第65話 殲滅

 地中深くの大空洞で、悪魔が僕の前で佇んでいる。頭上からは無数の蠢く音。シエスとルシャは入り口近くで、動けない。

 状況は最悪だ。けれど不思議と動揺は無かった。僕ならこの難局を打開できると、ルシャが、仲間が信じてくれている。なら僕は全力を尽くして、全てを守って、それに応えるだけだ。


 悪魔から目を離さずに、叫ぶ。


「ナシトっ!シエスとルシャを、細道へっ!入り口を塞いで、二人を守ってくれっ」


 ルシャはシエスの治癒で手一杯だ。二人を放置する訳にはいかない。ナシトが二人の傍にいれば安心だろう。ナシトまで戦線を抜けることで、その分僕とガエウスの負担は増えるものの、今はどう考えてもシエスが最優先だった。

 後ろの様子は分からない。けれど、すぐに轟音が聞こえた。以前一つ目の空洞から撤退する時にも聞いた、地が揺れる音。ナシトは素早く二人を隠してくれたようだ。



 後はこの場を、僕とガエウスの二人で何とかする。



 悪魔が僕めがけて距離を詰めてきた。速い。盾を構える。


「ガエウスっ!トカゲとコウモリを頼むっ!こいつは、僕がやる!」


「おうよっ」


 叫んだ直後、僕の目の前にヴィイベスが迫る。

 悪魔が腕を振るって、その爪が盾に触れる瞬間、僕は違和感を覚えた。攻撃自体は大したことはない。簡単に防げた。けれど、爪を防いだ途端、盾とそれを支える右腕にずしりと重しが纏わりついてきたような錯覚を感じた。

 ……やっぱり、厄介だな。


 以前、城都市近くのダンジョンでこの悪魔、ヴィイベスを見た時は、全力で逃げた。奴は肉体も強靭で、魔導も多彩な上に、厄介な切り札を持っていたから。

 切り札――ヴィイベスは奇妙な魔導を用いて、周囲の全ての『重さ』を変えられる。それが武具だろうとヒトだろうと、形あるモノである限りは全てを重くも軽くもできる。

 以前出くわした時は、僕とユーリはほとんど駆け出しだった。僕らのパーティには魔導師がいなくて、攻め手はガエウスの弓矢頼みだったから、太刀打ちできるはずもなかった。


 けど、今は違う。僕一人でも勝機はある。そう信じる。

『力』を全身に流して、盾で爪を弾く。すぐに別方向から僕の顔目がけて、悪魔の細く長い尾がしなるように飛んできた。重くなった左手を無理矢理掲げて、僕はその尾を掴んだ。

 身体が重くても、関係ない。それ以上の力で動かして、鈍さを消し去る。

 右手も盾から離して、両手でヴィイベスの尾を握った。そのまま『力』をありったけ込めて、悪魔をぐるりと振り回す。近くに群がり始めた蜥蜴を何体か巻き込んだ後、僕は壁目がけてヴィイベスを放り投げた。悪魔は真っ直ぐに飛んでいく。羽をばたつかせているが、あまりの速度に制御はつかなかったようで、そのまま壁に激突した。轟音と共に土煙が立つ。


 僕でも、戦える。

 けれど、あの程度で倒せる相手ではないだろう。すぐに盾を拾い直した。このままヴィイベスに追撃したいけれど、僕と悪魔の間には蜥蜴が溢れ始めていた。こいつらを放置するのも危険だ。

 そういえば、さっきからガエウスの矢の音が聞こえない。そう思った時だった。


 僕の背に一瞬、誰かの背がぴたりとついた。すぐに離れて、代わりに後ろから、蜥蜴の断末魔が聞こえた。


「よお、ロージャ。調子はどうだ」


 ガエウスだった。肩越しに彼を見ると、両手に血に濡れた短刀が見えた。もう矢が尽きたのかもしれない。まずいな。


「問題無いよ」


「……心配すんな。シエスなら、大丈夫だろ。あのクソ生意気な嬢ちゃんが、あの程度でくたばる訳――」


 蜥蜴を散らしながら、ガエウスが意外なことを言う。僕も手斧を投げて、火を吹きかけた蜥蜴の頭を潰しながら、答えた。


「それも含めて、問題無いさ。僕はシエスもルシャも信じてる。反省は、後でするよ」


 僕の言葉に、ガエウスは一瞬黙ってしまった。その顔は見えないけれど、なんとなく、笑っている気がする。


「……面白え。ようやく、一丁前になりやがったか」


 そう言って、ガエウスは左右から飛んできた蝙蝠にそれぞれ短刀を投げた。ほとんど二体同時に、眉間に深く短刀が突き立って、蝙蝠は落ちた。

 ……ガエウスの武器は、弓矢と短刀だけだったはずだ。だとすると今、彼は丸腰じゃないのか。何を考えてる?


 ガエウスに意図を聞こうとした、その時。悪魔が立ち上がって、こちらへ飛んでくるのが見えた。僕は盾を構え直す。ガエウスを見る余裕は無い。

 後ろからは、何か軽いものがからりと地に落ちる音が聞こえた。たぶん、ガエウスが弓と矢筒を放り捨てた音。思わず僕は叫んでしまう。


「ガエウス、何してる――」


「うるせえ。俺は今機嫌がいいンだ。『果て』があると分かった。手のかかるガキも一皮剥けた。お前に冒険を見た俺ァ、正しかった。最高じゃねえか。……少しだけ、本気を出してやるよ」


 ガエウスと話していられたのは、そこまでだった。ヴィイベスが再び迫っていた。蜥蜴たちは悪魔に怯えて距離を取り始めた。

 悪魔は飛びながら、手を振るおうとしている。恐らく、魔導が来る。僕はヴィイベスを凝視しながら、回避のために地を蹴った。



「来いよ、『悪運アヴォースィ』」


 そしてガエウスが、何かを呼んだ。



 離れ際、目の端に一瞬だけガエウスが見えた。彼の手には、初めて見る弓があった。普段の彼の弓より少し大きくて、無駄な装飾は無いけれど、文字のような模様のような何かが鼓動するように弓全体で碧く瞬いていた。

 弦を引くガエウスは、凶悪に笑っていた。


「今日は碧だな。つくづくツイてるぜっ」


 我に返る。見惚れている場合じゃない。

 僕は意識をヴィイベスに戻して、集中し直した。悪魔の手に閃光が走るのが、見える。雷撃が来る。

 盾を構えながら、僕は一瞬で悪魔の横をすり抜けて、背に回った。その瞬間だった。



「いくぜっ!ぶっ殺すっっ!!」



 悪魔の背越しに、ガエウスが上へ真っ直ぐに飛ぶのが見えた。弓を真下に構えて、弦には碧い光が、矢のように発現していた。


 そして、弦を引く手が消えて、碧い閃光が雨のように、地に降り注いだ。


 一つ目の空洞でシエスが放った氷柱よりも多く、遥かに鋭い魔光が、蜥蜴も蝙蝠も余さず射抜いていく。碧い光が突き立った魔物は、蒸発するかのように空気に溶けていった。


 ガエウスの放った光は大空洞を埋め尽くした。光の矢はヴィイベスにも降り注いで、けれど悪魔は発動しかけていた雷撃を中断して、僕に背すら向けて、襲い来る光を魔導で無理矢理に曲げて、躱していた。


「ロージャっ!その悪魔野郎は、面倒くせえ!お前が片付けろっ!」


 ガエウスはいつの間にか空から消えて、見たこともない速度で壁を駆けながら、僕に叫んだ。碧い矢を四方にばら撒きながら、途方も無い数の魔物の群れを容易く屠りながら、声音はどうしようもなく楽しそうに笑っていた。

 この男は、本当に。どこまでも、強い。



 僕は鎚を振り上げた。光の矢をなんとかいなした悪魔はこちらに振り向きつつあるけれど、まだ背ががら空きだった。

『力』を解き放つ。僕だって、もうガエウスに頼りっぱなしじゃあない。彼の背だって守ってみせる。もう、憧れっぱなしじゃないんだ。

 そう思って、きっと僕も今、少しだけ笑っていた。


 鎚を横薙ぎに、ヴィイベスへ叩きつけた。

 触れる寸前に鎚が重くなる。負けないように、鎚の柄を握る手にさらに力を込めた。そのまま振り抜く。悪魔はまた、前へと吹き飛んでいった。

 今度は逃さない。僕もすぐに跳んだ。一瞬で距離を詰めて、吹き飛ぶ悪魔に並ぼうとした刹那。

 ヴィイベスの真っ赤な眼が、僕を見た。背筋が震えた。悪魔は吹き飛ばされながら魔導を準備していたことを、悟る。僕は誘い出されたのかもしれない。

 僕は悪魔の横に並びかけて、身体全体が思い切り重くなる。鎧が慣れ親しんだ自分のものでないかのように重かった。地を蹴っていた脚が沈み込む。

 悪魔が笑ったような気がした。重さに負けて止まりかけた僕に合わせて、ヴィイベスは羽を広げて減速した。うずくまるような姿勢の僕を、正面から勝ち誇るように見下ろしている。

 そして僕の目の前で、空気が震えた。これはたぶん、風の魔導。風の刃で、鎧もまとめて切り裂くつもりだろう。


 身体は信じられないほど重かった。山でも背負っているかのような気分だった。けれど、それがどうした。

 鎚を手放して、背から盾を取る。腕は錆び付いたかのようにぎこちなくしか動かなかったけれど、『力』に任せて無理矢理、速く動かす。盾を目の前に立てて、風の魔導にぶつける。間に合え。


「発現っ」


 僕の言葉と共に、盾から青白い光壁がほとばしる。光壁と風は互いに削り合って、拮抗していた。悪魔は盾の魔導に驚いてでもいるのか、その場から動いていない。好機だ。

 風の魔導が収束し始めるのを感じて、僕は盾を思い切り地に突き立てた。盾はヴィイベスの魔導もあって、容易く地面にめり込んだ。僕は『力』は全て振り絞って、盾の上端に足をかけて、上へ跳んだ。


 身体は重い。けれど跳べた。薄れ始めた光の壁を抜けて、すぐに風が鎧を叩く。けれど風の力ももう弱かった。ヴィイベスの目の前に飛び込む。

 すぐに身体が下へ引きずられ始めた。その勢いも利用して、僕は鎚を真上から、悪魔の脳天めがけて振り下ろす。悪魔の眼は、見開いていた。


 これで、終わりだ。全てを込める。



突貫ティンバーっ!」



 常より重い体重まで乗せた鎚がぶち当たって、悪魔の頭は一瞬で爆ぜた。着地した僕に黒い血が降りかかる。ヴィイベスはそのまま力を失って、ゆっくりと真後ろに倒れた。

 少しの間、悪魔が再び動き出すのを警戒して、目を離さなかった。けれどヴィイベスはもう、ぴくりともしない。

 

 少し待って、ようやく息を吐き出した。僕の勝ちのようだった。

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