第49話 冒険の予感
それからまた数日が経った。
依頼をこなしてから、次の依頼を受けるまでの穏やかな時間。ガエウスは早く次の冒険を、とうるさいけれど、今はお金に困っている訳でもないし、シエスの傍にいる方が優先だ。
といってもガエウスが暴走してどこかに勝手に行ってしまっても困るし、僕自身もあまり実戦から離れて身体を鈍らせたくはない。そろそろ次にどこへ行くか決めないと、と思いながら、なんだかんだでのんびりしてしまっていた。
動き出さないのは、ユーリとの過去について悩んでいるから、という訳ではない。確かにまだ引きずっているものはあるけれど、もう冒険に影響するほどのものではない、と思う。単純に、今の状況の居心地が良すぎるだけだろう。
そんなある日。
僕は家で、登校前の朝早くに寄り道してきたシエスを学校へ送り出してから、ルシャとお茶を飲んでまったりとしていた。
「今日はどこへも外出しないのですか?」
隣に座るルシャが聞いてくる。
「いや、昼にはギルドに行って、依頼を見てこようと思う。流石にのんびりしすぎたからね」
「そうですか。私は別に、もっとのんびりとしていてもいいのですけど」
お茶を啜るルシャは楽しそうだった。確かに、この時間を終わらせてしまうのは惜しい。けど僕らは冒険者だ。冒険を厭うようになったら、もう僕らは冒険者を名乗れない。それは嫌だった。
そんな時、家のベルが鳴った。
来客の予定は無いのだけれど、誰だろう。
「私が出ます」
玄関側に座っていたルシャがすっと立ち上がった。ベルを鳴らしているのだからほぼ確実に普通のお客さんだろうけれど、この家まで訪れて僕を脅したメロウムの例もある。念のため、気を付けて、と伝える。
ルシャはただ笑って、けれど頷いてくれた。彼女は近くに立てかけていた剣を取って、玄関に向かっていった。
少し待って、戻ってきたルシャの後ろには、知った顔が見えた。魔導都市のギルド長、トスラフさんだった。
「トスラフさん。お久しぶりです。どうしてわざわざここまで?」
僕は少しだけ驚きながら、席を立って挨拶をする。
トスラフさんは申し訳なさそうに笑っていた。あまり寝ていないのか、目の下の隈が目立っていた。
「いや、すまない。少し用があって、時間もあったものでね。いつも呼び出してしまってばかりいたから、今日はこっちから訪ねようと思った。それだけだよ」
トスラフさんを席に案内して、僕も座る。ルシャはお茶を淹れ直しに台所へ向かっていった。
ルシャの後ろ姿を見送って、また前に向き直ると、トスラフさんは少しにやついた顔で僕を見ていた。
「使徒様が教会を抜けて君のパーティに入ったと聞いた時も本当に驚いたけれど、こうして一緒に暮らしているのを見ると、雰囲気がもう、仲間というより……いや、止めておこう。仲が良いのは良いことだしね」
トスラフさんにまでルシャとの仲を茶化されそうになってしまった。
そこにルシャがお茶を運んでくる。僕はありがとうと言ってお茶を受け取っただけなのに、ルシャは僕を見て一瞬きょとんとして、すぐにいたずらっぽく笑った。なんだろう。
「君は相変わらず、分かりやすいな、ロジオンくん。顔が赤いよ」
そう言って、トスラフさんも笑った。僕の隣に座ったルシャも、手で口を隠してはいるが明らかに笑っている。参ったな。
「……それで、ご用件はなんでしょう、トスラフさん」
「おい、怒らないでくれよ。冗談だ。……実は、君たち『守り手』に、頼みがあってね」
トスラフさんの声が、急に真剣なものになる。僕たちのパーティを名指ししての依頼だろうか。前回の依頼も指名だったから、そのこと自体に特段驚きはないけれど、ギルド長直々に、というのが気になった。
「依頼、ですか?」
「ああ。今から話すことは、まだ君ら限りで頼むよ。……実は、魔導都市付近に新しいダンジョンが発生した疑いがある」
聞いて、僕は固まってしまった。新しいダンジョンの発生なんて、少なくとも僕が聞いたのは初めてだった。
王国では、魔物が発生する一帯のことを大まかにダンジョンと呼称しているけれど、二十年近く前の帝国との『大戦』以後は、王国で新たなダンジョンは発見されていなかった。新しく、魔物が湧き出す地が生まれたということだろうか。
「といっても、まだ本当にダンジョンなのか、分かっていないのさ。ヴィドゥヌス校長から、この街の少し北から濃い魔素の気配を感じるという報告があった。加えて、いくつかの冒険者パーティからも、北に見慣れない洞窟があるという声があがっている。それで、どうも怪しいということになってね」
「……初期探索の依頼、ということですか?」
初期探索。僕自身、過去の冒険譚でしか聞いたことがない。誰も知らないダンジョンへ足を踏み入れ、自ら地図を作成しながら未開の地を進む、正真正銘の冒険。初期探索に憧れて冒険者になる人も多いと聞く。
「ああ、そうなる。私もこの依頼を出すのは生まれて初めてでね。とことん手堅くいこうと思っている。だから君らにこうして、直接話を持ってきたんだ」
トスラフさんは、声も表情も全てが真剣だった。僕を茶化した時のような気安さはもうない。少しだけ顔が青いのが、逆に彼らしい本気を感じさせて、僕は思わず息を呑んでしまう。
「僕らで、良いのですか?」
「何を言ってるんだ。君ももう気付いてるだろう。君らのパーティはもう、実力も知名度も魔導都市で一番だぞ。第二等冒険者で『大戦』の英雄ガエウスに、教会の聖女と魔導学校の最精鋭、加えてリーダーは魔導無しで巨人を屠る怪力ときてる。君ら以外に頼めるはずがないさ」
ルシャが聖女と呼ばれるのを聞いて、ちらと彼女を見る。ルシャはもう俯かず、いつも通りの様子だった。僕を見て、微笑んでくれる。
トスラフさんに向き直る。さっきの言い方だと、僕だけなんだか化物のような扱いで笑ってしまうけれど、確かに仲間たちは彼の言う通りどこまでも強くて、僕の誇りだ。彼らと一緒ならどんな困難でも打ち破れる自信がある。
それにこの依頼、文字通りの大冒険を僕が勝手に断ってしまったら、それこそ冗談抜きでガエウスに殺されてしまうだろう。
本当なら、報酬や期日など、依頼を安請け合いする前に聞いておくべきことがまだ沢山残っている。けれど今回ばかりは、そうした雑多なことは後でもいいだろう。トスラフさんは僕らに信頼を示してくれた。ならそれに応えたい。
「分かりました。お受けします。けれどその新しいダンジョンについては、できる限りを教えてください」
「ありがとう。分かっていること全てを教えるよ……と言いたいところだが、申し訳無い。本当に何も分かっていないんだ。言えるのは、大まかな場所と、過去の別の初期探索で起きたことくらいしかない」
まあ、それもそうか。ダンジョン内で出てくる魔物すら出くわすまで分からないというのは、個人的には不安しかないけれど、やるしかないだろう。
ダンジョンはそれぞれ違う世界と言ってもいいほど、各々異なる性質を持っている。出てくる魔物も全く違うのが普通だ。過去の例を聞いてもあまり参考にならないかもしれないけれど、できることはやっておこう。
ふと、またルシャを見る。彼女は僕に、しっかりと一つ頷いてくれた。
初期探索では、彼女も危険に晒されるだろう。けれど仲間を守るのは僕の仕事だ。僕が全てをやり通せば、仲間は守れる。ならば僕がすべきなのは、仲間を心配して遠ざけることではなく、ただ全力で臨むことだけだろう。
その後、報酬なども簡単に話してから、トスラフさんは帰っていった。出発はできるだけ早めでお願いしたいとのことだったが、流石に今日は準備に充てたほうがいい。
まずガエウスとナシトに声をかけなければ。シエスにはなんて言おう。念のため武具の点検をしておいた方がいいかもしれない。
すべきことが急に溢れて、朝までののんびりとした日々が、嘘のように慌ただしくなった。動き出さないと。残っていたお茶を一気に飲み干して、立ち上がる。
「ルシャ。悪いけど、君はナシトに今のこと、伝えてもらっていいかな。僕はガエウスを探しに行くよ」
「分かりました。他にやっておくことはありますか?」
「ナシトの都合次第だけど、早ければ明日には出発するかもしれない。武具の確認をしておいて。必要なものがあれば、昼に買いに行こう。いや、昼はまず一度皆で集まった方がいいかな」
言ってから、気が逸ってしまっているのか、なぜか少しだけ早口になっているのに気付く。
「はい。……ふふ。ロージャも、やっぱり男の子ですね」
ルシャも僕の変化に気付いたのか、柔らかく笑っている。
「男の子?」
「ええ。冒険の予感に熱くなるのは、男の子、でしょう?」
言われて、思う。僕は熱くなっているのだろうか。
そうかもしれない。いつも、ガエウスがうるさいから、と言いつつ、実は僕も冒険に取り憑かれているのかもしれない。誰も知らないダンジョンに心躍っている訳ではないけれど、興味は間違い無くある。その奥に何があるのか、確かめてみたいと思う。
なら僕も、男の子、なのだろう。
「さあ。行きましょう。依頼を伝えた時のガエウスの顔、後で教えてくださいね」
少し考え込んでしまった僕の背をぽんと叩いて、ルシャが言う。
「ああ。呼ぶのが遅え、って怒られるのは嫌だからね」
僕も笑って答えた。すぐに家を出る。ルシャは学校の敷地内の、主棟の方へ駆けていった。
ガエウスはきっと酒場だろう。向かいつつ、冒険の予感のようなものを感じて、思わず駆け出す。
慌ただしくなった頭の中で、何と伝えればガエウスが一番はしゃいだ反応をするか、そんなくだらないことを考えながら。
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