エーデムリング物語
死んじまったらただの物なんだ
「どうした?」
「こ、ここの住人がいた……んだ」
「なんだって?」
「も、もう死んでいて……」
ギルティはあきれて言った。
「死んでいるなら、よかったじゃないか!」
メルロイに嫌悪の表情が浮かんだ。ため息混じりでギルティが続ける。
「いいか、死んじまったらただの物なんだ! 生きてるやつは危害を及ぼすが、死んだら何もできないだろ! おまえを取って食いはしない」
(エーデムリング物語二章・銀のムテ人より)
エーデムリング物語のギルティは、寡黙で言葉で表現するのが苦手な設定だ。でも、実はメルロイよりも名言を吐いている。
この「死んでしまったらただの物」もそのひとつだ。
これがなぜ名言なんだ? と思われるかも知れない。
だが、ギルティがこの言葉を吐いた途端、私の中で、メルロイとギルティの関係、エーデムの世界観が、随分と明確になった。
『エーデムリング物語』は、私の処女作であって、書きたいことは山のようにあるのに、言葉足らずで表現できず、その意味では苦しんだ作品だ。
ウーレンは戦闘的でエーデムは平和的な魔族……と、簡単に言葉で表したところで、その違いをどうやって示せばいいんだ? と。
メルロイは、平和的でもともと血を流すことを嫌うエーデム族であり、人間に育てられた。だから、生死についての考え方は私たち人間の感覚に近い。
だが、もともと戦闘を好み、血で血を洗うような種族であるウーレン族で、かつ、周りは敵ばかり、身内にさえ命を狙われ、各地を転々として育ったギルティにしてみれば、死者より生きている者のほうが危険なのだ。
そして、死生観に関して言えば、エーデムとウーレンの違いは大きい。
エーデム族は死を恐れ、死者を大切に扱いながらも、黄泉の国に連れ去られるのでは? と恐れている。
黄泉送りの台に夜に近づいてはいけない、などの言い伝えもある。
それに比べ、死ねば肉体はただの物、悼むべきは魂とするウーレンでは、比較的早い段階で火葬にし、死者を怖がることもない。
そのような死生観の違いは、実は、この作品を書き始める前には想定していなかった、いわば、後からわいてきたものだ。
そのきっかけは、ギルティが「死んだらただの物」と発言したことにある。
メルロイとギルティの常識の違い、どうしても嫌悪感しかわかないような相違も、このやりとりで明確にできた気がする。
宗教や価値観の違いを乗り越えて、全く違う人同士が仲良くするのは難しい。お互い自分が正しいと思っているので、相手を尊重できず、変えたいと思う。
お互いの正義をつきつけるのだ。
それは刃となり、お互いを傷つける。
純粋培養のメルロイに比べ、敵種族の中を渡り歩いてきたギルティのほうが、多少歩み寄ることができたようだ。
『惨劇』の終わりに、二人はお互いを理解しあうきっかけをつかんだ。
「おまえは心に従っただけだ。もう……忘れろ」
というギルティに対し、メルロイは自分の心に湧いて去らない嫌悪感に落ち込んでしまう。
僕はなんてばかなんだろう?
僕の言葉は、思いやりのなさは……刃物以上に凶器ではないか?
ちなみに『惨劇』は、完結したのち、公開前に書き足したエピソードだ。
順番としてはこちらが先だが、ギルティの「死んだら物」発言がなければ、生まれなかったエピソードだ。
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