第14話 はじめての日記

 今日は「半ドン」。


 こちらに来て知ったニュウワードである。


 生徒たちには人気の「半ドン」だが、午前中の授業のためだけに、わざわざ学校へ行くのは面倒だし、非効率だと思ってしまう。


 海斗に言わせれば、「午後から何をしようかなあ」と考えるだけで、気持ちが高まるそうだ。まだ俺は、その境地には至っていない。


 さてさて、午後のお楽しみを考える前に、やらねばならないことがある。


 昨夜というか、ほんの四時間前のことだ。


 真夜中の公園で逢瀬おうせこごえながらも楽しんだ後、新たなミッションを桃子から渡されている。


 今日の昼までに、日記を下駄箱に戻してね! と言われ、つい快諾してしまった。


 それが、昨日の今日だ。


 まだ何も書いていない。

 ただ今、朝五時。


 こんな早朝に自室の机で、手帳と交換日記のノートを広げ、物思いにふけっているのは、そういう理由があった。


 今週は俺の人生の中でも、味気ない学生生活に大変革が起きたと言っていいだろう。一人の女子に振り回され、それを思う存分に楽しんだ五日間だった。


 桃子との交換日記とは別に、記憶の保管という目的のために、学生手帳にその日あった出来事を箇条書きにして残している。


 日記を書く前に、少しおさらいしておきたい。


(月)購買部で桃子に追従

(火)授業中に桃子から手紙→公衆電話初体験

(水)理科室で桃子から告白→ハートの手紙

(木)海斗とレンタルCD屋→海斗の部屋

(金)桃子と深夜の公園デート→交換日記

(土)半ドン←イマココ!

(日)駅前集合→映画デートの予定!


 一覧にしてみると分かるが、密度の高い一週間だ。


 俺にとって家と学校を往復するだけの学校生活は、もう過去のものだと思い始めている。リア充、という言葉を使ってもいいだろうか。


 いつの間にか、彼女を軸として、俺の日常が回っていることに驚きを隠せない。


 この五日間を見て分かるように、理科室で桃子と約束した日曜日の映画デートは明日。なのに、マイベストテープは完成していない。


 海斗の部屋でCDを聴いて、俺なりにテープのイメージは出来ていた。ところが、いざ曲を並べてみると、テープのA面、B面それぞれの分数以内に収まらないのだ。


 収録時間に収まりつつ、いい流れを作る曲順を決める、という難解さに頭を悩ましている。


 レンタルCD屋で海斗が熱弁していたことが、どれだけ難しいことか、今になって実感している。


 パズルのピースをはめこめても、完成した絵に魅力がなければ意味がない。


 と、海斗先生が言っていた。


 時間もないので、今日は学校が終わり次第、海斗の家に行くことになっている。


 ダビングはもちろんだが、カセットケースに挟み込む紙に曲名などを書く、という仕上げまでやってしまうつもりだ。


 プレゼントの用意も大事だが、時間は刻々と登校時間へと近づいていることも問題だ。


 早く日記を書き上げ、生徒が登校してくる前に、俺は桃子の下駄箱に日記を入れておきたい。


 が、そのためには遅くとも、二時間後には下駄箱の前に立っている必要がある。


 もう朝五時を過ぎている現時点から逆算すれば、ドアツードアで三十分、準備と朝飯になんだかんだと三十分。


 となると、俺に残された時間は一時間弱。始める前から言うのもなんだが、とても間に合う気がしない。


 まず、机に広げた日記の最初のページに、桃子が書いた交換日記のルールを見てみよう。


1)悪口を書かない

2)青葉と桃子以外の人には見せない

3)嘘は書かない

4)二日以内に回すこと


 四番目の二日以内に回すこと。


 このルールであれば、日記は明日でもいいのでは?


 と思ったことは内緒だ。

 大丈夫。

 俺は今からちゃんと書くから。


 今だに真っ白なページをぼんやり眺めていると、なんだか追い詰められているような気がして、書けない焦りが加速していく。


 長文を書くのは苦手。

 しかも手書き。


 思っていることや、その日あったことを文章にする、という高等技術は持ち合わせていない。web小説やブログを書いている奴らなら、得意な分野かもしれないなぁ、などと余計なことばかり浮かんでくる。


 よって、筆は一向に進まない。


 いつになったら、文筆の神は降臨するのだ。


「神は死んだ」


 俺はノートから視線を外し、泣きそうな顔を上げた。窓から白白しらじらと夜が明けていくのが見て分かる。今日は天気が良いのだろう。まだ薄暗くとも空に敷かれた青さは、太陽の登場を待っているかのようだ。


 などと言っている場合ではない。


 頭の中を整理するために、この日記を交換することになった経緯を思い出すことにする。


 桃子が交換日記を決めたのは、理科室での告白の後だと言っていた。


 翌日、俺は海斗とレンタルCD屋でマイベストテープを作ることにした。ちょうどこの頃、桃子はこの日記のルールを考え、最初のページに思いを綴っていた。


 そこで、交換日記第一号となる、桃子が書いた最初のページを読み返してみる。


 浮ついた頭で読んだ時には気づかなかったが、そこには、いつも積極的で前のめりが信条の桃子が書いたものとは思えない、遠慮がちなものだった。


 突然、授業中に手紙を回したり、深夜に迎えに来てと言ったり、付き合って間もないのに、日記を交換しようと言い出したことを、俺が迷惑に思っていなければいいけれど、ごめんなさい。


 桃子は日記の中で、俺に謝っている。


 その全てに有頂天になったのだから、彼女が謝ることなど何もない。


 これからも我儘わがままを言うかもしれないけれど、嫌だと思った時は絶対に言ってね、とも書いてある。


 好きな女の我儘上等、美味しくいただきます。


「おーし、手紙の返事をするつもりで書くぞ。他の紙に下書きしてから、ノートに清書すればいいじゃん」


 あれこれ思い描いている間に、六時を回っている、というね。


 このままでは下駄箱の前に立つ頃には、思春期の男女に取り囲まれることになるのは明白である。


「約束したしなぁ」


 まだ一文字も書いていないノートを見下ろし、深い深い溜息を吐きました。


「……どうしたもんかね」


 握っていたボールペンを持ち直し、封印中だったペン回しを始めた。


 そこへ、ふすまが、ゆっくりと開く音がしたので振り向くと、じいさんが毛玉のついた冬物のパジャマ姿で現れた。


「青葉、おはよう」


「おはよう。急ぎ?」


「うーん」


「ホント悪いんだけどさ、話は後でもいいかな? 今、宿題やってるんだ」


 じいさんはフンフンと頷きながら「じゃあ、また後で」と笑って、あっさりとふすまを閉めて行ってしまった。


 再びペン回しをしながら、壁時計の秒針をちらっと見る。


「目標変更。学校へ行く前に日記を書き上げること、を優先する」


 書き上げないことには、何も始まらない。


 渡し方は、後から考えるとする。


 今回は記念すべき一回目の日記だ。彼女に感謝の気持ちを書くことにしようと思う。


 購買部のスペシャルサンド争奪戦に誘ってくれたこと。


 公衆電話で長電話したこと。


 理科室で好きだと言ってくれたこと。


 愛想の足りない俺に、いつも笑顔を見せてくれること。


 教室の最前列ど真ん中に座っていても、授業中に可愛い手紙を送ってくれること。


 それらが全てが、最高に楽しいと思うこと。


 最後に、「好きだ」と書きかけたが、思い直して、その部分は消しゴムで念入りに消した。代わりに、飾ることなく嘘偽りのない自分の言葉で日記を綴りたい、と誓いの言葉で締めくくった。

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