第63話 奥へ

 シエスが呼び出した氷柱の波濤が、既に凍り付いていた蜥蜴と蝙蝠を砕いて、無数の氷片を巻き上げた。大空洞は冷たい白煙に埋め尽くされて、けれど魔物の蠢く音はもう無く、しんと静かだった。

 僕はシエスの魔導に圧倒されてしまって、声も出ない。天才だとは思っていたけれど、これは確かに、人の域ではないな。

 きっとシエスは、魔導学校に入ってから今までの短い期間、僕らと過ごす時間以外のほとんど全てを魔導に捧げていたのだろう。僕の隣で、僕らと一緒にいるために。だからシエスの魔導に驚きながらも、それが魔物を蹂躙していくのを見るのは、ひどく嬉しかった。


 いけない。感心するのは全て済んでからだ。僕はすぐに我に返って、まず魔物の気配を探ったけれど、やはり全てが死に絶えているようだった。

 僕が白煙をじっと見据えていると、シエスはすとんと僕の肩から下りて、隣で僕を見上げた。魔物の気配が無いことを確信してから、盾を背に回し、鎚は消して、兜を外しながらシエスを見る。

 シエスはいつもの無表情で、自分の魔導を誇るように少し胸を張っているけれど、眉はほんの僅か、不安げに下がっていた。僕は笑った。


「すごいじゃないか、シエス!」


 シエスの両脇を持って、身体ごと持ち上げる。シエスの身体は相変わらず軽くて、一瞬でひょいと持ち上がってしまった。


「……下ろして」


 シエスは一瞬固まったけれど、すぐにじたじたと手足を動かして抗議してきた。こういうのを求めている訳ではなかったらしい。眼はじとっとしているけれど、顔は赤くなっている。

 シエスの様子が面白かったので、僕はしばらく彼女を持ち上げたまま、見つめた。シエスは恥ずかしいのか、じたじたをやめない。

 少し経って僕がシエスを下ろすと、シエスはあからさまにぶすりとしていた。僕はまた笑った。


「あそこまでとは、思ってなかったよ。あんなに大規模な魔導、見たのも初めてかもしれない」


 そう言って、シエスの頭を撫で揺らす。シエスの纏う雰囲気が柔らかくなっていく。


「……ん。頑張った」


「ああ。ありがとう、シエス。君のおかげで、ずっと楽に片付いたよ」


「仲間なら、当然」


 シエスは僕の手の下で目を細めながら、そう言ってまた胸を張った。言う通り、彼女はその力も思いも、正真正銘僕らの仲間だった。

 シエスから手を離す。シエスは少し荒れてしまった髪を整えながら、僕の隣にもう一歩寄った。機嫌は戻っているようだった。




 それから、僕は皆にいくつかの指示を出した。主にこの空洞の調査に関することだ。

 僕は蜥蜴と蝙蝠の遺骸を調べて、別種の個体がいないかを確かめながら、入り口に繋がる道以外の通路が無いかを探していた。シエスはまだ細かな魔導までは流石に習得しきっていないようなので、仕事は特に任せなかった。僕の横で、杖で蜥蜴の遺骸をつついたりしている。



 少し経って、矢の回収に出ていたガエウスが、空洞の入り口近くにいる僕らの元まで戻ってきた。


「ガエウス、矢の残りは?」


「上々だ。嬢ちゃんの魔導が強すぎて駄目になってるかと思ったが、まあそこそこは回収できた。あと半分ってとこだな」


「……?まだ、戦うの?」


 僕らの会話を聞いて、シエスが不思議そうに少しだけ首を傾げていた。


「分からない。ナシトが今、まだ奥があるかを調べてくれているから、少し待ってみよう」


 言いながら、僕は半ば確信している。きっとガエウスも同じだろう。このダンジョンはこれで終わりではない。

 ガエウスの矢は、蝙蝠への確実な攻め手だ。多めに持ち込んではいるけれど、まだ深層があるのなら一本でも多くを持っておきたい。……でも、矢が尽きてもガエウスなら短刀でやすやすと蝙蝠を落としそうだな。


「それにしても、シエスっ!お前、あんな強かったのかよ!特にあの、『厳雪』とかいうの、初めて見たぜ」


「……あれは私が考えたから」


 シエスの声は自慢げだった。新しい魔導を創造するのって、かなり高等な技術だった気がする。


「んだァ?もうそんな、カッコつけたことしてんのかよっ!最近のガキはすげえなっ」


 ガエウスは豪快に笑って、シエスの頭をひっつかんでわしわしと撫でた。シエスは一瞬だけされるがままに揺れて、そして驚いたことに、その細腕でガエウスの手を弾いた。シエスが手を払った時、ばちんと大きな音がした。


「……髪がぐしゃぐしゃになるから、やめて」


 声はひどく冷たかった。眼も半目で、すごくじとっとしている。


「痛えっ!おいシエスっ!お前今、『靭』使っただろっ!んだよ撫でるくらいで!ロージャにはいつもせがんでるくせによっ」


「ロージャは特別」


 ぎゃあぎゃあと言い合いながら、逃げるシエスをガエウスが追う形で二人は無数の氷柱の間を走り、僕から離れて行った。一応まだダンジョン内で、気を抜くべきじゃないのだけれど、まあいいか。ガエウスが傍にいればシエスも安全だろう。


 僕は一つ息をついて、ナシトの方を見た。彼は少し離れたところで、壁に手を添えて目を閉じていた。魔導でこの空洞の構造を調べている。

 これ以上何もなければ、それが一番だ。でもこのダンジョンは何かがおかしい。きっと何か出てくるだろう。


「ロージャ、怪我はありませんか」


 見ると、ルシャが近付いてきていた。彼女にも、魔素の動きを調べてもらっている。


「ああ、大丈夫だよ。シエスの魔導のおかげで、あんま戦ってもいないしね。それになんだか調子も良いみたいで、楽に身体を動かせた」


「……『力』が、何か変わったのですか?」


 ルシャは眉をひそめていた。何か、気になるのだろうか。


「変わった訳じゃないと思う。何というか、使いやすくなったというか」


「そうですか。悪い変化ではなさそうですね。……ですが、気を付けてください」


 ルシャは僕の正面で、僕の手を取って、握った。真剣な眼で僕を見上げている。心配する気持ちが伝わってくる。


「私の癒しと貴方の力が同じ類のものならば、ですが。私は何度か、癒しの力を使い過ぎて倒れたことがあります。倒れたと言っても、眠っていただけのようですが。ただ『力』をある水準以上に使いすぎると、意識を保てなくなるようです」


 ルシャの言葉に、驚く。けれど言われて、心当たりもあった。すぐに思い出す。

 伝承の巨人、スヴャトゴールと戦った後、僕も原因不明の眠気に襲われた。身体はそこまで疲れていないのに瞼が重くて、気を抜くとすぐに気を失ってしまいそうな、そんな不思議な気怠さがあった。


「……言われてみれば、僕にも憶えがある。僕らの力がまだ謎だらけなのを、忘れないようにしないと。頼りすぎるのも、危険だね」


「ええ。……どうか、無理はしないで。痩せ我慢をしている時の貴方は、私もシエスも、あまり好きではありませんから」


 そう言って、ルシャは心配そうな表情を解いてやっと笑ってくれた。


「ああ。ありがとう、ルシャ。でも君も、無理はしないで。僕も無理するルシャは、嫌いだよ」


「…………嫌い、ですか……」


「そ、そんな深く受け止めないで」


 ルシャは僕の言葉で急に落ち込んでしまった。俯いて、眉が悲しげに下がっている。僕は焦る。

 慰めようと、僕が彼女に一歩近付いた時だった。



「奥に、さらに魔素の濃い地点があったぞ」


 不意にまた、真後ろから囁く声がした。目の前のルシャも僕の肩越しにナシトを見たのか、目を丸くして驚いている。


「……ナシト。なんでいつも、後ろからしか話しかけてこないのさ」


 振り向きながら聞くけれど、ナシトはいつも通りにやりと笑って、それだけだった。この男は、謎だ。

 ルシャの手を離して、ナシトに向き直った。ルシャにはまた今度謝ろう。今は、また集中し直さないと。


「まあ、いいけど。……道も見つけた?」


「ああ。こっちだ」


 ナシトはそう言って、歩き出した。丁度、ガエウスがシエスの首根っこを掴んで僕らのところまで来ていたので、四人でナシトの後を追った。




 ナシトが示したのは、他の部分と何も変わらない壁の一箇所だった。この奥に道が繋がっているという。

 壁のすぐ向こうに何かがいる気配は無いので、まだ臨戦態勢にしておく必要はないだろう。

 僕は鎚を呼び出して、思い切り振るい、壁を吹き飛ばした。ナシトの言う通り、ここだけ比較的薄い壁だったようで、奥には僕らがここまで下りてきたのと同じような細道が、下へと続いていた。


「やっぱりまだ下があったね。どうする?今日は一旦拠点まで戻るのも有りだと思うけれど」


 そう言って、皆を見る。

 まだ日は沈んでいないだろう。時間はある。けれど魔物は相当数削ったから、『溢れ』まで時間も稼げているはずだ。


「馬鹿言え。シエスのせいでこっちはまだ暴れ足りねえんだよ」


 予想通り、ガエウスが獰猛に笑った。


「私のせいじゃない。けど、私も大丈夫」


 シエスも元気そうだ。凛と背を伸ばして僕を見ている。ルシャもナシトも僕に頷いている。無理をしている雰囲気は欠片も無かった。やっぱり皆、頼もしいな。


「分かった。ならもう少し潜ってみよう」


 そう言って、鎚を背に回して代わりに盾を取り、僕は踏み出した。後ろに皆が続く。

 歩きながら、誰も声を発さず、息を潜めている。先程までの少し弛緩した雰囲気はもうどこにもなかった。



 道はここまでと同じように、細く暗かった。


 先に何が出るかは、分からない。けれど基本的には、ダンジョン内で出る魔物の種類はある程度決まっている。この先にいるのも蜥蜴と蝙蝠なら、作戦を変える必要は無い。シエスの魔導ですり潰す。

 けれど何か、違和感があった。細く長い下りの道と、空洞と、そこを埋め尽くす魔物たち。そしてまた細い一本道。あまりにも、人工的に思える。

 ダンジョンというのは普通、それ自体は普通の土地だ。湿地であったり洞窟であったりはするけれど、ごく普通だったはずの土地に魔素と魔物が湧くようになって、それを後から僕ら人間が勝手にダンジョンと呼んでいるだけだ。

 けれどこのダンジョンは何か違う。ダンジョンというよりは、魔素と魔物の貯蔵庫のような。まるで誰かが、何らかの目的を持ってこのダンジョンを作り上げたかのような――


 考えていると、道が下りではなく平坦なものになり、そして不意に前方の空気が冷えた。開けた場所に出る前に感じる感覚。

 まだ少し距離があるから気配は曖昧だけれど、前方がまた先程と同じような大きな空洞なら、おそらく同じように魔物もいるだろう。微かに蜥蜴の足音も聞こえる。

 僕は止まって、手で皆に指示を出す。ガエウスが弓に矢をつがえる音が聞こえる。シエスは魔導の準備を始めているはずだ。僕は盾を構えて、ただ前方を見据える。

 少し待つ。するとガエウスが僕の背をつついた。準備ができた合図だ。僕はまた手で合図を出して、一拍置いて、駆け出した。道が開ける直前、二つ目の大空洞の入り口で、立ち止まる。盾を立てる。

 シエスがふわりと僕の上に立った。合わせて僕らの頭上を光の球が複数飛んでいく。目の前が明るくなる。魔物の群れが見える。この空洞は、さっきよりも大きい。魔物の数も、おそらくさっきより多い。

 けれどやることは全て、前回と同じだ。シエスが杖を振る。白いベールが現れて、僕らの前に広がって、揺れた。

 シエスは、今度は魔導の名前を口にしなかった。『厳雪』のベールが弾けて、白い風が魔物を覆う。はずだった。




「おや、お客さんかな。待ちくたびれたよ」




 ざらついた声が聞こえた、刹那。

 僕らの目の前で、黒い渦が口を開いた。奥を僅かも見通せない深い闇が広がって、シエスの起こした白い風を飲み込む。シエスの魔導の規模は前回よりも大きく見えたけれど、目の前の黒い渦はそれを全て飲み込んで、消えた。


 白い風と黒い渦が消えて、僕らの目の前には、一人の男が立っていた。人間のようで、けれどその顔には眼も鼻も無かった。ただ口だけが、笑みを浮かべている。


「歓迎するよ、冒険者の皆さん。『巣』の端へようこそ」



 そう言って、男は笑った。

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