第84話 拒絶
メロウムと会った、その夜。
夕食の後で、僕らは宿屋の一室、僕の部屋に集まっていた。メロウムから得た『果て』の噂を含めて、今後の方針について話し合うためだ。
ただ、ガエウスだけはまだ部屋に来ていなかった。彼を待つ。
正直に言えば、まだ僕は、メロウムが最後に語った言葉を飲み込みきれていなかった。帝国軍が守るダンジョン。魔導兵器。そして『国賊』なる者の母。
僕はもうその人と出会っているらしい。帝国に来て出会った女性なんて『蒼の旅団』の二人の他には、あの人しかいない。宝飾店で僕を助けてくれた、貴婦人。あの人は確かに高貴な身の上のようだったけれど、軍とも何か関係があるのだろうか。
分からないことが多い。特に『国賊』という言葉は、聞いたこともない。過去に帝国に歯向かった者を指しているのだろうか。けれど、あの人がそんな人物の母親だったとして、大罪人の母親が帝国をひとりで自由に出歩けるものなのだろうか。明日にでも、図書館かどこかで帝国の歴史を洗ってみる必要がある。今皆を集めたのは、ガエウスやナシトに得た情報を伝えて、彼らにも協力してもらうためというのが主だった。
……考えてみれば、僕とあの人が出会っていることをどうしてメロウムが知っているのかも気になる。あの男は聖都にいた頃から僕らを調べ尽くしていた。きっと何らかの諜報網を持っているのだろう。自前のものか、教会のものか。彼自身はしばらく僕らを襲わないと言っているものの、警戒は続ける必要がある。特にシエスが街を歩く時は、これまで通り僕かルシャがついていくべきだろうな。
扉の開く音が聞こえて、思考を中断する。ガエウスがつまらなそうな顔をしながら、部屋に入ってきていた。
「待たせたな。それで、次に行くとこはもう決めたのか?」
空いた椅子にどっかと座り、ガエウスが僕を見る。
「いや。今日、聖都で僕らを襲った使徒に会ってね。彼から、『果て』に関する噂を聞いた。どこまで信じるべきかは分からないけれど、それについて、話しておこうと思って」
「んだァ?使徒っていやあ、ルシャの教会燃やした奴じゃねえのか?お前ら、仲良かったのか?」
ガエウスが今度はルシャを見た。僕の近く、寝台の上に腰かけているルシャは、うんざりしたような顔をした。メロウムの話題になると、ルシャは珍しい表情ばかりする。
「良くありません。……あの男の考えていることは、分かりませんから。今日も突然現れて、観光に付き合えと言って。最後に『果て』について語って、消えていきました」
「んだよ、なかなか面白え奴じゃねえか」
ガエウスはそう言って、がははと笑った。まあ、この男は混乱と想定外が大好きだから、そうなるか。ルシャは明らかに不満そうだった。
「わがままなところ、ガエウスと似てる」
「んだと?俺はワガママじゃねえ。好きなように生きてるだけだ。それに、一番ワガママなのはお前じゃねえか、シエス!」
「わがままじゃない」
「どうだかな。どうせ今日だって、そのメロウムとかいう奴に邪魔されて、ロージャに構ってもらえなかったとか思ってんだろ?」
ガエウスの煽るような声に、シエスと、なぜかルシャが同時にびくりと肩を震わせた。二人を見ると、露骨に目を逸らされた。シエスはいつもの無表情だけれど、耳が赤い。ルシャはいつものように視線をさまよわせて、あわあわとしている。
……また近い内に、埋め合わせをしないと。そう思いつつ、話が脇に逸れ始めたので、仕切り直す。
「メロウム自体は、一旦置いておこう。話しておきたいのは、『果て』の噂についてだ」
そう切り出して、メロウムから聞いた話をガエウスとナシトに伝えた。僕の推測と今後の方針案については、あの男から聞いた事実をそのまま纏めて伝えてから話そうと思っていた。
しかし。気楽な様子で僕の話を聞いていたガエウスの眼が、ある時点で急に鋭くなった。
「――ただ、メロウムの言うには、僕はもうその『国賊』なる者の母に、会っているらしい。思い当たる相手もいるにはいるのだけれど……ガエウス?」
ダンジョン内でも滅多に見せない、真剣な目つき。面白そうな獲物を見つけた時の楽しげな、獰猛なものではなく、ガエウスにしては真剣すぎる表情だった。様子がおかしい。僕は思わず話すのを止めてしまった。
「……『国賊』ねえ。馬鹿げた二つ名じゃねえか。……ロージャ。お前、その母親とかいう奴に、会ったのか?」
「あ、ああ。昨日、宝飾店に寄った時に」
「どんな眼だった。お前から見て、どんな女に見えた」
ガエウスは静かに、けれど有無を言わせぬ圧力を込めて、僕に語りかけていた。生まれて初めて、ガエウスが年相応の、大人に見えたような。
「優しい貴婦人だったよ。買い物を手伝ってくれて。暖かな雰囲気の人だった。……けど、所作は武人だったし、別れ際だけ、ひどく哀しげだった」
「……そうか。あのババア、まだ振り切れてねえらしい」
「ガエウス、もしかして、彼女と知り合いなのか?」
少しばかり期待を込めて、聞いてみる。彼女が南のダンジョンへ繋がる手がかりだとしても、僕は彼女が今どこにいて、どうすればまた会えるのか分からなかった。もしガエウスが知り合いなら、探す手間を省ける。
「そんなんじゃねえ。昔一度だけ、そいつとその息子と、殺し合ったことがある。それだけだ。その時俺はガキだった。向こうは俺のことなんざ、覚えてねえだろうよ。居場所も伝手も、何も知らねえな」
ガエウスの答えは淡々としていて、けれどその内容には、引っかかるものがあった。彼の過去がまたほんの僅かだけ見える。
「待ってくれ。ガエウス、君は『国賊』について、何か知っているのか?知っているなら、何でもいい、教えて――」
「あいつを、その名で呼ぶんじゃねえ」
ガエウスの声はひどく冷たかった。
この声には、覚えがある。彼と出会ったばかりの頃、彼を王国十四士の肩書で呼んだ時と同じ、拒絶の意思。あの時よりも強い調子に、怯んでしまう。部屋に居心地の悪い沈黙が満ちる。
「……あいつは俺が捕えた。『大戦』でな。停戦と捕虜交換の時にあいつはおかしくなって、暴れた。化物になって、帝国軍を喰い荒らして、その時の将だったババアに殺されるまで。……知ってるのは、そんだけだ」
思わず息を呑んでしまう。そんなこと、王国の歴史書には何も、書かれていなかった。化物になるとは、言葉通りの意味なのだろうか。
それに、ガエウスの言う『あいつ』は帝国軍で、ガエウスは王国軍で、敵だったはずなのに。ガエウスの言葉には微かに、旧友を語るような響きがあった。
「確かにあのババアなら、まだ軍にも顔が利くだろうな。ババアが手がかりってんなら、俺も探してやる。だがな。信じすぎるなよ」
そう言って、ガエウスはおもむろに立ち上がった。こちらを射るような張りつめた雰囲気は薄れて、代わりにいかにも不機嫌そうな顔をしていた。
「もういいか。俺ァ酒場に行くぜ」
そう言って、荒い歩調で部屋を出ていこうとする。ルシャが立ち上がった。
「が、ガエウス。待ってくださいっ。まだ話は――」
「いいんだ、ルシャ。ガエウスは、ああなったらもう止められない」
ルシャの肩に手を置いて、元いたところに座らせる。ガエウスが荒っぽく扉を開けて、部屋を出ていった。
少しの静寂の後で、ルシャが僕を見上げながら口を開いた。
「彼はまだ、知っていそうでした。ロージャが出会ったというその女性と、その息子について」
「そうだね。でも、彼は探してくれると言った。今のところはそれで十分だよ。……あんなに真面目な顔をするガエウスは、僕も初めて見た。それだけ重い過去なら、無理矢理聞くのは、嫌なんだ」
ガエウスは、今や僕と一番長く共にいてくれている仲間だ。冒険狂いのおかしな男だけれど、どうしてか僕に目をかけてくれて、僕が王都から逃げてもまだ、僕を信じてくれた。
ならば、彼の過去がどうであれ、僕にできるのは彼を信じ返すことだけだ。僕に全てを話してくれなかったとしても、彼がそう決めたのならそれでいい。ガエウスは強い。僕の支えなんて必要ない。だから僕は勝手に彼を信じて、勝手に支えるだけだ。
「……貴方に、そう言われてしまうと」
「ごめん。だけど僕も気になるから、『大戦』で何があったのか、明日一緒に調べてみよう。そこから手がかりも見つかるかもしれない。国営の図書館があったはずだから、そこに行ってみよう」
そう言ってルシャと、シエスを見る。ルシャは肩の力を抜いて、シエスはこくりと頷いてくれた。シエスの胸元の欠片がちらと見えて、少しだけ胸がざわめく。
大丈夫だ。シエスはまだ元気で、変わった様子もない。時間はまだある。焦ったところで、何も事態は好転しない。ひとつずつ、進めていこう。
翌日、僕とシエスとルシャは、帝国で一番大きな図書館に向かった。帝国語を読めるルシャを頼って、『大戦』についての情報を集める。
そうして知ったのは、帝国でも『大戦』について、ところどころぼかされているという事実だった。昨日ガエウスが言ったような、人が化物に変わったというような描写はなかった。ただ、王国での記述と違って目立っていたのは、帝国は主要な会戦にて、裏切り者のために敗れた、という記述だった。
そして僕らは見つけた。歴戦の女傑ログネダと、その息子、神弓の使い手スヴァルク。これが、僕の出会った女性と、その息子だろう。ログネダは大陸での民族紛争鎮圧に功のある高位の将だったが、『大戦』の内のある会戦で敗れ、戦後、敗戦の責を負って軍を去っている。その敗戦の理由というのが、息子スヴァルクの裏切りだという。彼が王国と内通し、母から得た機密を流し、停戦を装って王国と共に奇襲をかけた。そこから帝国軍は崩れた。歴史書にはそう書かれていた。『国賊』は裏切り者への蔑称だった。
けれど、内心の疑問は晴れない。きっと、王国の歴史書も帝国の歴史書も、真実を語ってはいない。
帝国軍の軍規は殊更に厳しいと聞く。それなのにどうして、裏切り者の母が貴婦人然として帝都で生きていられるのか。関連書物に目を通した限りでは、軍を抜けた後も彼女は帝国軍に対して一定の影響力を持っているようにもうかがえた。ただ息子ばかりが批判され、罵倒され、糾弾されている。
国が何かを隠している。本を読み漁って分かったのは、探している相手の名前と、それくらいだった。
「名前は分かったけれど、これからどうしようか」
昼過ぎ、図書館を出て歩きながら、隣のルシャに話しかける。シエスは僕の前をてこてこと歩いている。図書館では王国語で書かれた魔導絡みの本を読み耽っていたためか、機嫌も良さそうだった。
「そうですね……もう既に退役していて、軍を訪ねれば会えるという訳でもなさそうですし……」
ルシャも困り顔だった。足取り軽く歩いているのはシエスだけだった。
「こうなると、ガエウスが見つけてくれるのを待ちながら、後はいつも通り、ギルドで色々と聞いて回るしかないかな」
僕らは一介の冒険者にすぎない。できることも限られる。依頼を受けながらギルドとの交流を増やして、信頼を得てより多くの情報を回してもらえるように、地道に活動するしかないか。そう考えていた時。
「あれ?幼馴染くんじゃないか」
横から軽い調子の声が聞こえてきた。出てきたところなのか、背の低い娘が店の前に立ち、僕に向けて手を上げている。見覚えがあった。帝都へ向かう途中で出会った、『蒼の旅団』の女の子。
「……ナタさん」
「久しぶり、でもないか。今日は休暇かな?」
言いながら、僕の方にすっと駆けてくる。それを見ながら、気が付くとルシャが僕の手を握っていた。それを握り返して、ルシャを見る。
「大丈夫だよ。でも、隣にいて」
「……はいっ」
以前、帝都までの道中で『蒼の旅団』と会った時、ナタが圧をかけてきた時。ルシャは僕を心配していた。でも、僕のことならもう本当に、心配はいらないんだ。二人が隣にいるなら、僕はもう大丈夫。
ふと、空いた方の腕が引っ張られた。見るとシエスが腕の裾を掴んでいる。無表情のままにくいくいと引いて、私もいるぞと主張するかのようだった。僕はシエスに笑って、礼代わりに彼女の頭を撫でた。
「あらあら。美女を二人も侍らせちゃって。……ユーリも、何を悩んでるんだか」
ナタさんが僕の前で、止まった。ソルディグはいないけれど、『蒼の旅団』。王国から『指定』を受ける王国直属のクラン。ひとつ思いついたことがあった。僕はナタさんに嫌われているのかもしれないけれど、彼らだって『果て』を目指している。提案してみて損はないはずだ。できることは全てやっておきたい。
「ナタさん、ひとつ、相談したいことが――」
けれど生憎、僕が口を開いてすぐ、僕の声は別の声に遮られた。
「ちょっと、ナタ!貴女、どこに行って――」
先程の店から、金の髪のエルフが顔を出していた。彼女はすぐに僕に気付いて、あからさまに顔をしかめた。ルシャとシエスの握る手に、少しだけ力がこもったような気がした。
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