銀のジュエル

『漆黒のジュエル』で一番ひんしゅくを買ったのが「銀のジュエル」という言葉じゃないだろうか?


「今度こそきっと、本物の……銀のジュエルを手にいれますよ」

 というサリサの言葉が、じゃあ、ジュエルは偽物だったのか、という怒りを買った。

 ジュエルを諦めた育ての親たちが、じゃあ、今度は自分たちの子供を産み育てましょう……というのは、能天気なことで、ジュエルがかわいそう……不快感を持った、というもの。


 漆黒のジュエルが銀のジュエルを刺し殺す。


 漆黒のジュエルは「とりかえっ子」であり、銀のジュエルは「本来の子供」だ。

 今まで子供が全てになっていたエリザが、その子供が自分の子ではない、むしろ、その子が自分の子供の死を招いたかも知れない事実を知り、悪夢に苛まれてゆく。

 そして、自分のすべてとさえ言い切っていた子供を捨ててしまうところから、この物語は始まる。


 ……が、実は、漆黒のジュエルというのは、ジュエルという子供本人ではない。

 そして、銀のジュエルというのも、エリザとサリサの子供ではない。彼らの子供は、神官の子供として育てられ、親子とは見なされないからだ。


『漆黒のジュエル』は、親に望まれない子供・不幸な家庭の象徴。

『銀のジュエル』は、両親の愛に包まれた、幸せな家庭の象徴。


 ジュエルは、本来の親の元に戻っても、育ての親の元に戻っても、トビの元にいても、誰もが愛情を注いでも、どんなにいい子でも、実は居場所がなく、命を狙われ、不幸を背負っている。

「ジュエルの幸せを見守りつつ、あの子の世界で私も生きる」と誓って旅にでたエリザも、旅を続けるうちに視野が広がり、今の世界のままでは、ジュエルに幸せはないことに気がつき始める。


 そして、エリザとサリサの間に生まれる子供も、いくら自分たちが家族だ、愛していると言ったところで、神官の子供として扱われ、家族にはなり得ない。

『銀のジュエル』は、妄想でしかない。

 エリザの子供が無事に生まれていたとしても、5年で学び舎に入れられて、親子と名乗り合うことも許されない関係になっていたはずだ。


「本物の銀のジュエル」とは、二人の間では妄想でしかあり得なかった幸せな家庭、その中で育つ子供のことだ。

 つまり、サリサのセリフは、今まで自分たちを苦しめてきた巫女制度を改革、もしくは廃止する決意を示したものだ。



 先日『漆黒のジュエル』の改稿を終えた。

 繊細なテーマでもあるから、賛否が出るのは、もうこの作品の宿命みたいなものだろう。(笑)

 むしろ、それが楽しいかも知れない。

 二人のバックボーンとなる『銀のムテ人』を読んでいるか、読んでいないか、で、また、同じ人でも感想が変わるかも知れない。


 作品名は、『漆黒のジュエル =エーデムリング物語・3=』で行くことにした。


 初公開時とほぼ同じ。(その時は、ローマ数字を使っていたし、3の1だった)

 なぜなら……やはり、いつか3の2、3の3を書きたい、という気持ちになってきたから。

『エーデムリング物語・3』は、実は、アルヴィの子供・ジュエル、セルディの子供・イリス、そして、メルロイの子供・ファセラの物語だった。

『漆黒のジュエル』にイリスをすでに登場させているので、やっぱり書かなくてはダメだろう? って気持ちになっている。

 ……が、その前に……どんな話だったけ?


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