【短編集】行き着く場所は幼なじみの胸の中

かごめごめ

行き着く場所は幼なじみの胸の中

 一緒にいることに疲れてしまった。ただそれだけだった。

 彼女にも俺にも、別段非があったわけではない。ただお互い、少し気を使いすぎてしまったんだと思う。


 相手に嫌われないように、好いてもらえるように必死になりすぎていた。思い返せば彼女の笑顔は常にどこか媚びたようなものだったし、俺は理想の彼氏を演じるばかりで本当の自分をさらけ出すことができなかった。


 本来であれば楽しいはずのデートさえ、いつしか億劫に感じるようになっていた。そんな関係が長続きするはずもない。別れは必然だったのだろう。


 別れ話を済ませたあと、俺はひとり、今住んでいるアパートとは反対方向の、実家方面へと向かう電車に乗りこんだ。

 ふと――顔が見たくなったのだ。


 俺はチャットアプリを起動し、メッセージを打ちこむ。


{今からそっち行くから


 すると速攻で返信があった。


{うい〜

{待ってる


 どこか気の抜けた返事が、適当で飾らないやり取りが心地いい。


 大学進学を機に一人暮らしを始めて、もうすぐ二年が経とうとしている。飛鳥あすかとは普段からチャットや電話で近況を報告しあっているものの、じかに顔を合わせるのはほぼ一年ぶり――正月に帰省して以来だった。


 桐生きりゅう飛鳥。

 家が隣同士なこともあって、幼いころからよく一緒に遊んでいた、ふたつ歳下の幼なじみ。歳の近い異性とはいえ、仲の良い幼なじみ以上の関係になったことはない。だけど俺は、飛鳥の前でなら、いつだってありのままの自分でいられた。


 だからだろう、ただの幼なじみのことが急に恋しくなってしまったのは。

 無性に会いたくて仕方がない。

 会いたい。

 早く……飛鳥に会いたい。



     # # #



 目的地に到着したころには、辺りは真っ暗になっていた。俺は実家を素通りし、隣家の玄関前に立った。上着のポケットから手を出して、かじかむ指先でインターホンを押す。十二月も半ばを過ぎ、吹きつける風は日に日に冷たさを増しているように感じた。


 ややあって、とたとたとマイペースな足音が近づいてきて、扉が開いた。


「早かったね、りょーちゃん」

「……よぉ。久しぶり」

「うい〜、おかえり」


 顔を覗かせた飛鳥が、普段どおりの淡泊なノリで出迎えてくれる。

 飛鳥はモコモコした生地の暖かそうなルームウェアに身を包んでいた。いつもはまっすぐに伸びている長い髪は、今は勉強するのに邪魔なのか、雑な感じにサイドで束ねられている。


「ごめんな、受験勉強で忙しいときに」


 玄関で靴を脱いで、俺は言った。


「別に。あ、せっかくだし勉強見てよ、りょーちゃん先生」

「あぁ、いいけど」

「やったね〜」


 たいしてうれしくもなさそうに言って、飛鳥は笑う。

 純粋な少年のような透きとおった瞳は昔のまま。だけど顔つきは、しばらく見ないあいだに少し大人っぽくなったように思う。というかこの女、また一段ときれいになったような。


「そうだ、お母さんにも会ってく? 寂しがってたよ」

「……いや、今は」

「なら、私の部屋にご案内」


 部屋に通される。俺は床に腰を下ろし、ベッドに寄りかかった。飛鳥は俺の隣に来て、ベッドの上に腰かける。


「大学ってもう冬休みなんだっけ?」

「いや、まだ」

「そっか、じゃあまたすぐ行っちゃうのか……」

「どうせ正月にまた来るよ。正月くらいは顔出せって言われてるから」

「うん。そうして。私も会いたいし」

「いま会ってるけどな」

「全然会い足りないし」

「なんだそりゃ」


 たったこれだけ。なんでもない会話。

 ほんの少し、ただ飛鳥と言葉を交わしたというだけで……俺は安らぎに包まれていた。こうしてそばにいるだけで、胸の内側が温かいもので満たされていく。すり減っていた心が、癒えていく――。


 勉強を見てと言っておきながら、飛鳥がベッドから立ちあがる気配はない。つまり、俺に付き合ってくれるということだろう。

 それなら、いっそのこと……


「……飛鳥」

「んー?」

「あすかっ……!」


 俺は、飛鳥の胸の中に飛びこんだ。


「飛鳥っ……あすかっ……」


 細い背中にぎゅっと抱きついて、胸元に顔をうずめる。


 ……なにも、最初からこんなことをするつもりで来たんじゃない。適当に駄弁って、お互いに愚痴をこぼしあったりして。それだけのつもりだった。だけど飛鳥を前にしたら、思わず抱きつきたくなってしまった。


「りょーちゃん」


 飛鳥が、俺の背中に腕を回す。後頭部に、手のひらの柔らかな感触が伝わる。


「…………あーちゃんっ」

「よしよし。大学で嫌なことでもあった?」


 昔から、飛鳥は器のデカい女の子だった。年齢相応の幼さは確かにあるのに、同時にすべてを肯定して包みこんでくれるような包容力があった。


 昔からそうだった。いつでもすぐそばにある、けっして消えることのないその温もりに、俺はいつだって、つい甘えてしまうのだ。


「……そういうわけじゃない」

「なら、彼女さんと喧嘩しちゃった?」

「別れたよ」

「……そっか」


 よしよし、なでなで。飛鳥の手のひらが、俺の髪を優しく撫でつける。


「だけど別に、別れたことが悲しいんじゃない。俺はただ……恋愛の真似事みたいな関係に疲れたんだ」


 俺は、俺が今日までどんな思いでどういう日々を送ってきたのか、飛鳥の胸の中で訥々と語り続けた。飛鳥は時折相槌を打ちながら、黙って耳を傾けてくれていた。


 ひと通り話し終えると、俺は最後に言った。


「なぁ、飛鳥」

「なーに、りょーちゃん?」

「おまえって、相変わらず――胸ないな」


 それは、我に返って無性に照れくさくなった俺が発する、決まり文句のようなものだった。


「もう絶対、成長止まっちゃってるよな、これ。こんなに真っ平らなのに。かわいそうな飛鳥」

「りょーちゃん……」


 そんな俺の複雑な胸中も、幼なじみにはお見通しなのだろう。


「りょーちゃんは相変わらず、可愛いね」


 囁くように言って、俺の頭をかき抱いて。


「ねー、りょーちゃんさ、」

「ん?」

「私と付き合う?」


 …………飛鳥は。

 冗談めかすわけでも、改まるわけでもなく。

 なんでもないことのように、そう口にした。


「…………」


 俺は。


「…………うん」


 飛鳥の腕に抱かれながら、こくんと小さくうなずいた。


「……やったね」


 感慨のこもった声で、飛鳥は言った。


「りょーちゃん、私ね」


 飛鳥の腕に、力がこもる。温もりが伝わる。


「ありがちだけど、離れてみてやっとわかった。りょーちゃんの存在が、私の中でどれだけ大きかったのか……」

「俺もだよ」

「……りょーちゃんも?」

「うん。俺も、飛鳥に会いたくて仕方なかったから」

「そっか……じゃあさ、りょーちゃん」


 そして飛鳥は、またなんでもないことのように言った。


「私と結婚する?」

「……する」


 ――俺は飛鳥の胸の中で、ぼそりとそうつぶやいたのだった。

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