第62話 攻略
『大空洞』の入り口には、前回よりも早く辿り着くことができた。
内心、シエスの体力を少し心配していたけれど、朝によく僕と一緒に鍛錬していることもあってか、ルブラス山を登った頃よりも体力がついているようで、足取りはしっかりしていた。道中、時々魔導でふよふよと浮きながら移動していたけれど、たぶんあれも彼女なりの休憩だったのだろう。一瞬で魔素酔いする僕には羨ましい限りだった。
道中、あの魔物の大群を相手にどう攻めるかを皆と話し合った。
『溢れ』を抑える最も手っ取り早い方法は、溢れかけている魔物を短時間で殲滅することだ。魔物は生態がほとんど明らかになっていないので、魔物の発生についても原理や根拠が良く分かっていないのだけれど、慎重に時間をかけて狩っていて、逆に魔物が増えて溢れてしまったという過去の例もある。だから今回は、初手からシエスの魔導を頼る。
僕自身はまだシエスの魔導の威力を見たことがない。けれど自信満々なシエスと、彼女の言を意外にもきちんと肯定したナシト、この二人を信じて、作戦を立てた。上手くいけば、さほど時間もかからずにかなりの数を殲滅できるだろう。
今回のダンジョンは、何より情報が少ない。一度潜った際に分かったことだけを基に攻略していく必要がある。そして想定外のことが起きた時は、迅速に柔軟に対応する。それらしく言ってはいるが、要するに初手以外はほとんど行き当たりばったりに頑張る、ということだった。
これまで、臨機応変というのは、僕にとっては一番苦手な戦い方だった。何か想定外のことが起きれば、すぐに仲間のことを守ることだけを考えてしまって、依頼の目的を達成できないこともあった。……僕は、変わっていかないといけない。信じるべき時は信じて、敵を仲間に任せる。その判断を、見誤らないようにしないと。どの敵を皆に任せて、どの敵を僕が抑えなくてはいけないのか。
不安だった。けれど、僕がこれを上手くできれば、僕たちはきっと、もっと遠くまで一緒に行ける。
『大空洞』の入り口はしんとしていて、僕らが設営した拠点もそのまま、荒らされた様子も無かった。拠点で小休憩した後、僕らは入り口に潜り、長く暗い坂を下り始めた。僕が先頭、次にガエウス、その後ろにシエス、ナシトと続いて、一番後ろがルシャの順。ナシトの魔導光を頼りに、前へ進む。
僕には見えないけれど、ナシトはシエスの周りに、既に魔導壁を展開している。シエスは戦闘に不慣れだ。彼女は過保護に守るくらいでいいはずだ。これは、彼女を信じていないことには、ならないよな。
進みながら、ふと思う。このダンジョンが、あの大きな空洞だけで終わってくれれば良いのだけれど。あそこだけでも、相当な量の魔物がいた。だけど、こうした地底系のダンジョンというのは通常、複数の層からなる。少なくとも僕の知っている地底ダンジョンは全て複層だった。
もし、あの奥にまだ、別の空間があるとすれば。そこにも同じように大量の魔物が控えているのだとすれば。
それは異常事態だ。僕ら五人で今なんとかしなければ、魔導都市が丸ごと魔物の群れに呑まれるほどの。
「どんなお宝が出てくるか、楽しみだぜ」
そんな僕の不安をよそに、ガエウスが呑気につぶやいた。
「……ここは魔物以外、見当たらなそうだけれどね」
「なら見たこともねえ魔物でもいい。知らねえものを知りてえンだよ、俺は」
「……ガエウスは、危険が好きなだけ」
シエスのつぶやきに、僕も頷く。ガエウスがお宝好きなのは良く知っている。でも一番の目的は結局スリルだろう。その証拠に、彼は手に入れた宝をすぐに金に変えてしまう。その金で酒を浴びるように飲むのが大好きな男だった。
「んだァ?シエスも良く分かってきたじゃねえか。冒険、楽しいぜ。楽しくてすぐお前も止められなくなる。もうすぐだ、期待してな」
ガエウスはがははと笑った。すぐにルシャとシエスから、「静かに」と注意の声があがった。
なんにせよ、いつも通り緊張感など欠片もないガエウスに毒されて、僕も息をついた。考え抜くのは大事だけれど、考えすぎるのは駄目だな。
そうして、坂を下りきり、空洞の前に来た。予想に反して、空洞の入り口はナシトが作り出した土の壁で封じられたままだった。
好都合だ。僕は背から鎚を取った。皆を振り向く。
「じゃあ、手筈通りいこう」
それだけ言って、皆が頷くのを見た。不安そうな眼は一つも無かった。僕を真っ直ぐに見つめてくる。心強かった。
僕はずっと、この信頼を失うのが怖かったんだな。でも僕は怖れる前に、彼らから信頼を得たことそれ自体に、自信を持つべきだった。彼らを頼る資格が、僕にはある。今度こそ、間違えない。
仲間を背に、壁へ近付く。鎚を構えて、腰を落とす。全身に『力』を張り巡らせる。そこで違和感に気付いた。
『力』を以前より楽に意識できる。これまでは『力』を意図的に使っていたのが、今は自然に、必要なところに『力』が流れてくるような。
この力は、やはり意思に基づく何かなのだろうか。気になるけれど、一旦忘れる。この変化に悪影響は無い。なら、今は目の前に集中する。
「ロージャ。準備、できた」
シエスから声がかかった。頷いて、鎚を持ち上げる。ここからは、生き残ることだけを考える。
息を鋭く吐いて、『力』を込めて、縦に鎚を振るった。鎚の頭が壁に振り落ちて、轟音と共に壁が吹き飛んだ。無事に壁を丸ごと消し飛ばせたようだった。目の前の暗闇には、無数の蠢く音と羽ばたき。
僕はすぐに盾に持ち換えて、入り口を僕の身体と盾で塞ぐ。念のためだ。
そんな僕の上に、シエスがふわりと浮いた。数え切れない魔物の蠢きに怯えることもなく、彼女は堂々としていた。すぐに杖を下向きに構えて、僕の前方に線を引くように、ゆったりと杖を振る。
シエスの杖の動きに合わせて、僕と魔物たちの間には、白い膜のような、ベールのようなものが広がっていった。すぐに吐く息が、白くなる。周囲の温度が急激に下がっている。けれど急に寒さが遮断された。ナシトが何か魔導を使ったようだ。合わせて、空洞に向けて無数の光の球が射出された。これも、ナシトの魔導。
ここまでは作戦通り。後は、シエスの魔導だけだ。
蜥蜴と蝙蝠が、僕らに気付いた。こちらに迫る足音と羽音がする。
その時、目の前の白いベールが、揺れた。何かが起こる。シエスはいつの間にか、僕の肩に足をのせていた。
「『
シエスが、魔導をつぶやいた。
瞬間、ベールが弾けて、白い風となった。風が吹き抜けて、触れた蜥蜴と蝙蝠が一瞬で凍り付いていく。風はしばらく空洞を荒れ狂い、収まった後、低い位置にいた魔物たちは全て、その場で氷像と化していた。その光景は場違いに静かで、綺麗だった。
見惚れている場合じゃない。
けど、すごいな。もう半分くらいは片付いたんじゃないか?でもまだ、上の方にかなりいる。ここからは僕も働かないと。
「シエス、下りて」
「ん」
シエスはすんなりと頷いて、ガエウスの横にすとんと飛び降りた。すぐにナシトの横まで戻っていく。作戦は、憶えていてくれているようだ。
「ガエウス、援護をよろしく。一応、ナシトの後ろも警戒しておいて」
「分かってるよっ、くそっ、俺も飛び込みてえな」
「駄目だ。ルシャ、行こう」
「はい」
ぶつくさ言いながらもう矢を放っているガエウスを背に、僕とルシャは前に出た。
シエスの大規模な魔導には、魔素の溜めに時間がかかる。次の魔導まで、僕ら前衛で時間を稼ぐ。幸いこのダンジョンは魔素が濃いから、溜めは短時間で済む見立てだった。
ガエウスはシエスとナシトの前に立って主に蝙蝠の撃ち落としを、僕とルシャは少し前に出て、迫ってくる蜥蜴の殲滅を担う。ナシトには、シエスの護衛に加えて主にルシャの支援も任せている。
僕は脚に『力』を込めて、跳んだ。前方に躍り出て、凍り付いた蜥蜴を踏み抜いて、叩き割る。同時に鎚で背の盾を繰り返し叩き、耳障りな音を立てた。いくつもの眼が、こちらを見た気がした。
上から、無数の蜥蜴が降り注いできた。相当減らしたはずなのに、まだ馬鹿げた数がいる。目の前に落ちてきた蜥蜴の頭を鎚ですくい上げて、弾き飛ばす。
一体一体は、強くない。この蜥蜴の魔物、ヤシェルの亜種で気を付けるべきは、毒液と火の魔導。
かつての僕なら、口を開くか、口元に火が見えた瞬間に全力で躱すしかなかった。けれど今は、口に動きが見えた瞬間に、殺せる。
力だけ見れば、僕はもう、化物だろう。だけどそれで良かった。今なら皆を守れる。
一瞬、手前の一体の口にちろちろと火が見えた。意識すらせずに手斧を投げる。蜥蜴の頭が弾けて、どろりと血が溢れる。瞬きもせず、左奥で口を開きかけた一体に跳んで、胴体に鎚を振り下ろした。押し潰して、体を真っ二つにする。鎚が血まみれになる。その直後に僕の脇に向けて爪を振るった蜥蜴の腕を掴んで、体ごと振り上げて、別の蜥蜴に叩きつけた。千切れて僕の手の中に残った蜥蜴の腕を、放り捨てる。そうして一体一体、できるだけ速く、けれど隙を見せずに潰していく。
この程度の相手なら、もう盾も必要ないな。そのことだけは、少し寂しかった。盾は僕の戦い方そのものだったのに。
「おいっ、ロージャっ!俺もそっち行っていいか!コウモリは、もう飽きたんだがっ」
「駄目だ。もう少し、維持して!僕はもういいから、ルシャを頼むっ」
蜥蜴をまた一体吹き飛ばしながら、ガエウスからの声に振り向かず答える。
さっきから、蝙蝠を一体も見ていなかった。けれど矢が頭上を飛ぶ音と、爆発音は嫌になるほど聞こえていた。僕の視界に入るより速く、全てを撃ち落としている。相変わらず、神業としか思えない速さだった。『力』を身につけてもまだ遥か遠くに思える、技巧の極致にガエウスはいる。
「私は、大丈夫です!ナシトも、シエスに集中してくださいっ」
ルシャの声も聞こえた。声に無理をしている様子はなかった。戦闘中は常に冷静であることを心がけているのに、どうしても嬉しくなる。僕はようやく、ただ守るでも守られるでもなく、仲間と一緒に戦えている。そんな気がした。
"皆、戻れ。魔導を放つ"
ナシトの声が頭に響く。鎚を一度ぐるりと振り回して、蜥蜴を散らす。すぐに跳んで、シエスの元に戻った。大空洞の入り口に立つシエスを背にして、また盾を構えた。
「もうかよ!シエス、気合入れすぎじゃねえかっ」
ガエウスがなぜか悔しげに言いながら、僕を跳び越えて入り口の細道に隠れる。ルシャもすぐその後に続いた。
蜥蜴と蝙蝠は、目に見えて減っていたけれど、それでもまだ相当な数がいた。全てが僕らにつられて下方に集まっているようだった。
「次で、終わらせる」
そう言って、シエスがまた、僕の上に浮いた。浮かれると、いざという時に守りにくいのだけれど、シエスにも何か譲れないものがあるのだろう。
シエスは僕の上で、背をぴんと張って、杖を高く持ち上げた。また、空気が一つ冷えた気がした。
シエスは一瞬止まって、杖を勢いよく、振り下ろした。
その瞬間、大空洞の高いところから、大きな氷柱が降り注いだ。一つ一つがシエスと同じくらいの大きさで、それが数え切れないほど、鋭い速度で矢継ぎ早に落ちてくる。
氷柱の衝撃で、大空洞が揺れた。氷の塊が地を削って、蜥蜴も蝙蝠も全てを巻き添えに、降り落ちる。
目の前の光景に、僕も今度ばかりは固まってしまった。……これは、圧倒的すぎるな。
轟音が鳴り響いて、全ての氷柱が落ちた後、大空洞は静まり返った。浮いていたシエスが僕の肩に、ぽすりと足をのせた。
僕ら以外に、生きているものはもういないようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます