えします」
「……貴方、やはり私が思っていた通りの男ね。自分の思う通りに事を進めたがる、野蛮な男」
ルルエファルネさんは僕への嫌悪に満ちている。それを利用するのは容易かった。いっそう嫌われるのは望んではいなかったけれど、シエスが危険になるくらいなら、僕が憎まれた方がずっとましだ。
「もういいわ。貴方に聞いた私が愚かだった。いずれ、直接聞くことにします」
それだけ言って、ルルエファルネさんは足早に去っていった。
「はっ、ロージャごときに言い負かされてるんじゃ、あの嬢ちゃんは大した冒険者にゃあなれねえな」
彼女の背を見ながらガエウスが笑い出す。でも、交渉事が一番苦手なのは君だったはずだ。ガエウスが誰かと交渉するといつも、冒険につられて変な条件を飲むか、相手に喧嘩になるかのどちらかだった。
「ロージャ、事前に話していた説明と違うのは……いえ」
隣でじっと聞いていたルシャが、握りしめていた僕の手を離した。ほっとしたような表情を浮かべている。
「シエスのため、ですよね。……ようやく言い返してくれて、せいせいしました」
ルシャが笑う。やっぱり、頼りないと思われていたのかな。僕は昔から、自分の意思を押し通すのが下手だから。でも今はもう二人も大切な人がいる。僕も、変わっていかないといけないのだろう。
「ですが、あのエルフの娘、直接聞くと言っていました。シエスは人見知りですが変なところで正直なので、少し心配ですね」
「俺が見ておこう」
「……ナシトが?」
「ああ。あの女が近付いたら、俺がシエスを攫う」
ナシトが釣りをしながら、物騒なことを言い出した。でも、ルルエファルネさんをシエスに近付けたくないのは同じらしい。なんだかんだで、シエスのことは人一倍目をかけているのがナシトだった。
「ナシトが見てくれるなら安心だ。僕がいない時は、頼むよ」
ナシトからの返事はなく、代わりに大物を一匹、無言で釣り上げていた。僕の腕の長さくらいはある、相当な大物だ。あんな細い釣り竿でも釣れるのか。ガエウスが口笛を短く吹いて称えている。
針を取り除くナシトの手つきは洗練されていて、黙々と作業する彼とピチピチと跳ねる魚との対比が、なんだか面白かった。
「ロージャ。シエスが、呼んでいます」
ルシャからの声に、直ぐに振り向く。今回は、シエスは僕に魔導を放たないだけの余裕はあるみたいで、安心した。シエスも船旅に慣れつつあるのだとすれば、嬉しい。船に慣れれば、僕らはもっと色んなところに行けるはずだから。
そう思いつつ、ルシャを伴って、直ぐにシエスの元に向かった。
甲板から降りて、シエスの部屋に繋がる船内の道を歩いていると。シエスの部屋の前あたりに、気配を感じた。
一瞬寒気が走る。船内に敵意を持った相手がいないことは把握していたけれど、殺気を消せる暗殺者だっている。最近はもう全くシエスへの追手の影を感じないから、油断していた。
シエスのいる船室の前に蠢く影が見えて、腰の手斧へ手を回しながら、『力』を込めて跳んだ。一歩で距離を詰める。
「……!!」
息を呑む気配。敵意は変わらず、なかった。よく見ると、知った顔が僕を見上げていた。ひどく驚いている。
「クルカ、さん?」
「!!……はイ」
クルカさんだった。僕の早とちりだったようで、息をついて手斧から手を離す。
「ロージャ、急に跳んでどうしたのですか……貴女は」
後ろから駆けてきたルシャがクルカさんを見て、一瞬止まる。二人は見つめ合っていて、睨み合ってはいないけれどなんとなく、先ほどのルルエファルネさんの時より空気が重い気がする。
「……声が、きこエた、思った」
たどたどしい王国語で、クルカさんがつぶやいた。シエスの声の魔導を、聞いたのだろうか。そういえば彼女も魔導師だった。
「くるしソうだっタ。……シンパイ」
クルカさんはシエスを心配して、様子を見に来てくれていたようだった。それを僕は敵と勘違いして、悪いことをしてしまった。
「ありがとう、クルカさん。シエスは、船酔いがひどくて。中で寝てるだけだよ」
クルカさんにも分かるように、ゆっくりと話す。でもクルカさんは首を傾げていた。まだ聞き取るのは難しいみたいだ。
「……Етидохв. Иртунв мировогоп」
隣に来たルシャが、帝国語で何かを言った。俯き気味だったクルカさんの顔がぱっと明るくなる。ルシャを見ると、笑っていたけれど、いつもとは違ってなんだか気まずそうにはにかんでいた。
「クルカさんと、中で話してもいいですか?……貴方の言う通り、彼女は警戒するような相手ではないみたいですから。……良い人、みたいです」
ルシャの言葉に、嬉しくなる。異性である僕がクルカさんと仲良くするのは難しくても、ルシャやシエスがクルカさんと仲良くできれば、パーティ間の関係はずっと良くなるだろう。ルシャの提案に、反対するはずもなかった。
シエスは起きていて、僕とルシャが入ってくるのを見てほっと目元を緩めたけれど、その後ろから恐る恐る入ってくるクルカさんの姿に、警戒を強めたようだった。毛布を頭まで上げて、顔を隠している。
「シエス。大丈夫、クルカさんだよ。君を心配して来てくれたんだ」
「……でも、ルシャ。この人、ロージャのこと」
「ええ。でも、良い人なのは本当ですから。私たちのわがままで、一緒に依頼を受けた仲間と距離を置くのは、やっぱり駄目です」
ルシャも観念したような声だった。たぶん、僕の恋人としてはまだ引っかかるところもあるのだろう。それは、忘れないようにしないと。
「……ん。ルシャがそう言うなら、私もそうする」
そう言うと、シエスはもぞもぞと毛布から這い出してきた。顔は少し青いものの、弱りきった雰囲気はない。吐きそうではないようだった。
「……シェストリア。よろしく」
そう言って、手を伸ばす。クルカさんはその手を取って、嬉しそうに笑っていた。大きな眼が楽しげに輝いている。たぶん、本当は明るい人なのだろう。
「クルカ!……よろシく、ねがいマす」
「そうか。よく考えると直接の自己紹介はしてなかったね。僕はロジオン。これからしばらく、よろしく」
クルカさんは僕に向き直って、今度はぶんぶんと頷いている。言葉ができない分、態度で示そうとしているのだろうか。楽しそうでなによりだけれど、ここは帝国なのだし、むしろ現地の言葉を話せないのは僕らなのだから、変に気を遣わせていたら申し訳ないな。
「Тувоз янем Руся. よろしくお願いしますね、クルカさん」
「ьнечо онтяирп!」
帝国語混じりの挨拶を終えて、そもそもの目的だったシエスの看病に移る。
「シエス、具合はどう?」
「ん。前よりは、いい。でもきもちわるい」
シエスの言葉にルシャは笑いながら、手をそっとシエスの額に近付けた。暖かな光が指先から漏れ出す。シエスは目を閉じて気持ち良さそうにしている。
クルカさんを見ると、目を輝かせていた。
「これハ、なにしテる?」
「癒しの魔導だよ。ルシャは治癒が得意なんだ」
ルシャの癒しは、使徒であった頃は奇跡とされていたけれど、今は単に魔導として紹介している。こちらは治癒の魔導が実際に存在するので、まあそこまで無理のある説明ではない、と思う。ナシト曰く、魔素の動きをよく見ると魔導とは違うことも分かるらしいけれど、クルカさんはそんなこと気にせずただ癒しの光に見とれているようだった。
「……すゴい」
クルカさんはもっと大人しい娘なのかと思っていた。でもこうして近くで見ると元気さが目立っている。シエスもルシャも、性格は違うけど割と大人しい方だから、こういう子を見るのはなんだか新鮮な感じがするな。
と思っていると。視線の先で、クルカさんが赤くなっていた。そして左右から僕に、刺さるような視線。まずい。またやらかした気がする。
「ロージャ。浮気は、駄目」
「ち、ちがうよ。ただ、クルカさんは元気だなと思って、ただそれだけでさ」
シエスが寝台から体を起こして、僕をじとっとした眼で見据えている。ルシャからも視線を感じるから、たぶんルシャからも同じような眼で見られているのだろう。ああ、せっかく三人が仲良くなれそうだったのに。なんとか話題を変えないと。
と思って、無理矢理に話を変えようとした時だった。
船室の扉が突如開け放たれて、男二人がなだれ込んできた。
「おい、ロージャ!こいつ、いい加減なんとかしやがれっ!」
「ガエウス様っ!私は時間のある今の内に、我らの連携を綿密に、入念に確認しておこうと思ったまででっ、何も教えを乞おうなどとはっ」
ガエウスとマナイさんだった。
「うるせえっ!お前、なんだかんだ言ってどうせ、弓の引きだ目の散らし方だあれこれ聞いてくンだろ!」
「な、なぜそれをっ!既に私の秘めたる願いが筒抜けとは、まさかこれが、これが真の師弟愛というものかっ」
「ちげえよ馬鹿ヤロウ!てめえなんざ弟子じゃねえっ!」
この人たちは本当に仲が良いな。騒々しいことこの上ないけれど、二人のおかげでシエスとルシャは先ほどのことも忘れてくれたようだ。助かった。
「うるさい」
「……兄が、ごめんなサい」
「クルカさんは、悪くない。お兄さんも。悪いのはいつもガエウス」
「そうですよ。ガエウスが教えてあげればいいだけのことです」
ガエウスとマナイさんが部屋の中をバタバタと駆け回る前で、シエスとルシャとクルカさんが自然に話している。それを見ているだけでなんとなく心が浮き立つ。
『蒼の旅団』とは、上手くいっていない。でも、『詩と良酒』のふたりは気の良い兄弟で、色々あったけれど仲良くやっていけそうだった。信頼できる仲間が増えるのはいつだって、嬉しい。
そう思いつつ、壁を破りかねない雰囲気になってきたガエウスを止めるために前に出た。シエスがまた酔い出す前に、彼らを部屋の外に放り出しておかないと。
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