ちいさなおんなのこは、好きですか?

 情報を発信することは面白い。自分の考えや感じたことをほかの誰かと共有する、それは素晴らしいことだと俺は思う。

 ブログはそれができるツールの一つだった。


 日中のうだるような暑さの中、バス停の古びたベンチに俺は腰を下ろす。


 だいたい二週間前――通っている高校の夏季休暇が始まったころから、俺は毎日のように“ネタ探し”に明け暮れていた。あてもなく街中をうろつき、ネタを見つけるとすぐさま補給しその都度吐き出した。自分の中身を空っぽにすることでしか得られない達成感があった。


 伝えたいことがあるから書くのではなく、書きたいがために伝えたいことを探す。本末転倒かもしれないが、だからどうしたと思う。

 ブロガーにとって命ともいえるネタが尽きた今、ネタ探しは当然の行動だった。


 しばらくしてバスが来た。

 人通りの少ないこの辺よりも、駅周辺のほうが比較的ネタが転がっている。たったそれだけの理由を手に、

 俺は真夏の陽射しから逃れるように、停車したバスの中扉の向こうへ踏みこんだ。


 バスが動きだすと同時、俺は一直線に最後部座席へ向かい、扉側に陣取った。


「ふぅ……」


 冷房のもとに身を晒す。籠もっていた熱が徐々に抜けていくのがわかる。

 心地よさに浸りながらも、俺は周囲を見回してみる。


 近くに人の姿はなく、乗客は車内前方にぽつぽつと四、五人いるのみだ。あわよくばネタになりそうな乗客でもと考えていたが、どうやら期待できそうになかった。


 そしてバスはやがて、次の停留所で停まった。降車のランプは点灯していない。

 果たして、中扉が勢いよく開かれる。

 入ってくる人影を俺はじっと注視した。


 第一印象は、幼女。


 大きなリュックサックを背負った、小学校低学年くらいの小さな女の子だ。肩の高さまである髪は頭の後ろで一つにまとめられている。


 おっかなびっくりといった様子で女の子は整理券を抜き取ると、俺の存在に気づいたふうもなくこちら――最後部座席のほうへ向かってきた。一歩進むごとに、Tシャツの胸部分にプリントされた英数字が太陽光に反射してキラキラ光った。


 下はセンス良く色褪せたデニム生地のショートパンツを合わせており、そこから伸びる肌はきれいな小麦色をしていた。


 女子中高生向けのファッション雑誌にでも載っていそうな洒落た服装をしている一方、足元は蛍光色を基調とした安っぽく派手なスニーカーで、紐ではなくマジックテープで固定するタイプ。そのアンバランスさがどこか微笑ましかった。


 そんなことを考えながら次第に距離を詰めてくる女の子を眺めていると、視線を感じたのか、女の子のほうも俺を見た。なぜか硬直したように立ち止まってしまった。


 扉の閉まる音。

 女の子の着席を待たず、バスは無慈悲に運行を再開する。発車時の揺れにわずかによろけた女の子だったが、手近な座席の肩に掴まり事なきを得た。


 女の子はそれから、俺の座っている一つ前の座席にようやく腰を下ろす。その瞬間の横顔は、乗車直後に比べてどことなく落ちこんでいるように俺には思えた。気のせいかもしれないが。



 ほどけた髪がふわりと舞う。器用に指先を動かし、女の子は慣れた様子でポニーテールを束ね直していた。こういう芸当は男には一生真似できないなと思う。


 ポニーの手入れを終えた女の子――いや、もうポニーでいいか。心の中でいちいち女の子女の子呼ぶのもあれだし。ああでも、ポニョもいいな。ちょうど幼女だし。


 まあいいや。ともかくポニョーは、落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回していた。ポニーの揺れでわかる。


「ポーニョポーニョポニョポニテの子♪」


 俺はなんの前触れもなく、前方へ向けて話しかけるように口ずさんだ。反応がなかったのでもう一節。


 するとポニョーは座席の横からひょっこりと不安げな顔を覗かせた。人差し指で自分を指し示し、首を傾げてみせる。


「うん、そう。……アレだったら、隣来るか?」


 怖がらせないように、努めて柔らかい声で訊く。

 先ほどの様子を思い出す。俺の勘が正しければ、ポニョーもそれを望んでいるはずだった。


 しばらくの沈黙を経て、ポニョーは可愛らしい声ではっきりと、

「うん」と言った。


 一番後ろの一番左。そこは俺の特等席だったが、彼女にとってもそれは同じだったのかもしれない。


 バスが一時停止したタイミングで、ポニョーは席を立った。

 その身体とは不釣り合いなサイズのリュックを手に、俺の隣――窓側へ移動。リュックはそのまま右手、俺から見て左手に置かれた。二人を隔てるバリケードのように。


 うなずいてはみたものの、やはり知らない大人の男と並んで座るのは緊張するのだろう。俺は特段気にすることもなく、緊張を和らげるため他愛もない会話を投げかける。


「そのリュック、ずいぶん大きいけど……なに入ってるの?」


 ポニョーは膝の上で両手をグーにし、じっと俯いたまま微動だにしなかったが、やがて、


「……きがえ、とか。……みるの?」


 不安そうに顔をあげ、そう訊いた。


「いや、見ない見ない。ふぅん、着替え?」

「うん。ばあば……おばあちゃんちに行くから」

「おばあちゃん、好き?」

「大好き」


 はにかみながら言ったポニョーにつられて、俺も笑う。会話はそこで途切れてしまったが、目の前の笑顔を見られて俺は満足だった。


 それから十分ほど経つが、ポニョーはずっと窓の外を眺めているようだった。表情にさっきまでの硬さはない。


「外、おもしろい?」

「おもしろいよ」


 こくりとうなずきながらポニョーは言った。


「どの辺が?」


 俺が訊くと、ポニョーはうーんと唸って、


「うんとね、人をみてるのがおもしろい」


 窓ガラスごしにそう言った。


「人なら、バスの中にもいるぞ」


 窓の外、景色は淀みなく流れていく。

 無秩序に建ち並ぶ灰色の建造物、慌ただしく往来する車の群れ、


「でも、なんかこっちのほうがいい」


 歩く人、走る子供、自転車に乗った大人。


「そっか」


 めまぐるしく塗り重ねられていく四角い世界。その世界の内側に、目の前にある横顔に、俺はそっと視線をずらす。

 なおも視線を外さないポニョーから、俺はなぜだか目を逸らすことができなかった。



 ――ちょんちょん。

 肩をつつかれる感触に、薄目をあける。

 澄んだ二つの瞳が俺を覗きこんでいた。


「とーちゃく」

「ん……」


 俺は小さく伸びをして身体をほぐす。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。

 外は仄暗く、終点のターミナルに到着したのだとわかる。


「ねむいの?」

「ん、いや。大丈夫……ありがとう、起こしてくれて」


 ポニョーは照れたようにえへへと笑った。

 そういえば、誰かに起こされたのなんて何年ぶりだろう。


「さて」


 前扉を見やる。俺たち二人を除いた最後の乗客が降りるところだった。

 いつの間にか足下の床へと追いやられていたリュックを俺は肩に担ぐと、言った。


「降りようか」

「うん」



 ぴょん、とポニョーが勢いよく飛び降りたところで、バスは微動だにしない。


 先に降りていた俺は存外に軽かったリュックをポニョーに返すと、とりあえず暑さを軽減するため屋根のある日陰へと急ぐ。とことこついてくる気配は、俺の歩みが止まるとすぐにやんだ。鬼ごっことだるまさんが転んだを足して二で割った遊びみたいだ。


 俺は振り向き、軽くかがんで目線の高さを調節する。


「一人でへいき?」


 訊くと、ポニョーは力強くうなずいた。


「ばあば……おばあちゃんが待ってるから」


 なんとなく、ポニョーのばあばを羨ましく思った。


「そっか……よし」


 俺はポニョーの頭を数回、優しく撫でた。ポニョーはくすぐったそうにしながらも、黙って俯いていた。

 ふいに、ポニョーの小さな唇が開かれる。


「ね、ばしょ」

「ん?」

「……かわってくれてありがと」


 ああ、例の特等席のことか。


「次に乗り合わせたときは、俺の番な」

「いいよ。でもそれ、大人げないよ?」


 茶化すように言った俺に対し、同じく冗談めかして返すポニョー。

 そんな他愛もないやりとりを、少しだけ続けて。


「それじゃ」

「ばいば〜い」


 手を振りあいながら、俺たちは別れた。

 どんどん小さくなるポニーテールが消えてなくなるまで、見届けた。


「さて、と」


 携帯電話を取り出す。

 ブログのネタとしては充分だと思った。

 管理ページにログインし、編集画面へ。一番上の細長いテキストエリアに、ブログのタイトルを打ちこむ。


『ちいさなおんなのこは、好きですか?』


 バスに乗ってから降りるまでに起こった出来事すべてを――ポニョーとの触れ合いを、走馬灯のように、頭の中で意図的に流す。

 文章を組み立て、構成する。

 多少の脚色を加え、アクセントとしての面白みを演出する。


 ……こんなところだろう。

 頭の中できれいにまとまった物語を外へ吐き出すため、俺は指を動かし、本文入力欄にカーソルを合わせて、

 ――そして携帯の電源を落とした。


 心の内で、なにか温かいものがわだかまっていた。

 吐き出すことで、この感覚も一緒に失ってしまうんじゃないかと思えて、躊躇われた。

 それはどうしようもなくもったいなくて、だから俺はジーンズのポケットに閉じた携帯をねじこんだ。


 気づくと、目が勝手にポニョーの姿を求めていた。見つかるわけはなかったが、代わりに、無垢な笑顔が脳裏に浮かぶ。


 瞬間、温かいなにかが俺を満たした。

 得体の知れない感覚だったから、胸の奥へと追いやり、閉じこめた。

 ブログのネタよりもずっと貴重ななにかを、俺は見つけてしまったのかもしれない。


 俺はひとり、帰りのバスを待つ――。



(2009年執筆)

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