第50話 出発
翌朝。
無事にナシトの都合もついたので、僕ら四人は早速、新たに発生したというダンジョンに向かうことにした。
トスラフさんからの情報では、新しいダンジョンは魔導都市から半日程度の距離しか離れていないらしい。明らかに、近すぎる。もし何か起きて魔物がダンジョンから溢れでもしたら、魔導都市は大変なことになる。だからこそ、トスラフさんはできるだけ早くと僕らに依頼したのだろう。
逆に、半日なので街に補給に戻るのも楽だった。まずは数日潜って様子を見つつ、魔物の種類を見極めてから、一度街に戻ってくるつもりだった。
ナシトも既に僕の家に来ていた。昨日あちこちを駆け回ったおかげで、僕ら四人の準備は万端と言ってもいい状態だった。
食料も、念のためこの間の遠征と同じくらいの量を準備してある。水はいつも通り、ナシトとルシャの魔導頼みでいいだろう。最後にもう一度だけ武具の点検をして、出発するつもりだった。
盾を持ち上げて様々に傾けながら、表面や持ち手に触れて、歪みが無いかを目と感触で確認する。前回の遠征から帰ってからも何度も確かめて、良く磨いていたから、異常無いことは分かっているのだけれど、出発前に点検しないと落ち着かない。これはもう僕の、願掛けというか儀式というか、そういった類の行為に近い。
王都にいた頃に特注で作った盾はいつも通り鈍く輝いていた。僕はもう、戦闘時にこの重みが無いと、違和感さえ感じるようになってしまっている。今では武具さえもたちどころに癒せるルシャがいるから、王都にいた頃ほど神経質になる必要は無いし、無茶もきくけれど、愛着のある武具をつい大事に思ってしまうのは僕だけではないはずだ。
といっても、あまりのんびりしている訳にもいかない。盾を置いて、鎧を着ようと手を伸ばした時、玄関の扉が勢い良く開いた。
振り向くとそこには、まだ昇りかけの朝日を背にした、シエスが立っていた。肩が少し上下している。走ってきたのだろうか。
「良かった。まだいた」
そう言うと、シエスはとことこと家の中に入ってきた。
シエスには、今日からまた出かけることは昨晩伝えてある。また長く家を空けてしまうことに対して不満を言われるかと思っていたけれど、特に何も言われなかったのが意外だった。
「見送りにきた」
シエスは床に転がしてあった僕の兜を持ち上げて、僕に渡す。兜は、彼女の細腕だと少し辛い重さであるはずなのだけれど、シエスは片手でひょいと胸元まで持ち上げていた。もう、『靭』程度ならほとんど無意識に扱えるくらいの練度に至っているのだろう。本当に、すごい子だと思う。
「ありがとう。しばらくの間、家のこと、よろしく頼むよ」
「任せて。毎日、掃除しておく」
毎日は、流石に要らないかな。と思ったけれど、胸を張るシエスにそれを言うのも無粋な気がして、黙っておいた。
「ロージャ、まだかよ。俺たちはもういつでも行けるぜ」
見ると、近くで同じように武具をまとめて見直していたガエウスが、全てを身に着けて立ち上がっていた。背や腰に見える矢束が、いつもより多い気がする。彼も本気ということだろう。
ルシャさんとナシトも、近くにいる。待たせる訳にはいかない。
「ああ。悪い。もう終わるよ」
そう言って、兜を被り、鎧を素早く着込んで、発動句を口にする。武具に内蔵された魔導が発動して、一瞬で全てがかき消えた。重戦士である僕が、見た目では一番軽装になる。
立ち上がる。シエスが脇に寄ってきたので、つい彼女の頭をひとつ撫でてしまう。僕の方が癖みたいになってしまっている。
けれどシエスは僕の手の下で、真剣な眼をしていた。スヴャトゴールの時のような、去ろうとする僕に縋るような光は無くて、泣き出しそうな雰囲気も、もう欠片も無かった。
「……ちゃんと、帰ってきて。私も、頑張る。頑張って、早く仲間になる」
そう言って見上げるシエスからは、意思の強さを感じた。いつの間にか、心まで強くなっている。もう子ども扱いは、できないな。
撫でる手をどけて、シエスを見つめる。
「すぐ戻れるかは分からないけど。いつも通り、必ず帰るよ」
「ん」
シエスは少しだけ笑った。僕もつられて笑う。名残惜しいけれど、すぐに切り替えなければ。
僕は振り返って、仲間たちを見た。獰猛に笑うガエウス。凛と立って張り詰めた空気を纏うルシャ。いつも通り存在感が希薄なナシト。皆と目を合わせて、出発を告げた。
「よし。行こう」
家の前で控えめに手を振るシエスを背に、僕らは魔導都市を出て、新たなダンジョンのある北に向かった。
魔導都市から北には、大きな街道は無い。北には小さな名もなき村があるくらいで、これまでダンジョンも無かったから、道自体必要なかったのだろう。いつ整備されたかも分からない古ぼけた小道が続いているだけだった。トスラフさんから渡された地図に従って進むと、途中からは道らしきものすらなくなって、疎らに雪が積もった平野とも荒野ともつかない地を進んだ。
普段は、街道を外れて歩くと、たまにダンジョンから迷い出たはぐれ魔物に出くわすことがあるけれど、幸い今回は魔物どころか野犬一匹にも会わなかった。ガエウスはつまらなそうにしているけれど、ダンジョンへ着くまでに余計な消耗をしなくていいのは幸運だろう。静かすぎるくらいなのは、少し不気味だけれども。
昼過ぎの何度目かの休憩時、唐突にナシトが口を開いた。
「魔素が濃い。近いな」
言いながら、ナシトは北を見つめていた。ということは、道は合っているようだ。北には目立った山も無く、だだっ広い平地が続くだけで、洞窟なんて本当にあるのかと不安になってきたところだった。
「私も、感じます。私が分かる程ですので、かなりの濃さかと。嫌な感じがしますね」
ルシャの言う通り、確かに嫌な感じだ。一般的に、魔素というのは蓄積していくもので、どこかから噴出するものではないはずだ。この世界のどこかにあるという『果て』で魔素が生まれて、その『果て』は全てのダンジョンと繋がっていて、だからダンジョンからは魔素が滲み出しているのだという仮説もあった気がする。結局、確たる根拠は無いのだけれど。
いずれにしても、実際に古いダンジョンほど魔素が濃く、それに応じて厄介な魔物が生息していることが多い。新しいダンジョンなのに、魔素が濃いというのは何かおかしい。
「魔素云々よりも、大事なのはその新ダンジョンがどこにあるか、だろ。場所はまだ分かんねえのか、ナシト」
ガエウスがナシトに尋ねる。ナシトはいつも通り何も言わないけれど、僅かに首を横に振っていた。
「なら早えとこ見つけねえとな。……良いこと思い付いたんだが、ロージャ。ちょっといいか」
急に名前を呼ばれて、見るとガエウスが僕を手招きしていた。にやにやしていて、なんだか気持ち悪い。なんだろう。
「お前の例の馬鹿力で、俺を思いっきし上に投げてくんねえか?こんだけだだっ広けりゃ、俺の目なら上から見つけられるかもしれねえ」
「……周りに魔物もいなさそうだから、良いけれど、着地はどうするのさ」
「そりゃ、お前が受け止めろよ」
ガエウスが、当たり前だろ、とでも言うような顔をする。いやまあ、おかしくはないんだけど、ガエウスは三十代後半のおっさんで、戦闘時でもないのにおっさんを抱き止めるのはなんとなく抵抗感があった。別にガエウスが嫌いな訳じゃない。これが普通の反応だと思う。
……今は冒険の只中だ。我が儘を言う訳にもいかないか。
「分かった。じゃあ、ここに乗ってくれ」
僕は両の手のひらを上に向けて、受け皿のように構える。
「よしきた」
ガエウスは早速、足をのせてきた。ガエウス自体かなりの重量があるけれど、『力』を意識すると、軽々と持ち上がった。少し腰を落としておく。
「よし。いつでもこい」
「……いくよ」
腰だめに構えて、ふと、村にいた頃、切り分けた丸太を放り投げて遊んだことを思い出してしまった。今丸太を投げたら、どこまで飛んでいくのだろうか。
すぐに我に返って、『力』を込めた。脚から腰、腕まで使って、全身をバネにする。一息吸い込んで、思い切りガエウスを上に放り投げた。足が地にめり込む。
「うおおおおあっ!!」
妙な叫び声とともに、ガエウスがものすごい速度で空へ飛んでいった。真っ直ぐ上に力を込めたので、幸い回転はしていない。けれど速度が出すぎて辛そうだ。どこまで上がるのだろう。
「……だいぶ、小さくなりましたね」
見上げながら、ルシャが言う。どこか呆れたような響きだった。一度くらいは試し投げをしておくべきだったかもしれない。
しばらくして、またものすごい速度でガエウスが落ちてきた。これは、受け止めてもガエウスは無事ではないんじゃないだろうか。少し心配になる。……まあ、何かあってもルシャがいるから大丈夫か。あまりにもぞんざいな頼り方で、ルシャには怒られてしまうだろうけど。
「二人とも、少し離れていて」
それだけ言って、ガエウスの落下地点に入って、構える。
「ガエウスっ!念のため『靭』を使っておいて!」
叫びながら、思う。やっぱり、この『力』は軽々しく使うべきじゃないな。慣れてきたからといって、軽く考えるのはまずい。
反省しながら、降ってくるガエウスを受け止めた。衝撃で少し土煙が上がる。周囲が見えなくなる。
少しの間の後、土煙の中で、ガエウスの馬鹿笑いが響いた。煙を吹き飛ばしそうなほどの、図太く大きな声。
「……久しぶりに、死ぬかと思ったぜ。すげえスリルだった」
言葉通り危うく死にかけたというのに、ガエウスは笑いすぎて少し涙目になっている。相変わらず、規格外な男だった。怪我もなさそうなので、そのままガエウスを下ろす。
「すまない。力の加減を間違えた」
「いや、面白かった。今度、嬢ちゃんにもやってやれよ。たぶん喜ぶぜ」
シエスも変なところがある子だけれど、ガエウスほどではないだろう。空を飛んで喜ぶとは思えない。けれどシエスが無表情のままに空高く打ち上がっていく様子を想像して、つい笑ってしまった。
「それに、ちゃんと収穫はあった。洞窟、見つけたぜ。もう遠くはねえ」
ガエウスの言葉に、驚いてしまった。あのドタバタの最中に、遠い地表を見極めるとは。なんだかんだでやはり、正真正銘凄腕の冒険者だ。
ガエウスは洞窟があるという方向を指差しながら、いつも通り笑っている。
「あっちだな。……『靭』を使えば着地も耐えられそうだし、歩くのもめんどくせえから、次は洞窟に向けて投げてくんねえか?」
そして懲りずにまたおかしなことを言う。それを聞いて、僕の横でルシャが目を丸くしていた。
「無駄なことに魔導を使わないで。そこまで離れていないなら、歩こう」
流石にこれ以上無茶をさせる気はなかった。なにかしくじって、誰かが怪我でもしたらたまらない。冷静になってみれば、ルシャの『奇跡』で怪我を直せても、痛みの記憶は消えない。それが戦闘時に、僕らの連携に一瞬の不具合を生むかもしれない。軽く考えるべきじゃない。笑うガエウスを見ていると、杞憂にしか思えないけれど。
とにかく、不満を言うガエウスを無視して、歩き出した。ダンジョンには予定通り着きそうだ。でも雰囲気はどこか緩んでしまって、いつもより緊迫した冒険になる気がしていたのに、結局いつもの僕たちだった。
隣を見ると、ルシャが静かに歩いているけれど、眼は少し笑っていた。まあ、ダンジョンに入るまでは、気を張りすぎていても仕方ないか。そう思って、後ろから聞こえるガエウスのいつものわめき声に、僕も結局また笑ってしまった。
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