第24話 目からうろこ

「俺には百年早いかもしれん」


 商店街から海斗の家に場所を移し、緑兄オススメというレコードを、例のコンポで聴いているところだ。


「曲はカッコイイよ」


 海斗は笑いながら、そう言う。


 手渡されたレコードのジャケットは、バイクにまたがった紫色のスーツを着た、あやしげな男がドヤ顔で写っている。


 実際、曲は悪くなかった。


 ただ、俺としては曲そのものより、一切ノイズが無いCDやスマホで聞く音とは違うレコードの凄さの方に、心が引っ張られた。


 レコードの音はより柔らかさを感じるし、歌い手の吐息まで聞こえてきそうな臨場感というか、音の奥行きが素晴らしい。


「結構、レコードもいいでしょ」


 これまたドヤ顔の海斗が、これを機に音楽豆知識を語り始めそうだ。だが、今日は話にのってやれない事情がある。


 海斗に付き合ったのは、レコードを聞くためでも、カフェで茶をするためでもなく、頭の中を整理するために来ているのだから。


 桃子に引き出された感情は、日に日に強くなっていた。


 じいさんは言っていた。いずれ、俺の元の記憶は失われ、この世界の記憶に塗り替えられるのだ、と。


 桃子は受け入れつつあるが、俺は自分の記憶を消したくはない。ただ困るのは、帰りたいか、と問われたら、即答できる自信もなかった。


 ロジカルな思考を持つ海斗であれば、絡まった知恵の輪を解くように、正解に導いてくれるんじゃないか、と期待している。


 俺はソファの上に胡座をかき、海斗の様子を見ながら、切り出すタイミングを図っていた。


 当の本人はラグの上に座り、コーヒーテーブルの上で、ダビング中の曲名をインデックスなんちゃらに、無心で書いてくれている。


 完成を待っている時間も、早く話をしたいと心が騒ついている。よって、話しかけることにした。


「あのー、お仕事中、申し訳ありませんが」


 棒読みの俺の声に、海斗はゆっくりと顔を上げ、ボールペンをテーブルに置いた。


「はい、なんですか、青葉くん」


 海斗は黒縁眼鏡のブリッジをスッと上げ、無表情を見せる。


「ちょっと聞いて欲しい話があるんだわ」


「聞くだけでいいの?」


 俺は即答した。


「アドバイス、して欲しい」


「いいよ、僕でよければ」


 海斗も即答した。


「じゃあ、早速ってことで」


「どうぞ」


 と言われて、すぐに言葉が出てこなかった。これは、仕事の面接で失敗するパターンだ。


「えっと……俺、家族と離れて暮らしてる、って話、まだしてないよね?」


「そうだね」


「俺の父さん、病気なんだよね……確認のしようもないんだけど、多分、俺と弟のことも分かってないと思う」


 深刻さを出さないように、声色や口調に気をつけて話す。焦らず、ゆっくりと言葉を選びながら話す。


「一緒にいると、なんて言うか……たまれなくってさ。気づいたら、じいさんのところに逃げてきた、ってわけ。弟に全部ぶん投げてね。俺、最低だよな」


 誰も笑わないから、俺が一人乾いた笑いを上げる。


 なのに、海斗は表情を動かさない。コンポの前にあるラグにゆったりと座ったまま、手元で弄んでいたからのカセットテープを、そっとテーブルに置いた。


「なるほど。青葉くんは逃げてきた。それが今の状況だね」


「まあ、そうだね……うん」


 俺はコクリと頷いた。


「で、青葉くんは、これからどうしたいの?」


「そこなんだ、海斗!」

 

 海斗はフッと笑って、「そこか」と言った。


 ここからが本番。


 一度、息を飲み込んで、少しだけ笑って見せる。が、海斗はじっと俺を見つめているだけだ。


 俺は緊張から逃れるため、海斗から視線を外した。体験談を友人に話すように、明るいトーンで話そうとした。


「無責任に思うかもしれないけどさ、どうしたいかなんてさ分かんないよ。女子と日記を交換してキャッキャしたり、デートの約束にワクワクしたり、海斗と遊んだりしてるけど。本当にいいのかね? いや良くないよね、って揺れるわけよ」


 ちらっと海斗を見るも、やはり、海斗はニコリともしない。


「青葉くんは、何故そう思うんだろうね?」


 心を見透かされてるようで、また視線を外した。でも、もう明るく笑う振りもできなかった。


「後ろめたい、から、かな? 家族に悪いなあって、やっぱ思うよ。自分だけ面白おかしく暮らしてるっていうのは、そりゃ……胸が苦しくなるさ」


「うん」


 自分で話しておいて、これは胸糞悪い話である。


「ま、と言っても、実はちょっと忘れかけてた!」


 自重気味な空笑いにも反応せず、海斗は顎に手を当て、小さく何度か頷いた。


 気まずい空気を作ったのは俺だ。同時に、自分の暗部を吐き出しつつある。そして、もっと聞いて欲しい、という身勝手な欲求が、手に負えないくらいに、喉のあたりでくすぶっていた。


 海斗はわずかに残っていたコーヒーを飲み干すと、からになったカップをソーサーに静かに置いた。


「この話、砂上さんにも話した?」


 不気味なほど、海斗の声は澄んで穏やかだ。


「少しだけね。デートの翌日だったから、一昨日おとついの朝かな? 話している間に、なんだか泣けてきちゃってさ。ホント、ウケるよね」


 苦笑してみせるも、海斗の視線は真っ直ぐ、俺に向かっている。


「別にウケないよ」


 と色のない声で言った後、海斗は言葉を継いだ。


「家族のこと大事なんだね」


「俺の態度は、最悪だけどな」


 自分のことが恥ずかしくて、俺はうつむいた。


 自習室で桃子とも、同じようなやりとりをした。この二人には、ついしゃべりすぎてしまう。


 ちょうどその時、12インチからテープへのダビングが終わった。


 何も言わず海斗は立ち上がると、コンポからテープを取り出し、俺に渡しながら、初めて笑顔を見せた。


「僕には、もう答えが出ているような気がするよ」


 俺は眉を上げ、目を見開いた。


「どんな?」


 待望の答えを聞きたくて、はやる気持ちと一緒に、体が前のめりになった。


「はい、これ。インデックスカード。曲名とか書いておいたから」


 胡座あぐらで組んだ足を下ろし、俺は腕を伸ばすと「ありがとう」と言って、海斗の手からテープを受け取った。


 のんびりとテーブルの上を片付ける海斗に、もう一度尋ねる。


「答え……教えてよ」


 海斗は考えるようにして、少し間をおいてから、顔を上げた。


「それは、青葉くんは早く家族の元へ帰った方が良いってこと」


「それが答え?」


 海斗はコクリと頷いた。


「今の砂上さんとの関係は似てるよね。青葉くんは、どちらに対しても、逃げ出したことを後悔している。本当は好きだし、会いたいし、力になりたい。でも、その気持ちがあるから余計に辛くて、胸が痛むんだよね?」


「まあ……そうだな」


「胸の痛みの核にあるのは、何だと思う?」


 理解がおぼつかない俺は顔をしかめて、首を横に振った。


「後悔とか、義務とか、責任とかじゃなくて、青葉くんの優しい気持ちなんだよ。もっと自信を持って、自分の想いに応えるべきだと、僕は思うよ」


 俺は口を半開きにしたまま、子供の頃に聞いた、目からうろこの話を思い出していた。


 盲目の男が、キリストの啓示を受けた弟子の祈りにより、目から鱗のような物が落ちてきて、男は再び目が見えるようになった、という聖書の話だ。


「少し一人で考えてみる」


 その場では、そうとしか答えられず、海斗も「それがいい」と静かに微笑んだ。その夜はそれでお開きとなった。


 翌日、高坂先生はホームルームで、桃子は風邪で休みだと言った。


 しかし、それはおかしい。

 彼女は一度、学校に来ている。


 今、俺の教科書の下には、今朝、下駄箱に入っていた桃子からの日記があるからだ。


 先生の授業をBGMに、新しく書かれたページを食い入るように読んでいた。

 

 また二人乗りしたいだとか、行きそびれた映画に今週はどうだろう、とか、人には見せられない内容に、読んでいる間に思わず顔が緩んだ。


 桃子にしては、珍しく改行が少なかったせいか、俺は最後まで気がつかなかった。他愛なくも楽しい書き込みに混じるように、いや影を潜めて、その問いかけは書かれていた。


『青葉くんは、まだ覚えているのかな?』


 この一行に、何を言わんとするのか。解釈はいくつか考えらえる。桃子が突然休んだ理由と何か関係はあるのか。胸騒ぎがする。


「先生」


 教壇に立つ高坂先生が振り返り、挙手している奴を指して言った。


「はい、湯島くん。何ですか?」


「星くんが具合が悪そうなので、保健室に連れていってもいいですか?」


 何を言い出すんだと、海斗を見遣ったが、病人に見えるくらい、ひどい顔をしているようだ。


「確かに。星くん、顔色が悪いわねえ。湯島くん、保健室に連れていってあげてくれる?熱があるようなら、早退してもいいから言ってね」


 事が勝手に進んでいく様子を、俺はただ黙って見ていた。


 優等生の皮を頭からすっぽりかぶって、海斗は席を静かに立ち上がった。


「肩を貸そうか? 大丈夫?」


 とそれっぽく、心配そうに聞いてくる始末。


 俺は深刻な顔つきを崩さず、「すまん」と言って、海斗にもたれかかりながら、騒つく教室を出ることに成功した。


 廊下の端っこにある踊り場まで来ると、組んだ肩を外した。


 用心深い海斗は壁から顔を覗かせ、もう一度、廊下に誰もいないことを確認した。


 親指を立てる海斗と顔を見合わせ、二人でクスっと笑った。


「度胸あるよな、お前。しかも、先生、ころっと騙されてたし」


 俺の声に海斗が目を見開き、人差し指を唇に当てて、ウィスパーボイスで言った。


「声が響くから気をつけて」


 俺は首をちょっと前に出し、声に出さずに「サーセン」と言った。


 すると、海斗がいきなり、俺の上着のポケットに、札を何枚か突っ込んだ。


「お金は何かと役立つからね」


 俺は慌てて「いいよ、いらないよ」と小声で叫んだ。


 海斗は微笑しながら、首を横に振った。そして、俺の耳に顔を寄せ囁いた。


「僕は代わりに保健室で休んでおく。青葉くんは自由だよ。さあ、行って」


 両手を合わせ、海斗を拝む真似をしたら、両手を軽くはたかれた。


 海斗は声をひそめながら、ありがたい助言を言ってくれる。


「自分の良心に従って行動した方が、どっちに転んでも後悔はしないはず」


 俺のメンターか、と毎回、その言葉には感心するものがある。


 続けて、海斗は言った。


「これも」


 手渡されたものを見て、俺は大きく口を開けた。海斗の肩をバシバシと叩き、声なき感謝を全身で伝えた。


 桃子との日記だった。机に置きっ放しだったことを、すっかり忘れていたらしい。


 それから、階段を降りて、それぞれの場所へ。


 と言えばかっこいいが、海斗は保健室のベッドにもぐりこみ、俺は桃子の家へ向かった。


 校門前にある公道まで出たきたもの、桃子の家まで歩いていくには少し遠い。


「とか思っていたら、都合よくきたよ」


 ちょうど現れたタクシーを、無事に捕まえることが出来た。


 車窓から流れていく街の景色を見ていて、説明できない違和感を感じている自分に気づいた。確実に、自分の中で何か変化が起きている。


 考え事をしていると、歩けば三十分は掛かる道のりも、気づけばあっという間だった。ここで、海斗に借りた金が役立つ。


 無一文で飛び出していたら、俺はまだどこかを歩いていただろう。受け取っておいて、本当に良かったと思う。


 人の良さそうなドライバーに、千円札を二枚、渡した。


 釣りを受け取って車を下りようとすると、ドライバーが振り返って微笑んだ。


「お大事にね」


 学校前から乗車したので、恐らく、俺は具合が悪くなり早退した生徒だと思ったのだろう。


 ペコっと軽く頭を下げ、タクシーを降りた。


 青い屋根に白い壁のマンションを見上げ、急足で桃子の家へ向かいかけて、ふと立ち止まった。


「家の人に不審に思われるんじゃないか? 学校に連絡がいったらマズイな……」


 いや、マズいのは俺の頭だ。

 今更、悩んでどうする。


 優先すべきは、桃子を探し出すこと。その一点しかない。

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