第69話 前へ
それから、数日間。
僕たちは旅の支度を始めていた。『果て』は東にあると言うけれど、どこまで行けばいいのか、どれくらい長く魔導都市を離れることになるのか、一切が未定だった。おそらく僕が経験した中で一番の長旅になると思う。もしかすると、もう魔導都市には帰って来られないかもしれない。そんな気さえした。
なにせ、あの『果て』を目指すのだ。未だ誰も知らない、未知の世界。冒険者たちの夢。
僕だって冒険者だ。ガエウスやユーリが『果て』への憧れを語るのを聞いているうちに、そこを目指すことはいつの間にか僕の頭の片隅にあった。積極的に目指す理由は無いものの、いつか辿り着ければいいなと思える程度の憧れは、僕の中にも生まれていた。けれど今こうして、誰かにくっついて結果的に辿り着くのではなく、僕自身が『果て』を目指すことになるとは、これっぽっちも思っていなかった。
僕には今、『果て』を目指す理由がある。大切な仲間を守るために『果て』へ辿り着いて、なんとしても攻略しなければならない。そうしなければ、シエスの命が危ないかもしれないから。シエスには今のまま、ただ真っ直ぐに生きてほしい。それを妨げるものは僕が全て、除いてみせる。『果て』だって見つけてみせる。
……シエスと出会った頃は、フラレた辛さから目を背けるために彼女を助けていたはずなのにな。今ではもう、シエスを守ることは僕の生きる目的になってしまった。そのことが、嬉しくさえ思える。
それに、皆と一緒に旅をするのは、それ自体が楽しみでもある。過酷な旅になるに違いないのに、心は少しだけ湧き立っている。そう思えている自分に気付いて、また嬉しくなる。
僕はもう前に進めている。前を向いて、今を生きている。そんな気がしたから。
僕らは武具の調整や携行品の調達を進めながら、別れの挨拶をするために、魔導都市で知り合った人々を訪れていた。
「……そうか。君たちがいなくなるのは、この街のギルドとしては相当な痛手なんだけれど、しょうがないね。冒険者って生き物は、ひとところに留めておけるものじゃないしね」
ギルドの一室で、ギルド長のトスラフさんがつぶやく。少しばかり悲しげだけれど、彼は冒険者の生き方を良く知っている人だ。さっぱりした態度でいてくれた。
この街を離れる手続きをしてから、握手を交わして、気持ち良く別れられると思ったのに。珍しくついてきていたガエウスが、別れ際に不穏なことを口走った。
「それで、結局ロージャの等級は第五等のままなのか?」
聞いた途端、トスラフさんの顔はいつも通り青くなった。
僕らがトスラフさんと直接話す時は、大抵が緊急事態だった。だからか、この色のトスラフさんの方がずっと、見慣れた感じがするな。申し訳ないと思いつつ、そんなことも思ってしまう。
「……いや、すまない。魔導を使えない第五等冒険者自体、この世界でロジオンくんただ一人なんだ。これ以上注目を集めすぎると、ロジオンくんの強さの理由を探る輩が増えてしまう。特に上の方で、ね。『力』についてもっと詳しく調べろだとか、領主やら王宮から面倒をふっかけられそうでね。今だって、僕の方でかなり誤魔化してるけど、もういっぱいいっぱいなくらいなんだよ……」
トスラフさんは申し訳なさそうに小さくなっている。けれど、どうやら僕らを最大限慮ってくれているからこその、等級維持だったようだ。
「君らは正真正銘僕らの英雄だから、功に報いたいのは本当なんだ。けれど、ほら、等級を上げて結局君らに余計な面倒事を増やしてしまったら、それこそありがた迷惑かと思ってね。……ガエウスくん、君はロジオンくんが有名になりすぎて、冒険に出にくくなるの、嫌いだろう?」
「たりめえだろ。国と関わるのはゴメンだ。あいつらと絡むと碌なことにならねえ。……そういうことなら、別に構わねえさ」
ガエウスは納得がいったのか、それからすぐに興味を失って、勝手にギルドを出ていってしまった。
トスラフさんは、ほっと息をついている。確かに、僕の『力』はヴィドゥヌス校長も言っていた通り、前例が無いものだ。王宮に目を付けられてあれやこれや指示されるのは、僕も嫌だった。
「まあ、どうしても行きたいダンジョンがあるなら、ガエウスくんの等級をうまく使ってほしい。というか、ガエウスくんがリーダーをやれば何処でも行けるはずだよ。世界に数人しかいない第二等冒険者がパーティの長じゃないのも、君らのとこくらいなんだけどね……」
「ええ。ありがとうございます。……ガエウスはあの通り、自分勝手なので」
そう言って、僕らは笑った。ガエウスに振り回される苦労は、僕が一番良く知っている。
「まあ、正に冒険者って感じで、羨ましくもあるよ。……良い旅を、ロジオンくん。きっと君たちなら、『果て』まで行けるさ」
トスラフさんはそう言って、僕の横まで来て、僕の背を叩いた。
「土産話を期待してるよ。壮大な冒険譚を、さ」
「はい。お世話に、なりました」
僕はそれだけ言って、ギルドを出た。トスラフさんは長いこと、ギルドの入り口で手を振って見送ってくれていた。
「行ってしまうのね、ルシャ。……寂しくなってしまうわ」
魔導都市の外れにある小さな教会で、僕はルシャと二人でソフィヤさんたちを訪ねていた。
ソフィヤさんと子どもたちは、ルシャと一緒に魔導都市に移ってしばらくは、住まいの確保から街の聖教権力とのやり取りなどドタバタと大変そうだったけれど、今では落ち着いて、聖都にいた頃と同じ平穏な日々を送れているようだった。
「はい。私はロージャと共に、『果て』を目指すつもりです。……戻ってこられるかは、分かりません。『果て』は、それこそ世界の果てと言えるほど遠くにあるでしょうから」
ルシャの声は少し揺れていた。無理もない。彼女にとっては、ソフィヤさんと子どもたちは家族と変わりない。
けれど対するソフィヤさんは、楽しげに笑っていた。いたずらっぽい雰囲気すらあった。
「あら、何を言っているの。もう戻って来ては駄目よ。ようやく良い殿方に出会えたのだから、ね。嫁き遅れにならずに済んで、私がどれだけ安心したことか」
「なっ」
うふふと笑うソフィヤさんに、動揺するルシャ。顔が赤くなりかけている。
「ルシャねえちゃんっ、ついにお嫁にいくのかっ?」
「およめさんになるために、『はて』ってとこに行かなきゃいけないんだって」
「ち、違いますよ」
ルシャの足元に群がる子どもたちがやいのやいのと騒ぎ始める。この子たちは、ませているのか天然なのか。ルシャは耳まで赤くしながらしゃがみこんで、彼らにきちんと説明しようとしているが、子どもたちは楽しそうに騒ぐばかりだった。
その様子を眺めていると、ソフィヤさんがすっと僕の横に来て、僕を見ていた。彼女はいつにもまして、優しい眼をしていた。
「……ロジオンさん。ルシャのこと、お願いしますね。貴方の傍で、あの子はようやく、安らぎを見つけたようですから」
ソフィヤさんの声は優しげで、けれど芯のような強さがあった。彼女は本当にルシャのことを、娘のように思っているのだろう。そう思うと、僕はなぜか緊張してしまった。声を、引き締める。
「はい。もう絶対に、離しません」
言ってから、いつの間にか僕の回りを子どもたちが囲んでいることに気付いた。
あれだけやかましかった彼らは一瞬しんと静かになって、すぐにまた騒ぎ始めた。ソフィヤさんはあらあらと笑い、ルシャは顔を赤くして、けれど潤んだ目で僕を見ていた。
「ルシャおねえちゃん、おめでとうっ」
子どもたちが口々にルシャを祝う。彼らは心から嬉しそうで、なんだかむず痒くなる。
ルシャは恥ずかしそうに僕の横に来て、俯きながら、そっと僕の腕に手を回した。途端に拍手を始める子どもたちと、ソフィヤさん。
そして、見計らったかのように教会の鐘が天高く鳴った。子どもたちの歓声が一際高くなる。ただ時刻を示すいつもの鐘だろうけど、僕にはなんだか婚姻の儀のように思えてしまって、ひたすらに照れくさかった。
けど、自分の言葉が嘘でないことを示すために、ルシャの手を握った。ルシャはすぐにに強く握り返してくれた。きっと僕の顔も、真っ赤だろう。
ソフィヤさんは微笑みながら目元を拭っていた。少しだけ、泣いているようだった。
「ロジオン先生っ!最後に、手合わせお願いしますっ!」
「ちょ、ちょっと、レーリクっ」
魔導学校の、最後の近接戦闘の講義で、終わり頃にレーリクが叫んだ。結局数カ月の間しか開講できなかったけれど、生徒たちが皆真剣に学んでくれたおかげで、最低限の護身術は教えることができた。知らないよりはましという程度だけれど、極限状態で命を救うのは、万が一のために学んでおいたこうした知識だったりもする。
隣で慌てる幼馴染、ナーシャを気にした様子もなく、レーリクは燃えるような眼で僕を見ていた。以前のように睨んではいないけれど、何か真剣な決意の伺える強い眼をしている。
「模擬戦闘かい?良いけど――」
「俺が勝ったら、お願いがあります!俺が勝ったら、……シエスを、連れてかないでくださいっ」
レーリクの声はひどく震えていた。けれど眼は真っ直ぐで、将来何かを成すだろうと思えるほどの強い光を孕んでいた。
「……どうしてか、聞いてもいいかな」
「そ、それは、その…………ああ、もう!言ってやるっ!シエスのことがっ、好きだからですっ!!」
レーリクの叫びに、思わず隣にいるシエスを見てしまう。シエスは残酷にも、いつも通りの凪いだ無表情だった。少しばかり眠そうでさえある。逆にナーシャの方は、とても辛そうな顔をしていた。
僕はというと、実はかなり動揺していた。レーリクがシエスのことを好いていることはだいぶ前から分かっていたけれど、こうして皆の面前で、宣言できるほどとは。
未だに、シエスにもルシャにもきちんと言葉にして自分の気持ちを伝えられていない自分が恥ずかしく思えてしまう。
……どう答えたものか。悩んでいると、意外にもシエスが口を開いた。
「ロージャ、受けてあげて」
「……?」
「ロージャは、負けないから」
優しいのか残酷なのか分からない、シエスの言葉。けれど僕は頷いた。レーリクの気持ちは本物だろう。なら僕だって、それに真正面から応えたい。
レーリクと二人、短刀を持って向き合った。シエスが開始の合図を出して、レーリクが突っ込んでくる。眼は真剣だった。
決着はすぐについた。数合打ち合ってから短刀を遠くに弾かれて尻もちをついたレーリクは、そのまま仰向けになって大声で泣き始めた。ナーシャが彼に駆け寄ろうとした、その時。
「……あっ、ありがとっ、ございまじだっ!!」
レーリクは涙と震えを隠さずに、大声で吼えた。
本当に、強い子だ。失恋を長いこと引きずった僕と違って、彼はすぐに立ち直って、前を向けるだろう。けじめをつけられるのは、紛れもない強さだと思う。
そう思っていると、僕の隣にいたシエスがすたすたと、レーリクとナーシャのところへ歩いていった。二人の傍で座り込んで、腰のポーチから何かを取り出して、二人に渡す。
「今まで、ありがとう。友達……うれしかった」
僅かに聞こえたシエスの声は平坦だったけれど、少しだけ震えていた。シエスは泣き虫だから、きっと泣いているだろう。
レーリクの泣く声が一際大きくなる。それに隠れるように、ナーシャのすすり泣く声が聞こえる。三人で固まって、じっと動かず、ただ声だけが響いている。
僕は三人に背を向けて、授業の片付けに向かった。
涙を見せ合えるほどの友達が、シエスにもいる。シエスにはもう、僕の隣以外にも帰る場所がある。帰るべき日常がある。そのことが、本当に嬉しかった。
それからまた数日が経って。
僕らは魔導都市で過ごす最後の晩に、いつものようにささやかな宴会を開いて、五人で騒がしくも穏やかな時間を過ごした。
明日は朝早くに出発するつもりだ。けれどガエウスはまだ飲んでいる。僕とシエスとルシャは、ナシトにガエウスの番を任せて、三人で夜の魔導学校内を歩いていた。
「今日で最後と思うと、寂しくなりますね。短い間だったのに、もうこの街には沢山の思い出があります」
歩きながら、ルシャがつぶやく。
「……あっという間だった。ロージャと出会って、ここまで来て」
シエスの静かな声も、普段より感傷的に聞こえた。
二人とも、僕の隣で穏やかに今を楽しんでいる。僕の隣を、いるべき場所と思ってくれている。それだけで僕は幸せな気持ちになれた。
きっとシエスもルシャも、僕が何も言わなくても、僕の気持ちを分かってくれているだろう。何も告げなくてもいつまでだって傍にいてくれて、ずっと僕を好きでいてくれるのかもしれない。
だけど僕は、もう間違えたくなかった。言葉にしないで二人に甘えていたら、いつか些細なすれ違いで、また僕は失ってしまうかもしれない。それは絶対に嫌だった。
だから二人には、きちんと伝えないと。こういう時に、怯えてすぐ踏み出せない自分が少し嫌だった。
いつの間にか、僕らは魔導学校内の広場に辿り着いていた。
頭上には満点の星空が広がっていて、吸い込まれそうなほど綺麗だった。何もないただの広場だけど、何もないからこそ夜空が映えて、夜空に包み込まれているかのようにも思える。
ひとつ息を吸って、吐く。声が震えないように、力を込める。
「シエス、ルシャ。今更だけど、話しておきたいことがあるんだ」
言いながら、立ち止まる。僕の隣を歩いていた二人も足を止めて、僕を振り返った。
「最近ようやく気付いたんだけどさ。僕はかなり、強欲な奴みたいで」
「……?」
シエスが首を少し傾げている。銀の髪が星の明かりを反射して輝きながら、風に揺れる姿は幻想的だった。シエスは普段あんなに子どもっぽいのに、最近は今みたいに大人びて見える時もあって、僕はどきりとしてしまう。
「ずっとユーリと旅をしていたから、気付かなかったんだけど。ユーリと離れて、もっと大切な人が二人もできて」
「……ふふ」
ルシャは僕を見ながら静かに微笑んでいる。ルシャはどんな時も、どんな表情だって本当に綺麗だけど、星空の下で見る彼女はその静けさと温かさがなお際立つようで、言いようもないほど美しかった。
「……今はもう、二人とも絶対に離してやるものかって、思ってる。誠実じゃ、ないよね」
「……?ロージャは、誠実」
シエスは、何を言っているのかという顔をした。
もう意識しなくたってシエスの表情が分かる。シエスはもう、出会った頃のシエスではない。これからもずっと、傍で彼女の変化を見ていたい。それがたとえ僕の望むものでなかったとしても。
「だけどもう、どうしようもないんだ。シエスとルシャが、二人が僕を救い上げてくれたから。二人とも、傍にいてほしいんだ。どうしても」
「……私たちはもう、ずっと貴方の傍にいると、誓いましたよ?」
ルシャが穏やかに笑う。
彼女の過去は僕なんかよりもずっと壮絶なのに、彼女はそれを見せずに笑っている。僕はルシャの強さに縋ってしまっている。これから彼女の過去まで、僕の人生かけて救ってみせなければ。
「ああ。僕も誓った。だけど、いちばん大事なことを言い忘れてたから」
そう言って、また息を吸う。手は知らない内に、固く握り込んでいた。
二人を見る。二人なら、言わなくたって分かってる。でも、その上で言うんだ。
「シエス、ルシャ。大好きだ。いつか二人が僕を嫌いになっても、関係ない。好きだから、傍にいるよ」
言い切った瞬間。
金色と銀色が僕の視界いっぱいに飛び込んできた。
二人をしっかりと抱きとめる。
「……言葉にしてもらえると、やっぱり嬉しいものですね」
僕の胸の中で、ルシャが僕を見上げている。頬を上気させて、嬉しそうに笑っている。
「ロージャは口下手だから、待った。ずっと待ってた」
シエスは魔導で浮きながら僕に飛び込んできたから、足が地についていない。その足をぱたぱたと、尻尾のように振りながら、生意気なことを言う。胸元の『果て』の欠片は暖かな色で明滅していて、星のようだった。
「ごめん。……踏み出すのが怖くてさ」
「ん。許す。けど――」
シエスは急に言葉を切って、僕の頬に小さな手を伸ばして、顔を近付けて――
気が付くと、シエスに口付けられていた。小さな唇が一瞬だけ僕に触れて、僕の目の前に銀色がちらついた。シエスの柔らかな匂いがする。
僕はあまりに大胆なシエスの攻撃に、ぽかんとしてしまっていた。
「……これで、許した」
「ああっ、シエスっ!それは流石に抜け駆けですよっ」
胸を張るシエスと、わたわたと騒ぎ出すルシャ。
「……? ルシャも今、キスして良い」
「えっ、いや、それはその、いや……ああ!いやではないのですが……」
変わらず落ち着いているシエスと、顔を真っ赤にして慌てつつ徐々に静かになっていくルシャと。思わず、笑ってしまう。
いつも通りの日常。それがいつまでも続いていく。この日常は、僕が守る。守りながら、最後まで一緒に旅をするんだ。
僕は僕の笑い声にぽかんとしているルシャの頬に口付けて、二人を下ろす。ルシャは固まってしまっていた。
「付き合ってくれてありがとう。さあ、家に帰ろう。明日からまた、冒険の始まりだ」
それだけ言って、歩き出す。二人は、大丈夫。いつだって隣にいてくれる。だから僕も、前へ行こう。
明日から、冒険が始まる。
まず目指すは、帝国。東の大国へ渡るつもりだ。『果て』を見つけ出すために。
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