第43話 朝
ルシャさんから目を離す。
僕の言葉がルシャさんに届いたかは分からない。けれど別に、それで良かった。
白煙の向こうを見通すように、前を向く。
メロウムがどこにいるのかは分からない。状況は何も好転していない。守ってばかりでは、いずれ限界が来る。
「貴方は本当に面白いですね。ロジオンさん。貴方の心を折るのは、難しそうだ」
メロウムの声が聞こえる。次はどう来るか。集中する。劣勢を打開するには、どうすべきか。もうこれ以上、感情を揺らしている暇は無い。ただ、どうすべきかを考える。
ふと、奇妙に思っていることがあった。メロウムは魔導も相当に扱い慣れているものの、これまで攻め手はメイスが主体だった。魔導は、どちらかといえば攻撃より撹乱に使っている。
奴もルシャさんと同じように、魔素の許容量が多い訳ではないのか。それとも単に、こちらにそう誤認させるためか。
大規模かつ高度な魔導を扱えないのであれば、姿を捉えて、接近できれば、打ち破れる可能性もあるかもしれない。まずは、白煙を何とかする必要がある。
そう考えていた刹那、後ろで空気が震えるのを感じた。今度は僕に、死角からメイスが振るわれる。僕狙いなら、まだやりようはある。
メイスに目を向けず、ただ盾だけを回してメイスをいなす。メロウムはこれまで通り追撃せず、すぐに白煙の中に消えていく。すぐに何らかの魔導が来るだろう。けれど攻めに転じるなら、今しかない。
瞬時に盾と鎚を持ち換えながら、叫ぶ。
「ルシャさんっ、伏せてくださいっ!」
ルシャさんごと、吹き飛ばしてしまうかもしれない。けれど、手加減をしても恐らく状況は変わらない。ならルシャさんが少しでも立ち直っていることを、信じるしかない。それに僕はもう、彼女を信じると誓ったはずだ。
鎚を握る手に力を込める。ユーリの前で、キュクロプスを吹き飛ばした時のことを思い出す。
なんとなくだけれど、僕はこの『力』のことを、少しずつ分かり始めている。これはたぶん、意思の力。自分が信じるものを信じただけ、化物じみた力を得る。
世界の常識や人の限界を全て捻じ曲げて、ただ意思を以て、世界を侵す力。
負けたくない。ここで引けば、ルシャさんを守れない。シエスの元にも帰れない。
また、失う。それだけは認められない。絶対に、負けたくない。
それだけを強く念じて、鎚を振るった。
左脚を軸にして、横薙ぎに一回転する。キュクロプスの胴を消し飛ばした時よりも疾く、振り抜く。
瞬間、僕を中心にして、全方位に轟と鋭い風が吹き抜けた。あれだけしつこく纏っていた白煙が吹き飛び、霧散していく。視界が晴れる。
周囲の家々の壁面に、一筋、抉り取ったような跡が刻まれていた。
周囲を見る。ルシャさんは、無事そうだ。
メロウムの姿もすぐに見つかった。フードの取れたメロウムの表情は普段と違って笑っておらず、酷く冷たかった。
好機だ。
メロウムの方へ跳ぶ。一瞬で距離を詰めて、そのままの勢いで鎚を縦に振るう。
「……恐ろしい力だ。やはり、放置しておくのは、危険すぎる」
鎚が触れる瞬間、メロウムのつぶやく声が聞こえた気がした。鎚を振り下ろす。土が弾け飛んで、地面が大きく抉れた。
躱された。
「ですが、最後の詰めが甘い。ロジオンさんらしいですね」
耳障りな、メロウムの声。笑っていた。
振り返ると、ルシャさんの後ろにメロウムが立っていた。ルシャさんはまだうずくまっている。表情は見えない。
僕が見たメロウムは、幻影だったのだろうか。完全に、裏をかかれた。けれど驚きも悔いも追い越して、身体が動く。全力で地を蹴る。
メロウムはもう、メイスを振り下ろしていた。
間に合わない。手斧を投げようと腰に手を回した、その時。
極限まで引き延ばされた一瞬の間に、ルシャさんの眼が見えた。こちらを見ている。
痛々しい涙の跡と、それに似合わない、真っ直ぐな眼。出会った時と同じ、強い意思。
僕の鎚を躱したメロウムのように、ルシャさんもまた、メイスに触れるその瞬間に、かき消えていた。
ルシャさんは、一歩横に跳んでメイスを躱して、流れるような動きで、振り向きざまに剣を振るっていた。
メロウムが大きく後ろに跳んだ。ルシャさんの剣はメロウムの首を掠め、血の線が走る。
メロウムは民家を背にしていた。あれ以上は退けない。
僕はそのまま、手斧を投げる。轟音と共に飛んだ斧は、メロウムの一歩手前で見えない魔導の壁に当たり、不自然に曲がった。
全て、一瞬のうちの出来事。けれど今、メロウムには少しの動揺と、隙がある。今こそが本当の好機だった。
僕はメロウムに向けて、一直線に跳ぶ。
直後、正面から、鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。鎧の胸部が大きく凹む。爆破の魔導だろうか。
構わない。地を思い切り蹴って爆破の衝撃を無理やり殺し、そのまま走る。口の中が血の味で一杯になる。
鎚の届く距離に入る。片手で鎚を、掬い上げるように振るう。メロウムはメイスで受けた。そのままメイスを弾き飛ばす。
鎚を振り下ろしている暇は無かった。空いた手で盾を取り、そのまま盾をメロウムに向けて立てて、力任せに、突き刺した。
盾から、肉を裂くような、骨を磨り潰すような感触が伝わる。
盾が民家の壁を突き破り、凄まじい音を立てる。
壁から土煙がたつ。すぐに後ろへ跳んで、メロウムを探す。手応えは、あったけれど。
ルシャさんも僕の横に来ていた。彼女も油断無く、メロウムの方を注視している。
土煙の中から、メロウムが見えた。まだ致命傷は与えていないようだ。表情に変化は無い。
けれどメロウムの右腕は、肘から先を失っていた。
「全く。驚きました。まさかロジオンさんのあんな言葉だけで、シェムシャハルが立ち直るとは。本当に、その程度の信仰だったとは。貴方の場合は、信仰心が『力』の源泉だと、思っていたのですがね。貴方がたの『力』は、本当に不可解だ」
そう言って、メロウムは笑った。右腕のことなど全く意に介していないかのようだ。この期に及んで、なおも不気味な男だった。
「二対一では、流石に分が悪すぎますね。私も手負いになってしまった。シェムシャハル。今日はこの辺にしておきますので、できれば、私の腕を癒してもらえませんか。同僚のよしみで」
「……お断りします」
ここで逃がすわけにはいかない。僕がまたメロウムに向けて跳ぼうとした時だった。
僕らに向けて、メロウムから、ありったけの魔導が飛んでくる。炎に氷、爆発と、手当たり次第の無差別な攻撃。ルシャさんと同時に、僕は大きく横に跳んでいた。意識が、回避のみに傾く。
「ロジオンさん。今日はもう疲れてしまったので、ここまでです。けれど、憶えておいてください。私は貴方がたを赦しはしない。また近いうちに、お会いしましょう」
声に意識を向けた時には、もうメロウムの姿は消えていた。
しばしの間、警戒を続ける。けれど徐々に、戦闘時の緊張は薄れていく。胸の隅に押し込めていたものが滲み出す。
僕はソフィヤさんと子供たちの仇を討てなかったのか。僕が、もっときちんとした警告を、彼女たちにしていれば。メロウムへの警戒を怠らなければ。彼女たちは死なずに済んだのだろうか。
後悔が押し寄せてくる。ルシャさんのことを守りたいと思っているのなら、ルシャさん自身が大切に想う人のことだって、全力で守らなければいけなかったのに。僕は――
そこで、立っていられなくなる。胸が潰れていることを、今更思い出す。口から血が溢れる。
「ロジオンさんっ!」
ルシャさんの声が聞こえる。焦っているのに、どこか優しげな声。そういえば、スヴャトゴールと戦っている時にも、こうして彼女に、呼ばれたのだっけ。
そこで意識が途切れた。
温かなものが身体を包むのを感じて、目が覚める。
目の前には、心配そうなルシャさんの顔があった。後頭部には、柔らかい感触。頬には彼女の手が置かれている。僕の鎧は全て、取り外されていた。
「ロジオンさん。目が、覚めたのですね。……良かった」
ルシャさんの声。
一拍置いて、今、彼女に膝枕をされていることに気付く。慌てて起き上がろうとして、彼女に押さえられてしまった。
「まだ、じっとしていてください。貴方の思うより、貴方は重傷だったのですよ」
ルシャさんの声は柔らかいけれど、僕の肩を掴む力はしっかりとしていて、有無を言わせぬ雰囲気でもあった。
僕はそのまま、ルシャさんの膝に頭を戻す。
「ルシャさん……その、ソフィヤさんたちのこと……すみませんでした。僕がもっと、警戒していれば……」
僕は自分の後悔を、彼女にぶつけてしまっていた。言ったところで、ソフィヤさんと子供たちが帰ってくる訳でもないのに。
「……もう、良いのです。悪いのは、メロウムですから。あの男の異常さに気付いていながら、放置していた、私の責任でもあります。貴方があの時、私に叫んでくれなければ、私もあそこで、死んでいたでしょう。貴方が言ってくれたこと、本当に、感謝しています」
そう言って、ルシャさんは少しだけ笑った。けれどすぐに、哀しそうな顔に戻る。
「結局私は、取り返しがつかなくなる最後の最後まで、神に縋っていたのです」
ルシャさんは、ただ淡々と語る。何かを堪えているようにも見えた。
「神を疑い始めていても、結局最後まで、縋っているものの正しさをただ信じ込もうとして、そのせいであの人たちを失って……」
ルシャさんの声は、震え始めていた。僕は片手を上げて、彼女の頬に触れる。
彼女は僕の手に自分の手を添えて、縋るように頬を寄せた。
「…………私はもうこれ以上、神も、聖教も、信じることは、できそうにありません…………」
彼女の涙が、僕の手を濡らす。僕の顔にも、雫が落ちる。
「……貴方が何も信じられなくても、僕は信じていますよ。ルシャさん」
僕はもう一度言う。どうすれば彼女を安心させられるだろう。
「僕はもう、貴方の仲間です。命までも預けたっていい。だからもう、泣かないでください」
ルシャさんは、泣き止まない。僕にできるのは、泣き止むまで傍にいることくらいだろう。
どれくらいの間、そうしていただろうか。
気が付くと、空から一筋、光が差していた。夜が、明ける。
「おおいっ、ロージャっ!こんなところにいやがったか」
起き上がらなくても分かる。ガエウスの声だ。
けれど、先ほどまで静かに泣き続けていたルシャさんが、目を見開いて、ガエウスの方を見ている。見たことのない表情だった。思わず僕も、身を起こして、ガエウスの方を見る。
信じられない光景だった。
そこには、ガエウスと、その隣に、ソフィヤさんと、子供たちがいた。朝日を受けながら、こちらに向かって歩いてくる。誰ひとり、怪我したような雰囲気も無い。表情も明るい。
僕らはぽかんとしたまま、彼らに囲まれる。
「あらまあ。教会が……どうしましょう。帰るところが、なくなってしまいましたね」
ソフィヤさんが燃え落ちた教会を見て、のんびりとした口調のまま言う。
「ルシャおねえちゃんだっ!」
「ほら、やっぱり彼氏といっしょだぞっ」
子供たちは僕たちを見て、いつも通りやいのやいのと騒ぎ始める。
僕は何がなんだか分からなくて、思わずガエウスを見る。
ガエウスはしてやったりといった様子で、にやりと笑った。
「だから、お前はいつも、詰めが甘えンだよ。大事なもんができたなら徹底的に守れって、いつも言ってンだろうが」
「……ガエウス、君が、守ってくれたのか」
「昨晩騒がしくなった時に、すぐピンと来てな。ルシャ絡みのこいつらが危ねえ気がした。空き家見つけて、そこに押し込んどいた。そんだけだ」
ガエウスが笑う。つられて僕も笑ってしまう。
やっぱり、僕の仲間は最高だ。心の底から、頼りになる。嬉しくて、また泣きそうになって、こらえる。
そんな時、突然、ルシャさんが僕に抱き付いた。
頭を僕の胸に押し付けて、彼女は声をあげて泣いていた。今まで押さえつけていたものが全て溢れ出したかのように、激しい嗚咽だった。僕はそれが嬉しかった。
先程までとは違う、温かな涙。彼女は僕の背に回した腕に力を込めて、感情の全てを僕にぶつけるように、泣いてくれていた。
これで、彼女が少しでも救われれば良い。
僕はあやすように彼女の背を撫でながら、そんな風に考えていた。
朝日は既に、聖都に満ちていた。
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