第82話 奇遇

 結局その日は、ルシャは自分の部屋に戻らずに、僕と一緒に同じ寝台で寝た。

 隣り合って寝るくらいならルシャも大丈夫のようで、身体はもう震えてはいなかった。服を着て落ち着いたルシャは、共に眠りにつく直前、毛布の中でそっと手を握ってきた。彼女を不安にさせたくなくて、応えるようにして僕が握る手に少しだけ力を込めると、ルシャも握り返してくれる。それに応えて、また僕も握り返す。そんなふうに、寝付けなくて不安な子供のように戯れ付きながら、いつの間にか僕らは眠っていた。




 そうして、朝。まだ弱々しい朝日が顔に差して、目が覚めると、胸のあたりに違和感を覚えた。目の前で穏やかに寝息を立てるルシャと僕の間に、小さな何かがいる。僕とルシャの結んだ手の下を潜り込んで、僕の胸に銀色の何かが、ぴたりとくっついていた。


「シエス?」


 小声で呼びかけてみるも、返事はない。眠っているようだった。いつ潜り込んできたのだろう。

 シエスは何故だか気配を消すのが上手い。出会った頃からそうである気もするし、気配など無いに等しいナシトに師事しているからという気もする。僕だって寝込みを襲われないように気は張っているつもりだけれど、慣れた相手ということもあってか、シエスがこうして潜り込んでくるのを、察知できたことはあまりなかった。


 考えている内に、僕の前ではルシャが目を瞬かせていた。少しして目の焦点が合い、そのまま僕を見つめる。


「おはよう、ルシャ」


 小声で笑いかける。ルシャは安心したように微笑んで、すぐにシエスにも気付いたようだった。眼が優しく笑っている。


「おはようございます。……ふふ。シエスが起きたら、怒られてしまうでしょうか。私が、抜け駆けしてしまいましたから」


 ルシャが小声で、おどけてみせる。昨晩の、身体の芯から凍えるような震えと怯えは、もう欠片もなかった。その様子に安心しつつ、なんと返せばいいかは分からなくて、僕はただ笑って誤魔化した。


「……んぅ」


 シエスが何事かつぶやいて、顔を僕の胸から離した。目が覚めたようだ。


「シエス。おはよう」


「……おはよう」


 目を擦りながら、シエスは僕をぼんやりと見上げている。胸元の『果て』の欠片は、曖昧な色で緩く明滅していた。まだいつもの調子ではなく、寝ぼけているのかもしれない。そう思っていると、案の定、もう一度寝ようとでもするかのように、ぽすりと僕の胸にまた顔を埋めてきた。……こんなに寝起きが悪かったっけ、と思いかけて、遠征の直後で疲れも溜まっているだろうことに思い至った。


「おはようございます。もう起きて、朝食の準備をしないといけない時間ですよ、シエス」


 そんなシエスを、ルシャが後ろから抱き締めた。ルシャに引っ張られる形で、シエスの顔と腕が僕から離れる。


「……ルシャ?」


「はい。私ですよ」


「んぅ。……おはよう」


 シエスはルシャを見上げながら、まだふにゃふにゃとしている。ルシャに対して怒っているような雰囲気はない。自分だけ除け者にされたのが嫌で潜り込んできたのかと思っていたけれど、もしかするとただ僕の傍で眠りたかっただけなのかもしれない。


「さあ。シエス、行きましょう。ロージャの前ではしっかりしたところを見せたいって、言っていたでしょう?」


「……ルシャ。それはロージャに言わないやくそく――」


「い、行きましょう!ほらっ」


 シエスの言葉に急に焦り始めたルシャが、寝台から降りて、シエスの手を引いて部屋を出ていこうとする。シエスはまだ少しだけ眠そうに、引っ張られていく。それを見送りかけて、僕は二人に言っておくべきことがあることを思い出した。


「待って、ルシャ、シエス」


 僕の声にルシャの足がぴたりと止まった。引っ張られていたシエスがつんのめって、ルシャの腕にぶつかる。


「今日は休養の日だけど、よかったら朝食の後、一緒に街へ行ってみない?帝都はまだ、良く見てないから――」


「行く」


 僕を遮って、シエスが答えた。ルシャの腕で鼻でも打ったのか、顔をおさえているものの、声にはいつもより勢いがあった。


「ええ。私も、喜んで」


 ルシャも笑ってそう答えてくれた。


「よかった。じゃあ、朝食にしよう。準備、今日こそは僕も手伝うよ」


 そう言って、僕も寝台から降りた。三人で一緒に部屋から出て、宿の台所を借りるために一階へ降りる。ちゃんとした朝食は久しぶりだから、楽しみだった。


「そういえば、ルシャ。……抜け駆けは、駄目」


「な、なんのことでしょう」


 ようやく完全に目が覚めたらしいシエスが、じとっとした眼でルシャを見ていた。ルシャは明らかに動揺していた。その後、朝食を作っている間ずっと、シエスの鋭い追及とルシャのたどたどしい弁明が続いたところも含めて、いつもの二人だった。

 そして僕は結局、今日も準備を手伝わせてもらえなかった。



 朝食の後で、僕らは三人で宿を出て、まず武具屋に向かうことにした。以前約束した通り、ルシャの鎧を新調するためだ。ちなみに、ガエウスとナシトは朝食の後、すぐに何処かへと消えていった。ガエウスは酒場だろうけど、ナシトは……何処に行ったのだろう。

 ルシャは僕と似た白い鎧を欲しがっているけれど、僕としては正直、もっと目立たない色の鎧を薦めたかった。ルシャが敵を引きつける役割を担うことだって、今後あるとは思う。魔導都市近くの『大空洞』で魔物の群れを相手にした時のように、僕とルシャが同時に最前線に立つことも、増えてくるかもしれない。でもわざわざ目立つ色の鎧を身につけて、普段から必要以上の注意を引く必要はないと思う。

 なので、店までの道を歩きながら、ルシャを説得できはしないかと、望みは薄いながらもそれとなく話を振ってみることにした。


「ルシャ。鎧はやっぱり、白がいいの?」


「……ええ。もちろん、できればでいいのですが。私が目立つことで、戦闘時にロージャの負担を減らせると思います。そこまでおかしな選択ではないと思っているのですが――」


「ルシャ。この間、ロージャの前ではもっと素直になりたいって、言ってた」


「なっ」


 ルシャとは逆側の僕の横をてこてこと歩いていたシエスがつぶやいて、ルシャが素っ頓狂な声をあげた。なんだろう。


「ロージャとお揃いがいいって、言うべき」


「し、シエス!それは秘密――」


「朝のお返し。それに、ロージャももう、分かってる」


 淡々と話すシエスと、顔を赤くして黙ってしまったルシャ。そういえば、シエスは意外に根に持つ性格だったのを思い出した。

 少しの間の後で、ルシャが俯きながら、ぼそりとつぶやいた。もう耳まで赤くなっている。


「…………シエスの言う通りです。本当は……私も二人と同じ色がいい。……それだけ、なんです」


 ルシャはそうつぶやいてからちらと僕を見て、また俯いてしまった。肩を落として、しゅんとしてしまっているような。ふとシエスを見ると、僕の方をじっと見上げていた。

 ……シエスの言う通りだ。僕だって、本当はもう知っている。戦闘時に危険だからとか、それらしい理由をつけて説得しようとはしているけれど、ルシャのしたいこと、欲しいものを、僕はもう全て叶えたいと思っている。まして、ルシャは僕と一緒がいいと思ってくれているなら、僕はそれを嬉しく思いこそすれ、跳ね除けられるはずもなかった。

 シエスにも、もう見透かされているのかな。僕は馬鹿みたいに単純だから。


「分かった。白い鎧を、買いに行こう」


 笑いながら、それだけ返す。この分だと、そのうちシエスにあれこれ買わされてしまいそうだな。


「……はいっ」


 ルシャは僕の言葉に、嬉しそうに答えてくれた。ルシャと笑い合いながら、気を回してくれたシエスの頭をわしゃわしゃと、撫で揺らす。

 シエスは怒るでも喜ぶでもなく、ただ目を細めて、いつもの無表情を少しだけ柔らかくしていた。




 もうすぐ武具屋に着く。ルシャの鎧を見るついでに、僕の手斧も新しいものに買い換えようかな。そんなことを思いながら、最後の曲がり角を曲がって、武具屋の看板が見えた、その時だった。店の前に、見覚えのある色の、外套が見えた。


 瞬間、僕の隣で、ルシャが身を固くした。ダンジョン内で発するのと同じ、警戒の気配。先程までの暖かな雰囲気は、かき消えていた。


 剣呑な気配に反応したのか、外套の男が、振り返る。特徴的な聖装束とフードと、その下に張り付けた笑みが、見える。外套から覗き見える右腕は肘から先が無かった。


「おや。これはこれは。こんなところで、奇遇ですね、ロジオンさん。それに、シェムシャハル。お久しぶりです」


 作ったように笑う声。聖都で僕らを襲い、ルシャの全てを奪おうとした男――聖教の使徒、メロウムがそこにいた。

 以前と微塵も変わらない、無機質な笑みを浮かべて、僕らを見ていた。


「貴方がたも、帝都観光ですか?」


 その明るく冗談めかした声すらも、どうしてか僕らを嘲笑うかのように聞こえた。

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