第79話 買い物

 帝都に帰り着いたのは、ライナの舟でアルコノースと戦って、マナイさんたちと知り合った日から数日後のことだった。


 昼に帝都に着いて、とりあえずは今日と明日を休養に充てることにした。流石に皆の顔に疲労が見える。特にシエスは、まだ僕に怒っているような様子を見せようと頑張っていたものの、最後の方は蓄積した疲れと眠気に負けたのか、歩きながら僕の腕に掴まりつつ、よくうつらうつらとしていた。僕が背負おうとすると断固拒否してきたのは、彼女がまだ怒っているからなのか、それとも仲間としての彼女の矜持だったのか。


 夜にはいつも通り皆で酒場に行くことになっているから、それまで宿で休むのが一番なのだけれど、生憎僕にはやっておくべきことがあった。ギルドで依頼達成の報告と、買い物をしておきたい。


 明日は休日にしたから、シエスとルシャを誘って帝都を歩いてみようと思っている。その前に、二人への贈り物を買って、明日までに機嫌を直してもらえれば、と思っていた。物で機嫌を取ろうという浅はかな考え。でも僕には他に縋れるものもない。

 クルカさんと僕とのやり取りを見てから、ライナの舟からの帰り道、シエスはぶすりと怒っているような、ルシャは怒りつつ不安げな様子でいたから、なんとなくぎくしゃくしてしまっていた。

 流石に帝都に着く頃には二人ともいつも通りに近くなっていたものの、僕はユーリとのことを思い出してしまっている。些細なすれ違いでも僕には怖くて、じっとしていたくない。言葉で分かってもらえないなら、物だって何だって使う。手を尽くして、二人のことが一番大切なんだと分かってもらうつもりだった。……なんとなく、これも二人なりのじゃれつき方で、僕に心から怒っている訳ではないんだろうなとは、分かってはいるのだけれど。


 一旦宿に戻り、荷を置いて皆と別れた。水を浴びてからギルドに行くべきか少し迷って、でも一度気を抜いてしまうと疲れで宿から出られなくなりそうだと思ったので、そのまま宿を出た。

 皆にはギルドに行ってくるとだけ伝えたから、買い物をしてくることはシエスとルシャには気付かれていないはずだ。……宿を出る時、ナシトだけは入り口近くの暗がりからじっとこちらを見て、意味ありげに笑っていたので、もしかすると勘付いているかもしれない。ナシトは思考を覗き見る類の魔導も使えたような気がする。けれど魔素酔いの兆候もないし、そもそもナシトは知っていても何も言わないだろう。



 まずはギルドに向かって、簡単に依頼達成の報告を済ませた。帝都のギルドには王国語を解するギルド員もいるので、達成報告くらいなら僕一人でも問題ない。

 アルコノースのことを目撃しているパーティが僕らとマナイさんたち以外にもいたら、誤魔化すのが面倒になるなと思っていたけれど、幸いあの時は僕ら以外はライナの舟にいなかったようで何も聞かれなかった。何事もなく既定の達成報酬を受け取り、そのまますぐにギルドを出る。嘘をつかずにすんで、ほっと一息ついてしまった。

 ふと思う。あの時、ギルド派遣の監視員もライナの舟にいなかったとすると、アルコノースはあのダンジョンによく現れるという訳でもなかったのだろう。本当に突発的な遭遇だったのかもしれない。神獣と呼ばれるほどの存在が暴走して、そこに居合わせてしまうのも、単に僕の運の悪さが原因なのだろうか。その可能性も十分あるとは思うけれど、神獣を狂わせられるような魔具なんて、僕は知らない。ナシトでさえも初めて見たようだった。

 人の域にない魔。どうしてもあの、無貌の男を思い浮かべてしまう。思い込みで敵を見極めたつもりになるのは悪手だ。全く別の誰かの仕業という可能性だってある。でも、あの男が僕らで遊ぶために神獣を襲って、神獣と戦う僕らをあの男が遠くから笑って眺めていたという妄想が、どうしてか頭に浮かんで離れなかった。

 止めよう。考えたところで答えは出ない。無事に切り抜けられたなら、今はそれでいい。そう思って、ギルドを離れるべく歩き出した。



 それから、ひとりで帝都の街を歩いた。

 空は快晴で、冬の終わりの空気は凍えるほどではなく、吸い込むと適度に冷たくて、街の喧騒の中でも空気が濁らず澄んでいるように思えて快適だった。遠征帰りで少し重く感じていた身体もほんの少しだけ軽くなったような気がする。


 中心部にほど近い商店街を歩きながら、立ち並ぶ店を外から覗き見る。帝国の都だけあって、店の数は王都よりも多く、多種多様の店が道沿いに長く長く続いている。賑やかさも段違いだった。明日二人と歩くのが今から楽しみに思える。シエスはまた楽しそうにきょろきょろするだろうな。ルシャは帝国出身だから、帝国ゆかりの食べ物とか、詳しいかもしれない。そう思って、自然と笑ってしまった。


 二人に何を贈るかはまだ何も決められていない。シエスとルシャが好きな食べ物ならよく知っているのだけれど、食べ物を贈り物とするのは、少なくとも今はなんだかしっくりこなかった。

 お茶の葉を売る店の前で少し止まる。お茶はルシャが好きだ。でも悲しいことに、僕には茶葉の違いなんてあまり分からない。また歩き出して、悩む。

 何を贈っても喜ばれる気はするものの、シエスの首飾りを除けば二人への初めての贈り物だ。できればもう少し形に残るものにしたいと思うのは、僕のわがままだろうか。

 そう思っていると、ふと、雰囲気の良い小さな店に目が止まった。小綺麗な看板が正面にかかっていて、僕には読めない帝国語でおそらく店の名前が書かれている。外から見た限りでは、装飾品のお店、だろうか。周りを見ると、似たような商品を扱う、けれどこの店よりもずっと華美で派手な雰囲気の店が並んでいるのが見えた。僕はいつの間にか、富裕層向けの店が並ぶところまで歩いていたようだった。


 贈り物なら、装飾品がいいかもしれない。二人は普段あまり飾り気もないし、二人とそういう話はあまりしてなかったから、どういうものが好みなのかは分からない。でも間違いなく形には残るし、綺麗に飾るシエスとルシャを見てみたいという気持ちもある。シエスは既に首飾りをしているけれど、違う箇所につける小物なら迷惑にはならないだろう。

 宿で水を浴びてくればよかったな。今僕が見ている小さなお店は、派手な印象はないけれど上品な雰囲気だった。薄汚れた格好で入ってよいものか。……まあ、冒険者の男が身なりを気にしてもしょうがないか。


 扉を引く。ちりんと静かに鈴の音がした。

 中は広くなかった。先客がいたようで、店主らしき人が妙齢の女性に応対していた。僕はとりあえず中に入って、飾られている首飾りや指輪、髪飾りを見ながら、店主が空くのを待つことにした。


 店内には品の良い装飾品が並んでいた。質素な作りで決して派手ではなく、色合いも落ち着いていて目立ちすぎることもなく、でも不思議と静かに存在感を放っているような。店主の趣味だろうか。店主をちらと見ると、初老の男性で、いかにも人の良さそうな柔らかい雰囲気の人だった。僕はあっという間に、この店と装飾品の穏やかさを気に入ってしまっていた。

 改めて商品を見ると、値札のついていないものが多い。おそらくは店主と少し交渉することになるだろう。手持ちのお金で足りるか不安だな、とそこまで考えて、自分がひとりであることを今更ながらに思い出した。思わずため息が漏れる。僕ひとりで帝国語で交渉なんて、できるはずもない。帝国語を簡単に解説した本も、今は宿に置いたままだった。

 買い物くらいなら大丈夫だろうと思っていたけれど、高価なものなんてしばらく買ってなかったから、値段の交渉が必要になることなんてすっかり忘れていた。どうしたものか。……ルシャに頼る訳にもいかないから、一旦帰って本を持ってくるしかないか。



「そこのお兄さん。何か、お困りですか」


 内心落ち込みながら店を出ようとして、扉に向かった時、後ろから声をかけられた。不意の王国語に驚いて振り向くと、店主と話し込んでいたはずの先客の女性が僕を見ていた。落ち着いた空気を纏っていて、この店の雰囲気とよく合う貴婦人。


「……綺麗な赤毛だったから、もしかして王国の方かと思っていたのだけれど、正解のようね。よかった」


 そう言って僕の方に歩み寄って、微笑んだ。綺麗な人だなと思った。

 ガエウスよりも年上なことは分かるものの、笑うと子どものような雰囲気もあって、彼女がいくつなのか分からない。


「ええ。実は、贈り物を探しているのですが、恥ずかしながら帝国語が分かりませんので、どうやって値段の話などしたものかと、悩んでいました」


 僕は正直に答えた。言葉にすると自分がいっそう間抜けなように思えて、思わず頭を掻いてしまう。


「まあ。……恋人のため、ですか?」


「ええ。ですが、彼女たちがどんなものが好きかも分からないので、本当に足の赴くまま、入ってきてしまって」


「彼女たち?」


 しまった。正直に答えていたら、いらないことまで口走ってしまっていた。

 恋人が複数いるなんて、聖教の教えからすれば誠実ではない。高貴な身分の王侯貴族やほぼ無法者の冒険者にとってはそこまで珍しいことでもないけれど、堂々と自慢できるようなことでもない。もしこの女性が敬虔な聖教の信徒なら、それだけで不信を抱かれてもおかしくない。

 だけど今更はぐらかすのは無理だ。シエスもルシャも大切なことには変わりない。そこに嘘はつきたくない。腹を括って、正直に答える。


「……はい。僕には何より大切な恋人が、二人います」


「そう。…………似ていると思っていたら、そんなところまで、ね。……今日手放せなかったのも、運命というものかしら」


 女性は僕の答えに、表情から微笑みを消して、遠い目をしていた。似ている?何の話だろう。

 なんと答えればいいのか分からず困惑していると、目の前で彼女はまた先程のように微笑んでいた。


「お手伝いしてもよいかしら。ここの店主、良い人だけれど意外に貪欲だから、気を付けないとぼったくられてしまうわ」


 酷評されている店主は、王国語が分からないようできょとんとした様子でこちらを見ている。


「そんな。わざわざ、悪いですよ」


「おばさんのお節介は、不要かしら?やっぱり、若い娘じゃないと駄目?」


 そう言って、いたずらっぽく笑って僕を見上げる。正直に言えば、大助かりだ。彼女がどうして僕に興味を持ったのかは分からない。でも彼女に面倒そうな雰囲気もないので、ここは素直に厚意を受けることにした。


「……ありがとうございます。では少しだけ、ご一緒して頂けますか」


「まあ、若いのに随分固いのね。気にしないで。敬語も要らないのよ?」


 じっくり見ていきましょう、と笑う彼女は本当に若々しく見えて、落ち着いているのか活発なのか、僕にはよく分からなくなっていた。



 それからしばらく、彼女と二人で装飾品を見て回った。彼女は宝飾の類に詳しく、シエスとルシャの髪色や肌色、性格や好む服装を僕から聞いて、二人に合うものをあれこれと見繕ってくれた。選んでいる最中の彼女は楽しげで、小さな店の中をあちらこちらに駆け回って、宝飾を見比べていた。顔馴染みらしい店主すらも彼女の様子に目を白黒させていたので、普段より明るく楽しげなのかもしれない。どうして彼女が僕といて嬉しいのかは、全く分からない。でも僕の傍で誰かが楽しんでくれるのを見るのは、心地良かった。

 彼女の、柔らかい物腰と口調。流暢な王国語と所々優雅な立ち振る舞い。きっと帝国の貴族の出なのだろう。ただ、無意識なのだろうか、常に重心がぶれない歩き方をしているのが少し奇妙だった。値段交渉の際の店主への視線も威の込もった鋭いもので、店主は彼女に詰められたのか、苦笑しながら帝国語で弱々しく何事かつぶやいていた。もしかすると何かしらの武術の心得もあるのかもしれない。不思議な人だ。



 しばらく後、シエスとルシャにぴったりな装飾を買って、二人で店を出た。それなりに長い時間をかけて選んでしまったようで、外はもう夕方になっていた。


「あら。少し気合いを入れすぎてしまったかしら。ごめんなさいね」


「いえ。おかげでとても良いものを買えました。ひとりではどうなっていたことか。本当にありがとうございました」


 赤く染まりつつある空を見上げながら謝ってきた彼女に、僕は礼を言った。

 彼女はくるりと振り返って、また楽しげに笑った。


「こちらこそ、ありがとう。楽しかったわ。ごく普通の時間を心から楽しめたのは、本当に久しぶり。あなたのおかげね」


「……?ああ、そういえば名乗るのをすっかり忘れていました。僕はロジオンと言います。冒険者をしています。貴方のお名前は――」


「ロジオン。良い名ね。……私の名前は、知らなくてもいいのよ。私はもう終わった人間だから。もし、また会うことがあれば、その時は教えてあげるわね」


 そう言って彼女は、僕の宿の方とは逆方向、貴族たちの住居が集まる方へと歩き出した。数歩歩いて、また僕を振り向いた。


「ロジオン。恋人が二人いても、私は良いと思うわ。二人とも大切なら、二人とも傍で、抱き締めてあげなさい。あなたなら、きっと幸せにできる。そんな気がするの。でもね」


 彼女は言葉を切った。夕日を背負う彼女の表情は見えない。けれど声の調子はひどく冷たかった。買い物の時の楽しげな様子は消え失せていた。


「大切な相手が増えるほど幸せになるけれど、守るのは難しくなって。守りきれないから、最後には結局、喪う哀しみが増えるのよ。そのことだけは、忘れずにいなさい」



 それだけ言って、彼女は歩き去っていった。

 彼女の言葉はあまりにも唐突で、意味を飲み込みきれなかった。それでも、彼女が何か、僕には想像もつかないような哀しみを背負っていることは、想像できた。

 彼女は、守りきれなかったのだろうか。だから、僕の手には余るものを守ろうとしている僕を、放ってはおけなかったのだろうか。分からない。僕がシエスとルシャ、仲間たちを喪ったら。僕も彼女のような絶望に呑まれるのだろうか。今はまだ何も分からない。


 だけど、彼女とはまた会える気がしていた。会えたら、あの言葉の意味を聞いてみたい。

 そう思いながら、夕日の中に消えていく彼女の背から、僕はしばらく目を離せなかった。

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