第83話 虚ろ
メロウムとの突然の再会に内心動揺しつつ、僕は一歩前に出た。
今、メロウムはひとりのようだった。初めて会った時のように、護衛と思われる教会関係者がいる様子も気配もなかった。白昼の帝都のど真ん中で、この男がひとりで正面から襲いかかってくるとも思えないものの、相変わらず作り物めいたこの男の笑みを見ていると落ち着かない。ルシャとシエスを背に隠して、いつでも鎧と盾を呼び出せるように、警戒を続ける。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。帝都はこの国で最も安全ですから。そこの小さなお嬢さんでもひとりで出歩ける、素晴らしい街です」
メロウムは明るい調子で続けた。自分こそが僕らの警戒対象だということに気付いていないはずがないのに、それでも道化のように笑い続けている。
「何の用だ、メロウム」
「これはまた。観光ですよ。私たち使徒にも休暇はあります。帝国まで来たのはもちろん仕事のためですが。空いた時間に街を歩くのは、私の数少ない趣味でして。そこのシェムシャハルは、休暇の時も教会にこもってばかりでしたがね」
僕の言葉に、メロウムはまた笑う。この男の言葉は何もかも信じられない。ルシャの大切な人たちを笑いながら殺そうとした男だ。信じるべきではない。
「……その名はもう捨てました。二度と呼ばないでください」
僕の背で、ルシャが冷たく告げる。いつになく棘のある声だった。
状況の分かっていないらしいシエスは、ルシャのらしくない様子にいっそう困惑したようで、僕に身を寄せて手をぎゅっと握ってきた。メロウムについては以前簡単にシエスにも説明したけれど、流石に顔も知らない敵のことはいつまでも憶えてはいられないか。
「おや、冷たいですね。数少ない顔なじみの同僚として、貴方とは仲良くできていたつもりだったのですが」
「……正気ですか。教会を燃やしておいて、どの口で――」
「ああ、そんなこともありました。ですがあの時はロジオンさんのおかげで、誰も犠牲にならなかった。貴方も神の代わりに縋るものを、神よりも信じられるものを見つけることができた。誰も不幸になってはいないではないですか。むしろ貴方は新たに依存する相手を見つけて、今の方が幸せそうだ。幸せになるきっかけを作った私に、そんなに怒ることもないと思うのですが」
メロウムの饒舌に、ルシャは言葉を失っていた。
この男はどこかおかしい。無機質に笑って、人間らしい情動など欠片も見せないのに、人の心にはずけずけと踏み込んで、そのことを悪びれもしない。人として何かが歪んでいる。
そう物思いに耽りかけて、強引に中断した。この男の内面などどうでもいい。それより、この男をルシャと話させたくない。ルシャに辛いことばかり思い出させてしまうだろうから。
「……観光というなら、僕らが邪魔する訳にもいかないな。……ルシャ、シエス。行こう」
武具を見ることより、この男から離れることの方が重要だ。そう思って、来た道を引き返そうと振り返る。
「ロジオンさんまで、つれないですね。少しお話ししませんか。ああ、私は今日で帝都を離れなければなりませんので、警戒は不要ですよ」
「話すことはないよ。君の言葉を僕が信じる理由も、何もない」
肩越しにメロウムを見て、言い捨てた。返事を待たずに、二人の手を取って歩き出そうとした時だった。
「仰る通り、信じる信じないはそちらの判断です。ですがこの間帝国の外れで耳にした噂を、貴方に伝えておいた方がいいかと思いましてね。『果て』について、面白いことを聞きましたから」
メロウムの言葉に、動かしかけた足を止める。
これは罠だろう。この男がただ情報を伝えるためだけに僕らに声をかけるはずがない。メロウムは世界の『法則』を超えた僕らを赦さないと言っていた。動機は全く見えないものの、あの時の彼の眼には狂気じみた光が宿っていた。僕らを害することがメロウムの宿願なら、この男とは一秒だって共にいるべきではない。
けれど。先程からずっと、シエスは僕を見上げている。表情は分からない。でも様子の変わった僕を心配していることは、手を握る強さで分かる。いつも無表情だけど、シエスは本当に優しい娘だ。
だからこそ僕の中には、『果て』の情報を何も得られていないことへの焦りがある。帝国に来てから、それは片時も僕の頭から離れてはいない。そのせいで、メロウムを無視して歩き出すことができなくて、一瞬、止まってしまった。……これじゃあ、交渉役失格だ。
案の定、僕の内心を見透かしたような軽薄さで、メロウムが笑った。
「安心してください、ロジオンさん。私もあれから、少し考えを改めましたから。貴方たちは今、『果て』を目指していると聞きました。『果て』は魔素の源。聖教にとっても、私にとっても、憎き敵です。それを貴方たちが潰してくれるというなら」
メロウムは一度言葉を切った。僕は再度彼の方を振り向いた。どうせ立ち止まっているなら、視界に入れておいた方がマシだ。もう僕は彼の言葉の続きが気になってしまっていた。
「私は貴方たちに協力するつもりです。少なくとも、『果て』を攻略するまでは。それまでは貴方たちの邪魔もしません。貴方たちとその『力』を消すのは、その後でいい。どうです?悪い話ではないでしょう?」
メロウムは相変わらず張り付けたような笑みを浮かべている。眼はこちらを向きながら、何も見ていないかのようでもあった。
「……協力は要らない。僕らは自分たちで『果て』を見つけ出す。君がその間僕らに構わないでいてくれるというなら、それだけで十分だ」
彼の言う安全の保障など、信じられない。僕らを狙う理由彼の言葉など何も信用してはいけない。そう分かっているのに、彼の言う『果て』の噂には脚を止めてしまっていることが、我ながら滑稽だった。焦りすぎだ。でも心はどうにもならなかった。
「私が行く先々で得る『果て』についての情報もお教えしますよ?かなりの大盤振る舞いでしょう。貴方がたには得しかない」
「そうか。なら今、その噂とやらを教えてくれ。そしてすぐ帝都を離れてくれ。以降は情報は要らない。僕らに接触しないでくれ」
この男を頼るのは危険だ。この男と接触するのは、今、『果て』への関心と焦りを見せてしまった今だけにする。何も手がかりを得られていない今だけ、この男から情報を得る。
「ふむ。悲しいほどに警戒されていますね。日頃の行いというやつでしょうか。……なら、こうしましょう」
メロウムは表情をぴくりとも変えず、一歩だけ僕らの方へ踏み出した。僕は彼から目を離さず、シエスから手を離して、腰にかけた手斧に手を添えた。
「今日一日、私の観光に付き合ってください。話し相手がいなくて、丁度寂しく思っていたところでして。付き合って頂ければ、『果て』絡みの噂についてお教えしますよ。私のことを信用できないと言うなら、これを預かっていてください」
メロウムはそう言うと、ゆっくりと首元に手をかけて、外套を外し始めた。脱ぎ終わった後で、腰にかけていたメイスを手に取り、こちらへ放り投げた。
「これで私はこの通り、丸腰です。魔導はありますが、一撃で貴方を葬れるほどの魔導は生憎、扱えませんからね」
両手をあげておどけながら、メロウムが笑う。僕はどうすべきか分からず、立ち尽くしてしまった。
この男は、意図が読めない。僕らと今日一日一緒にいて、この男にどのような利点があるのだろう。分からない。だけど、少なくとも僕ひとりであれば、鎧を身に纏ったまま同行すれば、魔導による不意打ちでも対応できる自信はあった。『果て』の情報も彼の魔導に関することも、どこまで確かなものか一切が信用ならないものの、それくらいの危険なら、飲み込んで『果て』の噂を得るべきじゃないか。
そう思って、一歩踏み出した。
「ルシャ、シエス。悪いけど、先に宿に戻っておい――」
「馬鹿を言わないでください。行くと言うなら、私も一緒に行きます」
「私も、行く」
振り向かずに二人へ話しかけようとして、けれど二人は僕の隣にずいと踏み出して、僕と同じようにメロウムを睨み据えていた。
「ロージャ。悪い癖ですよ。全部ひとりで抱え込もうとしないでください」
「ん。一緒の方が安全」
「シエスの言う通りです。……あの男の言うことなど、信用しないのが一番ですが、どうせ街にいるなら同行した方が警戒しやすいですし、『果て』の噂は自体は、私も気になります」
「魔導が来たら、私がぜんぶ防ぐ」
二人にまくし立てられて、つい気が抜けかける。でも、言う通りだな。二人を信じていても、大切だから危険から遠いところにいてほしいと思ってしまう。僕ら三人ならメロウムひとりくらい跳ね返せると、気負いもなく信じられるのに。
「私も賛成ですよ。街を歩くにも、友は多い方が楽しいですからね。さあ、行きましょう」
メロウムの言葉に、ルシャは表情をまた一段厳しくした。それを笑って流して、メロウムは歩き出した。
そうして始まった奇妙な観光は、僕ら三人の警戒とは裏腹に何も起きず、四人で帝都中を巡りながら時間はただ緩やかに過ぎていった。
メロウムは張り付けたような笑みを浮かべたまま、著名な建築物、名所や教会などを見かける度に足を止めて、歴史や故事など、当たり障りのないことをひとりでに話し続けた。やけに博識で、既に帝都のことをよく知っているように感じられるほどで、僕はますますメロウムの意図が分からなくなった。
ひとりだけが勝手に帝都の街並みを楽しんでいて、僕とルシャ、シエスはそれを訝しげに眺めるだけの、本当に奇妙な観光だった。……僕だって、歴史を知るのは好きだ。メロウムの話には、興味を惹かれるところも多かった。正直に言えば、彼がメロウムでなければ、僕は警戒などせずに彼との観光を楽しめたのにと、思っていた。
「ロージャ」
道中、シエスに声をかけられた。
「あの人の周り、魔素が少ない」
ぼそりとつぶやく。あの人というのは、メロウムのことだろう。魔素が少ないというのは、どういう意味だろうか。
「魔素に避けられてる。そんな感じ。見たのは初めて」
シエスはただ、不思議に思ったことを報告してくれただけのようだった。
魔素は人の意思に応じて吸い込むことができる。けれど魔素を遠ざけるというのは、聞いたことがなかった。一瞬、かつて戦った巨人、スヴャトゴールのことが頭に浮かんだものの、あれは魔素を根こそぎ吸っていたから、少し違う。メロウムは魔素に対して何か細工をしているのだろうか。分からないが、今はこれまで通り警戒する他ない。ナシトあたりに聞けば、何か分かるかもしれない。
気が付くと夕方になっていた。
「さあ、ここが最後ですね。実は一番来てみたいと思っていた場所です」
結局一日中話し続けて、それでもまだメロウムは笑っていた。
僕らは帝都の主門近く、城壁の上に立っていた。もちろん、門と帝都を囲う城壁は帝国軍の管轄下だ。普通は城壁の上に立ち入ることなど許されない。けれどメロウムは何か仰々しい印の押された書状を門衛に見せて、悠々と許可を得ていた。メロウムが実は帝国軍と繋がっていて、城壁の上に僕らを誘き出して、帝国軍と共に僕らを始末しようとしている可能性も疑ってはみたものの、メロウムに何か動き出す気配はなかった。
僕は、信じがたいことだけれども、この男は本当に観光をしたいだけだったのではないかとも思い始めていた。
「……きれい」
僕の隣でシエスが感嘆の声をあげていた。つられて僕も、周りを見る。
僕らのいる城壁は高く、全てを遠く見渡すことができた。城壁の中に見える帝都の街並みと、城壁の外に遥か広がる平原。全てが夕陽に照らされて、けれど壁の中と外で、違った種類の朱に染まる。確かに、綺麗だった。
「良いものでしょう。やはり最後は高いところでないと。高いところからでこそ、この世界の美しさが良く分かる」
メロウムは相変わらず無機質に笑いながら、城壁の中、眼下に広がる帝都を眺めていた。それから急に僕の方へ向き直って、口を開く。
「ロジオンさん。貴方に、ひとつお聞きしたいことがあります」
メロウムは笑っていた。けれど、眼の奥には今日これまでとは違って、光が灯っている気がした。
「貴方は不思議な人だ。シェムシャハル――ルシャを守った時はあれだけ揺るぎない意思を見せたのに、何も守らない時は、まるで意思などないかのようで。今日も貴方は、二人を守ることばかり、考えていたでしょう。どうしてそこまで、守ることにこだわるのです。何が貴方をそうさせるのですか」
メロウムの声は普段より真剣な調子だった。
どうして守るのか。そんなの、分かりきっている。
「君が僕をどう思っているかは、知らないけれど。……僕が守りたいのは、大切だからだ。失うのがどうしても嫌だから。ただそれだけで、別に特別な理由でもないだろ」
「けれど貴方は、既に一度失っている。なぜその時、『力』を失わなかったのです?守るために『力』を得て、それでも守りきれなかったのに」
「メロウムっ、貴方、ロージャの過去を詮索したのですかっ」
メロウムの問いに、ルシャが激昂した。
「人伝に聞いて、推測しただけですよ。……私はただ知りたいだけです。貴方がたの『力』が、一体何なのか。どうして貴方がたに発現したのかを」
メロウムは夕陽に照らされながら、じっと僕を見ている。
ユーリにフラレた後、なぜ僕の『力』、神獣の言うところの『志』は失われなかったのか。僕にも分からない。けれど、思うことはあった。
「……大切な人を失くした後も、僕はたぶん、変わらなかった。失った後も、また失うのが怖くてたまらなかったから。『力』は、僕の心のあり様なのだと、思う」
僕の小心。それが異常に膨れ上がって、どうしてか『力』になった。僕はそう思っている。だからそう告げた。
瞬間、メロウムの顔から今日初めて、笑みが消えた。一切の感情が抜け落ちていた。眼の光も消え落ちて、ぽつりとつぶやく。
「…………認められない。それじゃあ僕が――たみたいじゃないか。失うのを。――ない」
声はあまりにか細くて、全てを聞き取ることはできなかった。メロウムの変調が劇的すぎて、僕はじっと彼を見ることしかできなかった。
メロウムはすぐに元に戻った。またいつもの笑みを張り付けて、僕に背を向けた。
「やはり、赦せそうにはありませんね。貴方がたの『力』は、在るべきではない。『果て』について事が片付いたら、必ず貴方がたのもとに伺います。私の全てを懸けて、消えてもらう。ですが」
話しながらメロウムは城壁の端に登った。一歩踏み出せば、城壁の外に落ちる。そんな位置でメロウムは立ち止まった。
「今は一時休戦といきましょう。勿論、機会があれば私を殺しにきても構いませんが。……約束の『果て』についてですが、帝国の外れにひとつ、奇妙なダンジョンがあるそうです。まだ生まれたてで、なぜか帝国軍が厳重に保護しているダンジョンが。噂では、それが『果て』に繋がるダンジョンで、帝国はそこで魔導兵器の実験をしているとも、『果て』を保護しているとも言われていました」
メロウムは城壁の端で、こちらを振り返った。
「私も調べましたが、少なくともダンジョン自体は実在するようです。帝都の遥か南、大陸の南岸に、それらしいものが見えました。信じる信じないは貴方がたの自由ですよ」
『果て』に絡む噂は、想像していたよりもずっと具体的なものだった。作り笑いをこちらに向けて、淡々と語るメロウムにいくつか問い正そうと、僕が口を開きかけた時だった。
「ひとつ助言を。強引に侵入して帝国軍を敵に回すより、縁故を頼るのをお勧めしますよ。ロジオンさん。貴方にはもう、伝手があるようですから。それがよりにもよって、あの『国賊』の母というのが、貴方らしいですが」
国賊?なんのことだ。言っている意味が分からず一瞬戸惑った隙に、メロウムはもう、宙に跳んでいた。
「では、私はこれで。またお会いしましょう」
それだけ言い残して、メロウムは真っ逆さまに、帝都の城壁の外へと落ちていった。
「ロージャ、戻りましょう」
城壁の下を見ていた僕に、ルシャが声をかけてきた。メロウムの落ちた先に、彼らしき人影は見当たらなかった。きっと魔導で事なきをえたのだろう。あの男は結局、まだよく分からないままだった。僕に預けたメイスも、そのままにして突如去っていってしまった。訳が分からない。
「……あの人」
僕の横で、僕と同じように城壁の下を覗き込んでいたシエスがつぶやく。
「初めて会った時のロージャと、似てた」
似ている?僕と、メロウムが?
信じられない。でも、シエスはこう見えて、良く人を見ている。
「そんなことないですよ!ロージャはもっと、暖かったですから」
「ん。でも本当に最初だけ、ロージャもあんな眼、してた」
「……私の知らないロージャ、ですか……」
「……今のロージャの方がいい。知らなくても問題ない」
ルシャとシエスの話す声が、なぜだか遠く聞こえた。メロウムが残した『果て』についてのあれこれについて考えるべきなのに、宿に戻るまでの間、僕は自分がメロウムに似ていたというシエスの言葉ばかり思い返していた。
メロウムの、張り付けたような笑みと、あの虚ろな顔。僕はあんな顔をシエスに向けていたのだろうか。
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