第45話 前を向く

 それから結局、僕らの問題は全て、ヴィドゥヌス校長が解決してしまった。


 校長とシエスが僕らのもとにやってきた翌日、校長は『嘆きの大聖堂』にふらりと向かい、大魔導師の急な来訪に慌てふためく信徒たちを正面突破して、教皇と話をつけてきたらしい。

 校長に聞いても「つまらん話し合いじゃった」と言うだけで、どういった駆け引きがあったのかは教えてくれなかった。

 結果だけ言えば、僕は、教会に属しない代わりに魔導学校にもどこかの国家にも所属しない、中立な立場であり続けることになったそうだ。

 冒険者というのは、移り住んだ場所で税を納める必要はあるけれど、それさえこなせばその後どこに行くにも自由で、『蒼の旅団』のような例外を除けば、国との関わりも薄い。冒険者というのはもともと、政治的には割と中立な存在なのだと思う。なので僕には、この結果に全く異論は無い。

 けれど校長は、僕が魔導都市に戻ったら、また近接戦闘の授業を再開してほしいと言う。それは、良いのだろうか。


「まあ、あくまで非常勤講師じゃし。何か言われても言い訳できるじゃろ」


 校長は相変わらず自由な人だった。屋敷で結果を伝えに来た校長は、何でもない調子で付け加える。


「それと。そこのルシャについても、使徒の辞退を認める、とのことじゃ。破門まではせんから、戻りたくなったらまた戻れるでの。今の教皇は寛容なお方じゃて」


 僕の隣で静かに話を聞いていたルシャさんが、固まる。僕も驚いた。ルシャさんのことは、校長にまだきちんと話していなかったはずなのに。


「昨日ルシャが言っておったからの。ついでじゃ。昔、教皇がしでかしたあれこれの証拠を新儀式派に全部譲り渡すぞと脅したら、ちょちょいのちょいじゃった。むしろあっちから色々と譲歩してくれたぞ」


 絶対に、そんな軽い話じゃないと思うのだけれど。けれど、これで本当に、色々と片付いたのは確かだった。校長には感謝してもしきれない。


「ありがとうございます。校長先生。シエスのことといい、お世話になりっぱなしで、すみません」


 僕は立ち上がって、頭を下げる。隣ではルシャさんも同じように頭を下げていた。


「気にするでない。昨日も言ったじゃろ。半分は気持ち良く酒を飲むためで、大したことでもない」


 校長は笑う。頭を上げると、校長はもう目の前におらず、屋敷の扉に手をかけていた。


「それでは儂はこのへんで、お暇するとしよう。聖都の酒も好きでのう。シエスももう、付いてくるでないぞ」


「ん」


 横に座るシエスは、もはや校長の動向に興味はないようだった。ルシャさんの用意した果実水をぐびぐびと飲んでいる。


「ほほ。では、またの」


 校長はそんなシエスを見て朗らかに笑うと、消えるように屋敷を出ていった。酒が待ち遠しすぎたのか、屋敷を出るときの動作は、魔導師というよりは盗賊のそれだった。




 明日の昼には、聖都を出ることになった。

 魔導都市には、ルシャさんに加えて、ソフィヤさんたちも付いてくる。子供たちがルシャさんと離れるのを嫌がって、それを見たソフィヤさんが、それなら魔導都市の教会に居を移そうと提案したためだった。

 教会を失ったソフィヤさんたちは、今聖都でも、微妙な立場にある。ソフィヤさん自身に教会を再建できるようなお金は無いし、教会側も彼女たちのような外れの教会まで丁寧に救済していては、手が回らなくなる。本来なら、冒険者以外の街の住民が街を離れる時は、様々な手続きやら領主の許可やらが必要になるはずだけれど、まだ聖都が混乱から抜けきっていない今なら、特に文句をつけられることもなく聖都を出られるだろう。

 ただでさえ聖都は大都市で、気付かぬ内に人口が増えていることも日常茶飯事と聞く。人口の不正な流動にさほど厳格な訳でもないだろう。



 慌ただしく出発の準備をして、なんとか落ち着いた、聖都での最後の夜。僕らは四人で、屋敷にいた。

 僕は夕食の後、少し緊張しながらルシャさんに、僕らのパーティに入ってくれませんかと提案した。僕の中では、ルシャさんが仲間だというのはもう確たるものだけれど、こういうのは一人で決めるものではない。きちんと言葉にして、伝えておかないと。


 彼女は僕の言葉を聞いて、きょとんとした顔をして、その後すぐに、笑いだしてしまった。


「ふふ。ごめんなさい。だって、私はもう最初から、そのつもりでしたから。真剣な顔をしてこちらを見ているから、何事かと思っていました」


 そういってルシャさんは穏やかに笑い続ける。傍でぼんやりとしていたシエスと、珍しく静かに酒を飲んでいたガエウスが、こちらを見ていた。


 ルシャさんはなんとか笑みをおさえて、こちらに向き直る。僕に合わせて真剣な表情をしているけれど、それでも眼は楽しそうな色をしていた。


「……はい。お受けします。私の居場所はもう、貴方の隣と決めました。ですから、どうか、連れて行ってください、ロジオンさん。貴方の行くところへ」


 ルシャさんは僕にそう言って、微笑んだ。そこにはもう、彼女を長いこと覆っていた憂いはなかった。

 僕はただ頷いて、彼女の言葉に答える。


「ロージャ」


「……?」


 不意に、シエスがルシャさんに向かって、僕の名を言う。なんだろう。ルシャさんも不思議そうにシエスを見る。


「仲間なら、ロージャ。ロジオンさん、じゃない」


 いつも通り言葉足らずだけれど、シエスはどうも、僕の呼び方について言っているようだった。


「ああ。そうだね。ルシャさん、僕のことはロージャと呼んでください。ロジオンはどうも、他人行儀に思えてしまって」


「そ、そうですか。では……ロージャ、これからよろしく、お願いします。私のことも、ルシャとお呼びください」


 敬語は外れないのが、ルシャさんらしいというかなんというか。

 シエスは無表情だけれど、いい仕事をしたとでも言うように、少し上機嫌だった。


「かあっ、めでてえじゃねえか!面倒はあったが何もかもうまくいった!仲間も増えた!こりゃあ今日は、飲むしかねえなっ!」


 ガエウスが急に騒がしくなる。まあ、いつものことだ。いつの間にか、食卓には四人分の杯があった。酒がなみなみと注がれている。


「ロージャ、杯を持てよっ!ルシャもだっ!シェストリアも今日は飲んでいいぞ、特別だっ」


「ん」


「ん、じゃないよ。シエスはこっちの果実水だ」


「……私も、もう大人」


「ふふ」


 騒ぎながら四人で杯を持って、立ち上がる。

 僕はガエウスが乾杯を叫ぶと思っていたのに、声はあがらない。皆静かに、僕を見ていた。


「僕が、言うのか?」


「たりめえだろ。これはお前の冒険だ。俺たちはお前に、ついてきてンだよ。お前が行くとこにゃあいつも、冒険があるっ」


 そう言って、ガエウスはがははと笑う。


「ええ。私が信じるのは、貴方です」


 ルシャさん……ルシャは静かに、けれど力強く微笑む。


「……私も、仲間。ロージャを、支える」


 シエスまでもが、いつもより、真剣だった。



 そうやって、またみんなして、僕を泣かせようとする。やめてくれ。これじゃあ僕が泣き虫みたいじゃないか。

 震えそうになる声を誤魔化すように、けれどみんなへの感謝を込めて、僕は言う。彼らを守って、彼らと進もう。


「ありがとう。……僕らの、武運に!乾杯っ」


 杯が勢い良くぶつかって、酒が卓に零れ落ちる。

 良い夜だった。




 翌朝、いつもの鍛錬の後、僕はある宿屋に向かった。聖都にいる間に、最後に一つだけ、やっておくべきことがある。


「よく来た、ロジオン。先日の件について、かな」


 ソルディグは僕を招き入れた。宿泊している部屋に備え付けられた席に腰かけて、僕を見上げている。

 ユーリはいなかった。そのことに少しだけ、安心してしまう自分が嫌だった。振り切る決心はついても、まだ気まずさは消えてくれない。


「ああ。僕のために、提案してくれたことは感謝する。けれど、なんとか無事に聖都を出る目途がついた。だから、君のクランに入ることは、辞退させてもらうよ」


 僕は感情を込めずにただ告げる。彼の提案に感謝しているの事実だ。けれど彼に親しみを感じるのはどうしても無理だった。


「……そうか。なら、良い。だが俺はいつでも君を歓迎するつもりだ。君の『力』は、俺たちが『果て』を目指す上で必要になるものと、俺は信じている。気が変わったら、いつでも会いに来てくれ」


 ソルディグの言葉には力があった。心底そう思っているのだろう。意思の強い、けれどどこか冷たい眼が、僕を見据えている。


「ああ。……それだけだ。また、機会があれば」


 僕はそれだけ言って、視線を外して部屋を出ようとする。その時だった。


「良い眼になったな」


 僕は立ち止まる。怒りではない、けれど暗い感情が、腹の中で生まれた。


「……君にそれを言われるのは、少し辛いけどね」


 思わず、非難とも嫌味ともつかない中途半端な何かが、口をついて出ていた。


「……君への謝罪は既に王都で済ませた。それに、俺を求めたのは、ユーリだ。……彼女を引き抜こうと、その想いを利用したことは、確かだが」


 その言葉は、ユーリには言うべきじゃないな。それは彼女の想いを、踏みにじるものだ。かつての僕なら、絶対に許さなかっただろう。

 けれど僕は、その思いを口にはしなかった。それはもう、彼と彼女の問題だ。僕には関係ない。そう思えて、僕は自分の中でもう、大切に想うものが大きく変わっていることに、改めて気付いた。


 それ以上は何も言わず、部屋を出る。ソルディグも、追ってはこなかった。



「そこの、人間。止まりなさい。そこの、赤毛」


 宿を出かけて、知らない女性の声に呼び止められる。人間と呼ばれたのは、初めてだな。

 振り向くと、そこには恐ろしいまでに美しい、細身の女性が立っていた。けれど彼女にはその美しさより、僕の目を引くものがあった。長い長い金髪から覗く、異様に長い耳。……あの耳、まさか。見るのは初めてだった。彼らが人里にいるなんて、聞いたこともなかった。


「……何か?」


 動揺を押し隠して、聞く。彼女がエルフだったとして、それをいきなり聞くのは失礼だろう。彼女が種族名で人を呼ぶ輩だったとしても、僕は違う。


「貴方ですね。ユーリを惑わしているのは。ユーリはこの街で貴方の存在を知ってから、塞ぎ込んでしまった。貴方、ユーリの何なのです」


 ユーリが、塞ぎ込む?僕のせいで?

 ソルディグはもう、ユーリは新しい日々を生きていると言った。それなのに、彼女は何を迷っているというのだろう。


「ただの、幼馴染ですよ。彼女は、今どこに?」


「今は、仲間と街を散策に出ています。気分を変えさせようと」


 このエルフの女性は、恐らくソルディグとユーリの仲間だろう。僕への態度は厳しいけれど、ユーリを気遣う気持ちは本物のようだった。仲間想いには違いないはずだ。ユーリが仲間に恵まれているなら、良いのだけれど。


「答えなさい。あの夜、あの娘に、何をしたのです。何を言ったのです」


「……何も言っていませんよ。そんな余裕は無かった。けど、代わりに今から言うことを、ユーリに伝えてもらえませんか」


 ユーリが惑っている。それは僕には、受け入れ難いことだった。僕のことを必要ないと断じて、僕とは違う道を、前に進む決心をしたのなら、何を今さら迷っているのか。まさか僕に何か、心残りがあるとでも言うのか。

 そう思うと、僕は初めて、本当に初めて、ユーリに腹が立った。

 ふざけるな。


「僕はもう、前を向いたぞ、と」


 それだけ言い放って、宿を出る。後ろは振り返らない。僕自身、自分の怒りをよく理解できていなかった。




 訳も分からぬままに歩いて、屋敷に近付くと、馬車が数台、屋敷の前に止まっていた。馬車の規制は、既に解除されていたようだった。


 こちらに気付いて、ルシャが走り寄ってくる。


「ロージャ。どこに行っていたのですか。もう出発ですよ」


 僕の隣に並んだルシャはどこか安心したような顔をしている。僕がいなくなるとでも思ったのだろうか。行き先くらいは言っておくべきだったな。彼女を不安にさせるつもりはなかった。すっと、ユーリへの怒りも、ユーリのことも、遠のいていく。


「ほらっ、やっぱりルシャおねえちゃんがあいつの恋人っぽいじゃんかっ」


「……むう」


 馬車の横につくと、子供たちが何事か言うのが聞こえた。子供たちの中にはシエスも混じっている。もう仲良くなったのだろうか。


「こないだルシャおねえちゃん言ってたよ。あの人がおねえちゃんの大切な人だって。それって彼氏ってことだよねっ」


 あの子は確か、ターニャだったか。

 ふとルシャを見る。この間のように子供たちの言葉を否定はせず、ただ僕から視線を逸らして、少しだけ目を泳がせていた。いつも凛としているルシャには珍しい、何かいたずらっぽい仕草。


 不意にシエスが首に抱きついてきた。子どもたちから歓声があがる。


「なら、私も、恋人」


 僕にくっつきながら、シエスが子どもたちに宣言した。やめなさい。

 ルシャもいつの間にか、僕の腕を握っている。騒ぎに気付いたガエウスがこちらを見て、またにやにやとしている。今日はその隣にソフィヤさんもいて、いつもより視線が多くて、痛い。この状況は、その。



 シエスと、ルシャ。

 彼女たちが、僕に信頼以上のものを向けてくれていることには、僕だって気付いている。嬉しいとさえ思う。けれど僕は、仲間を守るために生きると誓ったけれど、彼女たちの、さらに一歩踏み込んだ想いを前にすると、まだどうしても、ユーリとの過去が頭にちらつく。


 彼女たちもいずれ、僕を置いて、僕を必要ないと言って、どこかへ行ってしまうのではないか。


 馬鹿馬鹿しい妄想だった。だけどまだ心のどこかで、僕は恐れている。

 彼女たちの想いを受け止めるためには、僕はきっと、過去を見つめ直さないといけない。ユーリとの過去から目を背けて前を向くのではなく、乗り越えて前に進むために。


 けど今はまだ、いいだろう。僕はただ笑って誤魔化す。二人が、僕の腕を引く。

 今は、彼女たちのおかげで前を向けたことだけでも、ただ喜びたかった。

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