第78話 詩と良酒

 それからすぐにアルコノースは何処かへと飛び去っていった。名残惜しそうなシエスから逃げるようにそそくさと飛んでいったように見えたのは、たぶん僕の思い込みだろう。


 神獣と別れてから、僕らはそもそもの依頼対象だったライノブィクの遺骸から角やら耳やらを切り取って、すぐに帰り支度を始めた。

 アルコノースの一撃で群れごと吹き飛んでいたのか、相当な数の遺骸がそこかしこに転がっていたので、依頼自体は問題無く達成できそうだ。今からまた牛の魔物の群れを探し始める気力は流石に無かったので好都合だった。


 帰途について、皆と並んで歩きながら考える。

 アルコノースのことは、ギルドに報告する必要はあるだろうか。少し迷う。別に後ろめたいことがある訳ではないものの、帝国に神獣が出たなどと報告すれば色々と面倒な人たちから注目されて、時間を取られてしまうかもしれない。軍が出てきたりすれば相当に厄介なことになるだろう。帝国軍が神獣という摩訶不思議な存在に関心を持っているかは知らないが、特徴や戦闘時の状況を説明しろだとか、遭遇した現場に連れて行けだとか言われたりすれば、かなりの時間を奪われてしまうことは簡単に想像できた。僕らは慣れない地である帝国にいて、トスラフさんやヴィドゥヌス校長のような僕らに好意的な権力者と伝手がある訳でもない。誰かが守ってくれるはずもない。

 ガエウスに注意されたように、焦りすぎるのも良くないとは思う。『果て』はまだ遠い。シエスだってまだ元気だ。でも目に見えている厄介事に自分から飛び込んでいくのは避けるべきだろう。

 アルコノースの羽根は、人目につかないようにすればいい。冒険者がダンジョンで見つけたものは、依頼関連のもの以外は見つけた冒険者のものだから、僕らが持っていること自体には問題は無い。羽根は大きいから隠すのも一苦労だけど、隠すとか隠れるとかはナシトの得意分野なのでなんとかしてくれるはずだ。

 問題は、アルコノースを目撃したパーティとどう口裏を合わせるか、だろう。僕はあのパーティの特徴を何も把握できていない。そもそも帝都で見つけ出せるだろうか。もし彼らが帝都を拠点にしていなかったら、また会うのはかなり難しいかもしれない。どうしたものかな。そう思っている時だった。



「おい。前の方になんか隠れてるぜ。気配は隠してねえみたいだが」


 ガエウスの声だった。

 思考を中断して前に意識を向ける。ライナの舟を下るための道近くの茂みに、人のものらしき気配があった。

 近付くと、茂みからひょこりと顔がでてきた。女の子。溌剌とした声で何かを言っている。帝国語だから分からない。声の向きから察するに、仲間に何か呼びかけているような。


「ルシャ、なんて言ってるか分かる?」


「仲間、リーダーを呼んでいるようです。避難してもらっていたパーティが、ここで待機していたみたいですね」


 ルシャと話していると、一人の青年が茂みの中から勢い良く飛び出して、そのまま僕らに走り寄ってきた。軽装で、背には弓が見える。彼がこのパーティのリーダーのようだ。顔は笑みに満ちていて、眼は爛々と輝いている。


「君たちっ、無事だったんだな!ありがとうっ!君たちのおかげで、命を拾うことができた!この恩、どうやって返したものかっ」


 彼から流暢な王国語が聞こえてきて、少し驚いた。彼は、彼の勢いに面食らって止まっていた僕の手をがしりと握り、ぶんぶんと振る。その間も笑顔は絶やさない。何というか、元気な人だな。僕よりは年上に見えるけれど、少年のような明るさだった。


「そんな、大仰な。皆さん無事に退避できていたようで、良かったです」


「ああ!君たちがいなければ間違いなく死んでいたよっ!まさかあんな化物が出てくるとは。それでもこうして生きている、私の豪運も捨てたものではないなっ!」


 そう言って、大口を開けて笑う。すごく元気だ。こちらまで明るくなれそうな、気持ちの良い快活さだった。


 気が付くと、彼の横には小柄な女の子が並んでいた。ローブを着て、杖を握っている。たぶん僕が受け止めた魔導師だろう。僕の顔あたりをじっと見上げている。彼女に目を向けると、ふいと目を背けられてしまった。横を向きながら、帝国語で何かをつぶやいた。


「おお、私としたことが名乗るのを忘れていた。私はマナイ。パーティ『詩と良酒』を率いている。こちらはクルカ。妹だ。あと二人いるが、食料が心許なくてな。狩りに出てもらっている」


 そう言って、一旦離していた手を改めて、ずいと僕へ伸ばしてきた。僕はそれを取りながら答える。


「ロジオンと言います。僕らは『守り手』というパーティで、つい先日王国からこちらへ拠点を移してきたところです」


「王国語が聞こえてきたからもしやと思っていたが、やはり王国の方々だったか。逃げながらちらと見ただけだが、あれだけの化物に一切劣らぬ戦いぶり!さぞ高名な冒険者に違いない。恥ずかしながら、王国のパーティは世に名高い『蒼の旅団』しか知らないが」


「そんなことは。僕も第五等冒険者で、ごく普通の冒険者ですよ」


 僕の言葉を聞いて、マナイさんは眼をひん剥いた。もともと眼が大きいのに、見開くとなんというか、圧力すら感じる。


「そんな馬鹿なっ!王国は、等級の基準でも違うのかっ!私なぞ、そちらの内の誰に助けられたのかも分からず、気が付けば誰かに掴み上げられて運ばれて、あの大鳥から遠く離れた所にいた!狩人たる私があれほど容易に背を取られるとはっ」


 なぜだかマナイさんが熱くなり始めた。どうしよう。

 隣にいる妹さんからは先程からちらちらと視線を向けられていて、気になる。兄妹の不思議さに戸惑っていると、後ろから声がした。


「がら空きだったぞ、背中。狩人なら死角なんて作んじゃねえよ」


 ガエウスだった。マナイさんは、彼がきちんと助けてくれていたようだ。


「ああ、ガエウスは特別です。彼は第二等ですが、面倒事が嫌いで僕にリーダーを押し付けているので」


「んだァ?別に俺が率いてもいいが、それだと休み無しで連日ダンジョン巡りになるって、てめえが嫌がったんじゃねえか」


「それは私もやだ」


「嬢ちゃんは黙ってろっ」


 マナイさんたちの前だというのに、ガエウスとシエスがいつものようにぎゃあぎゃあと言い合いを始めてしまった。

 流石に初対面の相手を無視するのはまずい。同じ思いなのか、僕の横でルシャもわたわたとし始めていた。思わずマナイさんに謝ろうとして、そこでようやく、マナイさんが黙りこくっていたことに気付いた。


「……ガエウス。もしや、ガエウス・ロートリウスか。王国十四士の、生き残りの」


 少しの間の後で聞こえたマナイさんの声は幾分低くなっていた。表情からも笑みが消えて、真剣なものになっている。心なしか、身体が震えているような。


「……その呼び名は好きじゃねえな」


 ガエウスからも、ふざけた調子が消えている。

 ……雰囲気がおかしい。帝国では、ガエウスの名は王国においてよりも重い意味を持つのかもしれない。『大戦』でガエウスは英雄になったと聞いた。それはすなわち、彼が帝国に多くの死をもたらしたということで、ガエウスは帝国で未だ憎まれて――


 嫌な連想が頭の中に広がって、けれど響いたマナイさんの声が、それをかき消した。


「おおおっ!なんという幸運っ!!まさかこんなところで、憧れの、心の師に会えるとはっ!ガエウス様!ぜひ弓師のあり方について、ご教授賜りたく――」


「おいロージャ、逃げるぞ」


「ああっ、お待ちください!せめて帝都への帰り道だけでもご一緒させて――」


「うざってえ!ロージャ、先行くから早く来いよっ!そいつら連れてきたらキレっからな!」


 感激したようなマナイさんに手を握られそうになって、ガエウスはまさしく風のようにその場から消えた。遥か前方から僕らに叫んで、そのまま道を下っていく。

 僕はそれを見て、呆れ半分、安心半分のため息をついてしまった。良かった。少なくとも、マナイさんはガエウスに悪感情など抱いてはいないようだった。

 けれど、迂闊だった。ガエウスは帝国を相手に、『大戦』で何を為したのか。早い内にそれを確かめておくべきだろう。彼が帝国で本当の意味での悪名を轟かせていて、恨みを持たれていてもおかしくない。『大戦』は二十年近く前の戦争だし、思い出してみると、帝都のギルドで敵意を集めていた様子はなかったから、顔が周知されているほど有名ではないのかもしれない。それでも放置しておくには危険すぎる。


「……ガエウスを、ご存知なのですか?悪名でなければ、いいのですが」


 とりあえず、マナイさんにも聞いてみる。マナイさんはしばしガエウスの去った方を見て、それから僕を振り返った。


「ああ。弓を扱う冒険者で、彼を知らぬ者はいないさ。王国一、いや帝国含めても並ぶ者のいない技巧と疾さ。神の眼、死の弓。決して一所に留まらぬ冒険狂い。……確かに、王国の英雄として帝国では良く思わぬ者もいると聞くが、私とクルカは大昔に帝国に征服された族の出でな。帝国を好いている訳でもない。彼の技に憧れこそすれ恨みなど、ありえぬさ」


 マナイさんは丁寧に答えてくれた。また僕が分かりやすく、不安げな顔をしていたのだろう。さっぱりした性格もあいまって、勝手に好感を抱いてしまう。


「ああ、それにしても、何という僥倖。命を拾うだけでなく、師にまで巡り合うとは!……帰り道も同行させてもらいたいところだが、また帝都で直接、正式に願い出るのが筋というものだろう」


 そう言って、マナイさんは道を開けた。


「我らは少し待ってここを発つ。また帝都で会おう。改めて、命を救ってくれたこと、礼を言う。この恩はいずれ必ず」


「ええ。今度は共に、ダンジョンに潜りましょう。それとひとつだけ、あの大鳥のことは、ギルドに言わないでおいてくれますか?」


「……理由を聞きたいところだが、命の恩人がそう言うなら、決して言わんさ。また会った時に聞かせてくれ。ダンジョン、楽しみにしている」


 マナイさんは本当に楽しげに笑った。僕も笑って、前に歩き出そうとする。


「…………」


 けれど僕の前に魔導師の女の子が立ちはだかった。たしか、クルカさんといったっけ。僕を見上げて、僕とマナイさんの顔を交互に見ながら、何か言おうとして言い出せない、もどかしげな表情をしている。


「だからあれほど、良く学んでおけと言ったのだ。……、だ」


「…………あり、ガトう」


 クルカさんは弱々しい声でそれだけ絞り出して、僕の前から逃げるように駆け出して、あっという間にマナイさんの背に隠れた。


「なんだ、いつになく女々しいな。……さては、惚れたか?命を救われた男に!」


 マナイさんは大声で笑い出した。

 王国語で話しているので、彼の言葉はクルカさんには通じていないだろう。ただ、背から僅かに見えるその顔は明らかに赤かった。


 なんとなく、居心地が悪い。少し無理矢理に改めて別れを告げて、気を取り直して前に歩き出す。するとすぐに隣から同時に、シエスとルシャが距離を詰めて、僕の腕を取った。両隣から身体を押し付けられる。触れる身体は温かかったけれど、二人の雰囲気は少しばかり刺々しかった。嫌な予感がする。


「…………ロージャのばか」


「急に、どうしたの」


「さっき、にやけてた。ばか」


 シエスはあからさまに頬を膨らませている。いや、にやけてなんかいない。誤解だ。僕はただ普通に笑っていただけだ。下心なんてあるはずもない。僕はあの娘を助けただけじゃないか。僕が悪いのか。それで怒られるなんて、僕はどうすればいいんだ。


「ロージャ。……貴方が慕われるのは、良く分かるのですが。私たち二人をこうして捕えておいて、まだ足りないとでもいうのですか」


「そんなこと、あるわけ――」


「貴方に振り向いてもらうのに、私たちがどれだけ気を揉んだと思っているのですか!もう私たち以外は、許しませんからねっ」


「ゆるさないっ」


 そう言って二人は、ほとんど同時に僕の腕を少し強く握って、身体を擦り付けた。強くといってもどこか優しいのが二人らしくて可笑しかった。でもルシャもシエスもむっつりとしていて、二人の前で笑う訳にもいかない。困ったな。

 答えに窮して、ナシトに助けを求めようと首だけで後ろを振り返ると、彼はいなかった。目で探すと、少し離れた茂みの陰で何かを生け捕りにしているナシトが見えた。食料確保は有り難いけれど、今は僕を助けてほしかった。



 それからの道中、何を言っても二人、特にシエスはぶうたれたままだった。

 僕がシエスとルシャ以外をそういう相手として見ることなんてもう無いと誓って言えるし、実際に二人にはそう言ったのに、二人とも一瞬嬉しそうにするもののすぐにまたむすりとしてしまっていた。女の子は相変わらず、よく分からない。ユーリも昔、たまにこんなふうになっていたなとぼんやり考えていたら、二人にひどく睨まれてしまった。勘が鋭すぎる。

 帝都に帰っても不機嫌なままだったらどうしよう。……何か贈り物でもして、機嫌を取るしかないか。



 そんなことで悩めるほど、アルコノースとの戦いが嘘のように、平和な帰り道だった。

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