第54話 過去 一

 これは、過去のお話。僕の隣には大好きな幼馴染がいて、ただ彼女ひとりのために、僕が生きていた頃のお話。








 何日か続いた雨が止んで、気持ちの良い青空が広がっている。道はぬかるんでいるけれど、気にはならない。


「ロージャ、見て」


 空を見上げていると、少し前から声がした。僕の好きな声。

 視線を落とすと、彼女がこちらを振り返っていた。目が輝いている。後ろ向きに歩きながら、足元も見ずに器用に水たまりを躱している様子は、なんだか踊っているようにも見えた。


「王都よ」


 いかにも嬉しそうな彼女につられて、僕も目を細める。彼女の向こうには、まだ小さいけれど、王都の外壁と、王城がわずかに見えていた。


「ようやく、ね」


「ようやくって、まだ数日じゃないか。ここまで魔物も出なかったし」


「あら。道中、雨にうんざりしていたのは、誰だったかしら」


 そう言っていたずらっぽく笑う彼女は、綺麗だった。言い返す気もなく、僕は笑う。

 ユーリはいつも通り、僕の傍にいた。



 村を出て冒険者になってから、長いこと拠点にしていた城都市を出て、数日。ユーリの第六等昇格を機に、彼女の希望もあって、僕らは王都に拠点を移すことにした。


 王都に移る理由は、第一に腕の良い魔導師を見つけることだった。

 僕らのパーティは今、僕とユーリに加えて、城都市で出会ったガエウスの三人。

 ガエウスは凄腕の冒険者で、等級も第二等と、本来なら僕らが肩を並べることなんてあり得ないほど雲の上の人なのだけれど、城都市で、何故か僕が彼に目を付けられた。ダンジョン攻略時に付きまとわれている内にいつの間にか仲間になって、今も呑気に僕の隣を歩いている。

 邪険にしている訳じゃない。彼からは盾の役割や魔物の見分け方、その他にも色んなことを、生き抜くために大切なことを沢山教わった。もう僕の師匠みたいなもので、彼がいなかったら僕はもっと弱くて、ずっと前に死んでいたかもしれない。そう伝えると絶対に、にやにやと笑って酒をせびってくるだろうから、何も言わないけれど。


 ここ最近、僕らの練度が上がるとともに挑むダンジョンの難度も上がってきて、毎回違う魔導師を臨時で雇うのにも限界が出てきた。加えて、ユーリにも魔導の才がある。それもガエウスの見立てでは、一人前の魔導師にさえなれるほどの才があるという。けれど彼女は僕と一緒に村を出てから今まで、本で学べるような簡単な魔導以外は身につけていない。だからここで、パーティメンバー兼ユーリの先生役として、王国中から優秀な人材が集まる王都で、魔導師を探そうということになった。


 王都が見えてからまたしばらく歩いて、ようやく王都の主門の前まで来た。流石は王国一番の都市だ。門の大きさが尋常ではない。門とその横に長く長く続く外壁は高すぎて、上端が霞んで見えるような、そんな錯覚すら感じる。ユーリも僕も、思わずぽかんと口を開けて、見上げてしまっていた。


「何してんだ、お前ら。間抜け面してんぞ」


 横を歩いていたガエウスが僕らを見て言う。


「いや、すごいなと思って。城都市も大きかったけど、王都は本当に、大きいね」


 ガエウスの声に流石に恥ずかしくなって、すぐに見上げるのをやめた。田舎者すぎたかな。


「これが、王都。別に憧れていた訳ではないけれど、実際にこうして目にすると、驚いてしまうわ。私たちのいた村と、本当に同じ国なのかしら」


 ユーリも、驚きを隠さず話す。確かに、僕ら田舎者からすれば、ここは別世界だ。


「こんなんで驚いてたら、保たねえぞ。中はもっと栄えてんだからな。……そうだな。せっかくだ、今日は王都通のこの俺が、とっておきのとこに連れてってやるよ」


 そう言って、ガエウスは笑った。あれはたぶん、何か良くないことを考えている時の顔だな。


「王都通?……あなたが、観光に詳しいとも思えないのだけれど」


「たりめえだ。街中の名所なんてこれっぽっちも興味がねえ。王都で冒険者のとっておきっつったら、『銀の馬亭』しかねえだろっ」


 銀の馬亭。明らかに、酒場っぽい名前だ。


「王都で一番の酒場だ!今日はダンジョン行かねえんだろ?なら、王都到着を祝って、飲むしかねえんだよ!ロージャ!行くぞっ」


 ガエウスはそう言うと、ずんずんと進んで行ってしまった。冒険者として有名な彼が先頭になってくれると、検問もすぐ通り抜けやすいから、それは良いのだけれど。


「ふふ。まあ、良いじゃない、ロージャ。今日はガエウスの言う通り、羽を伸ばしましょう」


 言って、ユーリは唐突に僕の腕を取る。そのまま彼女の手がするりと、僕の手を握った。手を繋ぎながら、ユーリに少し引っ張られるようにして、僕もガエウスの後に続く。

 ユーリの手は、日々剣を振るっているとは思えないほどに細くて柔らかかった。頻繁に手を繋いでいて、恋人としてそれ以上のことだってもう当たり前のようにしているのに、僕はまだ、ユーリに手を握られると緊張してしまう。

 でもその度に、この手を守りたいと思えるから、僕はこの緊張も嫌いではなかった。




 それから、王都に来て初めての夜。僕らはガエウスの発案通り三人で王都到着を祝って、楽しい時間を過ごした。

 けれど途中から酔ったガエウスが周囲の客と意気投合してしまって、なんだかよく分からないことになったので、僕とユーリは先に銀の馬亭を出た。

 ガエウスは有名だけれど、今のガエウスはどう見ても、ただ質の悪い酔っぱらいのおっさんだ。酒場も盛り上がっていて、客全員が酔っていたから、ガエウスを放っておいても、変な騒動に巻き込めれることもないだろう。酔っぱらい同士の揉め事というのは、だいたいその一晩で片が付いて、不思議と後に引かないものだし。


 僕とユーリは、宿屋に向けて夜道を歩いていた。ユーリはいつものように、僕の数歩前を歩いている。


「ねえ、ロージャ。村にいた頃、夜がこんなに明るいものだなんて、想像したことはあった?」


 楽しげなユーリの声。少し酔っているはずだけれど、足取りはしっかりとしている。心配はいらなそうだ。


「いや、思いもしなかった。だって、祭りの時だって、こんなに明るくはなかったしね。ここでは夜も、街中に人がいて、明かりがある。王都っていうのは、本当にすごいね」


「ええ。……遠くまで、来たわね」


 ユーリはこちらを振り返りながら、少しだけ遠い目をしていた。これまでの道程を思い返しているのだろうか。


「でもまだまだこれから、だろ?『果て』まで行って、世界を救うのが、君の夢だったじゃないか」


「そうね。それは、変わらない。でも時々、思うのよ。あのまま村にいたら、私はどんな日々を過ごしていたのかなって」


 珍しい。ユーリは昔からいつでも前を向いていて、成し遂げたいことの方に、周囲の声なんて気にもせずに一歩一歩向かっていく、そんな女の子だった。その彼女が、感傷的なことを言う。


「そうだな……僕は間違いなく木こりになっていただろうから、君は木こりの奥さん、だね」


 そう言って、僕は照れ隠しに笑う。


「それはなんだか、つまらなさそうね。毎日あなたと一緒に森を歩くのは、楽しそうだけれど」


 ユーリもお返しとばかりに、いつものようにいたずらっぽく笑った。

 二人して笑いながら、夜とは思えないほど明るくて騒がしい道を歩く。


 ユーリが歩調を緩めて僕の隣に来て、僕を見上げた。


「もう、村には戻らない。『果て』まで行くと決めたもの。でも今みたいに、故郷を思い出して、寂しくなってしまう時もあるわ。その時は、傍にいてね、ロージャ」


 ユーリの目は真剣だった。声がいつもより少しだけ、弱々しい。いつも毅然として強く見える彼女にだって、不安や郷愁くらいあるだろう。ただそれを人に見せたがらないだけで。それがユーリという女の子だった。

 そしてそんな時に、僕を頼ってくれたのだとすれば、言いようもなく嬉しかった。


「その時だけじゃないよ。いつだって傍にいるさ」


 僕はそう言って、ユーリの手を握る。

 僕はユーリについて、強欲だと思う。不安な時だけでも嬉しいけれど、そうじゃない時も、僕を頼ってほしかった。

 僕は『果て』なんてどうだっていい。彼女の傍で、彼女を守れればそれで良かった。僕は君の隣にいられればそれで十分幸せなんだと、その思いはもう伝わっているだろうか。


「……ふふ。そうね。ありがとう、ロージャ。これからも、傍にいて」


 ユーリの声の響きは、もういつもの調子に戻っていた。やっぱり僕は、いつものちょっと強気な、自信に満ちたユーリの声が一番好きだ。


 直後、ユーリは僕の肩に頭を寄せてきた。自分から手を握っておきながら、恥ずかしくなってしまうけれど、僕らは恋人同士だ。何もおかしくなんかない。どうしても人目は気になってしまうけれど、胸を張って歩く。


 そのまま宿屋まで歩いて、宿の前で待っていてくれた、宿の看板娘に茶化されて。そんなふうにして王都で初めての夜は更けていった。






 暮らす場所や仕事は変わっても、生まれた時から変わらない日々。これまでもこれからも、僕はユーリの隣で生きていくんだと、強く信じて疑わなかった日々。



 そんな僕の平穏がおかしくなり始めたのは、王都に着いてしばらく経ってからだった。

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