第80話 苦悩
その夜僕らは五人で、酒場に出かけた。いつものように依頼の達成と無事に戻れたことを祝うためだ。
酒場に着いて、五人でほどよい大きさの円卓を囲む。注文した酒を受け取るとすぐに、冒険者と帝都の住民が入り混じり賑やかな喧騒の中でガエウスが立ち上がった。
「よし。今日は俺が乾杯するぜ」
「……ロージャじゃないの?」
「今回の冒険の一番手柄は俺だろ。だから今日は俺の仕切りだ」
「ガエウスは最後に飛んだだけ」
「うるせえっ、最後にきっちり決めた奴がいちばん偉いんだよっ」
乾杯前からガエウスとシエスがぎゃあぎゃあと言い合い始めてしまった。ルシャは二人を見て呆れているのか楽しんでいるのか、少しだけ笑っている。ナシトはもう料理に手をつけていた。
シエスとルシャはもういつも通りだ。贈り物も、別に必要ないのかもしれない。でもあの、名前も知らない女性のおかげで良いものを買えた。機嫌ももう関係なく、ただ二人に身に着けてほしいと思える贈り物。この会の後にでも渡せればいいな。
「おいロージャ、なにぼさっとしてんだ。杯を持てよ」
声をかけられてガエウスを見ると、既に皆杯を掲げて、ガエウスの音頭を待っていた。
「ああ、ごめん」
すぐに酒が並々注がれたジョッキを持ち上げる。ガエウスがにやりと笑った。
「……雲の上のダンジョンは思ったより普通だったが、初めて見る馬鹿でけえ鳥に襲われた。中々の化物だったな。次に暴れてるとこに出くわしたら、ぶっ殺してやるが」
「ふ、不敬ですよ……」
「まあ、いい冒険だったんじゃねえか?スリルはあった。次もこうなることを祈るぜ。……おら、杯を挙げろっ!次の冒険と、次に会う敵に!乾杯っ!」
ガエウスの変な口上に皆苦笑しながら、彼に続いて乾杯を告げて、互いの杯をぶつける。硬い音が響いた。一気に半分ほどを呑み干す。
「おいロージャ、なに日和ってんだ!呑み干せよっ」
空になったジョッキを卓に叩きつけて満面の笑みを浮かべながら、ガエウスが僕を囃し立てる。
「やめてくれよ。飲みすぎると、魔導都市の時みたいにまた二人に怒られる」
「ん。ガエウスに付き合うのは、駄目」
シエスは乾杯前こそ僕の隣の席に座っていたが、乾杯が済むとそそくさと席を立って、さも当然かのように僕の膝の上に座ろうとしていた。
「ロージャ。前、少し空けて」
「ああ。……はい」
「ありがとう」
シエスは僕の上に座ると、頭を僕の胸に預けながら、両手で杯を持って果実水をちびちびと飲み始めた。慣れた様子だ。僕自身も、シエス越しに料理を食べるのも酒を飲むのももう慣れてしまっていて、目の前にシエスがいるとなんだか安心するようになってしまった気さえする。
「んだァ?もう尻に敷かれてんのか。変わんねえな、お前は」
ガエウスは器用に片目だけ見開いて、呆れたような顔をしている。ユーリのことを言っているのだろうか。彼女にも尻に敷かれていたつもりはないのだけれど。
そう思っていると、シエスがこちらを振り返っていた。なぜだかむくれている。このところシエスはむくれっぱなしだな。
「……ユーリにも、こうしてたの?」
一瞬、固まってしまった。何かがおかしい。じとっとした眼で僕を見るシエスを見ながら少し考えて、彼女が言葉の意味を勘違いしていることに気付いた。思わず吹き出してしまう。
「……?」
「……シエス。尻に敷くというのは一般に、妻が夫を従えて、言うことを聞かせるという意味ですよ」
ルシャも笑っていた。ガエウスもにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。シエスは一瞬きょとんとして、けれどすぐに気付いたのかみるみるうちに顔を赤くしていた。耳まで赤い。
シエスは賢い娘だからあまりこうした勘違いはしない。でも今のは王国語の独特な言い回しだから、ずっと独りだったシエスが知らないのも無理はない。ただ、慌てるシエスを見るのは新鮮で面白かった。
「……わらわないで」
「ああ、ごめんごめん。馬鹿にしてる訳じゃないんだ。シエスの様子が、可愛らしくて」
「……ばか」
「俺は馬鹿にしてるぜ、シエス!お前もまだまだお子さまってこと――」
ガエウスの煽る声に、シエスがすんと無表情になって、卓に立てかけた杖を取ろうとおもむろに腕を伸ばしたので、慌てて両手でシエスの肩を押さえた。
「離して」
「こんなところで魔導なんて、使うふりでも駄目だよ。酒場は皆が羽を伸ばすところなんだから」
シエスは杖無しでも魔導を使えるから、彼女だって本気で魔導を放つつもりはないはずだ。ガエウスを脅したいだけだろう。それでも変に騒ぐのは駄目だ。
「……魔導を放つには、心を乱しすぎだ」
予想外の声がした。声の方、乾杯からずっと黙々と料理を食べていたナシトを見ると、彼はじっとシエスを見ていた。落ち着いているなら酒場でも魔導を放って良いかのような言い草なのは、気のせいだろうか。
シエスは先生の言葉に響くものがあったのか、少し俯いて、しゅんとしてしまった。落ち込ませたい訳じゃない。今度は僕が慌ててしまった。横を見るとルシャもわたわたとしている。
「シエスは悪くないよ。今悪いのはガエウスだ」
「そ、そうですよ、シエス。人を馬鹿と言うガエウスがいちばん馬鹿なのです」
二人で責任をガエウスになすりつけつつ、シエスの頭を撫でる。撫でているとシエスからだんだんと力が抜けていった。耳の色も元に戻っている。大丈夫かな。
「今日は俺の勝ちってとこだな。シエス、お前はもっと言葉を勉強してから、この俺に――」
「おお!その声はもしやっ!ガエウス様ではございませんかっ」
二十近く歳が離れているはずの女の子に勝ち誇ろうとしたガエウスを遮るように、聞き覚えのある声が響く。
「まさかこうしてまたすぐ、出会えるとは!私たちの出会いは必然だったということでしょうな!」
ガエウスと同じくらい喧しい声量を放ちながら、ずんずんとマナイさんが歩いてきていた。ニヤついていたガエウスが一瞬でげんなりとする。
「ロージャ、てめえ、あいつに居場所教えたんじゃねえだろうな」
「そんな訳無いだろ。偶然だよ」
「んだよクソっ、不運なのはお前で、俺じゃあねえはずだろっ」
そんなことを言われても。でも、ガエウスとマナイさんの大声と、何よりガエウスの名前で、酒場の他の客からも僕らの方に注目が集まってしまっていた。少し居心地が悪い。
マナイさんは僕らの座る卓まで歩み寄って、止まった。
「ああ、ロジオンくんもいたか。ライナの舟では本当に世話になった。パーティでの宴会、邪魔してしまったか」
「いえ。そちらも無事に戻れたようで、良かったです。邪魔ということはないですが……」
立ち上がって、マナイさんと握手を交わす。その背に隠れるようにしながら、杖を持った女の子がじっとこちらを見ていた。たしか、クルカさんだったか。
クルカさんの存在に僕が気付くのとほぼ同時に、なぜかシエスとルシャも立ち上がって、僕の両腕を取って、両隣を固めた。まさか、こういう偶然の遭遇も駄目なのか。怖くて二人の顔を見れない。マナイさんが少し気圧されているところを見ると、たぶん二人とも穏やかな雰囲気ではないのだろう。なんだか、親猫に守られる子猫にでもなったような気分だった。
マナイさんたちは今のところ、僕らにとって唯一親交のあるパーティだ。この機会に一緒に飲んで、親睦を深めても損は無いだろうと思っていたけれど、シエスとルシャはまだやたらとクルカさんを警戒している。そんな今、一緒に飲んで強引に打ち解けようとするのは相当に悪手かもしれない。どうする。
それからの数瞬で、僕はたぶん戦闘時よりも必死に頭を働かせて、すぐに次善の手を閃いた。頭の片隅で、これはもう、完全に二人から尻に敷かれているんじゃないかと、自分を可笑しく思いながら。
「実はちょうど、ガエウスがマナイさんとじっくり話したいと言っていたところでして」
「!?……おいロージャ、てめえなにを――」
「なんと!なんと有り難き幸せか!であれば私と、こちらで弓について、熱く語り合いましょうっ!」
「んなもん、お断り――」
「ガエウス様は相当な酒豪とお聞きしました。かくいう私も一族きっての大酒飲みでしてな。今日は是非、飲み比べを……」
「ああ?…………面白えじゃねえか。そうだな……俺に酒で勝てたら、弓の件、少し考えてやるよ。まずは酒だっ!てめえのおごりだぞっ!」
「おお、これは面白い!今の言葉、忘れぬよう!それではロジオンくん、また!」
なんだかんだ言いつつ乗り気になっているガエウスを連れて、マナイさんは意気揚々と酒場の奥へと消えていった。クルカさんはこちらをじっと見ていたけれど、兄に首根っこを掴まれているらしく、引きずられるようにして彼女も見えなくなった。
息を吐く。なんとかなった。ガエウスには悪いが、注目を集めてしまった彼が離れていったから、僕らを見る目も減らすことができた。
でも、帝国で今のところ唯一の知人で、気も良さそうなマナイさんたちと今後もこれ以上仲良くなれないのは、あまり良い状況とは言えないだろう。二人に一言くらいは、言っておく必要がある。
「二人とも。マナイさんたちはたぶん、良い人たちだよ。クルカさんのこと、僕は何とも思っていないし、パーティとして仲良くすることくらい良いんじゃないかな」
少しだけ声に力を込めて話す。
「……馬鹿なことをしているとは、分かっては、いるのですが。……ロージャは誰も彼も強引に救ってしまいますから」
「そう。嫌と言っても、助けにくる。かっこいいから、皆好きになる。……それは嫌」
そう言われても。誰彼構わず守っているつもりはない。シエスだってルシャだって、二人がまず僕を救ってくれたから、二人を助けたいと思ったんだ。
誰も悪くないはずなのに、どうしてかまた、気まずい空気になる。
「……冷めるぞ」
ぼそりとナシトの声が聞こえた。ひとり黙々と料理に向かっている。たしかに彼の言う通りだ。今は無事に戻ってこれたことを祝う時間であって、あれこれ考えるのはまた後でいい。半ば無理矢理にそう思って頭を切り替える。幸い、二人も同じように思ってくれたようだった。
それから、シエスとルシャとナシトと、四人で他愛もない話をしながら、時々遠くから聞こえてくるガエウスの酔った叫び声に笑いながら、夜は更けていった。
旅の疲れからか卓に伏して眠ってしまったシエスを背負って、四人で宿に帰った。ガエウスはたぶんまだ酒場で飲んでいるだろう。
シエスは寝入っていて、静かな寝息が心地良さそうだった。部屋の寝台にそっと寝かせて、シエスの部屋を出る。
僕も自分の部屋に戻る。もうだいぶ遅いはずだ。シエスは寝てしまったし、贈り物はまた明日かな。明日一緒に街を歩く前に渡しておこうと思っていたけれど、僕の計画なんて大概上手くいかないものだから、特に動揺もない。
寝る支度を始める。上着を脱ごうとした時だった。
「ロージャ。……少し、いいですか」
ルシャの声だった。
「もちろん。入って」
僕の声に、ルシャが部屋の扉を開ける。彼女はもう部屋着に着替えていて、以前僕が過去を打ち明けた時のことを思い出して、少しだけ緊張してしまう。
「夜分に、すみません」
「気にしないで。どうしたの」
ルシャはどこにも座らず、僕の前に立っている。何か思い詰めた顔をしていて、僕はライナの舟で彼女とした約束のことを思い出した。
「もしかして、何か悩みについて、かな」
「……ええ」
ルシャの表情は変わらない。どんな悩みなのだろう。真剣に向き合おうと思いつつ、僕はどうしても、ルシャから来てくれたことが嬉しく思えてしまって、集中しきれていなかった。
「大したことではないのです。……そこで、少しの間じっとしていてくれませんか」
「?……分かった」
ルシャの言う通り、ただ立ちつくす。すると僕の目の前でルシャは腕を背に回した。服の留め具が外れた音が小さく聞こえた。服が落ちて、上半身が露わになる。
「る、ルシャ!?」
僕の戸惑った声にルシャは何も答えず、ただ服を脱いでいく。衣擦れの音がやたらと大きく聞こえる。ルシャはすぐに全てを脱いでしまって、一糸纏わぬ姿になった。僕はどうしていいのか分からず、思わず目を背けてしまっていた。
「ロージャ。こちらを、見てください」
「でも」
「……ふふ。私は貴方の恋人なのですから、ね」
ルシャの言う通りではある。彼女は僕の恋人で、僕が彼女の裸を見ても、何もおかしくはない。でもなぜか緊張してしまう。数瞬躊躇ってから意を決して、彼女と向き合う。
ルシャはやっぱり、綺麗だった。
「……綺麗だ」
「っ、ありがとうございます」
僕が惚けたように彼女を見つめていると、ルシャは静かに僕に近付いてきた。僕の正面に立って、僕の頬に触れた。露わになった胸を僕の胸に押し付けて、それから両の腕を僕の首に回す。身体を、僕に擦り付ける。
それからルシャはすっと背伸びをした。ルシャの顔が近付いてきて、綺麗な琥珀色の眼が、閉じる。表情は少しだけ強張って見えた。
そしてルシャは僕に一瞬だけ、口付けた。本当に一瞬で、唇はすぐに離れた。
僕は突然のことに、何も言えない。言えないのだけど、まだ何も言うべきではない気もした。
「……よかった。口付けは、できた」
「……ルシャ?」
ルシャは何も答えてくれない。そのまま彼女は僕を身体ごと押す。踏ん張れば簡単に耐えられる力に、僕は抗わなかった。そのまま二人で、寝台に倒れ込む。
寝台で、ルシャが僕の上で、僕の服に手をかけていた。彼女と目が合う。
その眼に情欲は無くて、思い詰めた光だけがあった。そしてその身体は、不自然なほどに震えていた。
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