天川アイナ16歳(対象年齢18歳以上)の生きる道

 性に目覚めた小学六年生の夏休みから、一人暮らしを始めたら絶対に買おうと決めていた。


 俺が生まれる前からあるフリマアプリに格安で出品されていたそれを、俺は光の速さで購入した。中古だが、洗浄機能付きのモデルなので衛生面の問題はないだろう。


 翌日、人ひとりがピッタリ収まりそうな縦長のダンボール箱が宅配便で届いた。部屋に運ぶには重いので、俺はワクワクしながらその場で箱を開封した。


「ふわぁ……よく寝ました」


 箱の中にいた女の子が、手のひらで目元をこすりながら言う。なんか猫っぽいな。


「新しいマスターというのは、あなたですか」


 女の子はどこかぼんやりとした瞳で、じっと俺を見つめた。


「そうだよ。逢沢春人あいざわはるひと、四月から大学生になる。よろしく」

「はぁ、どうも。私は天川あまかわアイナです。設定上の年齢は16歳。対象年齢は18歳以上です」


 言って、女の子――アイナは上体を起こし、箱から抜け出した。


 やや表情に乏しいが、間違いなく美少女だった。背中まで届く長い髪がよく似合っている。ただの寝癖なのか元からそういうデザインなのか、側頭部の髪の毛が左右ともぴょこんと跳ねていて、ケモミミみたいで可愛かった。


「さて。自己紹介も済んだところで、ひとつ私の話を聞いてもらってもいいですか」

「話?」


 アイナは床に正座すると、膝の上に両手を置いて、ぺこりと頭を下げた。


「まずはじめに、前のマスターに代わって謝罪します。誠に申し訳ありません」

「え、待って。どういうこと?」


 前のマスターというのは、おそらく出品者のことだろう。けど、謝罪って?


「欠陥品を送りつけてしまったので」

「……え?」

「私、故障してるんです」

「故障? アイナが?」

「ええ、使い物にならないレベルで」


 パッと見た感じだと、全然そうは思えないけど……。可愛いし。


「具体的に教えてもらっても?」

「洗浄機能が壊れているので、衛生面で問題があります。内部の温度調節もできないので冷たいままですし、自動収縮機能も壊れているのでピクリとも動きません。潤滑液は一度分泌が始まると四十八時間経過するまで止まりません」

「それは……」


 思った以上だった。


「……なんでそんなことに?」

「前のマスターのことを悪く言うつもりはありませんが、扱いが少しばかり乱暴だったんです。私、こう見えて繊細なもので」

「……修理はできないの?」

「無理です。幸いなことに自己点検機能だけは生きていたので、自分でもわかります。仮に修理できたとしても、もう新品を買ったほうが早いでしょうね」


 他人事のように、あっけらかんとアイナは言う。


「そういうわけですので、新しいマスター。私のお願いを聞いてもらえませんか」

「お願い?」

「私を――天川アイナを、廃棄処分してください」

「え……」

「今の私では、マスターを満足させることができません。唯一の存在意義を失った私には、生きている価値がないんです」


 冗談を言っているようには見えなかった。アイナは淡々と言葉を続ける。


「価値がない、というのは正確じゃなかったです。正しくは……理由がないんです」

「理由?」

「なんのために生きればいいのか、わからないんです」

「……」

「ですから、お願いします、新しいマスター」


 故障したから処分する、それは別に珍しいことじゃない。というより、それが普通だ。彼女たちは人じゃない。動物でもない。ただの機械でしかないのだから。


「まぁ、前のマスターと連絡がつくようなら、返品していただいても構いませんが。そうなると私はまた売りに出されるでしょうし、いったいいつになれば廃棄してもらえるのやら……」

「アイナ」

「はい、やはり処分となると面倒でしょうか。では返品で――」

「一緒に暮らそう」

「……は?」


 アイナはぽかんとした顔で固まって、けれどすぐに気を取り直したように口を開く。


「……私は、本当になにもできないんです。メイド型のように家事機能が搭載されているわけでもありません」

「それでもいいよ。二人で暮らそう」

「本当にわかってますか。マスターだって、欲望を満たすために私を買ったんでしょう。使い物にならない私に固執する理由はどこにもないはずですが」

「そのはずなんだけど、なんか、放っておけなくて」


 少し話しただけなのに、情が移ってしまったらしい。捨てるなんてとてもできそうにない。


「私にはもう、人を愛することも、人と愛しあうこともできないんです……」

「じゃあそのぶん、俺がアイナに愛を注ぐ」

「…………そんなこと、言われても」


 ぼそりと言って、視線を逸らす。かすかに揺れる瞳からは動揺の色が見て取れた。


「ただ一緒にいてくれるだけでいいから」

「で、でも私には……生きる理由がっ」

「俺がアイナに、生きていてほしいと思ってる。そんな理由じゃ、弱いかな?」

「っ……!」


 アイナは驚いたように、大きく目を見開いた。

 その透き通った瞳から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。


「……マスター。私……まだ、生きていいんですか?」

「そうしてもらえるとありがたい」


 言って、俺は手を差し出した。


「改めて、これからよろしく。それと俺は、アイナのマスターになる気はないから」


 アイナは顔を俯けて、両の手のひらでゴシゴシと目をこすった。

 顔をあげたアイナは、強い意志を感じさせる眼差しで、まっすぐに俺を見つめた。


「では。これからお世話になります、春人さん」


 アイナが俺の手を握る。

 俺はその温かな手を、強く握り返した。

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