第3章 過去を越える

第46話 遠征

 夢を見ていた。

 夢と言っても、突拍子もないことは何も起きない。ただ、過去が目の前で繰り返されるだけの夢。



 僕は村で、剣を振っていた。

 刃は潰れているけれど、かつては村の誰かが害獣退治に使っていた、本物の剣。

 振りながら、ぼんやりと違和感を覚えていた。当たり前だ。僕はそれまで剣なんて振ったことはない。振るのはもっぱら森の中、斧か鎚のどちらかだった。剣が軽い訳ではないけれど、重心の違いをどうしても気持ち悪く感じてしまう。


 ――ああ。これは、僕が鎚と斧を武具に選んだ時の夢か。


「なんだか、変な感じがするわね」


 横から、涼やかな声が聞こえる。剣を止めて声の方を向くと、ユーリが立っていた。眼が少しだけ笑っている。


「そうかな。振り方がおかしい?」


「そういうことじゃなくて。ロージャが持つと、剣が木の棒みたいに、頼りなく見えて」


 そう言うと、僕からすっと剣を奪い取って、そのまま構える。彼女もまだ剣を習い始めてそんなに長くはないというのに、その姿は堂に入って見えた。これが剣士か。

 僕は笑う。


「確かに、大違いだね」


 ユーリは数回だけ剣を振って、いたずらっぽい眼で僕を見る。


「あなたは大きすぎるのよ。盾を持つことはもう決めたのでしょう?なら、鎚か、斧が良いと思うわ」


「……でも、盾を構えながらじゃ、鎚も斧も上手く振れないじゃないか」


 ユーリは僕の言い訳じみた反論を聞いて、呆れたように笑う。僕にも少しだけ、剣への憧れみたいなものがあった。


「それはあなたがなんとかしなさいな。でも私は、あなたが木に鎚を振っているところ、好きよ。不器用な感じが、ロージャに良く似合っていて」


 それだけ言って、彼女は走り去った。後ろ姿が近くの、先生の待つ小屋へと消えていく。小屋に入る瞬間にこちらを振り向いて、あなたも来なさいとでも言うように手を振る。

 僕が後ろ姿をずっと目で追っていたことを、疑いもしない調子で。


 彼女はいつもそうだった。僕には良くいい加減なことを言って、僕を振り回す。だけど僕はそれが信頼の証のようにも思えて、何よりユーリに好きと言ってもらえることが嬉しくて、結局いつもなんだかんだで、ユーリの言う通りにしてしまう。

 そんな僕を見てユーリはいつも、ほら、自分の言った通りだろうという顔をする。そうして互いに笑い合う。



 僕はあの頃、間違いなく幸せだったのだろう。信じたいものをただ真っ直ぐに信じていればよかっただけなのだから。




「ロージャ」


 目が覚める。夢で聞いたユーリの声とは違う、もっと穏やかな響き。ルシャが僕を呼んでいた。


「起きてください。交代の時間です」


「……ごめん、寝入ってしまってた」


「いえ。……大丈夫ですか?少し、顔色が」


 ルシャが僕の真横で、僕を覗き込んでいた。息の触れる距離。美人は寝起きに見てもやっぱり美人なんだな、と寝ぼけた頭でとぼけたことを思う。

 今、ダンジョン内で野営中であることを思い出す。


「大丈夫。いつも、こんなものだよ」


「ですが――」


 何か言いたげなルシャを、ガエウスの大いびきが遮った。僕とルシャは苦笑してしまう。

 本当に大丈夫だと目で伝えて、そのまま寝床を抜けた。彼女は、追っては来なかった。


 焚き火の前に座って、目を擦る。

 ユーリの夢を見たのは、久しぶりだな。シエスと出会ってから、うなされるのも徐々に減って、今はもう、最後にこうした夢を見たのはいつだか思い出せないほどだった。

 もう大丈夫だと思っていたのに。聖都でユーリと会ったからだろうか。


 焚き火の向こうに、立て掛けた鎚が見える。

 フラレて王都を出た直後の、胸を引き千切られるような息苦しさはもう無い。ユーリに対する思いは、もう区切りがついているような気がする。

 今の僕にはもう、彼女よりも守りたい人たちがいる。それが答えだろう。


 けれど、過去のことを思うとまだどうしても、少しだけ胸が苦しくなる。

 どうしてあの頃の幸せを守れなかったのかと切なくなって、やるせなくなる。


 今はダンジョン内にいる。もう終わったことで気を散らすべきじゃない。

 僕は手で頬をぱちんと打って、空を見上げる。空には満点の星空が広がっていて、ひどく綺麗だった。シエスにも見せてやりたかったな。




 聖都での騒動の後に魔導都市へ戻って、もう一月以上になる。僕らはそれまで通りの冒険者生活に戻って、日々依頼をこなしていた。

 新しい仲間のルシャも、徐々に僕らのパーティに慣れてきていると思う。彼女は魔導都市の教会に移ったソフィヤさんたちを手伝いながら、僕とガエウスと共に冒険者稼業を始めている。とは言っても、しばらくはまだ慣らしのようなつもりで、日帰りでこなせるような依頼を選んで受けていた。


 僕自身も、魔導学校での近接戦闘の講義を再開している。久しぶりに会ったレーリクとナーシャは一段とシエスと打ち解けていて、見ていて微笑ましい。

 ただレーリクの僕を見る目は相変わらず厳しめだった。対抗心のようなものを感じる。そんなレーリクを見て、やきもきしたようなナーシャと、我関せずのシエス。授業は真面目に受けてくれているから、良いのだけど。


 そんな日々が続いている。

 ただここ数日は、魔導都市から離れて遠征に来ていた。ナシトの予定が空いて、数日パーティに入ってくれると言うので、四人で本格的な依頼を受けてみることにしたのだ。ルシャさんがパーティに入ってからは、初めての遠征になる。

 そうして僕らは今、魔導都市から少し離れて、城都市近くのダンジョン、キキリクの湿地帯に来ている。ある魔物の捜索と捕獲が目的だ。色々と厄介な依頼で、依頼主である魔導学校の魔生物学の先生は、僕らのパーティを直接指名してきていた。

 厄介と言っても、その魔物自体の危険度は高くないのだけれど。



 後ろから、ガエウスの声が聞こえる。


「おいっ、なんだこのデカブツは!ロージャ、俺達の獲物は『姫リャグ』じゃあねえのかっ」


 僕は鎚を握り直しながら、答える。


「出発前の打ち合わせで話しただろ。『姫リャグ』にはいつも護衛のカエルがいるんだよ。この大きさからして、こいつのことだろう。討伐しよう」


 広大な湿地帯を歩いていた僕らの目の前には、僕より二回りは大きいカエルが、どっしりと鎮座していた。飛び出た両の眼が、僕らを睨みすえている。

 カエルの魔物、リャグ。道中も何度か戦ったけれど、この大きさは流石に異常だ。

 念のため、周囲を探る。護衛はこいつ一匹のようだった。


「いいぜえ、楽しくなってきたじゃねえか。カエルのお姫さま探しも悪くねえが、丁度スリルが欲しくなってきたとこだ」


 ガエウスが笑う。隣のルシャとナシトを見る。ルシャは僕の目を見てこくりと頷き、ナシトは音も無く消えた。


「じゃあ、手筈通りに。行こう」


 鎚の柄で背の盾を叩いて、リャグの注意を引く。耳障りな金属音と共に、ガエウスとルシャは散開していく。


 僕の立てた音を威嚇と捉えたのか、カエルはおもむろに喉を大きく膨らませた。攻撃してくるだろう。リャグは攻撃手段が多彩だ。音か、舌か。それとも毒か。


 リャグの口が、僅かに開いた。大きく開ける様子は無い。それを見た瞬間に、地を蹴って距離を詰める。

 瞬間、僕のいたところに紫色の何かが降りかかり、地面が溶ける音がした。

 僕はカエルの正面右、鎚が届く距離で立ち止まる。鎚を振りかぶって、膨らんだ腹めがけて打ち込む。『力』はそこまで込めない。今は討伐自体より、パーティの連携を確かめたかった。


 鎚がリャグに当たった瞬間、ぶよんとカエルの体全体が波打った。あまり効いてはいなさそうだな。この大きさだと、打撃はそもそも相性が悪そうだった。『力』を込めてもあまり変わらなかったかもしれない。


 けれどカエルは怒ったようだ。口を開くのが見える。すぐに盾に持ち換える。

 長い長い舌が飛んできた。僕は盾で受けるけれど、舌が瞬時に盾に巻き付いて、離れない。僕からはぎ取るつもりなのだろう。

 けれどこちらも、力比べなら負ける気も無い。『力』を意識して、踏ん張る。


 しばらくこらえて、不意に盾を引く力が消えた。後ろに転びそうになるのをこらえる。見ると、僕の傍にリャグの舌の先半分が転がっていた。同じように転がる、無数の矢。ガエウスの狙撃だろう。あの一瞬でこれだけの量を一点に撃ち込める彼の離れ業に、改めて感嘆してしまう。


 リャグが痛みに奇声をあげる。好機だ。丁度、ナシトが大技を放つのに必要なくらいの時間も経っていた。


 "離れろ"


 頭の中に、ナシトの陰気な声が響く。僕はすぐに真後ろに跳ぶ。

 その数瞬後に、何の前触れもなく、リャグに雷が落ちた。轟音と暴風。

 今は雲ひとつ無い晴天だ。カエルの上に雲が発生した訳でもない。雷雲を発生させたのではなく、雷自体を魔導で起こして、飛ばしたのだろう。高度な魔導であるはずだ。


 リャグは黒焦げになって、それでもまだ健在のようだった。動きは鈍っていながら、僕らを睨む眼に曇りは無い。むしろ怒り狂っているようだった。


 けれど、まあ、もう終わりだろう。僕だけに長く注意を割いた時点で、このカエルはもう詰んでいたのだ。

 既にリャグの真後ろには、ルシャが立っていた。彼女は静かに、流れるように剣を薙ぐ。魔導を込めているだろう彼女の剣は容易くリャグを横断した。

 カエルは一瞬だけきょとんとした顔をして、その後すぐ、切り離された頭が体からずり落ちた。




「ロージャ、無事ですか」


 戦闘が終わり、すぐにルシャが近寄ってくる。昨晩のことを憶えているのか、少しばかり不安げな表情をしていた。


「大丈夫。もともと相手は一匹で、余裕もあったしね。ルシャはもう、僕らとの戦い方、慣れた?」


「ええ。誰にも邪魔をされず魔素を集められて、そのまま死角に潜り込めるのですから、簡単ですよ。ただ貴方ばかりが危険な目に遭うので、心配になってしまいますが」


 それを聞いて、僕は笑う。ルシャはまだ少し心配そうだけれど、仲間を守るのは僕の仕事で、僕の誇りだ。気持ちは嬉しいけど、この役目だけは譲れない。


「怪我をしたら、ルシャが治してくれるだろう?」


「……それは、勿論すぐに癒しますけれど。もう少し私にも囮役を――」


「おおいっ、ロージャ!ルシャ!こっちに、何かいるぞっ!こいつじゃねえか?」


 ガエウスのはしゃぐ声が聞こえる。ルシャも毒気を抜かれてしまったのか、僕を見て、仕方ないとでも言うように笑った。


「行こう」


「はい」


 ガエウスに近付いて、周囲を見回す。近くの大きめの沼、その中心に小さなカエルが見える。

 目を凝らすと、その頭に王冠のような突起が見える。体色も、心なしか桃がかって見える。


「あそこに、いるね。姫リャグだ」


「あいつか。よし、俺がとっ捕まえてきてやる」


「慎重に頼むよ。姫リャグは臆病だから、跳んでいったら驚いてすぐ逃げてしまうかもしれない」


「了解っ」


 ガエウスはそう言うと、靴を脱いで裸足になり、沼にずぶずぶと入っていく。沼は浅く、足が少し沈み込む程度のようだ。


 ガエウスはそろりそろりとリャグに近付いて、その死角から手を伸ばす。けれど触れる瞬間、姫リャグはひらりと跳んで、手を躱す。ガエウスはすぐに怒ってしまって、豪快に跳び付き始めた。


「この、カエルの分際でっ、馬鹿にしやがってっ」


 ガエウスが腹から沼に落ちる。ばしゃばしゃと一人と一匹が跳ねる音で騒がしくなる。僕は、子どもが泥遊びしているのを見ているような気持ちになって苦笑してしまった。隣を見ると、ルシャも同じような顔をしていた。


「お前も行くべきじゃないか、ロージャ」


 不意に耳元で声がする。ナシトだった。


「え、僕?いや、遠慮して――」


「おい!ロージャ!お前も手伝え!このカエル、なかなかやるぞっ」


 ガエウスの、怒っているような笑っているような声が僕を呼ぶ。ガエウスはもう既に身体中泥だらけだ。顔までも真っ黒になっている。

 ……嫌だな。


「ロージャ、私も行きます」


 ルシャはそう言うと、靴を脱ぎ始めていた。脱いだ靴と靴下を丁寧に整えて置いているところが彼女らしいというかなんというか。

 そんなことに感心してる場合じゃない。彼女を泥だらけにする訳にはいかない。


「ルシャはここで待ってて。僕が行くよ」


「三人の方が、効率的ではありませんか?」


 ルシャはきょとんとしている。こんな、文字通りの汚れ仕事も進んで手伝おうとする彼女は、まさしく聖女だった。

 でも聖女様にはいつも綺麗で美しくいてほしいというのが、僕の望みだった。……男なら普通そう思うはずだ。


「二人で十分だよ。ルシャとナシトは、念のため周囲を警戒しておいて」


 それだけ言って、鎧と靴を脱ぎ、脚の裾をまくる。汚れるのは嫌だったけれど、腹をくくったせいか、なんだか楽しくなってきたな。


「ロージャ!早く来いよっ」


 ガエウスに急かされて、僕は沼に踏み出す。命のやり取りをした後の、和やかなひととき。こういう時間があるから、僕は冒険が好きだった。



 結局、姫リャグを捕獲したのはそれからしばらく経ってからだった。僕らとの遊びにまだ満足していないのか、ふてぶてしく鳴く姫カエルを籠に放り込んで、僕らの任務はようやく完了となった。本当に厄介な依頼だった。

 僕とガエウスは見るも無残な泥まみれになって、ルシャとナシトの魔導で頭から丸洗いされる羽目になってしまった。


 その間ずっと、四人が四人とも、笑っていた。

 こんなかっこ悪い冒険も、皆と笑えるなら悪くない。魔導都市への帰り道、僕はそんな風に思っていた。

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