第61話 再出発

 夜が明けて、眼が覚めた。

 陽はまだ昇ったばかりのようで、赤みがかった陽光が冬らしく柔らかく、窓から差していた。


 僕の目の前にはルシャの寝顔があった。寝息は穏やかで、まだ起きる気配は無い。薄々予想はついていたけど、寝顔さえも彼女は本当に綺麗で、ただ寝ているだけなのに温かな雰囲気で、微笑んでいるようにも見えた。少しの間、見入ってしまう。

 ふと、僕のお腹のあたりで何かが動いた。見てみると、シエスが僕の胴に抱き付いている。夜中、寒かったのだろうか。僕の腹にぴったりと頬をつけていた。シエスは寝ている時の方が、ふにゃりとした表情をしているんだな。


 昨晩のことを思い出す。二人の前で泣いてしまったことが今更ながら恥ずかしい。けれど同時に、驚くほど清々しい気分だった。

 これからは、もっと仲間たちに向き合おう。皆を頼ろう。自分の駄目なところも全部見せて、その上で傍にいて、守るんだ。

 その日々の中で、今みたいに、僕の知らないシエスやルシャをもっと知っていきたい。そんなこれからを想像するだけで、胸が沸き立つ。これからが楽しみに思える。だから、もう後ろばかりを振り返るのは、やめにする。


「ルシャ、シエス。起きて」


 呼びかけた。泣いたせいで少し掠れている気はするけれど、意識するまでもなくいつも通りの僕の声だった。ルシャの瞼が震えて、整った睫毛が揺れる。シエスの眼が眠そうに瞬く。

 僕は悪戯心が湧いて、そんな二人の頬に触れて、少しだけつまんだ。すぐに目覚めたルシャは恥ずかしそうにはにかんで、まだ寝惚けたシエスはうにゅうと変な声をあげた。僕は笑う。


「おはよう。朝食にしよう」


 さあ、冒険の時間だ。僕はもう、大丈夫。




 昨晩、僕のところに来る前にシエスとルシャであらかじめ用意をしていたようで、朝食の準備はすぐにできた。僕はまたもシエスに台所から追い出されてしまっていた。このところ手伝えていなかったから、僕も何かしようと思っていたのに。

 三人で朝食をとっていると、どたどたと足音がして、ガエウスが降りてきた。寝起きらしく髪が四方八方にはねている。けれど眼はいつもの冒険前と変わらず、楽しげに輝いていた。


「良く寝たぜ。あとは嬢ちゃんたちの美味い飯を食って、それで冒険の準備は万端ってやつだ!」


 ガエウスは朝からうるさかった。席にどっかりと座り、食前の祈りもせずパンを掴み取って齧り付く。粗野で野蛮、という冒険者の典型を体現するかのような豪快さだった。


「そういやあ、シエスよぉ、昨日はロージャの部屋で寝てたみてえだな?」


 ガエウスがシエスに話を向けた。顔は、にやついている。既にあらかた食事を終えて僕の膝の上でまったりとしていたシエスは、照れもせず堂々と頷いた。

 僕は僕で、ガエウスがシエスのことを『シエス』と呼んだことに、少し驚いていた。


「そうか!そりゃめでてえな。身体通りでけえから、嬢ちゃんにはまだ早すぎんじゃねえかと思ってたんだが――」


 瞬間、ガエウスの席に、小さな雷が落ちた。弾けるような音がして、椅子に大穴が空いた。

 ガエウスは雷の落ちる刹那に席から消えて、食べかけのパンを片手に、席から少し離れたところに立っていた。油断しきっていた僕には、何がなんだか分からなかった。何が起きた?


「おいっ、シエス!今お前、かなり本気のやつ撃っただろっ!俺じゃなきゃ死んでンぞ!」


 ガエウスがわめき始めた。どうやらシエスの仕業らしい。一拍置いて、僕も直前のガエウスの言葉を思い出す。……まあ、今のはガエウスが悪いな。


「……最低」


 シエスの声はひどく冷たかった。僕からは見えないけれど、シエスはきっと冷たい眼で、じとっとガエウスを睨んでいるのだろう。


「……今のは、ガエウスが悪いですよ」


 僕が思った通りのことを、ルシャも言う。彼女は呆れ声だった。僕も頷く。いつの間にか僕らの家に侵入していたナシトも僕の隣で頷いていた。……こいつ、いつからいたのだろう。


「んだァ?俺は別に間違ったこと言ってねえだろっ」


 やめてくれ。恥ずかしいのは僕なんだぞ。

 見ると、シエスの耳が少し赤くなっていた。やめてくれ。


「……別に、早すぎることは、ない」


 シエスはそうぼそりと言って、俯いてしまった。耳がみるみる赤くなっていく。……参ったな。


「おいっ、泣くなよ!分かった、俺が悪かった、これからせっかくの冒険なんだっ、前向いて行こうぜっ」


「泣いてない」


 勘違いして慌てるガエウスと、それをまた睨むシエス。二人の相性はたぶん最悪だけど、二人がいがみ合う様子はじゃれ合っているかのようで、見ていて楽しかった。ふと見ると、ルシャも笑っていた。彼女と目が合って、また笑う。


「……今日も、美味いな」


 耳元からナシトの声がして、僕は自分の朝食が盗み食いされていることに気付いた。……ちゃんとナシトの分もあるのに。この男は未だに良く分からない。


 いつもの、僕らの朝だった。

 北のダンジョン、『大空洞』を鎮めたら、新しい椅子を買いに行こう。そんな些細な予定も、今はひどく楽しみに思えた。




 朝食の後、僕らは家の前で、武具を手早く点検した。

 シエスの武具は、魔導学校からナシトが持って来ていた。武具と言っても、杖とローブだけだけれど。

 魔導師は、魔導学校を卒業する際に自身だけの杖とローブを贈られると聞いたことがある。シエスはもうすぐ卒業と聞いたから、それが早まっただけなのかもしれない。

 けれど杖は、よく見ると僕がかつてシエスにあげた、急ごしらえの杖だった。少し違うのは、杖の先端に、何か水晶のようなものが付いていることだろう。シエスがどうしても僕の杖が良いと言って譲らなかった結果、魔具を付け加えることで無理矢理杖としての体裁を整えたらしかった。

 僕としては、もっとしっかりしたものを使ってほしいとも思うけれど、あげたときの言葉通り、杖を心から大切にしてくれているシエスが愛おしくも思えた。

 それと、ローブの色はなぜか青みがかった白だった。ナシトの漆黒のローブとは似ても似つかない。なぜだろう。僕は魔導師のローブと言えば、全て黒系の色と思っていたのだけれど。


「ローブの色は、全生徒分を校長が決めている」


 ナシトによれば、校長の独断らしい。あの校長は、真面目なのかふざけているのか分からない時も多いけれど、流石に命の懸かる武具でまでふざけないだろう。この色にも何か理由があると信じたい。敵から最も注目されるべきでない魔導師が白を着て、自分から目立つのはできれば避けたいというのが僕の本音だけれど。


「白は、好き」


 シエスはそんな僕の心配をよそに、ローブを羽織ってくるりと回った。確かに、ローブの白はシエスの銀髪と、涼やかな雰囲気と良く合っていて、綺麗だった。


「白が好きだったの?」


「ん。好きになった。ロージャのと、お揃い」


 そう言って、いつも落ち着いているシエスには珍しく、はしゃいだようにまた回った。

 ……僕の鎧が白みがかった銀なのは、囮になるという意図もあるんだけどな。まあ、大丈夫だろう。今回はダンジョン内の魔物の殲滅が目的で、別に隠れて移動するようなものでもないし。ローブの色で明らかにシエスばかりが狙われるようなら、その時はナシトに頼んで隠蔽してもらえばいい。

 そう自分を納得させつつ、何よりシエスが喜んでいるのを邪魔する気持ちにはなれない自分にも、気付いていた。


 そんなことを思っていると。ふと、腕を引かれた。振り返ると、ルシャが僕の腕を控えめに握っていた。顔を少し赤くしている。なんだろう。


「ロージャ。実は私も、帰ったら新しい鎧にしたいと、思っているのですが。……できれば、白で。……似合うでしょうか」


 僕は一瞬ぽかんとして、すぐに吹き出してしまう。ルシャにもこんな、子どもっぽいところがあるんだな。


「ど、どうして笑うのですか。別にシエスが羨ましいとか、そういうことでは」


 僕の前でルシャはわたわたとし始めた。相変わらず、嘘が下手だ。ルシャはたまにこんなふうに、どこか抜けたところを見せてくれる。そんなところがたまらなく好きだった。


「ああ、ごめん。そうだね。帰ったら、一緒に見に行こう」


「……約束ですよ?」


「もちろん」


 そう言うと、ルシャはようやく笑ってくれた。鎧の色なんて、ルシャは気にしなくていいのに。けれど僕と一緒でありたいと思ってくれる、その気持ちがひどく嬉しかった。




 武具の点検が終わって、気付くと皆が僕を見ていた。僕は頷く。

 まだ早朝だけれど、今日のうちに北のダンジョン、『大空洞』に潜っておきたかった。溢れるまでにもう時間の猶予は無いのかもしれないから。


 シエスには初めてのダンジョン攻略になる。ふと、大丈夫だろうかと彼女を見ると、シエスは緊張した風も気負った様子もなく、ただ自然に、いつも通り凛と立って、僕を見ていた。不思議そうに首をかしげてさえいる。出発しないの、と言われている気がした。

 頼もしい限りだった。僕が初めてダンジョンに潜った時は、どうしても震えが止まらなかったのに。


 いや、違うな。あの頃、僕は自分の力も、ユーリの才能も、何一つ信じ切れていなかった。何もかもが不安だった。

 けれどシエスは違うだろう。僕が魔導都市までシエスを守り抜いた。そんな僕を彼女は信じてくれている。だから、震えずにいられる。そう信じよう。


「よし。行こう」


 そう言って、僕らは歩き出した。

 ガエウスが意気揚々と前を行く。隣にはシエスとルシャがいて、後ろには影のようにナシトが続いた。

 いつもと変わらないのに、いつになく心が沸く。信じてくれる彼らを守り抜いて、僕も一緒に生きて帰る。そのために、全力を尽くそう。

 いつもの、冒険の前の震えはもう、欠片も感じなかった。

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