第三話【アーキタイプ・センセーション(下)】
「マルヴァージア様、ご準備が整いました」
プラスタ級宇宙戦艦を違法改造した、艦長室は船舶に備えるのには過剰な入浴場が存在した。公衆入浴場もかくやというほどで、水が貴重な宇宙では贅沢極まりない代物であると言える。
そもそも、彼らが扱っているプラスタ級宇宙戦艦は宙間機動兵器インターステラーを12機搭載できるほどのもので、一介の宗教組織には相応しくない資本力を持たなければ購入することも運用することもままならない。本来ならば、だ。
それができるのがゴート教団である。
「そのようですね」
湯浴み中であるためにシルク製のカーテンで仕切られているが、ゴート教団の構成員はマルヴァージアの裸体を拝見する機会があったとしても行うことはないだろう。それだけマルヴァージアという教団の主、大御巫を敬愛しているのだ。
しかしながら、カーテンに影として写るマルヴァージアは人間の美を超えた存在であると深く確信するものがあった。
「これから我らは3機で編隊を組み深宇宙開発機構の総本山たる人工天体スフィアに侵入を試みます」
「期待しています」
受け答えは短いながらも、慈愛を込めた御声は構成員の心を奮い立たせた。
この方のために死ぬのだと堅く誓わせる力があった。カリスマと単純化するにはあまりにも妖しい力だ。
「大いなる犠牲のために!」
深宇宙開発機構所属の人工天体スフィア。
内部に巨大な核融合炉、すなわち人の手で造られた太陽が燦然と煌めいていた。かつての地球ではダイソンスフィアと命名された宇宙建造物は、宇宙空間に存在する恒星を利用する理論だったが、人類は星を自ら生み出すこともできるようになったのだ。
それを危険視する者もいる。
「そもそも私達はこのスフィアで働く研究員の……もしくはインフラの管理者の子弟だから、転校生というと珍しく感じるわね」
「何の研究員でしょうか?」
「テレサやリリアの親みたいに、大抵の人間はインターステラーの開発だよ」
そう語りながらテレサの背後に回り、抱きつくのはいつもゼシカのすることらしいというのは何となく理解してきた。
「や、やめろゼシカ!」
「ゼシカは抱きつくの好きやね……どうしてやろな?」
「うーん? リリアが可愛いからじゃない?」
その抱きつき魔加減は反応したリリアにまで飛び火した。
(仲が良さそうで、いいですね……)
(なんだ。いまさら友達が欲しいなどと情けないことを言うのか)
(そう言いつつ、じろじろと見ているのがシャオ君ですから)
(なんだ。この俺が覗きの気分でいるとでも思っているのなら実に下らないことだ。肉欲なんぞは二百年前に失い果てたわ)
人でなしの怪人、シャオはそう自嘲するがどこか懐かしい思いを体を共有するレイシアには感じた。
二百年前に死んだシャオ本人のことを思っているのかもしれない。
「急がないと一限目の授業は実習なんだから、間に合わないだろ!」
「やば。それもそうだ」
妨害を一番したゼシカが真っ先にオーバースーツを着て、練習場に行くのは面白いと思った。
「私も急がなあかんなぁ……」
もみくちゃにされたリリアが一番出遅れるのは仕方ない。
「リリアさん、着付けのお手伝いさせてもらいますね」
「あ、ありがとう……!」
助け舟を出した時の満面の笑顔を見ると、ああ、この人は好かれるのも当然だなと正直にそう思える。純粋さ故に毒気を抜いていく感覚がある。
(で、どうする)
(何がですか。まさかシャオ君が表に出るつもりでも?)
(分別はわきまえている。この体はレイシアのものだからな……そういうことではなく、本気を出すか出さないかということだ)
(目立ちません?)
(大丈夫だ。むしろ注目を浴びた方が良いかもしれない。レンネンカンプの奴がいい加減な仕事をしたからな。ターゲットが別のクラスにいる。この授業は二クラス合同らしいが……)
「おーほっほっ! ここで会ったが百年目、ですわよテレサ・マーレッド!」
「大声が過ぎるんじゃないか、シャルロット」
「ふふん。今度こそ、わたくしが勝たせていただきますわ。お覚悟しておきなさいな」
寮生活には不自然なほどに手入れをされた玉の肌に、手間暇がかかる縦ロールに巻いた金髪。時間と金銭がかかる美容に糸目をつけなさ加減は、例え何が起ころうとも自信満々の顔が崩れることはないだろうと直感させる強さを醸し出している。
シャルロット・リネージュの凄さとは何度負けてもそこで止まらないことだと、取り巻きは身をもって体感しているのだろう。
「何度やっても同じだったじゃないか」
「変なことをおっしゃいますのね! わたくしは常に進化し続けるのですから、敗北の数は関係ないですわ」
唐突に現れては喧嘩を売るバイタリティは尊敬に値する。
「…………あ、あれは誰?」
「シャルロット・リネージュ。この深宇宙開発機構スフィアの研究所長の娘」
「努力家さんなんやで」
「リリアはさぁ…………まぁ、それも正しいけど」
(――――まさか速攻で発見できるとは思わなかったが、シャルロット・リネージュ。暗殺対象だ)
(研究所長ならともかく、彼女が? どうして)
(知らん。だが、少なくとも授業中は何も出来ないだろうから、それとなく探っておいても良い)
(接触機会あるかな)
(そうだな、シャルロット・リネージュはテレサ・マーレッドに敗北してしつこく絡んできている。なら、彼女よりも強いことを知らしめれば良い)
「そろそろ授業が始まるので、リネージュ生徒は静かにしなさい。このままではお父上が悲しみますよ」
「あら、フォーセリア先生。わたくしのお父様は、自分の娘が思い通りの道に進まない程度で嘆くような情けない大人じゃございませんでしてよ」
「減らず口が好きだな、シャルロットは」
「マーレッド生徒も静かに! 注意力散漫な生徒は今回の実習は危険だということを肝に命じてもらいます」
「くっ……」
「では説明を始めますよ。構いませんね……」
説明によると訓練機とはいえシミュレーターではない本物の実機を操縦する、という内容だ。確かに場合によっては死傷する可能性もある。
(おおかた、シミュレーターでは再現できない細かな衝撃などへの順応が目的か)
(どうしましょう?)
(操縦席に入ったら俺に代われ。最高成績にしてやる)
練習場と呼ばれた場所は、校庭のグラウンドを改修したかのような空間であった。端には訓練用インターステラーが3機。その反対の端には円を二重三重にした的。
(射撃のように中心に当てた方が高得点というわけだな)
(今、代わります)
怪人シャオ。二百年前から今まで生き続けていると噂されている伝説の暗殺者の名前であり、それは彼の子孫にも受け継がれている。
――――彼の魂そのものが、だ。
人類発症の地、地球の東洋と呼ばれる地域に伝わる肉体操作の技法、気功術によってレイシアは自分の体を男性のものに変化させる。
そしてシャオの人生――人格そのものであるとさえ言える――経験、知識、思想。先祖がレイシアまで代々伝えてきたものを深く瞑想することで結実し、深層意識で形にする。怪人シャオとは彼女の心の中にいる、実在した別人格のことである。
「来た。来た来た来た――!!」
シャオの爛々に燃える目。年端もいかない少年の体躯。全てにおいてレイシアと同じものはない。
「さぁて。全員ぶち殺してやるか」
息苦しいオーバースーツなどは早々に脱ぎ捨てて、集中力を高める。暗殺任務のためにも失敗はなるべく避けたいものだ。
現状、テレサ、シャルロット、ゼシカの順で成績が高い。誰もが中心円に当て続けることはできなかった。それをシャオが塗り替える。
「う、嘘……」「すごいわ、あの子」「テレサ様でさえ出来なかったことなのに」「これでシャルロット様は余計に燃えたぎってしまいますわ」
外野はただ感嘆し、各々の所感を述べるだけだが、連続で発砲する際の衝撃は機器上では問題ないように見えるが細かい揺れというのは距離が遠い程、致命的になる。それでもシャオは同じ中心部分に連続して当てたというのは、神技に他ならない。
「おっ、なるほど」
「どうしたんゼシカ」
「インターステラーのテストパイロット枠でレイシアは転校して来たんだって」
「だから私よりも優れている、と……?」
「テレサが努力しているのは知ってるけど、たぶんプロだよ。レイシアはさ」
「プロだからと言って、挑戦するのを諦める理由にはなりませんわ! わたくしはレイシア・フィリスに決闘を申し込みますわ!!」
「お前はほんと懲りないな」
「シャルちゃんは元気元気。ぎゅー」
「リリアさん? ちょっと止してそういうのじゃありませんわってっあっあっ」
照れくささと地響きが同時に起これば、シャルロットはどっちの感覚が正常かはすぐに理解できなくなる。混乱していると言ってもいい。
だが少なくとも、揺れの方は尋常ではない。
不出来な鋼鉄の巨人が人工天体スフィアの外壁を容赦なく破壊したのだ。
宇宙の建造物は惑星のような環境にはない。外壁が崩壊するというのは大気の流出という人類の生存環境の終焉だ。だからこそ真っ先に修復されるべきなのだが。
超一級犯罪行為を恐れることなく実行に移し、なおかつそれが目的ではないということには全宇宙市民が嫌悪感を抱くことだろう。
「目標はシャルロット・リネージュ研究所長令嬢!」
「大いなる犠牲のために!」
セラフィノ修道女学院の練習場の土砂を巻き上げて現れたのはゴート教団の殺人兵器インターステラー。
一つの目しか描かれない紋章が大きく塗装されていた頭部から覗くカメラ・アイが標的を見つめていた。
さぁ、狩りの時間だ。狩られるのはどちらか――――
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