第86話 ダチ

 一旦宿に戻る。宿にはガエウスもナシトもいなかった。彼らもログネダさんを探してくれているのだろうか。

 少しだけ休憩してから、僕らもまたすぐ宿を出た。ナタさんの言う、墓を探すためだ。今日中に見つかったとしても、運良くログネダさんと会えるかは分からないものの、場所が分かれば後は根気良く通うだけだろう。

 そう思って、まずはギルドに向かった。ログネダさんと、その墓について簡単に聞いてみよう。そう思っていたのだけれど。


「……申し訳ございません。その件については、何もお答えできません」


 王国語の分かるギルドの受付員は、申し訳なさそうな顔をして僕にそう告げた。


「ログネダ様は、冒険者ではありませんし、依頼に絡む情報でもありません。私たちがお答えできることでは、ありません」


 それもそうか。余計な騒動のきっかけになりそうなことはギルドとして教えられないのも当然だった。魔導都市ではギルド長のトスラフさんが色々と便宜を図ってくれていたけれど、あれは彼の性格で、僕らもあの街では余所者ではなかったから、ということだろう。

 なら、後は地道に街を歩いて、街の人にでも聞きながら探してみよう。そう思って、ギルドを離れようとした時だった。


「……ひとつだけ。ログネダ様のことは、あまり聞いて回らない方が、宜しいかと」


 受付員が、ぼそりとつぶやいた。回りを気にするかのように声を抑えている。


「どうしてでしょうか?」


「……彼女には、謎が多いですから。帝国ではもう、居場所がないはずなのに、未だに軍と接触しているとも。街をひとりで歩く姿もよく目撃されています。そんな自由が許される方ではないはずなのに。……そして、彼女を探る情報屋は、よく、消えます」


 ログネダさんを語る受付員の声は、僅かに震えていた。それだけ、彼女はこの街で不気味な存在ということだろうか。僕が抱いているログネダさんへの疑問を、街の人も同じように抱いている。


「ありがとうございます。それだけでも、有り難い」


 ログネダさんに絡む情報が危険なのだとすれば。こうした助言も、危険なのだろう。だから目の前の受付員には、礼を言った。


「いえ。くれぐれも、お気を付けて」


 ギルドを出る。ギルドで働く人には、優しい人が多いなと思う。それとも、僕が運良くそういう人と出会えているだろうか。




「ログネダという人は、なんだか厄介事を抱えていそうですね」


 道を歩きながら、ルシャがつぶやいた。

 ギルドでの助言を考えると、街の人に闇雲に聞き込みをするのも躊躇わられたので、今はとりあえず帝都の外れに向かって歩いている。


「まあ、そうだろうね。息子が国を裏切ったのに、その母親が平和に生きていられるとも思えない。でも彼女は、この間偶然会った時は、監視されている様子もなかった。ひとりで街を歩いていた」


 答えながら、隣を歩くルシャを見る。さらにその隣にはシエスがいて、先程買った棒付きの飴のようなものを食べている。無表情だから分かりにくいけれど、よく飴を取り出しては飴の減り具合を頻繁に確認しているので、夢中になっているようだった。


「軍を抜けて、それでも軍と関わりがあるというのも、奇妙です。問題を起こして、それでも地位を保っていられるのは、無視できないほどに有能であるか、もしくは……」


 そこでルシャが口ごもる。シエスも話自体は聞いているようで、言い淀んだルシャを見上げていた。


「もしくは?」


「……誰かの、情婦である、とかでしょうか……」


 か細い声。それを聞いて、気付く。この手の話題は、ルシャにはまだ辛いはずだ。急いで謝ろうとルシャを見る。けれどルシャは辛そうというより、口をもごもごとしながら少しだけ赤くなっていて、表情に影もない。手を握ってみると、震えてはいなかった。


「ごめん。軽率だった」


 とりあえず謝る。僕が軽率だったのは確かだ。


「……どうして謝るのですか?」


「それは、いや。その。ルシャに色々、思い出させてしまったかと思って」


「……ふふ。そんなことはありませんよ。大丈夫です」


 そう言って、笑ってくれた。ルシャは本当に、ただ照れていただけのようだった。情婦という言葉だけで赤くなれるというのも、なんだかルシャらしいというか、なんというか。でも、良かった。

 しかし、情婦か。ログネダの夫については、歴史書に何も記載がなかった。彼女が寡婦であるなら、高貴な身分の誰かの情婦になるというのも、生き方のひとつではありそうだった。ただ、愛人だからといって、敗戦の一因となった裏切り者の一族を生かしておけるものなのだろうか。帝国の法や制度には詳しくないけれど、それこそ皇帝の情婦でもない限り無理そうに思える。

 ……もしも皇帝までもが絡むなら、ログネダさんは相当の、厄介事を背負い込んでいると言える。彼女を探った者は消されているというし、僕らも彼女に関わるべきではないのかもしれない。彼女と関わらせて僕らを陥れるのが、メロウムの策略なのかもしれない。でも今のところ、他に手がかりもない。僕はまた、焦っているのだろうか。


「ルシャ。じょうふって、なに?」


「えっ」


 推測をあれこれと巡らせていると、隣ではシエスがルシャを見上げていた。ルシャはまた顔を赤くして、焦っていた。


「そ、それは、その……ろ、ロージャがよく知っていますっ」


「えっ」


 そのまま僕に流れてくる。シエスが僕をじっと見る。その眼差しに、ふと魔導都市までの道中、魔導について教えていた時のことを思い出してしまう。相変わらずの好奇心というか、知識欲というか。

 なんと答えたものか。そう思っていると。



 視界の奥に、見慣れた影が見えた。道を挟んで立ち並ぶ家々はいつの間にかかなり疎らになっていて、僕らはもう、帝都の端の方に来ていたようだった。そうして、かすかに声が聞こえた。



「――なあ、ばあさん。あんたは、あんとき何があったのか、知ってんのか」


 いつものだみ声。けれど声にはいつもより勢いがなくて、代わりに珍しく、真剣な響きがあった。


「……どうかしら。あの子に、そちらが何かを施して、あの子は変わってしまった。それだけで十分よ。それだけが、真実」


 答える声も、聞いたことがあった。木の陰にいるようで、姿はまだ見えない。けれどこちらの声も、以前よりずっと、暗かった。


「そうかよ。それで、あんたはこの二十年、何してたんだ?振り切れたのか?」


 だみ声――ガエウスの声が響く。彼はきっともう僕らにも気付いているはずだ。それでも話し続けている。彼女との話を聞かせたいと思っているのか、それとも僕らなぞ関係なく、彼女に聞きたいことがあるのか。


「振り切る……。あなたは、大切な、何より大切な人を喪って、それを振り切れるのかしら」


 答える彼女、恐らくはログネダさんの声は、恐ろしいほどに平坦だった。なんの感情も読み取れない。


「さてな。大切な相手なんざ、生まれてこのかた一人もいねえんでな。拘るような過去も、俺にはねえ。生きてんのは今だ。今以外に、興味もねえ」


「そう。寂しい人生ね」


「まあな。だがあんたも、空っぽだぜ。大方、失くしたもんをずるずると、それだけの人生だったんだろうよ」


 ガエウスの声に嘲るような調子が戻る。だいぶ近付いたけれど、ログネダさんの顔は木陰に隠れていて、表情は見えない。


「あんたがどう生きようが、俺には関係ねえ。だがな。スヴァルクは俺のだ。あいつは牢でも、てめえの女とあんたのことばかりだった」


「……あなた、いつ、あの子と――」


「馬鹿げた戦だった。死んだあいつらは、無駄死にだった。結果も初めから決まってたのによ。くだらねえ。……生き残ったあんたまで、どうしてまだあのクソみてえな戦を、引きずってやがる」


 ガエウスの語気は荒くなっていた。滅多に見せない怒り。王都で僕に失望した時でさえほとんど見せなかった憤り。


「……あなたには、分からないわ。喪った痛みも、空白も。悔いも哀しみも、何も代わりにはならない。…………憎しみ、さえも」


「けっ。なら、ずっとそうしてな。俺には分からねえ人生を、生きりゃあいい。……ロージャ!このばあさんに、用があんだろ!」


 ガエウスの声が、僕に向く。彼は僕の方へ歩きながら、すれ違いざまにつぶやいた。


「俺ァもう、興味ねえ。後は好きにしろ」


 それだけ言って、すぐにどこかへと消えていった。後に残ったのは僕ら三人と、ログネダさんと、静寂だけだった。




「……ログネダさん」


 彼女に声をかける。ログネダさんは木の傍に立ちつくしている。街中に木々の少ない帝都で、ここには珍しく大きな木が立っていて、その傍らには小さな岩が埋まっていた。岩には石碑のように何か文字が刻まれているようで、岩の脇には花が数輪、置かれていた。あれが、墓だろうか。

 ログネダさんは前に一歩、踏み出した。顔に日が差す。笑っているけれど、どこか影がある。


「ロジオン、よね?久しぶりね。私の名前、もう知っているのね。そちらの方は、あなたの恋人かしら」


「ええ。ルシャと、シェストリアです」


 二人を紹介すると、ルシャとシエスは少し前に出て、会釈をした。ログネダさんの笑顔が少し軽くなる。


「まあ。この間聞いた通りの、可愛らしい娘たちね。これだけ綺麗な娘を連れているんですもの。羨まれて、大変でしょう?」


 声の調子も、ガエウスと話している時よりずっと明るくなっていた。僕はどうしてか、こちらが本当のログネダさんなのだと思いたかった。

 僕も笑って誤魔化してから、少し表情を引き締める。


「ログネダさん。ガエウスが、すみませんでした」


 ガエウスも真剣だった。でも彼の言葉は、辛辣にすぎた。


「……良いのよ。彼の言うことも、本当だもの。……彼も、あなたの仲間なのかしら」


「ええ。もう長いこと一緒にいる、大事な仲間です」


「……そう」


 ログネダさんはガエウスをどう思っているのだろう。良くは思っていないはずだ。ガエウスは強すぎる。人の過去まで踏み越えて、笑い飛ばしてしまう。それで僕は救われていたけれど、誰もがみなそう捉える訳ではない。

 それに。僕は謎の多い彼女を頼るべきだろうか。彼女を頼ることで、帝国内の厄介事に巻き込まれてしまうかもしれない。そのせいで仲間たちが傷付くかもしれない。厄介事に手間取っている内にシエスが魔素に蝕まれて、倒れてしまうかもしれない。もっと慎重に事を進めるべきなのだろうか。

 分からない。何もかもが不明瞭だ。何が正解かなんて、何も分からない。でも、立ち止まる訳には行かない。仲間は皆、僕を信じてくれている。

 ふとガエウスの言葉が頭に浮かぶ。僕らは冒険者で、見つけたいものは冒険の中で見つける。こじつけだろうけれど、何となく、とにかく前に踏み出せと言われているような気がした。



「ログネダさん。ひとつ、お伺いしたいことがあります」


 意を決して、口を開く。何か起きても、仲間がいる。それに、僕なら守れる。


「何かしら?」


「大陸南岸のダンジョンについて、なのですが」


 僕の言葉に、ログネダさんの空気が僅かに変わった。彼女はこの件について、知っている。


「……僕らは『果て』を探しています。推測ですが、新しく発生したダンジョンには『果て』に繋がる何かがあると、見ています。帝国南岸にダンジョンは、最近までなかったはずです」


「まあ。どこで知ったのかしら。軍が厳重に守っているはずなのだけれど、ね。その情報は」


 やっぱりか。けれどログネダさんから威圧するような雰囲気はない。単純に疑問なだけのようだった。彼女は僕に、僅かに好意を持ってくれている気がする。なら、まだ踏み込めるだろう。


「それについては、後ほど。……ログネダさん。貴女に、お願いがあります。もし、軍に伝手があるのであれば、僕らをそのダンジョンへ――」


「それは、難しいと思うわ」


 即答だった。


「あのダンジョンはまだ、軍が調査中ですもの。私もそこまでは口出しできない。私は大昔に引退して、今はただのおばさんなのよ?……でも、あなたは運が良いのかしらね」


 ログネダさんは言葉を切ると、ひとつ笑った。


「軍の調査はもうすぐ終わるわ。終わり次第冒険者にも公開されるはず。初めは適切な推奨等級が分からないから、軍から依頼が出るはずよ。少し違うけれど、初期探索依頼に似た形になるみたいね」


 本当はこれも機密なのだけど、と笑いながら、ログネダさんは続ける。


「初めは数パーティ限定で、かしらね。そこにあなた達を推薦するくらいなら、できるわ。それくらいで良いのなら、やってあげてもいいのだけれど。でも、折角なのだし、ひとつ条件を付けてもいいかしら?」


「……なんでしょう?」


 話が予想以上に、とんとん拍子に進んでしまっている。条件と言われて、逆に安心してしまうほどだった。けれど、どんな条件なのだろう。

 ログネダさんはなんだか楽しそうに笑って、もったいぶるように僕ら三人を見ている。ガエウスと話していた時の無機質さは欠片もなくて、別の人格かと思うほどの変わりようだった。

 少しの間の後、ログネダさんは口を開いて、予想もしないことを口走った。


「ルシャさんと、シェストリアさん。二人と、手合わせさせてもらってもいいかしら?」


「え?」


 思わず変な声を出してしまった。ログネダさんがまた、ふふと笑う。


「私のロジオンに、二人が相応しいか、確かめさせてほしいの」


「…………私の?」


 ログネダさんの不穏な一言に、シエスがつぶやいて、ぐるりと首だけを回して僕を見た。眼は案の定、じとっとしている。


「ど、どういうことですか、ロージャっ」


 ルシャも慌てている。待ってほしい。僕にもよく分からない。

 ログネダさんは騒ぎ始めた僕らを見て穏やかに笑っていて、言葉の意味を尋ねても何も答えてくれない。彼女がどうしてここまで僕に好意的なのか分からない。僕は困惑したまま、シエスとルシャの追及にあたふたと答えることしかできなかった。

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