第42話 僕が守る
『嘆きの大聖堂』から離れて、ルシャさんの元に戻る。ルシャさんは、泣き出しそうな顔で僕を待っていた。
「僕の背に、捕まってください。急ぎましょう」
彼女は無言のまま頷いた。彼女を背負って、駆け出す。二人で、魔物の跋扈する広場を離れる。
ソフィヤさんの教会は聖都の外れだ。もう燃えているならば、一刻の猶予も無い。全力で走る。家々が視界の端を流れていく。
僕の首に回したルシャさんの腕に、少しだけ力がこもった。
彼女はソフィヤさんの教会が燃えていることを知ってすぐに、信者を遍く救うという使徒としての責務より、自分の大切な人たちを守ることを優先して、僕に助けを求めてくれた。そのことに、ルシャさん自身は気付いているだろうか。
彼女の中にはもう、神への祈りより大切なものがあると思う。その証拠に、もう僕の背からは、祈りの言葉は聞こえてこない。ルシャさんはただ前を見ている。必死にソフィヤさんたちの身を案じて、自分の手で助けるために、僕と共に駆けている。
聖都の外れには、新儀式派の暴動が起きた様子も無かった。ただ前に見える、ソフィヤさんの教会だけが、煌々と燃えている。
これは、新儀式派の仕業ではない。先ほどの広場で見た魔物の群れといい、単なる教会内紛にしては何かがおかしかった。
教会の前で立ち止まる。燃え盛っているが、まだすぐに崩れ落ちてしまうような様子は無い。
ルシャさんはすぐに僕から離れて、教会の入り口に駆け出す。彼女の顔は、蒼白になっていた。
「ルシャさん、危な――」
「ええ。ロジオンさんの言う通りですよ、シェムシャハル。ここは危ない」
ルシャさんが教会に飛び込もうとした瞬間、教会から何者かが歩き出てきた。
燃える教会にそぐわない、焦りの欠片もない声。丁寧なのに敬意のうかがえない口調。貼り付けたような笑み。
「やはり、来てくれましたね。お二方」
メロウムが笑っていた。
「退きなさい、メロウム」
ルシャさんが怒鳴るように言う。けれどメロウムは動かない。ただ笑っている。
「無駄ですよ。魔導で、もう分かっているのでしょう?中には一人も、生き残りがいないことは」
「黙りなさいっ!」
「おお、何を怒っているのです。シェムシャハル。貴方は、既に沢山の罪なき人々を救ったではないですか。使徒としての使命を全うして。けれど使徒も人間です。その手で救える数には限界がある。貴方が此処に間に合わなかったのも、神の思し召しというものでしょう」
ルシャさんの肩が震えている。もう誰も助からないというのは、本当なのだろうか。信じたくない。
けれどルシャさんはメロウムの前で、哀しげに立ち尽くすのみだった。
「……貴方は、此処で、何をしているのです」
「私ですか?私は、此処でやるべきことがありまして。この教会に火をつけていました。古い教会のようで、助かりましたよ。よく燃えてくれる」
その瞬間、ルシャさんが剣を抜き、一瞬でメロウムとの距離を詰めた。メロウムの胸を真っ直ぐに突く。
メロウムは剣が胸に突き立つ瞬間、かき消えていた。気配すら掴めない。
消えたメロウムを探して、ルシャさんが振り返る。その目からは涙が溢れていた。
どこからか、メロウムの声が聞こえる。姿は見えない。
「ああ。なんです。神に捧げた身ではなかったのですか。少し良くしてくれた人たちが死んだだけで、もう挫けてしまうのですか。シェムシャハル。貴方の信仰とは、その程度だったのですか」
すぐにルシャさんに駆け寄る。彼女の傍で盾を構えて、メロウムに警戒するけれど、彼がどこに消えたのか全く見当がつかない。奴の使う魔導が、理解できていない。
突然、ルシャさんが膝から崩れ落ちた。メロウムの攻撃かと疑ったけれど、違った。ルシャさんは、泣いていた。何もかも失くしたような昏い表情で。
「ルシャさん!しっかりしてくださいっ!」
僕が叫んでも、彼女は泣き止まない。
「……教会と、母屋から、命を感じられません。一つも」
「……っ、何処か別の場所に、避難しているかも――」
「彼らは、疎まれています。他に行くところなんて、ありません。……私は、また、間違えて……」
彼女はただ泣いている。神も信じられなくなって、大切な人も守れなくて、諦めてしまったのかもしれない。
僕はまだ、ソフィヤさんと子供たちが死んでしまったことを信じていない。僕だけでも飛び込んで、探したいのに、メロウムの前でルシャさんから目を離せるような状況ではない。
メロウムが突然、前方、少し離れたところに現れる。何の前触れも無く。
「さて。ロジオンさん。少し、貴方の『力』というものを見せてもらえませんか。貴方が私の神に背くものかどうか、念の為、確かめなければいけませんので」
神に背く?僕の『力』は、聖教では『奇跡』としたいのではなかったのか。訳が分からない。
瞬間、背筋がぞくりと震える。ルシャさんの腕を引いて、盾で庇う。数瞬前まで彼女がいたところが爆発して、土煙が舞う。
煙を裂くようにして、白く輝くメイスが迫る。盾で受け止めると、その一撃は先のキュクロプスのものよりも重かった。思わず歯を食いしばる。
煙が晴れると、メロウムは元の場所に立っていた。
「ふむ。あれを魔導無しで防ぐとは。貴方の『力』は本物のようですね。盾で止められるものではないのですが」
メロウムが笑う。彼の意図が、全く分からない。
教会の中で、何かが崩れる音がする。すぐ横で、ルシャさんのすすり泣く声が聞こえる。
「ロジオンさんは、本当に分かりやすいですね。何がなんだか分からないという顔をしている。私は貴方のような人は好きですよ。その『力』さえ無ければ、友となれたかもしれないのに」
メロウムがまた、ルシャさんに向けて何かを放つ。彼女の前に身を割り込んで、盾でメロウムの魔導を受け止める。
幸い、魔導の衝撃は軽かった。けれど、盾に当った瞬間、飛んできた何かは四方に弾けて、僕とルシャさんを白い煙のようなもので包んだ。また、目くらましか。
「ロジオンさん。私は私の神に誓って、貴方がた二人の『力』を、認める訳にはいかないのです。私の奉じる神は、その『力』を赦さない。それは、人には過ぎたものです」
声の聞こえる方向とは別の向きから、メイスが振るわれる。僕は間一髪で、盾で防ぐ。先程よりもさらに重い一撃。弾き返すとすぐにメイスは消えた。一瞬の空白。
奴が距離を取ったのなら、次は魔導が来る。僕はルシャさんを抱えて、強く地を蹴った。白煙から抜けるためだ。
跳んで、教会から離れる。爆発音が聞こえた。
かなりの距離を移動したはずなのに、白煙は晴れなかった。この魔導は、広く周辺一帯を覆っているのか。メロウムの気配も隠されている。厄介だった。
メロウムの一人語りが続く。
「私は聖教の使徒ですが、実は聖教を信仰している訳ではありません。私には私の神がいます。彼らとは目的が似ているので、共にいるだけでして。ああ、シェムシャハルに言われたことは正に真実なのですよ。私は聖教を利用している。図星をつかれて、あの時は内心焦っておりました」
メロウムの口調は場違いに明るい。
この男が何を信じているかなんてどうだっていい。どうすればルシャさんは立ち直れるだろうか。子供たちを探さなくては。先に考えなくてはいけないことが沢山ある。今、メロウムはただひたすらに邪魔だった。
「放っておいてくれ!君に何の権利があって、僕らの邪魔をするんだっ」
「権利とは、また。人を害する権利なんて誰にもありませんよ。けれど私は、世界の『法則』を超えた貴方がたを見逃す訳にはいかない。この世界を支配するものに抗う存在は、排除しなければ。これは単に、私の意思です。人は、譲れないものがあるから、殺すのですよ」
白煙から、またもメイスが見える。矛先はルシャさんだった。ルシャさんは今も泣きながら、ただ虚空を見ていた。
盾でルシャさんを覆い隠す。守る。
守りながら、背中を何かで打たれた。息が詰まる。鎧が歪んだかもしれない。けれどこれくらい、気にはならなかった。
僕はただ、悔しかった。
彼女の大切なものを守れなかったことも、彼女の傍にはまだ僕がいるのに、彼女は僕のことなど簡単に忘れて、絶望に浸ってしまっていることも。
「それだけのために、教会を燃やしました。貴方がたの『力』は、どうも心のあり様に強く影響されるようですので、心を折れば、その『力』も消えるかと思いまして。僕もあまり、同僚を殺したくはないですからね。彼女の大切なものを奪う方が、楽ですし」
メロウムは語り続ける。
不意に側頭を何かで殴られて、兜が弾け飛んだ。どこからか氷柱が飛んできたようだった。衝撃で一瞬、気が遠くなりかける。
教会の方から、大きな崩落の音が聞こえる。教会が崩れ落ちた音。屋根が落ちたなら、誰も助かりはしないだろう。
メロウムは相当、戦い慣れている。魔導も近接戦闘も高い練度を保っていた。何より、躊躇が無い。
加えてこちらは、ルシャさんが無力化されていて、僕も気が焦っている。
ルシャさんを抱えて、全力で逃げるしかない。頭の何処かで、冷静な冒険者としての僕がそう言っている。
けれど、ここでただ逃げたら、ルシャさんはその後、立ち直れない。そんな気がする。命を拾っても、ルシャさんは心を閉ざして、僕は彼女の助けにもなれず、何も救えない。
それは絶対に嫌だった。
何より、自分がまた、信じた人から必要とされず、頼りにされないのが、嫌だった。
ルシャさんはもう諦めてしまって、僕のことなんてどうだっていいと言うのだろうか。
こんな時なのに、ユーリのことを思い出してしまう。夜に宿を抜け出して、朝に戻るユーリ。朝、鍛錬をしていた僕から目を背けて、隠れるように宿へ消える、彼女を。
僕のことなんてもうどうでもいいと思っているなら、そう言ってほしかった。僕は君のことを信じているのに、僕をもう信じていないなら、頼りにしていないのなら、そう、言ってほしかった。
信じ続けて、守るために全てを尽くして。
ずっとずっとそうやって生きたその後で、お前は不要だと言われることが、どれだけ辛いのか、知っているのか。
「そういう訳で、申し訳ございませんが、貴方がたにはここで――」
「ルシャさんっ!」
メロウムの言葉も遮って、僕は叫ぶ。
ルシャさんは、まだ泣いている。構うものか。僕はもう二度と、あんな思いをしたくない。だからあの時、ユーリには言えなかったことを、彼女に言う。これは僕の自己満足だ。
「僕はもう、貴方のことを全て、信じていますっ」
ルシャさんが、こちらを見上げた。涙は流したままだった。
「だから、僕のことも、信じてくださいっ!もう何も信じられないなら、僕を!」
ルシャさんはただ、僕を見ている。ユーリのことを、頭から振り切る。
「僕が、絶対に、守るからっ!」
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