第66話 自信と怖れ

 僕は悪魔がもう動かなくなったのを確かめて、すぐに盾を拾い直した。ガエウスの救援に行こう。そう思って、彼のいる方を見る。

 ガエウスは楽しそうに駆け、壁の凹凸を跳び伝いながら、碧い光を放って蜥蜴も蝙蝠も消し飛ばしている。


 ガエウスが光の矢を使い始めてからまだほとんど経っていないはずなのに、魔物の数は相当減っていた。特に蝙蝠はもうほとんど見当たらない。蜥蜴も、どちらかというとガエウスのいる方から逃げるかのように、散り散りになっていた。


「おいっ、ロージャ!そっちは片付いたみてえだな!手伝えよっ」


 ガエウスのだみ声が聞こえる。

 その声からすら逃げるように、蜥蜴は壁を離れて、僕のいる方に逃げてきた。


「ああ。早く終わらせよう」


 答えて、盾を背に回しながら、僕は鎚を構えた。

 まだ戦いは終わっていない。けれど胸の内は、妙に浮き立っていた。



 厄介な悪魔をひとりで倒せた。そのことに、戦闘中だというのに、こみ上げてくる嬉しさを抑え切れない。

 僕にだって、できるんだ。得体の知れない『力』でも、僕の力だ。誇りに思っていいはずだ。

 ガエウスも僕を信じてか、今まで一度も見たことがない程の全力を出してくれている。難局は切り抜けたと思ってもいいだろう。後は問題無く片付けられる。


 僕らは、強い。僕ももう、皆の足を引っ張らない。だから、僕らならきっと、もっと遠くまで行ける。

 自然とそう思えた。



 目の前に、蜥蜴の群れが迫る。数は減ったといっても、まだ大群だ。なのにそれを見てもまだ、僕は目の前の敵に集中しきれていなかった。

 僕は悪魔を倒して明らかに、浮かれている。そのことにようやく気付いて、愕然とする。


 蜥蜴は難敵ではない。それは事実かもしれない。

 けれどこの蜥蜴、ヤシェルだって火の魔導を使える。大した魔導でなくたって、直撃すればかなり危険だ。油断はできない。手に入れた理不尽な『力』をもってしても、魔導を防げる訳じゃない。僕はあくまで、ただの重戦士なんだ。馬鹿みたいに力が強いだけの。


 鎚を握り締め直す。

 しっかりしろ。そもそも、シエスがまだ危険な状態なんだ。何を浮かれてる。一刻も早く終わらせて、シエスの元に戻る。それが最優先だろう。

 こんなだから、僕はいつも馬鹿をするんだ。感情ひとつ抑えられずに、足を取られて。あの無貌の男だって、僕がうまく対処できていれば、シエスが苦しむこともなかった。

 自分と皆の強さを喜ぶのは、全て終えて、シエスの無事を確かめてからだ。


 そう念じて、前を見据えて、僕は跳んだ。

 自分の力を喜べたのなんていつぶりだろうかと、心のどこかでまだ、少しだけ考えながら。




 それから大空洞の魔物を一掃するまで、時間はあまりかからなかった。ガエウスの弓が圧倒的すぎて、僕が数十体倒している間に、ほとんどの魔物が文字通り跡形も無く消し飛ばされていた。おかげで魔物の遺骸もほぼ残っておらず、あれだけ魔物で溢れかえっていた大空洞は今、がらんとした雰囲気すらあった。


 戦闘が終わって、今度こそ完全に気を抜くと、少しだけ瞼が重いことに気付いた。気を抜くと、意識が他愛もないことに逸れていく。一つのことを考え続けるのが少し難しくなっている。すぐに、ルシャから教わった『力』の反動について思い出した。

 悪魔、ヴィイベスとの戦闘中は『力』をありったけ使っていたから、むしろこの程度で済んで良かったと考えるべきだろうか。僕はどれくらい長く『力』を使い続けられるのだろう。


「結局、数だけだったな。……あぁ、吐きそうだ、クソ」


 ぼやきながらガエウスがこちらに歩いてくる。戦闘中はあれほど楽しそうだったのに、今はすっかり不機嫌な顔をしている。もう手には例の碧く光る弓は無く、普段の弓と矢筒を拾い直して背に回していた。


「あの弓はなんなんだい、ガエウス。初めて見たけれど」


 僕は急いで入り口に向かいながら、横を歩くガエウスを見る。


「ありゃあ、昔どっかのダンジョンで見つけたお宝だ。勝手に魔素を吸って、魔導を使える代物でな。原理はよく分からねえし興味もねえが、強えから使ってる」


 ガエウスの声はつまらなさそうだった。

 あれだけの武具、相当な価値がありそうだけれど。僕の鎧のように、魔導師が魔素を蓄積させるものならまだしも、自身で魔素を吸って魔導を発現させる武具なんて聞いたこともなかった。

 ガエウスはダンジョンで何かを見つけるのは好きだけれど、見つけたもの自体に固執する訳ではないから、まあ、彼らしいといえば彼らしいか。

 詳しいことは、また余裕のある時に聞こう。けど一つだけ、小言を言っておく。


「そんな切り札があるなら、先に言っておいてよ」


 文句のつもりはないけれど、あれだけ強力な攻め手があるなら、できるだけ事前に共有しておいてほしかった。

 ガエウスは僕の言葉を聞いて、あからさまに嫌そうに、顔をしかめている。


「あァ?お前に言ったら、すぐ頼るだろ。それにこいつを使うと、俺も魔素を強引に吸わされるんでな。魔素に酔って帰ると、その後気持ち良く酒が飲めねえじゃねえか。冒険帰りの酒も含めて、冒険だろうがっ」


 そう言って僕の肩を乱暴に叩く。ガエウスの理論はどこまでも冒険第一だった。



 そんなことを話しつつ、すぐに入り口まで着いた。ナシトが作り出した土の壁は、一切の隙間無く入り口を塞いでいる。

 僕は壁に近付いて、声を張り上げた。


「ナシトっ!ルシャっ!僕だ!こっちは片付いた、壁を壊すから、少し離れていてっ」


 少し待つ。すると頭にナシトの声が響いた。


 "既に離れている。いつでもいいぞ"


 頷いて、すぐに鎚を構えた。

 シエスの傍にはルシャがいて、ナシトもいる。シエスだって、強い娘だ。信じている。けれどどうしても、不安は募る。戦闘中、力に浮かれていた自分が、今更になってまた愚かに思えてしまう。シエスは、無事だろうか。


 鎚を振るう。『力』を少しだけ流して、僕らが通れるだけの穴を開けるように、叩きつけた。

 ナシトが魔導で緩くしたのか、土壁は思ったよりも簡単に崩れた。暗い細道の少し奥に、光球に照らされた三人が見えた。佇むナシトと、地に座るルシャと、倒れたままのシエス。不安が噴き出す。


「シエスっ!」


 僕は思わず駆け出していた。

 すぐにルシャの横まで来て、膝をつく。シエスは目を閉じていた。


「大丈夫ですよ。気を失っていますが、呼吸は安定しています。眠っているだけです」


 横でルシャが、穏やかに言う。けれど声は少しだけ暗かった。

 シエスの頬に触れる。まだ二人で旅をしていた頃によく聞いた、規則正しい寝息が聞こえた。少しだけ安心する。

 けれど、胸元には赤黒い何かが、変わらず埋め込まれていた。


「……ロージャ、ごめんなさい。私に任せてと言ったのに、取り除くことは、できませんでした。シエスの身体は、これをもう、身体の一部として認識してしまっているようです。私の『癒し』では、変化が見られませんでした」


 ルシャの声は沈んでいた。でも、ルシャが悪い訳じゃない。むしろ彼女がいなければ、状況はもっと悪かったはずだ。その証拠に、シエスの寝顔は穏やかだった。


「いや、そんなことないよ。ルシャ、ありがとう。シエスが今無事なのは、君のおかげだ」


「……そんなことは」


 まだ暗い顔をしているルシャの方を向く。僕がルシャのおかげだと思っているのは、本当だ。それが伝わるように、不安を隠して無理矢理に笑ってみせた。

 ルシャの表情はまだ辛そうだけれど、僕を見て少しだけ、笑ってくれたようにも見えた。


「……ナシト、これが何か、分かるかい」


 傍に立つナシトに、シエスの胸元に埋まった何かについて尋ねた。


「分からない。あの男の言を信じるなら、『果て』の欠片、らしいが」


 ナシトは淡々と答える。『果て』の欠片。それが一体何を意味するのか、シエスの身体に何をもたらすのか。僕には何もわからない。不安だけが増していく。

 けれど、すべきことは決まった。ルシャに癒せず、ナシトが知らないなら、後はもうヴィドゥヌス校長を頼るしかないだろう。


「分かった。皆、僕はシエスを連れて先に魔導都市に戻る。校長にシエスを診てもらうよ。『力』を使えば、来た時よりもずっと早く戻れると思う。皆は後から、無理せず街まで戻ってきて」


「ロージャ、そんな無理をしては、貴方まで――」


「分かってる。けどまだ大丈夫だと思うんだ。街に戻るくらいなら問題は無いと思う。何より、これ以上は不安で、じっとしてられないよ」


 ルシャは僕を心配してくれている。彼女の焦った声からその気持ちが伝わってきて、嬉しくなる。

 けれどこれだけは譲れない。シエスのために、できることは全てやっておきたい。仲間を守るのが僕の一番の役目で、シエスは間違いなく僕の仲間なのだから。


 そうして、無理にでもついてこようとするルシャをなんとか説得して、僕はシエスを背負って、ひとり先に『大空洞』を抜けた。




『力』を脚に込めて、跳ぶように走る。景色は瞬時に後ろへ流れていく。けれど遠くに見える魔導都市はまだ小さかった。

 どれだけ速く走っても身体は少しも疲れないのに、走れば走るほど、瞼は重くなっていく。早く魔導都市へ、校長の元へと焦る気持ちが、足を踏み出す度にどうしてか萎えて、心が凪いでいく。シエスがあの無貌の男に一体何をされたのか、彼が言い捨てていった言葉の意味は何なのか、不安でしょうがないはずなのに、脚は勝手に何度も止まりかけた。


 まるで、心がすり減っていくような。


 それでも、止まりかける度に背中の小さな重みを思い出して、無理矢理に脚を動かした。背負うシエスの身体が揺れないように気を付けながら、ただ走る。

 僕が立ち止まれば、シエスはもう目覚めてくれないような気がして、怖かった。シエスのじとっとした眼や無表情を、隣をてこてこと歩く姿を、たまに見せてくれる控えめな笑顔を、もう見れないのは絶対に嫌だった。

 結局僕は、自分の力と大切な仲間のことを強く信じられるようになっても、大切な人を失うことこそを、何よりも怖れている。


 僕はやっぱり、強い人間じゃない。前を向いても、自信を得ても、僕の根っこは何も変わってはいない。

 だけどそんなことはもうどうだっていい。強くありたいけれど、何よりも大切なシエスとルシャと、仲間たちと、ずっと傍にいたい。それが僕の一番の思いだ。

 今度こそ僕は、間違えたくない。


 魔導都市に入って、止まらずそのまま魔導学校に向けて走りながら、霞み始めた意識の中で僕はただそんなことを思っていた。




 どれくらいの時間走り続けたのか、僕はいつの間にか、立ち止まっていた。前に見えるのは、魔導学校の主門と、あれは。


「……ロジオン。よく戻った」


 目が霞んで前がよく見えない。けど声には聞き覚えがある。きっと校長先生だろう。

 安心して弛緩しかける身体を、なんとか維持する。せめてシエスのことについて説明しないと。


「校長、先生。ダンジョンで……妙な男に、シエスが、何か――」


 口が回らない。話もまとまらない。瞼も身体も意識も、何もかもが重い。どうしてここまで全力で走ってきたのか、気を抜くと忘れそうにすらなる。


「分かっておるよ。お主は、休みなさい。シエスは儂が診ておこう」


 校長の声はいつもと変わらず朗らかで、ついに僕は安心してしまった。脚から力が抜ける。


 シエスを背負ったまま、僕は前に倒れてしまった。どうしても起き上がる気持ちになれない。今はただ、とにかく眠ってしまいたい。

 そして、瞼をこじ開ける意思すら湧かず、僕はそのまま一瞬で意識を手放した。

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