第89話 共同依頼
それから数日後。僕らの元に、ギルド員が訪ねてきた。
僕らのパーティを指名する形で特別な依頼が持ち込まれたため、ギルドへ足を運んでほしいとのことだった。ギルド員はただの言伝係だったようで、すぐに宿から去っていった。誰からの依頼なのかといった依頼内容についてはギルドで説明すると言っていた。
十中八九、軍からの初期探索依頼だろう。ログネダさんからの推薦は、彼女の言葉通り通ったようだった。直ぐに皆に声をかけて、五人でギルドへ向かう。いつもならどこかへ消えているガエウスも、幸いなことに今日は折よく宿にいてくれた。
ちなみにガエウスは酒場で怒り狂った翌日、「ぺらぺらと喋んじゃねえぞ」と僕に脅しに近い念押しをした後、普段通りの雰囲気に戻っていた。いや、完全に普段通りでもないか。酒場で話す前ほど不機嫌そうではなく、けれど楽しげという訳でもない。今回の依頼に気が乗らないのもそのままなようで、ギルドに向かう間もどことなくつまらなさげに、僕らの後方を歩いていた。
ギルドに着くと、そのまま奥の間に通された。受付の奥の、客間のような部屋。そこには既に先客がいた。軽装の青年が大きな眼をいっそう見開いている。聞き覚えのある快活な声が響く。
「おおっ、ロジオンくんっ!君たちもかっ」
『詩と良酒』のリーダー、マナイさんが手を挙げながら駆け寄ってきた。僕も手を伸ばして、握手をした。
「マナイさん。貴方がたも、ギルドから依頼の呼び出しですか?」
「ああ。まだ内容は聞いていないがな。何の依頼なのか、皆目検討がつかん。我らは別に、実績華々しい気鋭という訳でもないのでな。こうした依頼は初めてで、正直不安だった」
そう言うと、マナイさんは視線を僕から、僕の後ろに向けた。明らかに目が輝き始める。
「ですが、ガエウス様もいらっしゃるとはっ!共同依頼ということなら、まさに百人力っ」
「またてめえかっ」
「共にダンジョンへ挑めるのであれば、その技を近くで見られるということっ!これ以上の幸運もありまいっ」
「うるせえっ!」
ガエウスは鬱陶しそうに顔をしかめているが、マナイさんはそのままガエウスの方へ近寄って、またひとりで語り始めてしまった。彼のすぐ暴走するところは、ガエウスともよく似ていると思う。方向性は全然違うけれど。
部屋の中に、まだギルド員も帝国軍の人もいないようだった。ここで待てということだろうか。そう思いつつ、見回していると。
「……Ино отк?」
「Ястежак енм, хи ледиву от-едг. Еонреван, "Атищаз"」
ぼそりとした声が聞こえた。目を向けると、全く同じ顔をした少年がふたり、顔を寄せて話し合っている。内容は分からないけれど、あの響きはたぶん、帝国語だろう。すると、マナイさんの仲間かな。
「Ад. Но…… йорег йом」
また帝国語が聞こえる。今度の声の主は、知っていた。マナイさんの妹、クルカさんだった。目が合うと、ふいと目を逸らされてしまった。みるみるうちに、耳が赤くなっている。するすると距離を取られて、クルカさんはあっという間に双子の陰に隠れてしまった。
クルカさんには、申し訳ないながらあまり良い思い出がなかった。彼女は何ひとつ悪くないと思うのだけれど、シエスやルシャの気持ちも分かるから、僕から不用意に話しかけるのは止めておこう。僕にとって大切なのはシエスとルシャだから。
とはいうものの、ふたりはこの件について、急に機嫌が悪くなる。今はどうだろう。恐る恐る隣を見ると、シエスはほんのり頬を膨らませていた。怒ってはいない、と思う。ルシャは僕と目が合うと笑ってくれたけれど、いつの間にか僕の手を握っていた。……分からない。ただ、クルカさんと仲良くなることは、諦めた方が無難だな。
そうして、今はとりあえず説明が始まるのをじっと待つことにしようと決めて、部屋の隅に移った後で。
新たな影が部屋に入ってきた。小さくて、足音は不自然なほど聞こえない。目が合って、また聞き覚えのある声が僕に向けられた。
「やあ。また会ったね、幼馴染くん」
ナタさんだった。笑いながら僕に向けて手をひらひらと振る。
「ナタさん」
「君らも呼び出されていたんだね。まあ、君らなら当然か」
彼女の後ろに人影はなかった。ひとりで来ているようだ。
「ユーリなら、まだ帝都までは来てないよ。ルルも置いてきた。なんとなく、また君らと会う気はしてたからね。流石に、依頼の説明くらいは静かに聞きたいからさ。ただ、依頼を受けるならしばらくは一緒にいなくちゃいけないのは、確かなんだけどね」
僕の目線に気付いたのか、ナタさんが解説してくれた。僕はどうも、特にあのエルフの娘、ルルさんに嫌われているようだった。まるで憎まれているかのようだ。ナタさんからも相当に嫌われているとは思うものの、彼女よりはまだ、話ができる。
「ナタ、と言いましたね。貴方がた『蒼の旅団』も、この依頼を?」
「ん?ああ、聖女さんか。そうだよ。……そんなにくっつかなくても、幼馴染くんを取ったりしないから、安心して」
ルシャの声は固かった。対するナタさんの声は明らかに、笑みと少しの嘲りを含んでいた。僕の手を握るルシャの手に、力が込もる。
「……貴女が、それを言いますか」
「なんのことかな。ああ、ユーリのことを言ってるなら、それはソルディグが取ったというより、幼馴染くんが勝手にぶっ壊れただけだろう?あの時は大変だったんだから」
「……っ、貴女にロージャの何が、分かるのです」
「それはこちらも同じさ。君に、ユーリの何が分かるって言うのさ」
ルシャの気配が、剣呑に張りつめていく。ナタさんは軽く笑いながらも手は腰にかけた剣に置かれていた。
「ルシャ。落ち着いて。ナタさんも、ふっかけるような物言いは止めてください」
「……ロージャ。ですが」
「これが共同依頼だとしたら、彼女らも一時の仲間になるかもしれない。これ以上揉めるのは命取りだよ。僕のために言ってくれるのは嬉しい。でも、今は抑えて」
「……抑えていたのですよ。ですが、この方は貴方の気持ちをあからさまに、踏みにじって――」
「幼馴染くんの気持ちなんて、知らないよ。私は『蒼の旅団』で、ソルディグとユーリの味方なんだから、ね」
ナタさんの煽るような言葉に、思わずため息をついてしまう。ルシャから手を離して、ナタさんとの距離を一歩詰める。
ナタさんから嫌われようを、僕は誤解していたみたいだ。ルルさんとは違ってまだ話せると思っていたけれど、実際はそうでもないのだろう。僕の考えていた以上に嫌われている。僕を嫌うのは、たぶんそれだけユーリを仲間と信じているから、だろうか。ユーリを今も揺さぶる僕を、許せないのだろうか。
でも、たとえ僕のことが嫌いでも、僕は今まで、彼らも同じ『果て』を目指す冒険者として、利を取ってくれるだろうと思っていた。より早く『果て』に近付くために、必要なら協力することも可能だと、思っていた。少なくとも、僕をクランに誘ったソルディグはそういう性格だ。過去など全て放り投げて、ただ効率的な選択をする男だった。
だけど彼女らには、どうやらその雰囲気もない。僕は気付かぬ内に、人の感情というものを軽視してしまったのだろうか。彼女らの怒りの深さを読み間違えているのだろうか。僕は人にほとんど怒ったことがない。怒りという感情に、僕は自信がなかった。
いずれにせよ、彼女らとこれ以上関わるのは止めるべきだろう。彼女らが協力して利を取る気も失せるほどに僕を深く憎んでいるなら、ルシャとシエスを不安にさせてまで近付く意味もない。ただ、今回の依頼が最後だ。ようやくたどり着きかけたかもしれない『果て』への手がかりをかなぐり捨ててまで彼らと距離を取ることは、躊躇われた。
「ナタさん。貴女が僕を嫌いなことは、分かりました」
「うん?今更だね」
「嫌うのは貴女の自由だ。ですが、ユーリと僕のことは、もう終わったことです。それで僕らを煽るのは、止めてほしい」
僕が言うと、ナタさんは一瞬止まって、可笑しそうに笑い声をあげた。少しの間、会話が止まる。いつの間にか、シエスが僕の腕の裾を掴んでいることに気付く。そこでまた、ナタさんが口を開いた。
「終わった話、ね。確かにね。君には、終わった話だよ」
「……ユーリにとっては、まだ終わっていないとでも?」
「さあ?でもユーリはまだ君のこと、いっぱい想ってるみたいだよ。どういう想いかは知らないけど、それこそ、馬鹿馬鹿しいほどに強く」
また、それか。苛立つ。
どうしてユーリはまだ僕のことなんて考えている。それが僕への、何より今の仲間への裏切りになると、気付いていないのだろうか。
「……まあでも、君の言う通りだ。今それを言ってもしかたないね。やめにしよう。ほら、ちょうど依頼の主が来たみたいだよ」
ナタさんの声に前を見ると、黒い軍服に身を包んだ男が、部屋に入ってくるところだった。ナタさんが僕らから離れていく。男は部屋の中ほどで立ち止まって、淡々とした声で手元の書類を読み上げ始めた。
予想はしていたけれど、帝国語だった。分からないので、後でルシャに翻訳を頼もう。そう思っていると。
「……今回は、王国出身のパーティも対象と聞いた。念のため、王国語でも説明しておこう」
軍服の男が、冷めた眼で僕らの方を見た。動きに無駄はなく、声に熱はない。まさに軍人といったふうの男だ。
「貴兄らには、『サルニルカ島』の初期探索を行ってもらいたい。大陸南岸に突如現れた島だ。島の規模は大きくはないが未知の動植物に加えて、魔物に満ちていたためダンジョン認定となった。貴兄らには特に奥部の調査を進めてもらいたい」
抑揚のない声で、依頼が説明される。その声を、マナイさんが遮った。
「失礼。もってまわった説明は好かんのでな。我らは何を為すことを求められているのだ?」
「調査だ」
「単なる調査なら、軍が出てくる訳もあるまい。大方、軍が調査しきれなかった、手に負いきれなかったものでもあるのだろう?」
「それ以上は軍への、ひいては皇帝陛下への侮辱と捉える。口を慎んでもらおうか」
軍人の冷めた言葉に、マナイさんは肩をすくめておどけてみせた。帝国に好意はないと以前言っていたけれど、あの態度だと、嫌っていそうだな。
「……『サルニルカ島』の最奥部には、未知の魔物が鎮座し、何かを守護している。それの排除と当該ダンジョンの通常化が、貴兄らの任務だ」
「つまり、軍はそれに負けたということか」
「軍の管轄下ではないと判断したまで。……だが、対象を発見・接敵した調査中隊は帰投しなかった。それは、事実だ」
軍の中隊とは、たしか百を超える大きさだったはずだ。それが、壊滅した。謎の魔物によって。
「まず奥部全体の地形・生態把握を行い、完了後に最奥部の魔物へと向かえ。貴兄らが全滅した場合は、最奥部以外を踏破区域としてギルドへ公開する。危険度を考慮し、初期探索の対象パーティを軍にて選定したが、依頼受注の判断は貴兄らに委ねる。返答の期日は、明日夕刻までとする」
そもそもなぜ軍がこのダンジョンを調査していたのかも含めて、分からないことばかりだ。ただ見るからにこの軍人は、必要最低限の情報しか教えてくれなさそうだった。現に、もう説明を終えようとしている。
軍から話を聞けるのは今しかないかもしれない。色々と聞いておこう。そう思って、一歩前に出ると。ナタさんは僕とは逆に身を翻して、もう帰ろうとしていた。部屋を出かけている彼女と目が合う。
「じゃあまたね。幼馴染くん。この依頼、受けるなら、よろしく」
それだけ言って、ナタさんは去っていった。
あれだけの情報で問題ないというのは、自信からか、もしくは他に、情報の伝手でもあるのか。不思議に思ったけれど、今はダンジョンを知る方が大事だ。
そう思って、それから長いこと軍人に質問を浴びせ続けた。ガエウスはいつの間にか部屋からいなくなっていた。
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