第90話 船旅再び
翌日、僕らはギルドを通じて軍からの初期探索依頼を受注した。それからいつも通りの準備をして、大陸南岸の『サルニルカ島』へ出発した。いつもの冒険と違うのは、傍に二つのパーティ、『詩と良酒』と『蒼の旅団』がいることだ。
依頼の説明を受けた日は結局、軍から大した追加情報は得られなかった。分かったのは、『サルニルカ島』は熱帯の密林のような植生を保持していること、魔物は虫型が多いこと、奥部には洞穴があり、その中に未知の魔物がいるらしいということくらいだった。このダンジョンがいつ見つかったのか、軍は何を調査していたのか、聞いてはみたけれど案の定何ひとつ答えてはくれなかった。『果て』との繋がりについては、自分で実際に調べてみるしかない。
奥部までの魔物の種類や特徴、弱点については軍も把握しているはずだから、せめてそれくらいは教えてほしかったのだけれど、軍人は「初期探索依頼に、魔物の事前情報は無いはずだ」とだけ言って、にべもなかった。今回は軍がまず調査しているのだから、厳密には初期探索ではないのに。ただ、ログネダさんの厚意を無下にする訳にもいかず、軍に目をつけられるのも嫌なので、軍人の硬い態度を前に、強くは要求できなかった。
ただ、分かったこともある。行く先が熱帯で、虫の魔物が多いなら、特に気を付けないといけないことがある。毒と疫病だ。
経験上、虫型の魔物は毒を持っていることが多かった。というかほとんどが、有毒の牙か爪か毛か触手かを持っている。蛙の魔物リャグや蜥蜴の魔物ヤシェルも毒を吐くけれど、体自体に毒を持っている虫型魔物は、攻め方も気を付けないといけないから厄介だ。触れるだけで危ないから、全身鎧の僕はまだしも、ローブのみのシエスやナシトにはかなり危ない。密林なら木の上からの奇襲もあるだろう。道中の進み方、奇襲を受けた時の立ち回り方を皆とよく話しておかないと。
疫病については、もちろん僕は専門家ではないから良くは知らないものの、密林で長く過ごすと奇妙な病に罹ることが多いと本に書いてあった。疫病は蒸せるように熱く湿った空気がもたらすとも、目に見えないほど小さな虫がもたらすとも言われている。
気を付けると言っても、原因が未知なので僕ひとりならどうしようもない。ただ、僕らのパーティにはナシトとルシャがいる。空気はどうしようもないけど、虫ならナシトの魔導で寄せ付けないように処置できる。最悪病に罹ってしまっても、ルシャ曰く「癒せると思いますよ。疫病ならいくつか、治癒した経験がありますから」とのことだった。
準備はいつも以上に足りていないけれど、致命的な不足は無い。何より僕たちには、『果て』を見つけ出すという目的がある。立ち止まっている訳にもいかない。あとはもう、いつも通り慎重に行くしかない。
帝都を出て、東に進む。
道中はひどく静かだった。無理もない。『蒼の旅団』には僕がひどく嫌われているから、向こうから近寄ってくることもなかった。ただ、あのエルフの娘からは、ときたま睨むような視線が飛んできた。
『詩と良酒』のマナイさんはガエウスに露骨に避けられていて、流石に少ししょんぼりしていた。妹のクルカさんもマナイさんに付き合ってか、僕らに近付いてはこなかった。
三つのパーティが互いに距離を保ちながら、ただ黙々と進んでいる。少し強めの風が吹いていて、見渡す限りの平地に風の音ばかりが唸っていた。
……必要以上に仲良くする必要はないと思うけれど、ダンジョンでは同じ目的の元共に戦う仲間なのだから、最低限の情報共有くらいはしておくべきだと思う。ただ、『サルニルカ島』に着くまではまだ時間がある。もう少し近付けば他のパーティも、協働に必要な情報交換くらいは応じてくれるだろう。
どちらかといえば、一番心配なのはガエウスが静かなことだった。不機嫌ではなさそうでも、冒険前のいつもの馬鹿騒ぎも、高揚もない。明らかに、何かが彼の中で引っかかっていた。
先日酒場で向き合った時も、肝心なところははぐらかされてしまっていたのかもしれない。でももう僕にできることは、彼を信じて、背中を預けることだけだ。
一日歩くと、大きな河に行き当たった。ここからギルドが用意した船に乗り、数日かけて南の海まで向かうことになっている。船の上でなら、他のパーティの人とも話しやすいかもしれない。『蒼の旅団』は無理だとしても、少なくともマナイさんとはもう少し話しておきたかった。
港に向かい、船を見たシエスは明らかに不満そうな顔をした。と言っても、眉間に皺を寄せただけで、いつもの無表情は然程変わっていない。でもシエスにしては明らかに不機嫌顔だった。
「ロージャ。私は、馬車がいい」
「ああ。ごめん、シエス。僕もそう提案したんだけど、駄目だった。船の方がずっと早く着けるんだ」
島までの行き方は、事前に両パーティと話し合って決めた。馬車を提案したけれど、流石に、船はシエスがひどく酔うので馬車で行きましょう、という説明はできなかった。船なら数日も短縮できると言われては、反論できる余地もなかった。
シエスは僕の隣で、僕を見上げていた。杖をきゅっと胸に抱いて、心なしか眼が潤んでいる。
「……ばか」
「ごめん」
こればかりは、謝るしかない。シエスには耐えてもらうしかないのだから。河だから海より揺れは少ないとしても、シエスはたぶんすぐ酔ってしまうと思う。彼女の船酔いへの弱さは相当だった。
丁度、マナイさんたちが船に乗り込んでいくのが見える。シエスがぼそりとつぶやく。
「……ずっと傍にいてくれるなら、許す」
「ああ。できるだけ一緒にいるよ」
「手も握ってもらう」
「もちろん」
「頭もいっぱい、撫でて――」
交換条件を告げるシエスの声が少しずつ明るくなりかけて、遮るように咳払いが聞こえた。音のした方を向くと、ルシャだった。シエスの方を向いて、眼をわざとらしく細めていて、珍しくいたずらっぽい表情をしている。
「シエス。船内では私も一緒にいるのですから、頭は私が撫でてあげます」
「ん。ルシャにも撫でてもらう。……ふたりがいるなら、船も平気」
「え、ええ」
シエスはルシャの提案にも嬉しそうにしていた。
ルシャは意地悪のつもりだったのか、シエスの素直な返しに、もじもじとしてしまっていた。
「ロージャ。ルシャは、私の治癒で大変。何かご褒美、あげて」
「えっ」
珍しくシエスから提案があった。彼女はたぶん本気で言っているのだろうけど、ルシャは戸惑っている。僕にはなんだか、意地悪を返しているようにも見えて可笑しかった。なら少し、ルシャには意地悪をするか。
「そうだね。……なら、ルシャも撫でてあげるよ」
「ええっ?ろ、ロージャ、何を」
「良いと思う。とても」
シエスは自分のことのように嬉しそうに、僅かに笑った。ルシャはあっという間に顔を真っ赤にしている。
こんなふうに、僕との触れ合いを喜んでくれるのは照れくさいけど、嬉しい。僕の傍にいたいと思ってくれているのが分かって、胸の中が暖かくなる。冒険前に和んでいる場合じゃないのかもしれない。でも僕にとっては、たぶんこれがいちばん幸せな時間なんだと思う。
その後、シエスは心を決めたのか僕の前を歩いて、すたすたと船に入っていった。船はまだ固定されている。でも僅かに横へ揺れていて、揺れる度にシエスは立ち止まって僕の方を見た。顔色は早くも悪くなっている。これは今回も、寝込む感じだな。
「……ロージャ。その。言ったからには、ちゃんと私も、その」
僕も船に乗り込んで、ふと後ろからか細い声が聞こえる。ルシャが僕の背の裾をちまりと掴んでいた。
「でも恥ずかしいので、ええと、シエスが寝入った後でいいので、その」
ルシャは押しが弱い。過去からすれば当たり前だけど、僕にはもっと、あれこれと要求してくれていいのに。
「もちろん。撫でるだけじゃなくて、くっついててもいいかな。僕だって、ルシャに触れていたいんだ」
振り向きながら言うと、ルシャは安心したように笑ってくれた。
「…………はい。その……喜んで」
ルシャの答えに、僕も応えるように笑う。
ルシャとは、過去を振り払えるように傍にいると約束した。ルシャと触れ合って、魅力的な彼女を、性的とかそういう目で見ないでいるのは正直大変でもある。でも大事なのは、ルシャがなんの憂いもなく笑えるようになることで、僕の些細な満足じゃない。
ルシャの手を取って、一緒に船に乗り込む。船の中では、シエスがもうふらふらとしていた。
そうして、島までの船旅が始まった。王国から帝国までの航路よりは短い。河も中流とはいえ河幅は広いので、揺れも緩い。シエスは酔っていたけれど、疲れもあって前回よりはすんなりと寝入っていた。
シエスが落ち着いた後、ルシャと一緒に静かに部屋を出て甲板へ出ると、ナシトとガエウスの背が見えた。ナシトは釣りをしている。前回の旅で気に入ったのか、それとも元々彼の趣味だったのか。ガエウスはその横でつまらなさそうに糸の先を眺めていた。
「なあ、ナシト。お前も魚くらい見えてんだろ?魔導でちゃちゃっと捕まえりゃあいいんじゃねえか?」
「断る」
「そうかよ。それ、楽しいのか?」
ガエウスが気怠げな声で尋ねていた。ナシトはガエウスをちらとも見ずに、ただ水面と垂れた糸を眺めている。
「俺は冒険の楽しさが分からない。お前は釣りの楽しさが分からない。そんなものだ。人は分かり合えない」
「はっ、そりゃまあ、真理だな。……んだァ?ロージャじゃねえか。嬢ちゃんは、いいのか?」
ガエウスがくるりと振り向いた。
「ああ。寝ている間は傍にいなくてもいいって、シエスからのお許しが出たからね。起きたらまた呼びつけられると思うけど」
「けっ。相変わらず、守ると決めた女にはどこまでも甘えな。ルシャもそのうちお前に甘やかされて、わがまま放題になるんだろうぜ」
「な、なりません」
ルシャの声は少し高かった。そんな気がしているのだろうか。僕としては別に、わがままになってくれていいのだけれど。ガエウスはそんなルシャを見て鼻で笑っていた。
共同依頼といっても、いつもの冒険前と変わらない。ガエウスが静かなのは気にかかるものの、彼ともこうしていつものように話せているのだから、きっと大丈夫だろう。
「そこの、赤毛。……ロジオン、でしたか」
そう思っていた時だった。聞き慣れない声が僕を呼んだ。振り向くと、エルフの女の子が立っていて、僕を鋭く睨んでいた。この娘は、僕の前ではいつも厳しい顔しかしてないな。そう思いつつ、声に応える。
「貴女は、ルルさん、ですよね」
「気安く呼ばないで。それは仲間にのみ許した呼び名です。貴方には永劫、許すつもりはありません」
ルルというのは愛称だったようだ。確かに、申し訳ないことをした。僕もソルディグから『ロージャ』と呼ばれた時は、不快に思った。気持ちはきっと同じようなものだろう。
「それは、失礼しました。できれば、お名前をお教え頂けませんか」
「……ルルエファルネ。正式な名ではありませんが、それも貴方がたには知る必要のないものです」
エルフの名前は長いと本で読んだことがある。ルルエファルネでも十分長いと思うものの、本当はもっと続くのかもしれない。
「相変わらず、わがままな嬢ちゃんだな。ルシャもこんなふうになるかと思うと、ロージャが不憫だぜ」
ガエウスが横で笑っていた。ルシャは何も言わなかったけれど、シエスがよくするじとっとした眼をしてガエウスを睨んでいた。
「……ガエウス様は、口を挟まないでください。用があるのは、そこの赤毛です。本当なら話したくもありませんが……」
二人は聖都が新儀式派の襲撃を受けた際に、共闘していた。たぶんその時に知り合っていたのだろう。
でも、僕に用とはなんだろう。帝都で偶然に遭遇した時は、むしろ彼女の方から僕を避けているようだったのに。今も僕のことを相当嫌っていることは変わらないようだし。
そう思っていると。
「ロジオン。貴方のパーティにいる、あの銀髪の女の子。一体、何者なのです」
問いは、シエスについてだった。ルルエファルネさんの眼は、ひどく剣呑に光っている。
「あの娘……体内に、魔素を蓄積させている。首飾りの魔素かとも思っていたけれど、近くで見て、違った。体内で魔素を溜めていた。そんなこと、ありえない……けど」
シエスについて語る彼女の眼には、困惑とも怒りともつかない色があった。そして続けて、予想もしないことを言い放った。
「答えなさい。あの娘は、エルフの縁者なの?貴方は、あの娘の何なのです」
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