第15話 半ドンは最高

 日記は書き終わった。結局いつもと変わらない時間に、登校することになってしまった。


 只今、絶賛登校ピークタイムに突入中。


 状況を見るに、こっそりと桃子に日記を渡すことは、容易ではないように思える。


 詰襟つめえりの首元を緩めながら、俺の眉根は徐々に寄っていき、口は尖っていった。


 今日は皆が待ちに待った、半ドンなる土曜日。ほとんどの生徒たちは、午後の計画が楽しみで、気持ちが浮かれているのだろう。



 この騒ぎに便乗し、どさくさに紛れて渡すことも考えたが、やはり別の確実な方法を検討したい。


 何故ならば、内緒にしたいことに限って、簡単に気づかれるパターンが結構あるからだ。


 スマホとネットがあれば、場所も時間も関係なく連絡しあえる。でも、この世界には、そんな便利なツールは存在しない。


 たった一言を伝えるだけのことが、こんなにも面倒だとは思ってもみなかった。恋仲の伝言なら尚更だ。


「おはよう」


 教室はすぐそこだが、廊下の途中で海斗と一緒になった。


「デート、明日だっけ?」


 わざとらしく笑顔で元気よく、俺に聞くのは止めてくれ。


「そうだよ、声がでかいよっ!」


 自分の出した大声にビックリして、辺りを見渡してみる。


 俺たちの会話も、土曜日の喧騒にかき消されたらしく、誰も聞いちゃいないようだ。


「まったくもう……」


「ああ、ごめんねー。わざとじゃないよ?」


 こういう時の海斗は、実に楽しそうである。


「嘘つけ」


 そんな感じで、ぐただぐだと二人で話しながら、教室の前までやって来た。


 入り口からざっと見ても、桃子の姿は見当たらない。


 俺たちは脱力した「おはよう」を連呼しながら、狭い机の間をぬって自分たちの席へ進んだ。


 マンションなら、「ペントハウス」と呼ばれる最後列にある角席。


 本来であれば、そこに座る権利を持っているのは、物語のヒロインと相場は決まっている。


 なのに、実際は、湯島海斗の席であった。


 海斗は椅子を引きながら、「青葉くんに、朗報があるんだけど」と、かなり嬉しそうな顔をしている。


「本当に?」


 眉唾ものだと思って、しかめっ面を海斗に向けた。


「本当だよ。昨日の晩、A面とB面それぞれのトラックリストを考えてみたんだ。これがさ、結構いい感じで振り分け出来てんだよね」


 確かに、それは朗報だ。


「有能」


 俺は小さく頷きながら、海斗の方へ拍手した。


「そういうのいらないから。それより、今日こそは作業を終わらせようね」


 と海斗は言って、そのトラックリストを書いた紙切れをくれた。


 パズルのハマり具合を確認するには、通しで聴くのが一番だ。


「曲順を決めたらダビング。その間にインデックスカードの準備、かな」


 海斗は独り言のように、段取りを口にしていたかと思うと、鞄の中に手を突っ込んだ。


 おもむろに取り出したのは、アルファベットや数字がずらりと並んでいる謎の透明のシートだった。


「何それ? シール?」


「レタリングシート。テープの顔とも言えるタイトルは、絶対にこっちの方が仕上がり良いよ。特に青葉くんの場合はね」


 菩薩のごとく、慈悲に溢れた海斗の微笑みは、奴の専売特許だが、時々、顔と言葉がどうも一致しない。


「もうちょい、オブラートに包んでくれよなー。ま、字が汚いのは事実なんですけど」


 これで、明日のデートに持参するマイベストテープ、 という黒歴史化しかねん代物も完成の目処めどがたってきた。


 でもまだ、今日の最優先事項がクリアしていない。


 下校時間になる前がまでに、桃子に日記を渡すこと。


 下駄箱周辺に生徒が絶対にいない時、それは授業中だろう。始業前のクラスの騒めきの中、ふと浮かんだプランに俺は喉を鳴らした。


 一人ほくそ笑みながら、鞄から教科書を取り出し、机の中に入れていると「おはよう」と桃子の声が前方から聞こえた。


 黒板の方へ視線をやると、意図せず桃子と目が合ってしまった。


「あっ……」


 何をどう意識したのか、なんと俺は反射的に目を伏せてしまったのである。


 もう一度、顔を向けた時には、桃子は最前列ど真ん中という、ありえない席に整然と座り、隣の女子と何やら楽しげに会話していた。


 微笑んで返すくらいの余裕もない自分の振る舞いに、元より少ない自信を失いそうになる。


「あれ? 青葉くん。顔が青いよ」


 ペントハウスの席に座るような男には理解できない、フツメンの小さな器量に落胆しているんですよ。


「別に。なんでもありません」


「言ってみなよ。何かアドバイスできるかも」


 心配そうに聞いてくる割に、お前の目は笑っているように見えるのだが。


 とは言え。確かに海斗であれば、良い助言をしてくれるやもしれん。


 今、俺が聞くべきこと。


 それは、女の子と目が合った時、恥ずかしがらずに微笑み返す方法ではない。


 鞄の中で待機中の交換日記をいかにして桃子に手渡すか、という事案の方だ。


 俺は即座に座ったまま椅子を、海斗の方に移動させる。


 さっき不機嫌そうに現れた、俺の前に座る安井にも誰にも気づかれないよう、海斗にこっそりと耳打ちする。


「じゃあ、相談」


「近いね……まあいいけど、どうぞ」


 内緒話なのだから、当然、顔は近くなるのだよ。海斗は一瞬、俺から少し顔を離し、苦笑した。


「すぐ終わるよ。で、交換日記の話はしたよな?」


「うん」


「今日の下校時間までに、桃子に戻さなきゃいけないんだ」


「それで?」


「なんだよ、察しが悪いな!」


 つい、声を張り上げてしまった。


 優等生の安井が、怪訝けげんな目つきで振り返った。目だけを動かして、俺と海斗の顔をにらんでいる。


 「わりい、わりい」と適当に俺が謝ると、安井のヤツがフンと言った。フンなんて、普通、声に出さないだろ。


「で、青葉くんは何が問題なわけ?」


「つまりだな、どうやったら周囲に怪しまれずに渡せるのか、ってこと」


「そんなに難しいことかな?」


 こっちの切迫感が伝わらないのか、海斗は首を傾げている。


「見てみろよ、もう学校は始まってるんだ。こっそり渡せる気がしないよ」


 声を極力抑えながらも、切実な状況を海斗に教えたくて、俺は左腕を伸ばし、クラス全体を指差した。


「なるほど」


「何かいいアイデアない? 俺が考えたのは、授業中に腹が痛い! って保健室に行かせてもらうフリして下駄箱に向かう」


 海斗は首を横に振った。


「それは止めたほうがいい」


 じゃあ、どうすればいい?


「要は周りにバレなきゃいいんだよね」


 今度は海斗が俺の耳に口を寄せると、ひそひそと話し始めた。


「どう? これなら自然に渡せるんじゃない?」


 俺は海斗と顔を突き合わせ、真顔で頷いた。


「お前、天才だな」


 一時間目の授業が終わった後の休憩時間に、海斗の作戦を決行することにした。


 ホームルームも上の空で、作戦のシミュレーションを頭の中で繰り返す。いい作戦だと思うが、女子に自然に振る舞える男ならば成功する、とも言える。


 動揺すれば、作戦は失敗するだろう。


 作戦を成功に導く自信が持てないまま、一限目の国語が終わろうとしていた。


「青葉くん、時間だよ」


 海斗が教科書を片付けながら俺に言ったが、緊張して腰が上がらない。椅子と俺の尻が完全に合体したように、全く動けないでいる。


「分かってる……分かっているんだよ。でも立てないんだな、これが」


「声、震えてるし」


「う、うるさいっ!」


 日記を鞄から取り出し、準備は完了している。


 後は、これをさりげなく桃子に届けるだけである。


 勇気を出せ、怖くない、怖くない! と自分に言い聞かせる。


「なんなら、僕が行ってあげようか?」


「それは駄目! 初めての交換だから……自分でやる」


「なら、早くしたほうがいいよ」


 前方を見ると、彼女は木内奈緒と何やら話していたかと思うと、二人して教室を出て行ってしまった。


 予定は狂ったが、実のところ、少しホッとしている。


 それに、まだ一限目が終わったばかり。

 そう焦ることもないだろう。


 桃子たちが談笑しながら教室に戻ってきた時には、二限目の直前であった。

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