第41話 再会

 屋敷の外で何かが弾けた。建物の崩れる音が聞こえる。音は、此処からそう遠くない。


 すぐに立ち上がって、ルシャさんの隣に移動する。彼女はまだ少し動揺しているようだけれど、不穏な空気には気付いているようだった。


 今、聖都で何かが起きるとするなら、それはほぼ確実に、新儀式派絡みだろう。だとすればここも危ない。この屋敷が教会の管轄下であることは、恐らく知られているはずだ。


「ルシャさん、こちらへ――」


 そう考えて、ルシャさんの手を引いて、窓から距離を取ろうとした時だった。

 何かが部屋の奥の、通りに面した窓を割って、ごとりと屋敷の中を転がる。人ではない。黒い、球のような――


「展開」


 意識すらすることなく、僕は盾のみを発現させていた。投げ入れられたものには、見覚えがある。冒険者との諍いの折に、何度か使われたことがあった。

 すぐに球から光が漏れ出す。僕は盾を球の方に向けて構える。同時にルシャさんを強引に引き寄せて、盾と僕の間に抱き寄せる。

 ルシャさんはされるがまま、ただ僕の腕の中から僕を見上げていた。

 右手で盾を支えて、左手で彼女の頭を、僕の胸に押し付ける。


「目を閉じてっ」


 うずくまるようにして、自分の頭も盾で隠しながら、僕は叫んだ。

 次の瞬間には、僕らは眩い閃光に呑み込まれていた。

 盾で覆い隠して、眼も強く瞑っているのに、それでも目蓋を貫くほどの白い光。目くらましの魔具。

 光が収まるのを待ちながら、周囲の気配を探る。少なくとも二人、屋敷の傍で息を潜めているようだった。


 ほどなくして、光の奔流が失せる。

 すぐに外から何者かが侵入して来たようだ。暗殺者にしては、気配を隠せていないな。

 目を擦る。ルシャさんを覆い隠すのに必死で、自分の目をうまく隠せなかった。視界はまだかなりぼやけている。けれど恐らく、相手の輪郭は見える。なんとかなるだろう。


「ロジオンさんっ、無事ですかっ」


 僕の腕から解放されたルシャさんは、僕を見上げているようだった。声が上擦っている。彼女の眼は大丈夫だろうか。けれど悠長に尋ねている時間は無かった。


「大丈夫です。二人、来ます!」


 刺客が二人、同時にこちらへ跳んでくる。武器は、よく見えない。見えないということは短刀の類だろう。

 ルシャさんが剣を抜く音が聞こえる。彼女の動作に不自然なところはなさそうだ。眼は十全に見えていると思って大丈夫だろう。

 なら、申し訳ないけれど、相手の一人は彼女に任せよう。


 僕は盾を構えたまま、僕に近い方の男に向けて突進した。脚に『力』を込めて、跳ぶ。蹴った床が弾け飛んだ。

 短刀なら少し刺されても、ルシャさんがなんとかしてくれるだろう。そう信じて腕を前に伸ばす。突き出した盾が相手にぶつかる。

 そのまま、盾と屋敷の壁で押し潰すつもりが、壁ごと突き抜けて、外に出てしまった。慌てて止まる。ぶつけた刺客は少し離れたところに転がっていた。よく見えないので、盾を構えながら近付いたものの、動く気配が無い。気絶しているようだった。


 すぐにルシャさんの救援に向かおうと振り返ると、線の細い人影が僕の開けた壁の穴を抜けて、こちらに駆けてきていた。刺客はどちらも男のようだったから、おそらくルシャさんだろう。彼女ももう刺客を片付けたようだ。刺客が手練でなくて良かった。


 ルシャさんは僕の元まで来ると、おもむろに僕の頬に手を伸ばした。両手で顔を挟まれて、引き寄せられる。

 突然のことに僕が驚いているうちに、ルシャさんに目をじっと、覗き込まれていた。

 彼女の顔が目の前にある。少しぼやけて見えるけれどやっぱり綺麗で、眉を落として心配そうな表情さえも絵画のようで、僕は思わず息を呑んでしまった。


「……やはり、眼が。すぐに、癒します」


 彼女の手から、先ほど魔具が放った閃光とは質の違う、温かな光が溢れた。明るいけれど眩しくはない、優しい光。

 僕の目はすぐに癒えて、焦点を取り戻す。ルシャさんの顔ももうはっきりと見える。けれど彼女は手を離してくれない。じっと僕を見つめている。

 ルシャさんの眼はどこか必死で、けれど出会った頃と似て、真っ直ぐだった。屋敷で話していた時の、諦めたような、儚げな様子は薄れていた。


「……ルシャさん、あの、もう大丈夫です。ありがとうございます」


 僕は気恥ずかしくなって、逃げるように言う。

 彼女が少しでも元気になったのなら嬉しいけれど、安心するとすぐに、自分が屋敷で彼女に言ったことを思い出して、照れ臭くなってくる。


「……貴方は本当に、想ってくれているのですね」


 ルシャさんはつぶやいて、手を離した。言葉の真意は、分からない。

 ルシャさんはもうこちらを向いておらず、周囲を見回していた。


「ロジオンさん。聖都で広くここと同じような襲撃が起きているようです。……新儀式派、でしょう。教会を無差別に、襲っているようです。使徒として、私は聖都を守らなければいけません」


 そう言ってこちらを振り返る。魔導で周囲を探っていたようだ。

 彼女はまだ、迷っていると思う。僕のせいで神の実在を疑い始めて、使徒であり続ける理由も見失っているはずだ。けれど、巨人討伐の時だって自分の意思で助力を申し出てくれた彼女が、この騒ぎを前にして何もしないはずがなかった。


「勿論、僕も行きます。けれど、まずソフィヤさんの所に行かなくてもいいのですか?」


 彼女にとって、あの小さな教会と子供たちは家族のようなものだと、勝手に思っている。

 僕が言うと、彼女は少し辛そうな顔をした。


「……今のところは、あの教会には何も起きていないようです。彼処までは襲われないでしょう。……それに、救う相手に順位をつけてはならないのが、神の教え、ですから」


 彼女はもう既に、魔導であの教会の様子をうかがっていたようだった。僕はただ頷いて、彼女に付いていく意思を示す。




 僕たちを襲った刺客は二人とも気絶していた。彼らを縛り上げて屋敷の近くに転がした後で、僕たちはすぐに、騒ぎが大きいはずの聖都の中心部へ向かった。


 聖都の中心は、『嘆きの大聖堂』だ。けれどそこへ向かう道中にも大小たくさんの教会があって、多くの信徒や、新儀式派の暴徒がそこかしこで倒れていた。新儀式派は弾圧に対する最後の抵抗に、ほとんど無差別に、教会を襲っているようだった。

 ルシャさんはそれを一人残らず、瞬く間に癒していく。相手が新儀式派の者であっても、救えるものは全て救っていた。


 火の手の上がる教会もいくつか見えた。取り残された人がいる教会には、僕が飛び込んだ。最初はルシャさんが一人で火の海に入っていこうとしたけれど、人々の治癒ができるのはルシャさんだけで、彼女に何かあってはまずい。なんとか説得して、救助の中で危険を伴うことは全て僕が受け持った。僕の見栄にすぎないかもしれないけれど、ルシャさんだけに無理をさせるのは嫌だった。


 救われた人々は、口々にルシャさんを崇めた。使徒様だ聖女様だと感謝されて、その度にルシャさんは少しだけ暗い顔をしていた。

 どれだけの人を救っても、それが自分自身の、得体の知れない『奇跡』によるものである限り、彼女は納得しないのだろうか。神の実在を信じられなければ、彼女は救われないのだろうか。これだけ沢山の人を癒しているのに、彼女は過去を拭い去れないのだろうか。

 聖都の中心に走りながら、僕はずっと、ルシャさんのことを考えていた。彼女の背負うものは大きすぎて、僕なんかでは、何の支えにもなれないのだろうか。




「ロジオンさん、止まってください」


 ルシャさんに声をかけられて、足を止める。『嘆きの大聖堂』はもう見えている。もうすぐ聖都の中心部に着くはずだ。


「様子が、おかしい。……魔素を持った何者かの気配がします。恐らくこれは、魔物」


 魔物が、聖都の中心に?

 あり得ないはずだった。けれど前方、『嘆きの大聖堂』の前の広場から、耳障りな咆哮が聞こえて、何かが蠢く気配を、僕も感知する。


 同時に、あちらこちらで火の手があがり始めた。教会とその周辺だけが燃えていた、先ほどまでの新儀式派の暴動とは様子が異なる。教会と無関係の普通の家々までも、燃えている。


「ロジオンさんっ!アビジャが、来ますっ」


 前を見る。森か山のダンジョンにのみ棲むはずのアビジャが一体、猛然とこちらに向かってくる。状況は掴めないけれど、魔物相手なら、やることは一つだ。


「僕が前に出ます!ルシャさんは他の魔物を警戒してください!」


 鎧と兜を展開して、盾を構えてそのまま前に跳ぶ。奥の広場から感じる魔物の気配は、複数。このアビジャが一体であるうちに、対処しておかなければ。


 前方の猿の魔物が、火を吹き出した。この個体は、火を扱うのか。盾を壁にして火を避けながら、猿の横を跳び抜ける。そのまま振り抜かず、右手で腰から手斧を引き抜き、すれ違いざまに投擲する。

 斧が当ったかは分からない。けれどアビジャの気配は消えていない。猿が火を吹くのをやめてこちらを振り返ろうとする刹那、僕は再度地を蹴って、猿の死角に飛んでいた。

 アビジャが僕を見失った瞬間、盾と持ち換えていた鎚で、脳天から叩き潰す。猿は一瞬で絶命していた。



 ルシャさんはまだ、僕の後方にいる。僕はそのまま、魔物が蠢いているであろう大聖堂前の広場を見て、固まった。


 僕の視界の先には、無数の魔物と、その中心で一つ目の巨人、キュクロプスが暴れていた。

 緑肌のその巨人の回りには、見知らぬ女性と、ソルディグ、それにガエウスが見える。交戦して間もないのか、彼らには少し、動揺したような空気があった。

 けれど僕は、彼らを見ていた訳ではなかった。魔物の群れとキュクロプスに驚いた訳でもなかった。僕はただ茫然と、巨人の正面で剣を構える、黒髪の女性だけを、見ていた。



 細い身体。ソルディグと似た軽装。長い黒髪。抜き身の剣のような鋭い覇気。

 思い出す必要すら無い。ユーリが、そこにいた。

 ユーリが僕に背を向けて、巨人と相対していた。



 キュクロプスが、手にした棍棒を振りかざす。応じるようにユーリが少し腰を落とす。



 もう彼女に僕の力は必要無いだとか、ここからでは間に合わないだとか、余計なことは一切考えなかった。


 ただ気が付いた時には、僕はキュクロプスに向けて一直線に跳んでいた。ありったけの、スヴャトゴールを討った時と変わらぬ程の『力』を込めて、地を蹴る。


 次の瞬間にはもう、ユーリの脇を抜けて、巨人と彼女の間に立っていた。


 迫る棍棒とキュクロプスの腕が、やたらと遅く見える。

 いなすまでもなかった。盾で正面から、棍棒を受け止める。鈍い音。止まった棍棒を盾で押し返し、弾き飛ばす。

 巨人の打撃は軽くて、盾を握る手に血が滲んでいる訳も無かった。けれどもう、かつてキュクロプスを相手にして死にかけたあの頃と違って、背中越しに温かなものは感じられない。それがなんだか可笑しかった。

 思考は回らなくても、手は止まらない。意識を超える速さで持ち換えた鎚を、よろめくキュクロプスの脇腹に、叩き込んだ。


 鎚を横に、振り切る。ありったけの力を込めて。

 横一文字に衝撃が吹き抜けて、キュクロプスの胴体は消失していた。

 僕の前には巨人の胸から上と、腰から下だけが残っていた。血が噴き出す。

 魔物に囲まれているはずなのに、僕らは一瞬、静寂に包まれていた。



「ロージャ?」


 後ろから懐かしい声が聞こえる。冷たいようで、どこか温かな声。

 僕はどうしても振り向けなかった。どうして此処に飛び出したのか分からなかった。振り向くのが怖かった。


「ロージャ、なのね。どうして、此処に――」


「ロジオンさんっ!」


 ユーリの声と、ルシャさんの声が同時に、後ろから聞こえた。


「ロジオンさんっ!ソフィヤさんの教会が、燃えていますっ!」


 魔導で異変を感じ取ったのだろうルシャさんの声は、今まででいちばん、悲痛な響きをしていた。僕はその声に、躊躇なく振り返る。


 ユーリがこちらを見ていた。蒼い瞳。射抜くように鋭い、意思の強い眼。挑むような眼差し。何も変わっていなかった。僕は少しだけ笑ってしまう。

 僕が傍にいてもいなくても、ユーリは変わらずにユーリのままなのだろう。そういう芯の強いところが好きで、でも危なっかしくて、放っておけなかったんだった。



 爆発音が響く。ガエウスが、近くにいる。


「ロージャっ!ここは俺たちに任せとけっ!行くべきとこが、あんだろっ!」


 ガエウスが叫ぶ。

 彼の言う通りだ。僕には、行くべきところがある。ルシャさんが、僕の助けを必要としている。僕の居場所はもう、此処ではない。


 すぐに僕はルシャさんの元へ跳んだ。結局、ユーリに言うべき言葉は最後まで見つからなかった。


「待って、ロージャっ――」


「黙ってろ、ユーリっ!もうお前にゃあ、ロージャの冒険に口出す権利は、ねえンだよっ!!」


 ガエウスの声を背に、彼らから遠ざかる。

 僕は、何をやっているんだろう。ユーリに何と言うべきだったのだろう。分からない。

 けれど不思議と、今すべきことと、したいことは分かっていた。ルシャさんを助ける。今僕の頭にあるのは、それだけだった。

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