第88話 相棒

 その夜。夕食の後、僕はまた皆を部屋に集めて、ログネダさんから聞いたことについて話した。

『果て』に絡むかもしれない帝国南岸の新ダンジョンの初期探索に、ログネダさんは僕らを推薦してくれる。その結果、無事に僕らがそのダンジョンへ潜れることになれば、それでよし。そこで『果て』への手がかりを探す。もし初期探索組から漏れてしまった場合は、僕らの代わりに探索に臨むパーティに協力を依頼するつもりだった。協力といっても、探索後に彼らから情報を売ってもらうとか、その程度のことしか思いつかないのだけれど。この場合は、僕らは他のダンジョンを当たりながら、新ダンジョンが正式に解禁されるのを待つことになるだろう。

 いずれにせよ、数日はログネダさんからの連絡を待つことになる。そのせいなのか、もしくは別の理由からなのか、僕が話している間ずっと、ガエウスは不満げだった。


「『果て』の手がかりっつっても、そのダンジョンは帝国軍が調査してたんだろ?なら、もう粗方探り尽くされてると思うんだがな」


 ガエウスはつまらなさげにつぶやいた。手には酒瓶を持っていて、それを部屋の灯りに透かすように覗き込んでいる。瓶を振る。酒は残り少ないようだった。


「そうかもしれない。けれど、軍はダンジョン専門という訳でもないから、深部は調査していないかもしれない。軍は簡易調査のみなのだとすれば、調査の後に僕ら冒険者へ初期探索依頼を出そうとしているのも、納得できるしね」


「まあ、無くはねえな。リーダーはお前だ。別に文句はねえ。だがよ」


 そう言って、ガエウスは一旦言葉を切った。僕の方を見る訳でもなく、酒瓶をぐいと呷る。そのまま無造作に瓶を真後ろへ放り投げて、瓶はくずかごに吸い込まれていった。


「冒険の匂いがしねえ。それだけだ」


 それだけ言って、ガエウスはまた、話を切り上げて部屋を出ていった。どうしてか、部屋に沈黙が満ちる。


「……珍しい」


「ええ。あのガエウスがはしゃがないなんて。何かあるのでしょうか」


 シエスとルシャのつぶやきが聞こえた。

 ガエウスがこうした話し合いを好まないのは、いつものことだ。けれど彼はここ最近いつになく、不機嫌だった。いつもなら、冒険が近付くだけで楽しげに笑って、前祝いだと言って酒場に消えていく。今回はまるで違っていて、その顔には苦々しささえあった。何かがおかしい。

 冒険の匂いというのは、分からない。ただ、今日見かけたガエウスとログネダさんとの会話がふと気にかかる。あの時、彼はログネダさんに苛立っていた。何かわだかまりのようなものを抱えているように見えた。僕の知らない、彼の過去。『大戦』でのしがらみ、だろうか。僕は、どうすべきなのだろうか。


「ロージャ」


 僕の名を呼ぶ、暗い声。顔をあげると、ナシトが見えた。何か話すのかと思って待ってみても、彼は何も言わずに、じっと僕を見ているだけだった。


「……ナシト?どうしたのですか?」


「いや。……ロージャなら、どうするかと思ってな」


「どうする、とは?初期探索についてですか?」


「……」


 ルシャとの会話の間も、ナシトはなお僕を見ていた。その眼は恐ろしく凪いでいて、なんの感情も読み取れない。だけどなぜか僕は、そのことに少しの不気味さは感じても、彼への忌避感は欠片もなかった。

 この男はどうしてか、いつも影のように僕らの傍にいて、僕らを見ている。積極的には助けてくれなくて、時には窮地に陥るまで黙っていることだってあるけれど、彼はそんな時でさえじっと僕らを見ている。仲間としての信頼とはまた別の話として、僕らに深く興味を持っているような。時に試されているような。

 僕なら、どうするか。彼の言いたいことは、いつもよく分からないけれど、今だけはなんとなく分かるような気がした。ナシトの問いは僕を少しだけ、後押ししてくれた。


「……酒場に行ってくるよ」


 ガエウスは間違いなく、酒場にいる。僕はガエウスと話したいと思った。彼が何か悩んでいるのなら役に立ちたいとも思っているけれど、今は何よりただ話してみたいと思った。ルシャやシエスを守りたいと思う気持ちとはまた少し違う、ガエウスへの憧れと、友をただ理解したいという思い。そして恐らくは、友としてちゃんと、隣に並んでいたいという思い。

 行ったところで、ガエウスは何も話してくれないだろう。そんな気がする。それでもよかった。でも僕は今、彼と向き合うべきだ。でなければ僕はこれからもずっと、ガエウスの背を追うだけになってしまう。そう思う。


「ガエウスと少し話してくる。シエス、ルシャ。先に寝ていて。ナシトはいつも通り、最低限の警戒だけ、よろしく」


「ああ」


 答えるナシトは少しだけ笑っているようにも見えた。僕の答えが、彼の予想通りだったのかもしれない。僕は分かりやすい人間だから。

 そう思いながら、僕もガエウスを追って、部屋を出ようとして。


「ロージャ」


 シエスの声に、肩越しに振り返る。ガエウスなど放っておけと止められるかな。


「……飲み過ぎは、駄目」


 思わぬ注意に、笑ってしまった。けれどシエスは真面目な顔をしていて、慌てて笑みを引っ込める。

 シエスはガエウスが『シエス』と呼んでも、怒らない。彼女もきっとガエウスを仲間と思ってくれているのだろう。心配しているかは、微妙なところだけれど。


「もちろん。行ってくるよ」


「遅くなっては駄目ですよ。きっとシエスは起きて待っているでしょうから」


「……それはルシャも同じ」


 ルシャは笑いながら見送ってくれた。頷いて、部屋を出る。


「ロージャが戻るまで、暇。ナシト、新しい魔導、教えて」


「駄目だ。『知覚』と『共有』の習熟が先だ。補助系統を押さえきるまでは、次には進まん」


「そうですよ、シエス。今日、ログネダさんの動きが見えなかったと言っていたではないですか」


「たしかに」


 部屋からすぐに、三人の声が聞こえた。いつもの談笑。僕の一番好きな時間だった。でも一番騒がしい男がいないだけで、やけに静かに思えてしまう。やっぱりガエウスには、馬鹿うるさいままでいてもらわないと。

 そう思いながら、酒場へと急いだ。




 ガエウスは予想通り、宿から近くの酒場にいた。入ると、すぐにその背が見えた。

 いつもと違って騒がずに、ひとり静かに卓へかけて、ただ酒を呷っている。とっくに僕のことにも気付いているはずだけれど、こちらを振り向く様子はなかった。近付く前に給仕へ声をかけて、適当な酒を頼んだ。

 そのまま、ガエウスの卓の空いた席に座る。ガエウスは僕を見るでもなく、ただ黙々と酒を飲んでいる。卓には既に相当な数のジョッキが空になって転がっていた。


「やけに暗いじゃないか、ガエウス。それじゃあ酒も不味そうだ」


「黙ってろ。もうガキが来る時間じゃあねえぞ」


「出会ってから、もう四年、いや五年かな。ずっと一緒だったから気付いてないかもしれないが、僕ももう、ガキじゃあないさ」


 ジョッキをまた一つ空にしてから、ガエウスが僕を見た。丁度僕の酒がきて、それを受け取る。持ち上げて、ガエウスを見る。眼で乾杯を促す。


「僕らの、武運に」


「お前はいつもそればっかだな。他に祈るもんはねえのか」


 ガエウスは僕の杯を無視して、そのまま次の杯に口をつけた。酒が入っても不機嫌ということは、相当だろう。仕方なく僕も飲み始める。酒の苦味が喉を焼く。


「それで、何の用だ。嬢ちゃんたちが待ってんだろ」


「ああ。やけに不機嫌なガエウスというのも珍しくて。一度話してみたいと思ってさ」


 ガエウスの目が、片目だけ見開かれる。少しだけおどけた雰囲気が戻る。


「言うようになったじゃねえか。相変わらず冗談はド下手で、笑えねえが」


「まあね。……本題は、君とログネダさんのことだ。どうして君はそんなに、苛立っている?どうして――」


「話す気はねえな。何も」


 吐き捨てるように言って、酒を呷る。まあ、予想通りだ。ジョッキを卓に叩きつけるようにしてから、僕を睨んだ。


「俺にどんな過去があろうと、俺は俺だ。お前には関係ねえ。俺は別に苛立ってねえが、万が一お前の言う通り苛立っていたとしても、それで俺の弓が鈍る訳でもねえ。乗り気じゃなかろうが俺は全て殺せる。敵も、何もかもな。なら俺が何を思ってようが、お前の出る幕じゃねえ。俺の勝手だろうが」


 あからさまに不機嫌な声だった。またぐいと飲んで、すぐにジョッキが空になる。ガエウスはそれでも酒に酔った雰囲気はなく、気配は鋭いままだった。


「まあ、言う通りだ。別に、嫌だと言うなら過去を詮索するつもりはないよ」


「そうかよ。なら、さっさと――」



「でも、ガエウス。――何か、勘違いしてやいないか」


 声に少しだけ、威を込める。ガエウスには効くはずもないけれど、僕が本気だと示すために、力を込めた。


「ルブラス山で君が言ってくれたように。僕らは仲間だ」


 あの時にガエウスが言った『仲間』は、もっと軽い意味だったのかもしれないけれど。僕には何よりも重くて、だからこそひどく、救われた。


「たとえ君がひとりで何もかも殺せるとしても、僕らは共に戦っているんだ。その仲間が、僕が誰よりも頼りにしている相棒が――」


 言いながら、思う。

 相棒というのは、言い過ぎだろう。僕はまだガエウスの足元にも及ばない。冒険者としての技量も度胸も、何もかもが遥かに遠い。でも、ダンジョンで彼が僕に背中を預けてくれた時。僕は言いようもなく嬉しかった。

 だからこそ、ガエウスの突き放すような態度に、腹が立った。僕は怒鳴りたい訳じゃない。向き合ってほしいだけだ。そう抑えながらも、どうしても声に、怒気が混じってしまう。


「いつもと違って揺れているから。気になってしまうのは、そんなにおかしいことなのか?僕が君を仲間として気にすることさえも、余計なお世話だっていうのか?」


 言い切って、ガエウスを見る。

 僕が言いたいことを言ったところで、何の解決にもならないだろう。ただガエウスには思ったことを告げておきたかった。それだけだ。


 ガエウスはじっと僕を見ていた。怒り出す雰囲気はない。不機嫌さは消えていないけれど、先程よりは抑えられていた。その眼は、不思議なものを見てでもいるかのように、僅かに見開かれていた。

 少しの間の後で、ガエウスが口を開く。


「……相棒ってのは、俺のことか」


「ああ」


「早えな。まだ百万年は早え」


「だろうね。でも、そうなりたいと思ってる」


 ガエウスはまた酒を呷った。先程は一口で空けていたジョッキが、今回はまだ空いていない。


「……余計なお世話だな。お前が俺の過去を気にしても、何も変わらねえ。俺の恥をお前が知ったところで、何の慰めにもなりゃしねえ」


 ガエウスの声は揺るがない。過去に悩むというよりは、振り払ったはずの過去が不意に目の前に現れて、呆れているかのような、迷惑そうな声だった。


「だが、お前には俺が揺れていると、そう見えるんだな。ほっとけと言った俺を信じ切れねえって言うなら、それは確かに、俺が馬鹿だ。お前らは未熟で、『俺が死ぬかもしれない』なんて思うだけで簡単に隙作って、勝手に死んじまうかもしれねえからな」


 ガエウスは話しながら、ジョッキを離した。


「『大戦』のことを話す気はねえ。あそこで俺はババアの息子と知り合って、そいつを捕えた。それだけだ。もう何もかも終わった話だ。だが、どうもあのババアにとっては、違ったらしい」


 話すガエウスの眼には、特に感情は込もっていない。見て取れるのは、少しの呆れと、嫌悪くらいだ。


「あのババアはまだ引きずってる。憎んでやがるのか、いじけてるだけなのかは分からねえが、まだ前を向いてねえ」


 ガエウスの言葉が少しだけ引っかかる。彼女は憎んでいるのだろうか。ログネダさんの眼は、少なくとも僕らに向ける眼は、哀しげだった。憎むというよりは、ただ哀しみに押しつぶされているように見えた。


「俺が不機嫌に見えるとすりゃあ、そりゃあただ、スヴァルクが報われなさすぎてな。あいつは最初から最後まで国のためじゃなく、軍にいるあのババアのために戦ってた。そのババアが、二十年も経ってあのザマじゃあ、腹も立つ」


「……スヴァルクとは、どういう関係なのさ。君が友達なんて呼ぶ相手は、初めて聞いた気がするけれど」


 このところ気になっていたことを聞いてみる。ガエウスは鼻を鳴らすと、話し始めた。


「……んな大したもんじゃねえ。『大戦』で、戦線が硬直したことがあってな。そん時に、相手の陣に矢が届いたのは俺と、スヴァルクだけだった。それから互いを狙撃し合ってる内に、自分と同じ腕の相手がどうも気になってな。矢に文を括り付けて飛ばしたら、向こうからも同じように返ってきた」


 想像以上に、可愛らしいというかなんというか、不思議な出会い方だった。自覚しているのか、ガエウスも憎々しげに顔を歪めている。恐らく照れ隠しだろう。


「俺もまだガキだった。戦場で文通してたなんて、馬鹿馬鹿しすぎて笑い草にもなりやしねえ。それから戦場で直接殺し合うまで、何度も馬鹿みてえなやり取りをした。『大戦』が茶番で、王国も帝国もクソだって分かった今じゃあ、それもクソみてえな過去だがな。だが、あん時は確かに、楽しかった」


 ガエウスは『大戦』の真実を知っているようだった。茶番というからには、恐らく戦が始まる前から、王国が勝って何かを得る決まりが、二国間に結ばれていたのだろう。

 そのこと自体も驚きではあるものの、僕にはそれよりも、ガエウスが二十年前は、割と純朴な少年であっただろうことが驚きだった。弓の腕は当時から隔絶していたようだけれど。


「一番クソなのは、国と、王国のクソ宰相だが。だがな、まだ後ろを向いてるあのババアも俺ァ許せねえ。スヴァルクが死んだのはあいつのせいじゃねえが、あいつにゃあ死んだ奴らの分まで前向いて生きる責任があンだよ。そんなことも分からねえクソババアが誂えた冒険なんて、冒険じゃねえ。そんだけだ」


 話を聞いて、なんだか、ガエウスの知らない一面を知れた気がした。皮肉屋でお調子者の面以外にも、こんな真っ直ぐなところもあったのか。聞く限りでは、昔はきっとこんなふうに真っ直ぐな少年だったのだろう。それが、『大戦』を機に変わってしまったのかもしれない。

 物思いにふけりかけて我に返り、話してくれたことに礼を言おうとして。


「……って、おい!結局昔のこと少し話しちまったじゃねえか!」


 ガエウスが急に騒ぎ始める。先程から過去について話していることに気付いていなかったらしい。思わず笑ってしまう。戦闘中以外は抜けているところも、ガエウスらしい。


「てめえ、何笑ってやがるっ!気付いてやがったな!」


「いや、えっと。話そうと思ってくれたんだと、思ってたんだけど」


「んな訳ねえだろっ!てめえっ!」


 ガエウスは物凄い速度で僕の真横につけると、僕の首を腕で抱えこんで、思い切り締めた。息ができなくなる。

 一瞬で命の危険を感じて、思わず『力』を込めて腕を振りほどいてしまった。


「おい、ガエウスっ!今、『靭』使っただろっ」


「うるせえっ」


 ガエウスは完全に戦闘態勢だった。また視界から消える。背に衝撃が走る。ガエウスが僕に、後ろから抱きついているようだった。また首を締められかけて、『力』で無理矢理にガエウスを投げて、振り落とす。乱闘と勘違いした他の客が集まり始めて、酒場が一気に騒然となった。


「落ち着いてくれっ、ガエウスっ」


「うるせえ!口ばかり上手くなりやがってっ!」


「ちがうだろっ!今のは勝手に君が喋ってくれただけでっ」


「関係ねえっ!待ちやがれっ!」


 たまらず酒場を飛び出す。金は多めに置いておいた。ありったけの『力』を振り絞って、走って逃げる。ふと見ると、後ろに流れていく景色に混じって、ガエウスが僕の横をほとんど同じ速度で並走してきていた。逃げられそうにない。説得しようにも、ガエウスは怒り狂っていた。何度も捕まっては、その度に放り投げてまた逃げる。

 ……なんの話をしていたんだっけ。どうしてガエウスは不機嫌だったんだっけ。帝都中を走り回って茹だった頭の中では何もかもがあやふやになりつつ、ガエウスがいつものように、元気になったことだけは確かだった。今のところは、まあ、それで十分だろう。

 でも、いつ頃宿に帰れるだろうか。明日はたぶん、シエスとルシャに怒られるだろうな。そう思いつつ、目の前にガエウスが飛んできて、僕はまた、走って逃げた。




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