第85話 嫌い

「ルル。こっちにおいでよ。幼馴染くんが、私たちに何か用のようだよ」


 ナタさんが手を上げて、店を出たばかりのエルフの少女を呼んだ。けれど彼女、ルルと呼ばれた少女はこちらへは近付いてこない。じっと僕らを見ている。目付きは鋭くて、僕を睨んでいるような気もした。


「……私には、彼らに用はないわ。先に戻ります。残りは私がひとりで買っておくから」


 そう言って、彼女は僕らに背を向けて、足早に去っていってしまった。彼女には間違いなく、嫌われているな。

 ナタさんは上げた手を所在なさげに揺らすと、そのまま頭をかきながら、僕に向き直って肩をすくめた。


「ごめんね。あの子、ユーリのことが大好きだからさ。ユーリを悩ませる君のこと、嫌いなんだろうね」


「……構わないさ。気に入らない相手くらい、誰にだって――」


「まあ、それは私も同じなんだけれどね。君のことは私も、好きじゃないよ」


 ナタさんの言葉に、少しだけ面食らう。目の前の彼女は口角を上げて軽く笑ったままだった。声の調子も明るくて、けれど眼は笑っていない。僕の内側を推し測ろうとするような、試すような眼。



 随分と嫌われているな。ナタさんを見ながら、ふと思う。

 僕が嫌われているのは、ユーリのためだろう。彼女たちにとってユーリはもう大切な仲間だから、かつて彼女とうまく向き合えずに傷付けてしまった僕を許せず、疎ましく思っているのかもしれない。それは確かに、僕の過ちだ。

 ナタさんとあのエルフの娘が、ユーリのために僕を嫌っているのなら。それは、僕がルシャの過去を知って、彼女が過去を乗り越えられるように彼女の支えになりたいと思っているのと、根は同じなはずだ。辛辣だけれど、それだけユーリが大切なのだろう。だから彼女たちに嫌われていても、特に思うことはない。

 けれど。ナタさんの言葉からは、ユーリが今も僕について悩んでいることがうかがえた。帝都への途上で出会った時は、もう大丈夫と言っていたのに。そのことは、僕をどうしようもなく苛立たせる。ユーリには、もう僕以外の大切な人がいる。彼女を想う仲間たちもいる。それなのに、何を今更、僕について悩むことがある?前へ進むために心に従って、僕と決別したんじゃなかったのか?


 今は『果て』への手がかりを掴むことが最優先だ。そのためには、同じ『果て』を目指している『蒼の旅団』と協力することだって必要だろう。ソルディグやユーリとの間のことは、もう過去のことだ。もう終わったことに苛立っている場合じゃない。彼らへのわだかまりで、時間を無駄にするべきじゃない。大切なのは、ずっと皆の傍にいて、皆を守ること。それだけだ。

 僕を嫌うナタさんたちに、どのような態度で接するべきなのかは分からない。けれど、少なくとも情報交換くらいはできるはずだ。

 そう思って、先程ナタさんへ言いかけて遮られた相談を、改めて持ち出そうとして。手をぐいと、後ろに引っ張られた。


「ロージャ。行きましょう。この方と話すことはありません」


 ルシャだった。僕の手を握ったまま、後ろ向きに歩き出していた。いつになく強い力で、僕の腕を引く。


「待って、ルシャ。まだ聞いておきたいことが――」


「必要ありません。こちらを嫌う方々と無理に付き合っても、お互いに益など、ありませんから」


 ルシャの声は淡々としていた。いつもの声が優しいだけに、平坦なだけでいっそう冷たく聞こえてしまう。僕を心配するというよりも、相手の態度に怒っているようだった。


「あらら。まだそんなに、変なことは言っていないつもりだったんだけどな」


「……まだ、ですか。ならばなおのこと、貴女とお話しすることは、ありません」


「あはは。思っていたより短気なんだね。聖女さん。俗っぽくて、私は好きだな」


「……」


 ルシャはナタの煽るような様子に眼を見開いて、それから肩を少し落とした。苛立ちを通り越して、呆れたような雰囲気になったというか。


「ルシャ、落ち着いて。ログネダさんについて、少し聞くだけだから」


 僕がもう一度言うと、ルシャはすっと僕に肩寄せて、耳打ちをするように囁いた。


「……分かりました。ですが、私は彼女たちのこと、嫌いです。……気を付けて。貴方は人を簡単に、信用しすぎますから」


 それだけ言って、僕から離れる。手は握ったままでいてくれた。

 人を信用しすぎだと、かつてガエウスに言われたことをルシャにも言われてしまった。そんなつもりはないのに。でも皆がそう思うなら、そうなのだろう。ルシャは彼らを嫌うだけでなく、警戒している。なら、明かす情報は極力減らしておいた方がいい。そう思い直して、口を開いた。


「ナタさん。ログネダさんという人を、知らないかな?帝国の、元軍人の方なのだけれど」


「……君、変わってるね。怒らないんだ。……ええと、なんだっけ。ああ、ログネダ?もちろん、知っているよ。帝国人なら知らない人はいないんじゃないかな。『大戦』の、裏切り者の母、だろう?」


 ナタさんは少しだけ驚いたような声を出して、それからすぐになんでもない調子に戻って、答えた。


「『蒼の旅団』として、接点があったりしないかな。僕も会ったことはあるんだ。ただ偶然だったから、いつもはどこにいるのか、知らなくて」


「知ってるよ。何度かお世話にもなってる。紹介もできるけど……どうして、彼女に会いたいのかな?」


 ナタさんは先程と同じ軽い調子のままだけれど、少しだけ視線が鋭くなっているような気がした。まあ、当然の疑問か。


「少し確かめたいことがあってね」


「さては『果て』についてのこと、だね?」


「……まだ噂みたいなものだから、もう少し分かったら、教えるよ」


 僕らが『果て』を探していることは、もう知っているのだろう。はぐらかすのが下手な僕を見透かしたように、ナタさんはにたりと笑った。


「へえ。面白そうじゃないか。でも面会理由を教えてくれないなら、紹介状は書いてあげられないなあ。残念だけど」


 笑うナタさんをじっと見る。交渉というよりは、彼女は僕らを煽って楽しんでいるだけのようにも見える。ガエウスとは少し質が違うけれど、本気なのか冗談なのか分かりにくいところは、よく似ている。

 紹介状。それは流石に、借りを作ることになるな。ルシャに言われた言葉を意識する。


「そこまでは、必要ない。手間だろうし、彼女の方も僕の名前を知らないはずだから、後回しにされてしまうさ。……だから、帝都でログネダさんを普段よく見かける場所、知らないかな?」


「見かける場所?」


「ああ。彼女と会えるまでそこに通うよ。冒険者は、足で情報を稼ぐものだろう?」


 僕の言葉に、ナタさんはまた笑った。背は小さいはずなのに、振る舞いからは余裕を感じさせて、少しだけ大きく見える。


「私を頼りたいのか、頼りたくないのか、よく分からないお願いだなあ。でもまあ、いいよ。教えてあげよう。面白いこと、起きそうだしね。……彼女はよく、墓にいるよ。といっても、軍人墓地じゃない。帝都の外れの、粗末な墓。自分で作った、自分しか祈りにこない、息子の墓」


 息子の墓、か。一瞬、哀しげなログネダさんの顔を思い出す。

 見ると、ナタさんはくるりと振り返って、背を向けていた。金髪のエルフの娘が消えていった方に歩き出している。


「『果て』について何か分かったら、また教えてよ。最近は私たちも、何も掴めていないからさ。あ、でも」


 去り際に、ナタさんはまたくるりと、軽く振り返った。煽るように笑う表情はそのままで、けれど声と眼は、冷たかった。


「もうすぐ、ソルディグとユーリが帝国に来る。そうしたらもう、『果て』の情報も要らないや。ユーリに近づかないでほしい。ちょっかい出したら、許さないから」


 それだけ言って、ナタさんは遠ざかっていった。しばらくの間、僕らは三人でその背を眺めてしまっていた。




「面白いと言ったり、近付くなと言ったり。自分勝手な人ですね」


 とりあえず一旦宿に戻ることにしたものの、その帰路、ルシャは不機嫌だった。怒っている訳ではないが、口を尖らせて珍しく愚痴をこぼしている。


「ロージャもロージャです。何もあんな小娘ふたりを頼らなくてもよかったのです。私たち三人と、ガエウスにナシトもいるのですから。人ひとり、すぐに見つけられます」


「小娘って。歳はルシャも同じくらいじゃないかな」


「そういうことを言いたい訳ではっ」


 僕の失言にまた怒り始めてしまったルシャを宥めながら、歩く。

 確かに、僕は焦っている。でも、シエスが明日も元気でいられる保証はどこにもない。できることは、全てやっておくべきだ。その考えは、変えたくなかった。シエスは僕を頼ってくれている。シエスを救えるのは僕だけなんだ。

 そのこと自体はルシャも理解してくれている。だからこうして、小言を言うに留めてくれているのだろう。


「ごめん。これからは、もっと慎重にやるよ」


「もう。ロージャに頼りきりの私が言うのもおかしいですが、ロージャはもっと――」


「ルシャ」


 ナタさんの態度をよほど腹に据えかねていたのか、ひとり話し続けるルシャをシエスが遮った。そういえばシエスは、ナタさんと対峙している時もずっと黙っていて、僕をじっと見上げていた。


「は、はい。なんでしょうか、シエス」


「どうしてあの人のこと、嫌いなの?」


「それは、自分勝手で、嫌味ったらしくて――」


「ルシャ、あの人がロージャに『嫌い』って言った時、怖い顔してた」


「うっ」


 シエスの言葉に、ルシャが止まる。俯いてしまった。


「私も、もやもやした。ルシャも、同じ?」


「…………はい。…………ロージャを嫌う人を、私が好きになれる訳、ないじゃないですか」


「……ん。私も、一緒」


 ルシャは僕をちらと見て、また俯く。耳が赤くなっていた。僕の焦りのせいで招いたことなのに、ルシャはあくまで僕のために怒ってくれている。

 ルシャから目を離してシエスを見ると、また僕を見上げていた。いつもの無表情。でもそれが、シエスが安心して、一番穏やかでいる時の表情なんだと、僕はもう知っていた。


「ロージャはもう、大丈夫。だけど、私も。大丈夫だから」


「……シエス」


 僕の声に応じるように、シエスは僕の手をきゅっと握った。それが、安心してと言わんばかりで、僕はようやくシエスにも自分の焦りを見透かされていることに気付いた。

 甘えたがりなくせに、急に大人びたことも言う。一番幼いはずのシエスに、ルシャだけでなく僕まで諭されてしまったような気がして、照れくさかった。

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