第13話 グライコに釘付け

「すっかり暗くなったね。青葉くん、家の人は大丈夫?」


「全く問題ないね」


 海斗の腕時計によれば、夕方の五時を少し回ったくらいだった。


 誰かの家に遊びに行くというのは、意外とワクワクするものなんだな。海斗の家は、駅の裏手にあるらしく、地下道を通り抜け、マンションへ向かっているところだ。


 美人ママがいると噂に聞いた。


 何故、俺には可愛い妹とかエロい姉が設定されていないのか、はなはだ納得がいかない。こうなれば、ヤツのダサい私服に期待するしかないだろう。


 と、若干、海斗の音楽談義に上の空で歩いてきたが、


「ここだよ」


 そう言われても、遠くに見えるマンションまで20mはありそう。


 木々に囲まれた敷地にある、公道からエントランスまで続く長いアプローチを歩きながら、思わず「わお」と感嘆の声を上げた。


「ごめんね、ちょっと遠いんだ」


 海斗の苦笑いが「ごめんね、金持ちで」と言っているようにしか、俺には聞こえなかった。


 都心ではなかなかお目にかからない、小さな森の中に建てられたような贅沢な空間に、少し面食らっている。


 中に入ってみれば、エントランスは広く、床は大理石という金持ち感が半端ない。中庭の庭園を望める革張りのソファも置かれ、ヴィンテージホテルのようなロビーラウンジまである。


 エレベーターで五階まで上がり、海斗は「どうぞ」と俺を先に降ろした。


 降り立った廊下の壁は白で統一され、一見殺風景にも思えるが、ぽつりぽつりと並ぶ小さなシャンデリアのような照明が放つ淡いオレンジ色の光が暖かい。


 無機質な合理性を求めた近代の建物に比べると、作り手の愛と情熱を感じる。


 口を開けて少しばかり惚けて突っ立っていると、海斗が俺を追い越し振り向いた。


「どうしたの? 一番奥だよ」


「いや、なんでもない」


 さっき借りてきたCDの袋の持ち手を、ぎゅっと握りしめた。


 賢くてイケメンで金持ちなんていう設定は、誠にけしからん。どれだけ欲しがり屋さんなんだ、と俺は少し腹を立てている。


 海斗は玄関に入ると、律儀につま先を揃えて置かれた一足のスニーカーを見つけ、すぐに顔を上げ、家の奥を見遣った。


 家人に帰宅を告げるつもりはないのか、空疎くうそな言葉を吐くように、「ただいま」とだけ、珍しく不愛想に呟いた。


 レンタル屋での快活さは息を潜め、借りてきた猫のように静かである。


 俺はほくそ笑み、片眉が自然と上がった。


 靴を脱ぎ玄関を上がる海斗の首元を見ながら、少し意地悪な気持ちがむくむくと膨らんでくるのを感じた。


 悪気はなかったが、抑えきらなんだ。


「お邪魔しまーす!」


 わざとらしく叫んだ。


 海斗は俺を振り返り、目を細めてにらんできたが、とっておきの爽やかな笑顔で返してやる。


 俺の声に気づいたのか、廊下の奥にあるドアがガチャと開き、若い男が顔を覗かせた。男は俺を見て、ちょっと驚いた顔をしたが、直ぐに口元に笑みを浮かべ、玄関までお出ましだ。


「お帰り、海斗。今日は早かったな」


 海斗は声の主をちらっと見ただけで、その穏やかな声に返事もしない。


「青葉くん、上がってよ」


「うん……っていうか、いいの?」


 目の前で俺に笑顔を見せている糸目の彼を、訪問者である俺が無視する訳にいかない。


 とりあえず、形式的に頭をひょこっと下げておいた。


 兄弟であろうことは察するが、こうも家人かじんを無下に扱うには、俺は小心者すぎる。


 海斗に「誰?」と目で訴えた。


「あぁ……」


 海斗は言葉を濁しながら、仕方なさそうに淡々と紹介してくれた。


「兄の緑。で、こっちは同じクラスの星青葉くん」


 俺には優しそうな兄貴に見えるが、海斗の態度は味も素っ気もない。兄貴の方は慣れているのか、全く気にせず俺に笑顔を向けてくる。


 二人の顔を交互に見たが、全く似ていない。彼らもまた、あっちこっちからやって来た偽物家族ということなのだろう。


 お互いの記憶が改ざんされ、双方は兄弟ですよ、家族ですよ、とインプットされれば、自然と家族らしくなる、というわけにもいかないのかもしれない。


 血の繋がった家族だからと言って、必ずしも心が通い合っているとは限らないのだから。


「やっと紹介してくれた。いらっしゃい、星くん」


 ひょろっとした兄貴は、優しそうな糸目を更に細くした。


「お、お邪魔してます」


 急いで俺もペコっと頭を下げ、お兄さんの笑顔に応えた。


「お前が友達を連れてくるなんて、初めてじゃないか? 赤飯でも炊くか」


 お兄さんは仏頂面の海斗を余所よそに、ゆるい下ネタを愉快そうに笑った。


 アンバランスな兄弟間の不穏な空気に、ドキドキしながら、横目で海斗を見てみると。


 「余計なこと言うなよ」


 と言わんばかりに、海斗は兄をとがめるような鋭い視線を向け、恐ろしいほど綺麗な顔を歪めていた。


「星くん、ゆっくりしていって」


 穏やかな風貌のお兄さんの言葉で、余計に居心地が悪くなる。でも、一応、軽く会釈をしておこう。


「海斗、コーヒー淹れようか?」


「いいよ、自分でやるから」


「そうか? じゃ、俺はテレビでも見るかな。では、星くん」


 丁寧な物腰の海斗兄を邪険にもできず、去っていく兄貴へ、「はい」とだけ言って、廊下で別れた。

 

 力関係は分からないが、これは冷戦状態と言っていいだろう。


 かつて、アメリカとロシアの鉄のカーテンに挟まれた時の日本列島も、俺のような居心地の悪さを感じていたのだろうか。


 海斗兄がいなくなると、海斗はいつもの優等生の笑みに戻り、俺を部屋まで案内してくれた。


「ここが僕の部屋。中で待っててよ」


 声音を聞く分には、いつもの穏やかさを感じる。


 兄貴とは仲が良くないのか、思春期にありがちな家族に対する無意味な反抗的態度なのか。


 まあ、大きなお世話である。


「何か、手伝おうか?」


「いいよ。お客さんは、適当に座ってて」


 海斗が台所と思わしき部屋に入っていくのを見届け、俺は大きく深呼吸した。


「はい、お邪魔しますよ」


 誰もいない部屋に足を踏み入れ、入り口から部屋を見渡す。


「適当に座れ、と言われてもだな……」


 白壁に木目の床というシンプルな部屋だが、子供部屋二室、いや三室分は悠にあるか。広いだけでなく、天井がやたら高いときた。


 部屋を入って左側の一番奥には、壁際にベッド、そして側には机に本棚。


 入り口からすぐのところには、アイボリーの気持ち良さそうな毛の長いカーペットに、濃いグリーンの三人がけのソファ。そして、ソファに高さを合わせた長方形の木目テーブル。


 ソファの向かいの壁際には、やはりあのブラウン管の大型テレビが奥行きを取って置かれている。


 部屋で一番目を引いたのは、なんと言ってもテレビの隣。木目の無垢材で組まれたテレビボードの上に置かれた、仰々しいほどに大きな電化製品に目を奪われた。


「この存在感……ヤバくね?」


 重低音に期待したくなるスピーカーに挟まれた黒くてメカメカしい五重塔。


「何してるの?」


 背後で声がして、振り返る。


 海斗が、何やら飲み物とお菓子を乗せたトレーを両手で持って現れた。


「あれ、電源入れてよ!」


 俺の指差した先を見て、海斗が笑った。


「ああ、コンポ? 今から、これで視聴会するんだよ。早く座って」


 そうだった。

 すっかり訪問の目的を忘れていた。


 海斗はソファの前にあるテーブルに、手に持っていたトレーを静かに置くとコンポに近づき、ポチッと電源を入れた。


「さっきのCD貸して」


 レンタルCD屋で借りてきた袋ごと差し出すと、海斗が腕を伸ばして受け取った。


「これでいいか」


 海斗は袋から取り出した一枚の表紙を見ながら、そう呟いた。


 ケースを開け、中にある小さなCDの盤面に触れないように、指先でそっとCDを取り出した。


 コンポの三段目にある小さなボタンを押して、出てきたトレーにそっと置く。


 CDが置かれたトレーは、控えめだが機械的な音と一緒に、コンポの中に戻っていった。


「じゃ、始めるね」


 待ちに待った瞬間に、俺は破顔した。鞄を放り投げ、滑り込むようにして、各箇所が光っているコンポの前に座りこんだ。


 Oh baby, do you know what that's worth


「何これ……カッコよすぎ……」


 曲に合わせて動く青白い蛍光色の波に目を奪われ、俺の心は大いに震えた。


「グライコのこと? いいよねぇ。部屋を真っ暗にして、これを見ながらヘッドホンから好きな音楽を爆音で聴く――最高だよ」


 一枚目の曲は、ベリンダ・カーライルのHeaven Is A Place On Earthだった。


 音楽に呼応して光が走るグライコこと、グラフィックイコライザーは最高にカッコよくて、その夜、夢中になって借りてきた曲を聴きまくった。

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