第55話 過去 二

 王都に拠点を移して、しばらくして。

 僕らは王都で活動していた魔導師、ナシトをパーティに加えて、王都近辺のダンジョンに潜る日々を送っていた。


 ナシトは、王国の魔導学校を卒業してからずっと、各地を流浪していたらしい。僕らと出会った時もたまたま王都にいただけだったという。冒険者として積極的に活動したいという訳でもないようで、いまいち掴みどころのない男だった。

 けれど魔導の実力は相当なもので、魔導の扱いや探究に対しては常に真剣で、ユーリにはかなり丁寧に魔導を教えてくれている。だから無気力という訳でもない。でも、人に教えるのが好きなのかと聞いても、にたりと笑うだけで何も答えてくれなかった。

 総じてよく分からない、それがナシトという魔導師の印象だった。腹の底に何か抱えているのか、単に不器用なだけなのか。でもなぜだか僕は彼のことを、好ましく思っている。なぜだろう。



 ある日、そんなナシトを加えて、四人でとある依頼を受けた。ダンジョン内に現れた、『外れ種』の討伐依頼だ。


「『外れ種』か。珍しいな」


 ギルドで依頼を物色していた時、隣でガエウスがつぶやく声が聞こえた。見ると、ガエウスは壁に掛かった依頼書をいつになく真剣に読んでいる。


「『外れ種』?」


「ああ。ダンジョンに出てくる魔物ってのは、ダンジョン毎にだいたい種類が決まってるだろ。だがたまに、全く関係ねえ魔物がぽっと湧くことがある。それが『外れ種』だ」


 そう言ってガエウスは笑い、壁からその依頼書を一枚取り、僕に手渡してきた。すぐに目を通す。


「……ゼムリ・ズメイ。聞いたことない魔物だな。……難度、かなり高いけれど、これを?」


 聞き覚えの無い魔物と、僕らで参加資格ぎりぎりの、高難度な依頼。不安になってくる。


「当たり前だろ。『外れ種』はほっとくとすぐに緊急依頼対象になっちまう。あいつらがいると、なぜだかダンジョン内の魔物が馬鹿みたいに増えるらしいからな。そうすると俺たちじゃ勝手に手は出せなくなる。だが幸い、まだ発生したばっかみてえで、今なら行ける。なら、行くしかねえだろ」


 ガエウスはもう、面白そうな冒険を見つけて目を輝かせている。どうすべきかな。

 もう一度依頼書に目を通していると、ふと目につくものがあった。既にこの依頼を受注しているパーティがいる。パーティ名は、『蒼の旅団』。

 聞いたことがあった。今王都には、破竹の勢いで功績を積み重ねるパーティがいると。それが『蒼の旅団』だった。

 直接見たことがないから本当の実力はまだ分からないけれど、城都市まで名が轟くほどだ。虚名という訳でもないだろう。彼らとの共同依頼なら、危険度も減るかもしれない。それに依頼はあくまでもまだ調査で、討伐ではない。『外れ種』が僕らの手に余る場合は、潔く撤退すればいいだろう。


「分かった。受けてみよう。ただし、無茶は――」


「よっしゃ!おおい、ユーリ!聞けよっ、また面白そうな冒険だぜっ」


 ガエウスは僕の小言をいつも通り遮って、少し離れたところで依頼書を眺めているユーリの方に向かって行った。

 僕は一つだけため息をついて、そのまま、依頼受注の手続きをするべく受付に向かった。




 そして、調査開始の日。

 僕ら四人は王都の主門近くで、『蒼の旅団』と初めて顔を合わせた。この依頼を受けたのは、彼らと僕ら、二パーティだけだったようだ。

 僕の目の前には、精悍な顔つきの青年が、涼しげな顔で立っていた。


「初めまして。僕は『守り手』のロジオンと言います。一応、パーティ内ではリーダーということになっていますが、第七等で、等級は一番下っ端です」


 僕から自己紹介をして、握手のために右手を伸ばす。青年は一つ頷いて、僕の手を取った。眼が、力強い。けれど何か、こちらを探るような鋭さがある。

 けれど少しして、眼からふっと力が抜けた。なんだろう。


「俺はソルディグ。『蒼の旅団』を率いている。今回は、よろしく頼む。細かな情報共有は、道中でしよう」


 それだけ言って、彼は手を離した。振り返って、仲間に出発の指示を出している。『蒼の旅団』は大きなパーティで、クランになりかけとも聞いていたけれど、今は僕らと同じ四人だった。ソルディグ以外の三人は、女性のようだった。

 ここで全員の自己紹介をするものだと思っていた僕は少し拍子抜けしてしまった。気を取り直して、僕も仲間を振り返る。


「僕らも準備をしよう」


 そう言うと、ガエウスとナシトは自分の荷物の点検に動き出した。けれどユーリはなぜか、固まったままだ。僅かに剣呑な眼をしている。


「ユーリ、どうしたの」


 思わず僕も準備の手を止めて、尋ねてしまう。


「あの、ソルディグという男。興味無いという眼をしていたわ」


 ユーリの声は少し刺々しい。さっきの眼の変化に、ユーリも気付いていたんだろうか。そういえば彼女は結構負けず嫌いだったな。


「まあ、仕方ないんじゃないか。彼らは今王国で一番の若手だから。僕らのような弱小パーティには興味も無いさ」


「違うわ」


 ユーリがぴしゃりと言う。


「彼、あなたに興味が無いと言っていたのよ。ガエウスや私には、違う眼をしていた。力を推し測ろうしていたわ」


 そうなのか。ということは、僕の実力は、握手をしたあの一瞬で底まで推し測られてしまったということか。自分の非力はよく知っているつもりだけれど、改めて指摘されてしまうと、やっぱり悲しい。


「いけ好かないわね」


「まあ、そう言わないで。今は仲間なんだから。でも、ありがとう」


 ユーリに礼を言うと、彼女は驚いたのか少しだけ目を見開いて、すぐに僕から顔を背けてしまった。耳が少し赤い。

 ユーリは僕の努力を知っている。僕を仲間と信じてくれている。だから無礼な態度に怒ってくれたのだろう。それはとてもありがたかった。

 たとえ実力が足りなくても、僕はできることをやるだけだ。日々努力して、少しでも力を付ける。そして皆を守る。その果てで、力が足りず死ぬのなら、それでも良かった。


 ダンジョンまでの道中、僕らは互いに自己紹介をして、共に『外れ種』調査の作戦を練った。

 その間、ユーリは何度かソルディグに話しかけられていたけれど、明らかに素っ気ない態度を取っていた。僕はそれを見て、ハラハラするような安心するような、言葉に言い表せられない気持ちになっていた。

 逆に僕が『蒼の旅団』の女性と話していた時は、ユーリは何も言わないけれど、僕をじっと見て、むすりとしていた。それが気になって、僕はあまり彼女たちのことを知ることはできなかった。



 数日歩いて、僕らは『外れ種』が発生したというダンジョン、ジルクの狭間に来ていた。

 狭間と言っても、見た目はただの、だだっ広い荒野だ。普通の荒野の中にぽつんと魔素の濃い箇所があって、そこにだけ魔物が湧くので、ダンジョンと認定されている。

 この地は昔から魔素が異様に濃くて、昔の人々はここを、魔界との境界と考えて怖れていたという。魔界なんて存在しないおとぎ話で、今は単なるダンジョンと分かっているのだけれど、荒野の中に突如として現れるこの魔素の濃い区画には今も雑草一つ生えていなくて、ただひたすらに荒涼としている。ダンジョン内は魔物だけがちらほらと見えて、確かに魔界の入り口らしき雰囲気を湛えていた。


「あそこに、見えるな」


 ダンジョンの手前で、ソルディグが口を開いた。まだダンジョンに入っていないのに、ここからでも見える巨体。ゼムリ・ズメイが遠くにその身を横たえていた。


「でけえな。……竜種のくせに、鈍そうじゃねえか」


 僕には黒い点にしか見えないけれど、流石、ガエウスには良く見えているらしい。


「ええ。ゼムリ・ズメイは、飛べない竜ですから」


 ソルディグが答える。彼も遥かに年上かつ有名なガエウスには敬語だった。

 彼らの言う通り、ゼムリ・ズメイは飛べない地竜で、竜種の中では危険度の低い方の魔物だった。ギルドで収集した情報でしかないから過信は禁物だけれど、動きは鈍いので、口から吹く豪炎と、爪や牙、それに尾に気を付けていれば、そこまで怖い相手ではないという。

 けれど相手は竜だ。人間とは大きさが違う。一撃でも正面から食らえば、僕は耐えられるか分からない。それに今回は『外れ種』で、これまでの例からは考えられない攻撃を繰り出してくる可能性もあった。


 遠くを眺めていたソルディグは僕に向き直って、口を開いた。


「接触してみよう。攻め手を確認したい」


「ああ。分かった」


 幸い、今は僕らとゼムリ・ズメイの間に魔物は少ない。急げばすぐに竜と戦えるだろう。

 ソルディグら『蒼の旅団』が先行した。僕は仲間たちを見る。皆が頷いてくれた。


「よし。行こう。武運を」


 僕が先頭に、歩き出す。構えた盾と背の鎚は、王都で誂えたばかりの特注品だ。実戦でもう何度か扱っているから取り回しに問題は無い。むしろ今は、以前よりも増したその重みが、頼もしかった。


 前を行くソルディグたちが、近付いてきた魔物を簡単に散らしていく。彼ら『蒼の旅団』には、僕のような重戦士も、ナシトのような魔導師もいない。全員が、魔導を扱いながら剣を振るう、魔導剣士だった。全員が回避に優れ、攻守を担える。ああいう構成もあるのかと、僕はひとり密かに感心していた。

 あのパーティなら、確かに僕のような丈夫さだけが取り柄の重戦士は、要らないな。そう思うと、ユーリが怒ったソルディグの態度も、納得がいくような気がした。ユーリに話したら、怒られそうだけども。


 そうこうする内に、ゼムリ・ズメイの近くまでたどり着いた。地竜はまだ僕らを意識することもなく、四肢を丸めて眠りについている。


「ロジオン、行くぞ」


 前からソルディグの声がする。


「ああ。ガエウス、頼む」


「あいよ」


 作戦開始だ。

 ガエウスは速度を上げて、地竜の前に躍り出た。僕らは反対に、地竜の真後ろに移動する。


「おう、トカゲ野郎!起きやがれっ」


 見えないけれど、ガエウスのだみ声と同時に、一斉に爆発音が響く。彼の矢と、爆破の魔導だろう。

 ゼムリ・ズメイはうめき声を上げて、長い首を持ち上げた。立ち上がる。首は長く、体は図太く丸々と肥え太り、脚は太く短い。もはや竜というより、カバと蛇がくっついたような奇妙な風貌をしていた。ただ、大きさは想像していたよりは小さかった。大きいけれど、圧倒されるほどではない。


 爆破の音を聞いて、僕も前に出る。

 僕の仕事は、ガエウスと共に地竜の注意を引くことだ。と言っても、ガエウスほど火力は無いから、脚を挫くことができれば儲けものだろう。

 ユーリの近くにいられないのは、少し不安だけれど。勿論、何かあったらすぐに駆け付けるつもりだ。でも『靭』すら使えない僕の足は決して速くない。何よりも敵の動きを先に察して、対処していかないと。そう思って、地竜の動きに目を凝らす。


 ゼムリ・ズメイの後ろ脚まで来た。地竜は完全にガエウスに目がいっていて、僕には全く気を割いていない。

 盾と鎚を持ち換えて、思い切り鎚を、振りかぶる。息をためて、鋭く吐くと同時に、振り抜く。地竜の脚に、鎚が食い込んだ。

 思っていたよりは、柔らかい。一撃では大した効果はないだろうけど、何度か同じ箇所を叩けば、痺れるくらいはしてくれるかもしれない。

 考えながら、盾に持ち換える。地竜は首だけでこちらを見ていた。口が開いている。大きく息を吸っているような。まずい、火が来る。

 全力で走る。地竜の首は体の上だ。つまり死角は、地竜の体の下。発動句を口にして、鎚と盾を一旦消す。身軽になった状態で、足から地竜の下に滑り込んだ瞬間、僕がさっきまで立っていたところに、火の線が突き刺さる。地が弾けた。

 なんとか躱せた。けれど奴が火炎を放射状にも吐けるなら、かなり厳しいな。そう思いながら、地竜の下から這い出る。


「展開」


 鎚だけを呼び出す。そのまま、鎚を縦に振って、竜の横腹に叩きつけた。鈍い音が響く。

 ほとんど同時に、複数の魔導が地竜を襲った。たぶん、ナシトやソルディグのだろう。


 ゼムリ・ズメイが叫び声を上げた。魔導への耐性は、低いのかもしれない。竜はきょろきょろと周りを見ているけれど、魔導班はナシトの魔導によって姿を隠している。そう簡単には見つからないだろう。


「ロージャ、離れて」


 声に横を見ると、いつの間にかユーリがいた。僕は頷いて、走って少し距離を取る。


 ユーリは地竜の真後ろ、尾の近くで飛び上がって、剣を抜いた。剣には、雷が奔っている。最近覚えた、威力に優れた魔導剣。

 彼女はそのまま、尾の中ほどめがけて、剣を振り抜いた。

 落雷時のような爆音が響く。風も巻き起こって、僕は思わず腕で目を覆った。魔導の込め過ぎじゃないか。

 風は一瞬で収まって、前を見ると、ユーリの剣は尾を半分ほど断ち切っていた。焦げたような切り口が、敵ながら痛々しい。地竜から悲鳴に似た叫びがあがる。


「いい感じね」


 ユーリは満足げだ。魔導を身に付け始めて、彼女はまた一段と強くなった。一瞬、置いていかれたような気持ちになる。馬鹿馬鹿しい。彼女はいつだって僕の隣にいるのに。


 その瞬間だった。地竜の尾が、僅かに持ち上がり始めるのを見た。その動きに、違和感を覚える。尾だけ、体の動きに比べて初動が速すぎる。

 その思考より早く、僕の足は動き出していた。数歩前にいるユーリの元に、全力で駆ける。

 尾がユーリに向けて振るわれた。その動きは鞭のようで、足の鈍さと比べて異様なまでに速かった。ユーリは後ろに跳んで躱そうと脚に力を込めているけれど、彼女も虚をつかれたのか、一瞬反応が遅れていた。回避は、間に合わない。恐らくユーリの首元に、尾がぶつかる。

 僕は跳ぶように走りながら、力を込めすぎた脚で、どこかの筋が切れるのを感じた。それを無視して、尾とユーリとの間に、無理矢理に身体をねじ込む。

 すぐ、盾に衝撃。踏ん張るけれど、明らかに、重すぎた。盾を持つ両腕がぶるぶると震えて、一瞬で限界を訴えた。それも無視する。ぶつんと、両の腕から嫌な音が聞こえた。それも、無視した。

 結局、勢いは殺しきれなかった。けれど最後に、盾を上に向けて、全身の力を振り絞って地竜の尾を持ち上げる。ほんの僅かに尾は浮いて、僕とユーリの頭上を掠めていった。


 僕は盾ごと、後ろに吹き飛んで、転がった。衝撃と痛みで、少しの間意識が混濁する。ユーリは、無事かな。ぎりぎりのところでいなせたと思うのだけれど。

 数瞬あって、意識がすっと戻る。僕は竜から少し離れたところに倒れていた。腕も脚もまだ動くけれど、ひどく痛かった。気を抜くと意識を手放してしまいそうなほど、痛い。


「ロージャっ!!」


 ユーリの声が聞こえた。無事なようだ。良かった。地竜の方を見ると、ソルディグが前に出てきていて、ユーリに続いて尾を断ち切っていた。竜がまた、痛みに吼える。

 ユーリは僕に駆け寄ってこようとしている。そんな場合じゃない。息を吸って、声を張り上げた。


「ユーリ、好機だっ!僕はいいから、竜をっ!」


 こちらを向いたユーリの脚が止まる。泣きそうな顔をしているように見えたのは、僕の気のせいだろうか。ユーリは頷いて、すぐに振り返り、地竜に向かって駆け出していった。

 それを見て安心してしまった僕は、簡単に意識を手放した。遠くの方で、竜の鳴く声が聞こえ続けていた。




 どれくらい経ったのだろうか。意識が、僅かに浮かび上がった。何かに揺られている。ひどく熱い。身体中が、特に腕と脚がおかしなほどの熱を持っていて、どこも動かすことができない。目も開かない。ここはどこだろう。夢の中なのか。


「ユーリ。彼はもう、限界だ。君も気付いているだろう」


「……黙って」


 少し遠くで、誰かと誰かの声がする。聞き慣れない声と、大好きな声。けれど話している内容は、熱に煮えた僕の頭では、咀嚼しきれない。


「それに君も。才に溢れているのに、活かしきれていない。それで、良いのか」


「……」


 僕は今、どこにいるんだろう。人の足音と、声だけが聞こえる。けれどどうしてか、ユーリが苦しんでいるような気がした。

 目をこじ開けて、何か言おうとする。僕が何か、言わなきゃ。そう思うのに、目は開かず、声も出せなかった。


「ユーリ。『蒼の旅団』に来ないか。此処ならば――」


「そこまでだ。リーダーが寝てる間に身内を口説くのは、流石に見過ごせねえな。仲間としてよ」


 今度は近くから、声が聞こえた。けれどそれきり声は止んで、ただ歩く音だけが、規則正しく響く。

 足音につられて、僕もまた、意識がまばらになっていくのを感じた。ユーリは、苦しんでいるのだろうか。僕が今こうしている間にも、彼女が何かに悩んでいるのなら、僕はどうすればいい。助けたいのに、助けられないなら、僕はどうしたらいいんだろう。

 そうして僕はまた、気を失った。

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