第47話 果て

 遠征から戻って、夜。

 僕たちは魔導都市のギルドで依頼完了の手続きを済ませてから、魔導学校の敷地内にある僕らの家に帰ってきていた。この家には今、僕とガエウス、それにルシャの三人が暮らしている。


 遠征で溜まった汚れを洗い落として、部屋着に着替えて居間に入ると、食欲をそそる匂いが漂ってきていた。


「僕も何か手伝おうか、シエス」


 台所の方に声をかけると、シエスがひょこりと顔を出した。エプロン姿が良く似合っている。


「ルシャがいるから、大丈夫。もう少し待ってて」


「なんだ、ルシャがもう手伝ってたのか」


「ん。ロージャよりずっと頼りになる」


 シエスがつれないことを言う。事実だから何も言い返せないけれど。

 シエスはほとんど毎晩僕らの家に来て、夕食を作ってくれている。彼女の料理は日に日にうまくなっているし、気持ちも嬉しいのだけれど、作ってもらいっぱなしというのも何となく嫌だったので、この間シエスが来る前に僕自身で作り始めていたら、見るからに不機嫌になってしまった。それ以来、台所はシエスに任せている。


「私もほとんど手伝っていませんよ。シエスはもう一人前です」


 ルシャが同じように顔を出して、優しく微笑みながらシエスを褒める。横のシエスは無表情だけれど、口を僅かにもごもごさせていた。たぶん照れているのだろう。

 ルシャが手伝うようになってから、シエスの料理の腕はあっという間に上達してしまった。ルシャの教え方も上手いのだろうけど、料理にまで才能があったとは、シエスの多才ぶりには驚かされてばかりだ。


「……ルシャにはまだ、勝てない」


「あら。料理は勝ち負けではありませんよ、シエス。食べる人が喜んでくれることが、いちばん大事です」


 先生ぶるルシャに、シエスは感心したように何度も頷く。面倒見の良いルシャと、実は奔放なシエス。なんだか、性格は違うけれど仲の良い姉妹を見ているようだった。

 気付くと、シエスがまたこちらを向いていた。


「……ロージャは、嬉しい?」


「当たり前だよ。今日も帰り道ずっと、シエスの料理を楽しみにしていたんだから」


 笑って答える。本当だった。もう僕の胃袋は、シエスにしっかりと掴まれてしまっている。遠征の間は主にルシャが作ってくれていたから、ルシャにも、か。


 自分から聞いておきながら、シエスは照れくさくなったのか、顔を赤くしていた。シエスは本当に、分かりやすくなってきたな。そのことがまた嬉しくなる。


「ほら、シエス。戻りましょう。折角の料理が駄目になってしまいますよ」


「……ん」


 ルシャに連れられて、シエスはすごすごと台所へ消えていった。去り際の、僕に何か言いたげな、けれど言えないでいるもどかしげな様子が、可愛らしくて可笑しかった。


 二人の姿が見えなくなってすぐ、どたどたと無遠慮な足音が聞こえてくる。ガエウスが自分の部屋から出てきたようだった。

 家のベルが鳴る。ナシトも着いたようだ。


 今日は、ルシャがパーティに加わって初めての遠征を無事に終えた、その打ち上げを僕らの家で行うことになっていた。




「では。みんな、杯を持って。遠征お疲れ様でした。……僕らの、成功に。乾杯!」


 またも乾杯の音頭を押し付けられた僕の声に、皆も口々に乾杯を告げて、杯を合わせる。シエスだけ果実水だけれど、気にすることなく手をぴんと伸ばして、杯をぶつけていた。


 シエスの手料理を味わいながら、今日までの遠征のこと、シエスの学校でのことなどを、ばらばらと話す。


「嬢ちゃん、また料理の腕上げたなっ!酒のつまみまで作れるたぁ、良い嫁さんになれるぜ」


 行儀など欠片も気にせずに、がつがつと料理を貪るガエウスがシエスを褒める。


「……ガエウスはもっと、きれいに食べて」


「んだァ?美味いもんを、なんで固っ苦しく食わなきゃいけねえンだよ。美味いもんにはがっつく、それでいいじゃねえか!」


 ガエウスはがははと笑う。シエスも褒められて照れ隠しに言っただけだろうから、怒った様子はない。


「ロージャ、おかわりもありますから、言ってくださいね」


「ああ、ありがとう。ルシャも、今日は君の初遠征を祝う会なんだから、沢山食べて、沢山飲んでよ」


「ええ。いただきます。でもお酒は、ほら、これまでずっと禁酒の身でしたから」


 ルシャはそう言って、少しお酒を口に含む。こくりと飲んで、少しだけ眉をひそめた。


「……この苦味は、まだ苦手です」


 申し訳なさそうに笑って、けれど楽しげな彼女に、僕も笑う。無理をしなくていいよと言おうと口を開いて、


「なら、沢山飲んで慣れねえとな、ルシャ!ココぁ家なんだ、潰れてもロージャが介抱してくれんだろっ」


 ガエウスのだみ声で、色々と台無しだった。


「……美味い」


 その横でナシトはただ静かに、行儀良く淡々と食事を進めている。食事中くらいは気配を消さなくてもいいのに。


 まとまりのあるようなないような、いつも通りの僕らだった。



 食事も一段落した頃。酒を片手にガエウスが、僕の横に移ってきた。


「それで、ロージャ。次はどこに行くんだ?もっと遠くまで行くか?」


 案の定、次の冒険についてだった。

 ガエウスは僕に冒険を急かすくせに、自分からはあまり行き先を提案してこなかった。以前、行き先が良く分からないからこそ冒険だ、とかなんとか言っていたような気もする。出発前に目的のダンジョンの情報を詳しく調べないと気が済まない僕とは、まるきり正反対だ。


「次か。実はまだ、あまり考えてないんだ。魔導都市から近いダンジョンもまだ回りきった訳じゃないし、近場で肩慣らしを続けるのでもいいと思っているんだけれど」


「近場って言っても、ここからだとルブラス山かスニェグの森くらいだろ?危険度も低いし、見るもんも無さそうじゃねえか?」


 ガエウスが言う。僕の案を拒否はしないけれど、面白そうとも思っていない、そんな雰囲気だ。


「まあね。けど今の僕には、シエスの傍にいるのが最優先だ。税も今年分は問題無さそうだし、当分は無理して遠くに行くつもりはないよ。足を伸ばして、城都市くらいまでかな」


「そうかい。まあ、近場でも潜ってりゃ何かあるだろうから、しばらくはそれでいいけどよ」


 そう言うと、ガエウスはシエスを向く。


「嬢ちゃん、学校はいつ頃卒業できそうなんだ?」


 ガエウスの声はいつものように軽いけれど、ふざけた調子でもない。純粋に疑問なのだろう。まだ入学して数カ月なのに、流石に気が早すぎると思うけれど。


「分からない。人によって違うらしい。……平均だと、三年くらい?」


「ああ。そんなものだ」


 シエスに、ナシトが答える。僕は勝手に、もっとかかるものだと思っていたけれど、意外に短期集中な指導なのだろうか。


 ぼんやりとそんなことを思っていると、頭に声が響いてきた。


 "シェストリアは、今の進度で行けば、あと数カ月で修了だ"


 ナシトの魔導だろう。シエス以外の面々に声を送っているようだった。シエスに直接聞かせないという配慮は分かるけれど、これをされると、すぐ魔素酔いするんだよな、僕。


 "異常な速度だが、彼女の才と意思を鑑みれば、妥当だろう。シェストリアの魔導は、人の域を超えている"


 ナシトの声は淡々としている。けれどシエスはやっぱり、魔導の天才だったようだ。嬉しくなる。

 自然と、注目がシエスに集まる。一人だけ状況を飲み込めていないシエスは首を傾げて、きょとんとしている。けれどすぐに目を少しだけはっと見開いて、むっとしたように口を開いた。


「ナシト、内緒話してる」


 魔素の揺れでも見えたのだろうか。シエスはじとっとナシトを睨んでいる。

 ナシトは何も答えない。遠い目をしていた。この男は都合が悪くなると何も言わなくなって、対応を他の仲間に丸投げする。


「し、してませんよ。何も話してません」


 代わりにルシャが誤魔化そうとするけれど、嘘の苦手な彼女は明らかに動揺していた。


「嘘」


「してません。ほら、シエス、こっちの果実水を飲みませんか」


 ルシャは話の逸らし方も下手だった。シエスは自分が並外れて優秀だと知っても、それで慢心するような子ではない。だからこれは別に慌てるような話でもない。なのに、ルシャは明らかにわたわたとしていた。真面目すぎる。


「なあ、嬢ちゃん。学校を卒業したら、嬢ちゃんは何をしてえんだ?」


 ガエウスが会話を引き取った。ルシャはどうみても、ほっとしたように息をついていた。


「素人の俺でも分かるが、嬢ちゃんの魔導は大したもんだ。そのまま学校で研究して、校長の後でも継ぐのか?」


 シエスはナシトを睨むのを止めて、ガエウスを見た。一瞬だけ、僕をちらと見る。


「……私も、冒険者になる。ちゃんと、仲間になる」


 シエスの声は、いつもより力強く聞こえた。

 やっぱり、冒険者になりたがっていたのか。それは、僕の隣にいたいから、なのだろうか。


「どうして、冒険者なんかになりてえんだ?俺たちの仲間になるのが、そんなに大事か?」


「大事。いちばん、大切」


「……もし俺たちが、『果て』まで行くって言っても、か?」


『果て』という言葉を口にした時、ガエウスの声は真剣だった。けれどシエスは、きょとんとしている。


「『果て』って、なに?」


 シエスは素直に尋ねる。ガエウスが、にやりと獰猛に笑った。


「『果て』ってのは、冒険者の夢だ。全ての冒険者が憧れる、冒険の終わり。どこにあるのかは誰も知らねえ。本当にあるのかも定かじゃねえが、昔から、そこに行けば世界を救えるって話だ」


 全てというのは、嘘だろう。僕は別に今も昔も、『果て』を夢見てはいない。けれど冒険者たちの多くが、そこを目指していることは確かだった。おとぎ話のような、夢の果て。


「ガエウスは、世界を救いたいの?」


「馬鹿言え。俺ぁただ、冒険をしてえだけだ。いつか、『果て』に何があるのか確かめる。それが俺にとっての、一番の冒険だ」


 過去に僕が聞いたままの答えを、ガエウスはそのままシエスにも伝えた。彼は出会ってから、寸分も揺るがずに、ただ冒険を楽しんでいる。


 シエスは少しだけ黙って、その後で僕を見た。


「ロージャは、『果て』を目指すの?」


 思わず少しだけ、固まってしまう。

 今僕は、『果て』を目指している訳ではない。けれど一瞬、ここにいる皆と共に、『果て』を探して旅をする自分を空想してしまった。

 はしゃぐガエウスと、佇むナシト。僕の隣で笑うルシャと、てくてくと少し先を行くシエス。

 旅路には山ほどの困難があって、けれど同じくらい和やかな時間もある。僕らは新しい世界を共に見つけて、共に祝う。

 それはあまりにも、幸せな未来だった。僕に『果て』を目指す強い思いは無い。けれど、仲間がそれを望むなら、『果て』の果てまで皆を守る意思は、僕の中でもう揺るがない。


 だから、正直に答えることにした。


「……そうだな。僕は別に、どうしても『果て』を見つけたいとは、思ってない。でもガエウスと、シエスと、皆がそう望むなら、僕は『果て』まで行くよ。皆を守るさ。今度こそ」


 そう言って、シエスを見る。

 彼女は僕の言葉に、少しだけ笑った気がした。シエスはいつだって可愛らしいけれど、笑った顔がいちばん可憐だと僕は思う。


「……私も、皆の仲間になりたい。皆がどこにいても、ついて行きたい。それだけ」



 少しの時間、誰も声を発しなかった。不思議な静寂が部屋に満ちる。

 沈黙を破ったのは、ガエウスだった。


「……ったく、『果て』に興味があんのは、俺だけかよ!冒険者として、それで良いのか?」


「良いではないですか。ロージャとシエスの思いも、貴方のものと変わらず、確たる信念であるように、私には聞こえました。私は本当に、素敵なパーティに入れてもらえたようですね」


 ルシャはそう言って穏やかに笑っている。

 ガエウスは鼻で笑って、また浴びるように酒を飲み始めた。彼はもう、僕の生き方を良く知っている。怒っている訳ではないだろう。


「おいっ、何笑ってやがる、ロージャ!お前は俺たちのリーダーなんだ、お前が『果て』目指さないでどうすんだ!その腑抜けた根性叩き直してやるっ。飲めっ」


 あ、ちょっと怒ってるかもしれない。そう思った時にはもう、ガエウスの腕が僕の頭をがっちりと固定していた。こいつ、腕に魔導込めてる。腕はびくともしなかった。目の前には杯が迫っている。これは、逃げられそうにない。


 明日に酒が残りませんように。……二日酔いも、ルシャに頼めば治してもらえるのかな。

 僕はそんなことを考えながら、喉に流れ込んでくる酒に目を白黒させていた。


「ロージャを離して」

「む、無茶は止めてください」


 魔素酔いと合わせて、酔いが回るのが早い。だからか、僕を庇う二人と、それを無視して馬鹿笑いするガエウスの声が、なぜか遠くから聞こえた気がした。


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