第73話 焦り

 それから僕らは予定通り、夕方頃に帝都に辿り着くことができた。

 門の前で手続きを終えて、王都と同じくらい高く大きな主門をくぐる。門を抜けると、帝都の街並みが目の前に広がった。


「……すごい」


 隣でシエスのつぶやく声が聞こえる。そうか、シエスは城都市と魔導都市以外の街をちゃんと見るのは初めてか。聖都にも来ていたけれど、あの時は僕と会うことで頭がいっぱいだっただろうし。

 僕も街を見る。帝都の街並みはなんとなく、無骨な雰囲気だった。家々は外からの見た目がどれも似ていて、どれも背が高い。一軒家にしては大きすぎるから、たぶんいくつかの家族が同じ建物の中に住んでいるのだろう。王都の建築とは用途から雰囲気まで何もかも違っていて、面白い。教会の数も少ないようで、特に聖都と比べると、この国にも聖教が布教されているとは思えないほどに聖教の色が無かった。


 シエスはきょろきょろとあちこちを見回した後、道の奥に何か興味を惹かれたのか、じっと前を見つめ始めた。

 なんだろうと思っていると、シエスとは逆の隣から声がした。


「ロージャ。道の奥に市場があるようです。宿に行く前に少し、シエスと寄ってみてもいいですか?」


 ルシャだった。彼女の声に合わせるように、シエスも僕を見上げていた。無表情に近いけれど、眼を少し大きく見開いていて、力強い視線を感じる。これは、期待している時の眼。

 一瞬、シエスの安全が気になったものの、流石に帝都のど真ん中で何かが起きるとは考えにくい。人の集まる市場なら、軍あたりも警備に当たっているだろうし。シエスの胸元の『果て』の欠片から漏れ出す魔素は見る人が見れば感知されてしまうけれど、ナシト曰く、丁度同じ辺りにある首飾りを魔具と勘違いして、そこから漏れたものと思いやすいらしいから、大事にはならないはずだ。

 それに何より、ルシャが傍にいてくれる。大丈夫だろう。シエスはもっと、自由に生きていいんだ。

 僕はシエスの頭をぽんと押して、ルシャに答えた。


「もちろん。行っておいで。僕は宿を探しておくから、市場のあたりにいて。後で迎えに行くよ」


「分かりました。ほら、シエス。行きましょうっ」


「ん!」


 そう言って、二人はすぐに市場の方へ駆け出した。得意の『靭』でも使っているのかぐいぐいと前へ行くシエスと、彼女に引っ張られて笑っているルシャ。手を繋ぐ様子は本当に姉妹のようで、僕は遠ざかっていく二人の背を眺めながら笑ってしまっていた。

 いつの間にか隣に来ていたガエウスがにやにやと僕を見ているのに気付いて、慌てて表情を正す。


「さあ、僕らは宿探しだ。帝国語で宿はどこですかって、どうやって言うか教えてよ、ガエウス」


「やなこった。適当に歩いてりゃ見つかんだろ」


 ガエウスはくつくつと笑いながら、僕の横を抜けて前へぶらぶらと歩いていってしまった。

 ナシトなら教えてくれるかと思って、振り返って彼を見たけれど、僕を見てにやりとするだけで何も言わない。相変わらず、戦闘中以外は協力する気の薄い二人だった。


「……とりあえず、歩くか」


 思わずひとりごちて、頭をかいた。後ろでナシトが音も無く笑っているような気がした。




 翌々日。僕らは一日休養を取って旅の疲れを癒やしてから、ギルドに向かった。

 滞在地登録は昨日の内に済ませておいたので、今日は純粋に情報集めが目的だ。ギルド員の人から色々と聞いて、『果て』についての情報を集める。


 正直、『果て』についての手がかりはほとんどなくて、どうやって探し出すかすら見当もついていないけれど、少しだけ気になっていることはある。


 あの時ダンジョンで出会った無貌の男は、『果て』は東にあると言っていた。けれどこの世界には、至るところに冒険者がいる。もし『果て』が東の何処かに実在して、堂々と入り口を構えて待っているなら、冒険者が誰一人見つけられていないというのは違和感があった。だから僕は、『果て』自体を直接見つけ出すのは無理なんじゃないかと思っている。代わりに、『果て』に繋がる道を探す。

 あの男は、僕らが出会ったあの人為的なダンジョンを『巣』の端と呼んでいた。『巣』は『果て』のことだから、端ということは『果て』と繋がる何かがあったはずだ。彼が消えた後は、あのダンジョンはただの魔物の貯蔵庫のようなものだったけれど。

 問題は、この世界のダンジョン全てが『巣』の端なのか、それともあの男が作ったあのダンジョンが特別に『巣』の端だったのかだ。

 ダンジョン全てが『果て』と何かしらの方法で繋がり得るなら、僕らも『蒼の旅団』と同じように全てのダンジョンをしらみ潰しに踏破して、『果て』に繋がる道を見つけ出さなければいけないかもしれない。最悪そうするつもりではあるものの、クランとして大規模に展開しているソルディグたちですらまだ何も見つけられていないことを考えると、僕らだけでは効率が悪すぎる。

 ただ、もしあの無貌の男が作ったダンジョンが特別だったのなら。あの男は他にも似たようなダンジョンを作っているのかもしれない。そこに行けば、またあの男に会えるかもしれない。『果て』への道も見つかるかもしれない。

 仮定ばかりで、全てが僕の見当違いという可能性もある。ほとんど賭けみたいなものだ。けれど、他に道も無い以上、賭けるしかない。まず僕は、最近新しく発生したダンジョンがないか、そこに『果て』へと繋がる手がかりがないか、探してみるつもりだった。



 だから今日は、少なくとも僕には依頼を受ける気はなかった。ギルドで新しいダンジョンがないかを確かめて、その後は酒場や図書館で、帝国で『果て』についての伝承がどのように伝えられているかを調べるつもりだった。


 まあ、いつもは勝手に何処かへ消えていくガエウスがギルドへついていくと言い出した時点で、嫌な予感はしていたのだけれど。


「おい、ロージャ!ここ行こうぜっ」


 案の定、ギルドに入ってほとんど経たないうちにガエウスが依頼書を握り締めて駆けてきた。依頼書を手渡されたけど僕は読んでも分からないので、隣のルシャに翻訳をお願いした。


「……ライナの舟、ですか」


 ルシャは難しい顔をしながら、依頼書を読み込んでいる。


「ああ。条件はよく見てねえが、ライナの舟にはまだ行ってねえからな。何があるのか、早く見たくてたまらねえ」


 ガエウスは行くことが決まっているかのように嬉しそうだ。


「ルシャ、ライナの舟って?」


「台地のダンジョンですよ。台地というよりは、山と言った方が正しいかもしれません。平原の中に一つだけぽつりと断崖絶壁の山があって、その頂上が真っ平らで広大な台地になっていて、それがまるで雲の海を渡る船のように見えることから、そう名付けれられたと聞いています」


 ルシャの話を聞いて、想像する。雲の上の台地。ルブラス山のような、山らしい山ではないのだろう。舟という詩的な名前も含めて、なんとなく神秘的な光景を想像してしまう。


「依頼は、ライノブィクの間引き、ですか。牛の魔物が増えすぎているようですね。条件は第五等以上とありますが、これはダンジョン自体の難度によるものでしょう。討伐対象自体はそこまで恐ろしい相手ではないので、私たちでも問題ないと思いますよ」


 依頼書を読み終えたルシャは僕に依頼書を渡してきた。見ると、依頼対象の魔物が描かれていた。牛というよりは熊のような脚の太さだけれど、顔付きや角は牛らしさを残している。


「問題なくてもなあ。まだしばらくは情報集めに専念したいんだ。駄目かな、ガエウス」


「ダメだ。俺たちゃ冒険者なんだ。見つけたいもんは冒険の中で見つける。それでいいだろ。それにロージャ、お前がいるんだ。行きゃあなんか出てきて、どうせそれが手がかりになンだよ」


 ガエウスらしい冒険至上主義理論だった。

 行ったことのないダンジョンを調べること自体は、『果て』を探すことにも繋がるから損にはならない。依頼の難度も高すぎないようだし、依頼自体に問題は無い。それにそもそも帝国で滞在地登録をした以上は税を納める必要があり、そのためには一定量の依頼をこなさないといけない。

 後は単純に、優先順位の問題だ。ライナの舟は帝都から少しばかり遠いようだった。行って帰るだけでも時間がかかる。

 正直に言えば、僕はシエスの残り時間を気にしている。いつかシエスが魔素に冒されて倒れてしまうのではないかと、怯えている。だからできる限り、急ぎたい。


「ロージャ」


 考え込んでいると、不意に手を引かれて、見るとシエスが僕の腕をつまんでいた。


「見てみたい。ライナの舟」


 シエスの眼は、いつもより分かりやすく輝いていた。その表情に、魔素に苦しむ影は欠片も無い。

 けれど、僕は答えに詰まってしまう。シエスは今はまだ大丈夫だろう。けど、いつか『果て』に手が届きかけた時にシエスが倒れて、それきり目を覚まさなかったら。この数日の遅れを、僕は悔やんでも悔やみきれないだろう。


「……ロージャ。何を焦ってやがる」


 ガエウスの声が聞こえる。さっきまでの軽い調子はなく、かつてダンジョンで僕を厳しく導いてくれた時のような、真面目な声。


「嬢ちゃんを見ろ。お前よりよっぽど冒険者らしいツラしてるぜ。……お前はいつも、先のことをくよくよ心配しすぎなんだよ」


 ガエウスの言葉が胸に刺さる。そんなことは、自分がいちばん良く分かっている。でも、心配なものは心配なんだ。僕はもう、誰一人失いたくないんだ。


 もう一度、シエスを見る。シエスは、まるで大丈夫だとでも言うかのように何度も頷きながら、僕を見上げていた。眼は相変わらず、期待に満ちていた。


 息を吐く。分かったよ。結局僕は皆には勝てない。そもそも、シエスが自分の望みをはっきりと口に出したら、僕が逆らえるはずもないんだ。だってそれは、シエスが僕の望んだ通りに生きてくれている証だから。


「……分かった。ライナの舟に行こう。その代わり、出発は明後日だ。今日は予定通り情報を集めて、ダンジョンへの準備は明日。それでいいかな」


「よっしゃあ!それでいいんだよ、ロージャ!」


 僕の答えを聞いて、声の調子がすぐに楽しげに戻るガエウス。もしかすると、説得するためにわざと僕を脅したのかもしれない。この男は冒険のためならなんだってする。


「……ガエウス、さっきのは言いすぎです。ロージャはシエスのために心配しているのですから」


「んだァ?」


「無神経」


「ンだよ、寄ってたかって。俺がああ言わなきゃお前らだって、このクソつまらねえ聞き取りを続けるハメに――」


 反論するガエウスから本音が漏れて、ルシャとシエスの睨む眼が険を増した。その厳しさに、あのガエウスも流石に押されて黙ってしまっている。

 ガエウスは、半分くらいは僕のために言ってくれたのだろう。それは分かってる。けれど今ガエウスを庇えば、次は僕が睨まれてしまうだろう。僕は笑って、依頼の受理手続きをするためにその場をするりと抜けた。


「シエス、おめえだってさっき、冒険行きたがってたじゃねえかっ!あっ、てめえロージャ、どこ行きやがる――」


 受付に辿り着いてから、ガエウスの怨嗟が遠くから聞こえた気がした。

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