第58話 過去 五

 ソルディグと会った直後。僕は宿に戻って、パーティの皆に、僕が闘技会に参加すること、それまでの半月はパーティでの活動をしないことを告げた。ソルディグとの約束については、触れなかった。

 告げた時、ナシトはいつも通り何も言わなかった。ガエウスはつまらなそうな顔をしたけれど、不思議と文句を言わなかった。ただ、眼は冒険の時のように鋭く、僕を見据えていた。責めるでもなく憐れむのでもない、ただ僕を見通すような眼。ソルディグのと似ているけれど、ガエウスのそれは、どこか温かく思える光を宿していた。信じて、くれているのだろうか。分からない。


 ユーリは、何かを聞きたそうだった。けれど口を開くことはなくて、僕と目が合うと、逃げるように顔を俯かせてしまった。

 ひどく、距離を感じる。ユーリが僕に何かを口ごもるなんて。僕に言いたくないことは絶対に言わず、言いたいことは真っ直ぐに言うのが、ユーリらしさと思っていたのに。ユーリは変わったのか、それとも、僕が本当のユーリを知らなかっただけか。駄目だ。ろくに頭が回らない。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。今すぐにユーリの足元に縋り付いて、ソルディグにはもう近付かないでくれと言えば。嫉妬する僕の醜さを何もかもぶち撒ければ、全て元通りになるんだろうか。

 そうは思えなかった。ユーリは僕の強さを疑っている。ソルディグの強さに惹かれている。僕がこれ以上弱さを見せても、僕のところに戻ってきてくれるとは思えなかった。

 それに僕は、ユーリの隣で、彼女を守りたいんだ。かっこ悪いところは、これ以上見せたくない。憐れみで傍にいてほしい訳じゃない。



 今後の予定を端的に伝えた後で、僕は皆に背を向けて宿を出て、そのままひとりで王都を飛び出した。



 ソルディグと会ってから、僕の頭の中は常に熱に浮かされたようになって、冷静に物を考えるなんてとても無理な状態だった。

 闘技会は半月後に迫っていた。半月で、あの男に勝てるほどに、強くならなければならない。この一月で、少しも強くなれていないのに。もう焦りは僕の中にこびりついて離れなかった。


 気が付けば、ひとりでダンジョンに飛び込んでいた。作戦も何もなく走る僕に、魔物が群がる。それがどんな魔物なのか判別もつかなくなっている自分に、笑ってしまう。分からないけれどこの数はたぶん、ヴォルクだろう。


「展開」


 鎧と鎚を発現させる。盾は必要なかった。今は僕ひとりだ。守るべきものも無い。

 そのままがむしゃらに、鎚を叩きつける。近寄らせないように、鎚を振り続ける。魔物は少し怯んで、けれどまたこちらに向かってくる。僕では小型の魔物さえ、一撃で殺しきれない。




 どうすれば、強くなれるのだろう。分からない。


 この世界は、魔導の使えない人間に厳しい。魔物に出くわした時に魔導を扱えなければ、僕らはほとんどの場合、すぐに魔物に喰われて終わりだ。僕が生き残れているのは、魔導を扱える仲間がいつも僕の後ろにいるから、だろう。鍛錬だって役には立っているだろうけれど、魔素を感じられない僕ひとりがいくら鍛錬を続けたからといって、ひとりで化物と戦えば、僕は終わりだ。

 だけど僕はひとりじゃない。僕には仲間がいる。僕だけでは勝てなくても、僕ら全員で勝てるならそれで良い。だから僕がすべきなのは仲間が全力を出せる環境を作ることで、それができる限りは皆と一緒に冒険ができると思っていた。




 ヴォルクは、弱い。動き方もよく知っている。頭のネジの狂った僕ひとりでも、遅れは取らない。群れの数体をねじ伏せると、残りの個体は散り散りに去っていった。僕はそのまま、奥に進んだ。


 それからまた記憶が飛んで、僕は魔物の返り血に汚れた鎧と、沢山の掠り傷と共に、夕闇の王都、主門近くに立っていた。




 今、僕自身が強くならなければならない。パーティとしての強さではなく、僕自身が、純然たる強さを身につけなければならない。

 けれどこの世界で、強さとは即ち、魔導だ。魔導の適性は才能そのもので、魔素を感じられない人間はどんなに足掻いても一生魔素を感じられない。魔導を扱えない僕が、これ以上強くなれるとは思えなかった。

 なら、どうすればいいのだろう。強くなれなければ、ソルディグには勝てない。勝てなければ、ユーリは僕の元から去ってしまう。

 ユーリが傍からいなくなるのは、絶対に嫌だった。ユーリのいない人生なんて認めたくなかった。ユーリさえいてくれるなら。ユーリの傍で彼女を守って、一緒に笑えるならそれだけで幸せなのに、どうしてそのユーリを、僕から奪おうとするのだろう。

 嫌、だった。



 もう日の区別さえつかなくなっていた。朝も夜もなく、僕は鎚を振る。起きているのか、夢を見ているのかも定かではなくなっていく。ただ握る鎚の重さと、ユーリへの想いだけが確かだった。けれど強くなれているとは、思えなかった。


「ロージャ。済まないが、ここでお別れだ。急用ができた。魔導都市に戻る」


 唐突に、ナシトの声が聞こえる。彼の声は心なしか、いつもより寂しげに響いていた。


「……挫けるなよ」


 僕は去っていくナシトに、何か言えたのだろうか。彼だって大切な仲間なのに。どうしようもなく壊れていく僕に失望したのだとしても、これまでこんな僕と一緒にいてくれたナシトには、本当に感謝しているのに。




「ロージャ、あなた……ソルディグと、何を話したの?」


 ユーリの声が聞こえた。泣きそうな眼をしている。僕は何か答えた。たぶん正直に話したはずだ。彼女には嘘をつけない。僕の嘘なんて、ユーリはすぐに見抜いてしまうから。


「……そんなことをしなくたって、私はあなたと一緒にいるわ。このパーティが、私の居場所、でしょう?」


 そう言って、彼女は僕の手を握る。だけどユーリの眼は曇っていて、悲しげだった。僕への哀れみと、後ろめたさと、迷い。僕は悲しくなる。

 ユーリ。僕だって、君の嘘はすぐ分かるんだ。


「ユーリ。本当にそう、思ってる?まだ、思ってくれているのか?」


 一瞬だけ覚醒した意識が、自分の声を聞いた。僕の声は自分のものとは思えないほど嗄れていた。

 ユーリの手がびくりと震える。彼女は一瞬僕を見た。その眼は燃えるような鋭さで、けれどすぐに力を失って、俯いた。その後も、何も答えてはくれなかった。手はもう離れていた。

 僕は彼女の嘘まで飲み込んで、傍にいてくれと言うべきだったのかもしれない。けど、僕はそのままのユーリと一緒にいたいんだ。今ユーリが僕に向けているのは、憐れみだった。僕は、お情けで傍にいてほしい訳じゃないんだ。信じてほしいんだ。

 そう思うのは、僕の馬鹿馬鹿しい見栄なのだろうか。




 気が付くと僕はまた、ダンジョンに立っていた。何処のダンジョンなのかは、分からない。無我夢中で、鎚を振るう。何かの魔物の爪で、頬が切れる。血が首を伝う。




 強くなりたかった。次第に離れていくユーリを僕の元まで、引き戻せるような力が欲しかった。何も失わずに済むだけの力が。

 でも僕は無力だった。僕がダンジョンでどれだけ鎚を振るって、傷だらけで帰ってきても、ユーリは悲しそうな顔をするだけだった。僕が強くなるとは、信じてくれていなかった。ユーリは自分の不安を、もう僕には打ち明けてはくれなかった。夜、ユーリはよく、宿から消えていた。




 見知らぬダンジョンの奥まで来ていた。見たこともない大型の魔物が、獰猛に僕を見据えていた。僕をすっぽりと飲み込めるほどの大口を開けて、僕に飛びかかってくる。僕の目では追えない速さで。




 強くなりたい。何も失いたくない。せめてユーリだけは、傍で笑っていてほしい。そんなことさえ、世界は認めてくれないのか。僕はどんなに足掻いても、自分の情けなさを振り払えずに弱いままで、何も守れずに死ぬしかないのか。

 嫌だ。




 鎚を握る手に、もう感覚は無かった。頭もおかしくなっていて、目には涙まで滲んでいた。僕はもう、駄目だろう。

 それなのに、胸の奥には変わらず、燃え盛るものがあった。僕が負けて誰も守れないという結末を、ただ否定する子供じみた思い。


 誰にも、何にも負けたくないという想い。何一つ、誰一人失いたくないという想い。


 ただそれだけは、何もかもが壊れた今も、僕の中で揺れず、ただ燃えていた。


 負けたくない。失いたくない。






 負けて、たまるか。僕のものは全て、僕のものだ。







 瞬間、ぷつんと、僕の中の何かが切れた。全身から、訳も分からぬ力が満ちる。

 僕は、この世のものとは思えない叫びをあげていた。魔物が見える。鎚を持ち上げて、瞬時に振るう。見たことの無い速さで、鎚は魔物に吸い込まれていった。


 そして、血が弾けた。

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