第44話 迎え
新儀式派の暴動から、数日後。僕は屋敷で、ひとり頭を抱えていた。
聖都を離れる術が、全く見つかっていない。
あれから数日間、僕はルシャさんと共に、軽傷者の治癒と、焼け落ちた教会の撤去を手伝っていた。ルシャさんが聖都の人々の手助けがしたいと言ったのだ。
あの日以来、ルシャさんの眼にはずっと、意思がこもっていた。出会った頃よりも力強く迷いなく、人々のためにあちらこちらを駆け回っていた。彼女が立ち直れたのなら、良かった。
ソフィヤさんと子供たちは、彼女たちと同じように今回の騒動で帰る場所が無くなった人たちと共に、『嘆きの大聖堂』近く、仮設の避難所のようなところでひとまず暮らしている。今のところは皆元気そうだけれど、彼らの新しい住居についても、考えなくてはならない。
今回の騒動によって、新儀式派への弾圧がどうなるのかは分からない。普通に考えれば、主流派はいっそうの締め付けを行うだろう。教会には既に、彼らを迫害する大義名分があった。武力に訴えた少数勢力は必ず消される。村で読んだ歴史の本にはそう書いてあったな。
けれど奇妙な点がまだ二つあった。あの夜には新儀式派の暴動だけでなく、大量の魔物の襲撃と、メロウムの独断行動があった。
『嘆きの大聖堂』はこの聖都の中心地だ。そこにあれだけ多くの魔物が、やすやすと忍び込めるはずがない。何者かが、あの混乱に乗じて魔物を引き込んだか、召喚したか。そんな気がしてならない。
メロウムがやった可能性はある。あの男の行動は読めなさすぎる。けれど奴の狙いは僕たちだけだったとするなら、わざわざあれだけの魔物を召喚する意図が読めない。
そのメロウムも、今は行方が知れなかった。既に聖都を離れているのかすら、分からない。
教会は、魔物もソフィヤさんの教会の焼き討ちも、全て新儀式派の仕業と発表している。けれど、聖都の人々は少し懐疑的なようだった。魔物を見た人は多い。聖教の信徒は根本的に魔物を嫌う。いくら新儀式派といっても、彼らも敬虔な聖教の信徒で、魔物で聖都を汚すようなことまではしないのではないか、裏で何かが動いていたのではないか、と話す人も多かった。結局、真実は分からない。
まあしかし、そのあたりを考えるのは後だ。
教会も教皇も、今は新儀式派の暴動の後処理に追われていて、僕のことは優先順位が低そうだが、近い内にまた、使徒になるかどうかについて聞かれることは間違いない。うまく譲歩を引き出せるような答えを考えておく必要がある。
……まだ、案は何も無いのだけれど。思わずため息をついてしまう。
「ふふ。ロジオンさん、一旦、休憩しませんか。お茶を淹れましたから」
ルシャさんがお茶を運んできていた。僕のおおげさなため息を聞いていたのか微笑んでいて、その穏やかな雰囲気に、僕もなんだか和んでしまう。
「ありがとうございます。そうですね。煮詰まってしまいました」
お茶を受け取って、一口飲む。やはり、僕が淹れた時よりも数段美味しい。作り方のどこが違って、こんな違いが生まれるのかはさっぱり理解できていなかった。
僕の前で、ルシャさんもお茶を飲んでいる。僕が見ていることに気付くと、また笑ってくれた。
「そういえば、昨日、聖下から、メロウムについての回答がありました」
ルシャさんが話し始める。
メロウムについて、先日ルシャさんは包み隠さず教会に報告し、使徒としての聖権剥奪を訴えていた。
「……騒動は全て新儀式派によるもので、使徒メロウムは何も関与していない、とのことでした。……あの男には、裏に政治的な協力者がいるようです」
「……やはり、そうですか」
話すルシャさんの表情は少し暗い。
ガエウスの機転でソフィヤさんたちは助かっているものの、メロウムは教会を燃やしてソフィヤさんたち全員を殺そうとし、加えて僕らの命も狙っていたことは事実だ。僕もルシャさんも、あの男に良い感情を持っているはずが無い。
「ですので、メロウムを使徒として残すのであれば、私は棄教して使徒としての責務を辞退すると、告げてきました」
ルシャさんはなんでもない様子で、さらりととんでもないことを言う。
使徒を辞めること、聖教から距離を置くことは想像していたけれど、棄教を教皇の前で宣言してしまうとは。僕は驚いて、何も言えない。
「どうしたのですか?」
ルシャさんもきょとんとして、僕を見ていた。
「いえ、その、そんなことを直接聖下に言ってしまって、大丈夫だったのですか?」
「大丈夫ですよ。聖下はたいそうお怒りになっていましたが。棄教するならロジオンさんと同じように、私も聖敵だと、叫ばれていました」
世間一般では、その状況を、大丈夫とは言わないと思う。むしろ命の危機だろう。
けれどルシャさんの眼は、明るい。
「大丈夫です。……私の信じるものはもう、神でも聖教でもありませんから。信じる人の隣で、同じ立場でいられる方が、ずっと大切です」
そう言って、ルシャさんは僕を見つめる。
少し微笑みながら、隠すこともなく信頼をぶつけてくるルシャさんは、本当に綺麗だった。
僕は照れくさくなる。彼女になんと返せば良いのか分からない。
そんな時、屋敷のベルが鳴った。来客を知らせる合図。
僕はこれ幸いと、立ち上がろうとするルシャさんを制止して、席を立つ。屋敷の玄関に向かう。
ガエウスだろうか。でも彼ならいつも通り、勝手に鍵を開けて入ってくるはずだ。疑問に思いながら、少しだけ警戒しつつ、空いた手を腰の斧に回しておく。
扉を開ける。
「ロージャっ」
その声で、すぐに誰なのかは分かった。警戒が一瞬で解ける。
銀髪の女の子が、開いたばかりの扉をすり抜けて僕の腰に抱き付く。僕の胸よりも低いところに、頭をぐりぐりと押し付ける。
シエスが、聖都にいた。
「シエスっ、どうしてここに」
「迎えに、来たっ」
僕を見上げてそう言うシエスは、涙目だった。それからまた、僕に頭を押し付ける。泣いているのだろう。心配をかけてしまった。聞きたいことは山ほどあったけれど、シエスの肩が僅かに震えているのを見て、思わず手を彼女の頭に置いて、いつものように撫でてしまう。
シエスは髪が少しだけ伸びていた。彼女と離れてもう一月近く経っていたことを、今更思い出す。
「ほほっ、儂が連れてきたんじゃよ。ロジオン、元気そうじゃの」
すっかり気を抜いて、シエスを見ていて気付かなかったけれど、目の前にはもう一人、来客がいた。
魔導学校の、ヴィドゥヌス校長。偉大な大魔導師が他に護衛もつけずに、のほほんとした様子で聖都まで来ていた。
状況は読めないけれど、とりあえず、二人を屋敷の中に招いて、ルシャさんを紹介することにした。
ルシャさんは立ち上がって、不思議そうにこちらを見ていた。
「ルシャさん。僕にもまだ良く、状況が分かってないのですが、こちら、魔導都市で僕がお世話になった、魔導学校のヴィドゥヌス校長です」
ルシャさんは一瞬驚いた様子で、けれどすぐに、優雅に礼をとった。
「ルシャと申します。ヴィドゥヌス様のご高名は、良くうかがっております。お会いできて光栄です」
「ほっほ。そう固くならんでください。ふらっと来てしまって、申し訳無いと思っております。こちらこそ、聖教の聖女様は、良く知っておりますぞ」
「いえ。私はもう、使徒でも、教会の者でも、ありませんので。単にルシャと、お呼びください」
ルシャさんの言葉を聞いて、校長の眼が一瞬鋭く光る。けれどすぐにいつもの、優しいおじいさんの目に戻った。
「……何か、あったようですな。……まあ、ロジオンが近くにおるなら、問題はないでしょうが」
「ええ」
そう言って、二人とも少し笑った。なんだかむずかゆい。けれど信頼されているというのは、嬉しいものだった。
続けて紹介しようと、シエスを見る。彼女は僕の腕の後ろに、半分隠れるようにして立っていた。
「ほら、シエス、自己紹介して。こちらは、ルシャさん。この街で、僕を助けてくれていた人だよ」
「……ん」
シエスは僕に促されて、ルシャさんの前に立つ。
「……シェストリア。よろしく」
「ふふ。ルシャです。よろしく、お願いしますね」
シエスはいつも通りの簡素極まりない挨拶で、けれど挨拶の後もじっと、ルシャさんを見つめていた。ルシャさんは少し屈んで、シエスと目線を合わせている。
「ルシャ、さん。……あなたは、ロージャの味方?」
「ええ。いつ、いかなる時でも」
ルシャさんも、シエスの真剣な様子に合わせて、真剣な口調だった。二人、しばらく見つめ合う。
どうしてみんなそんなに、僕についてばかり話すのだろう。よりにもよって、僕の目の前で。
「なら、いい。よろしく、ルシャさん」
「ふふ。はい。ありがとうございます。ルシャで良いですよ」
それからシエスはまた僕のところまで戻って、きゅっと腕を掴んできた。少しだけ頼りなさげな、握り方。
思わずシエスを見る。彼女もこちらを見上げている。その眼に、不安の色はなさそうだった。いつも通りの無表情。ただ少しだけ、視線がじとっしているような。
「……私も、味方」
「……?」
シエスが僕だけに聞こえるように、ぼそりとつぶやいた。心なしか、顔が赤くなっている。
「私も、ずっと、ロージャの味方。ずっと、一緒」
そう言うと、ぷいと顔を背けてしまう。なんとなく、彼女の意図を察して、その背伸びした様子に笑ってしまいそうになるけれど、こらえた。彼女は真剣だ。茶化す訳にはいかない。けれど僕自身、彼女の好意にどう返すべきか、まだ分からなかった。
だからいつも通り、ただ少しだけ強めに、シエスを撫でる。シエスはしばらくこちらを向いてはくれなかった。
「お主から手紙が届いてから、シエスが儂に張り付いて、離れてくれんでな。どの酒場に行っても儂を待ち受けて、ロージャを助けに行くってしつこくてのう。こんな幼子にくっつかれては儂も気まずくて、浴びるようには酒が飲めんかった。それが何日も続いての。減酒を強いられた儂はついに根負けして、お主を魔導学校に連れ帰るために、こうしてここ聖都まではるばる来た、というわけじゃ」
屋敷で、校長から経緯を聞く。なんだか気の抜ける説明だった。僕と同じ席、僕の膝の上に座るシエスを見る。
「……幼くない」
シエスは変なところにつっかかっていた。他の部分は否定しないので、校長につきまとったのは本当のようだった。
シエスらしいというかなんというか。
「シエスに感謝するんじゃな」
校長はからからと笑っている。シエスは無表情だけれど、なんとなく胸を張っているようにも見える。
僕とルシャさんは、ありがたいとは思いつつも気の抜けた礼しか言えなかった。
「というのはまあ、理由の半分でな。もう半分は、この機会に、あの若造に借りを返してもらおうかと思っての」
校長は変わらず笑いながら、少しだけ真剣な口調で続けた。
「借り、とは?」
「ほほ。少し前に教会内で、派閥争いがあったじゃろう?その時に、今の教皇にはちょいと、貸しがあるのよ」
何でもないことのように、校長は驚くべきことを言う。
「宗教というのは、知っての通り、世間体が大事でのう。今の教皇が、新儀式派じゃったか、当時の権力者を引き摺り下ろす時に、奴は理由を欲しがった。大義名分の一つとして、奴は新儀式派と、魔導との繋がりをでっち上げた」
聖教において、魔導とは、敵だ。だから聖教の信徒は使徒のような一部の例外を除いて、魔導を扱ってはならない。
「けれどのう?教皇の派閥だろうと奴らの敵の派閥だろうと、武力でなんとかしようとするなら、今の世の中、必ず魔導が必要になる。勿論、今の教皇も、権力を奪い取る際に魔導勢力を利用しておる。儂は、魔導の権威として、今の教皇に魔導との繋がりは無く、新儀式派にはあると証言して、当時の奴らの簒奪を正当化してやった」
校長は淡々と話す。ルシャさんの淹れたお茶を美味い美味いと言って啜る姿とはそぐわない、大人の事情だった。
「魔導側からすれば、教会の内輪揉めなんぞ、どうでもよいでな。むしろ内で揉めてくれる間はこちらに飛び火もせんから、好都合でもある。だから儂は今の教皇の肩を持った。儂らは、魔導師を育てて、魔導を研究できれば、それでよい。世間体も風評も、儂らには大して価値は無い」
思わず、ルシャさんを見る。
彼女は、この内紛に心を痛めていたはずだ。罪も無い人々が巻き込まれていると。その内紛の一因というか、今の教皇が力を得た一因が、今僕らの目の前にいる。彼女には、今の校長の言葉がどう聞こえたのだろう。
ルシャさんは、少しだけ俯いていた。けれどすぐにこちらを見て、何でもないとでも言うように目線を返してくれる。眼には力があった。
「けれども、今その若造が、よりにもよって魔導学校の一教員を脅して、聖都に閉じ込めておる。だからちょいと、教皇には過去のあれこれを思い出してもらおうかと思ってな」
「……その教員というのは、僕のこと、ですか?」
「他に誰がおるんじゃ」
校長はまた笑う。一度授業をしただけなのに、校長は僕を身内として扱うと言う。
「お主が伝承の巨人を討ち倒して、魔導都市を救ったことも儂は覚えておる。その恩を無視して、お主の危機に知らんぷりをするほど、儂は耄碌してはおらんよ」
校長の言葉は軽い調子で、けれどとても温かかった。
この感覚は、ガエウスがまた仲間として、合流してくれた時にも感じたものだ。
人を頼るのが怖くて躊躇している僕に、それでも僕に手を差し伸べてくれる人の、温かさ。
「……政治というのは、あまり好きではなくてのう。魔導を扱う時以上に、冷酷でなくてはならん。だからせめて身内にくらいは、人情をもって接したいと、儂は思っておるよ」
「……ありがとう、ございます」
僕はそう、礼を言うことしかできなかった。
今は、校長を頼ろう。頼りにした分、また後で返せば良い。
そう、僕が決意しかけた時に。
「……聖都に行くの、ずっと渋ってたくせに」
シエスがじとっとした目で、校長を見据えていた。校長はシエスから露骨に目を逸らしていた。
「ところでルシャさんや。この屋敷には、お酒はあるかのう」
またしても露骨に話題を変えようとする。
なんだかこの一月で、シエスと校長の力関係はおかしなことになっていたようだ。
僕は思わず、笑ってしまう。
聖都を出られるかは、校長と教皇との交渉次第だけれど、希望が見えた。
何より、ルシャさんもシエスもこうして和やかに笑っている。そんな光景を見られるのが、本当に嬉しかった。
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