第40話

「そこで、何かに巻き込まれたのですね」

「わかるか」

「まぁ、その流れでは、何かあったのだと予測は着きます」

「うん、まぁ。そうなんだ。そこで人を切ってくれと頼まれた」

「・・・」

「・・・」

俺も清二も言葉が出なかった。

「いや、もちろん断った。と言うより逃げて来たんだ・・・」


山川の家は、どこかの商家の別邸といった屋敷だった。通いの下働きの女がいて、食事の世話をしていた。そこで二、三日世話になって、やっと兄に頭を下げて屋敷に置いてもらおうという気になった。

「山川殿、貴殿の情けに縋ったが、これ以上世話をかけることも憚れる。今日でこちらをお暇しょうと思う。此度こと一生忘れぬ」

頭を下げた東吾を山川の冷たい目が、見つめている。顔を上げた東吾と目があうと、にっこり笑って

「それ程の事では、ござらなぬ。しかし、それ程に堀江殿に恩にきて頂けるなら、一つお願いしたい事がござる」

「何なりと言ってくれ」

東吾がそう答えると、山川は東吾の側ににじり寄りその手を取って

「さすが、堀江殿。では、遠慮なくお願い致す。人を一人、切って頂きたい」

「・・・」

東吾が返事も出来ずにいると、山川は握る手に力を込めて

「この世の中にいて良い男ではないのです。この国にとって憂いでしかない。

堀江殿が心を痛める必要のない男です」

「それ程、悪い奴なのか」

「ええ」

「そやつの名は・・・」

「旗本の勝です」

「・・・」

「まさかのお知り合いですか」

「いや、会ったこともない。ただ、・・・」

「そんな大物とでもお思いですか、ほんの小物ですよ。そこそこ腕は達と思いますが、あなた程ではない。恐るに足らずです」

「ああ、わかった」

「有難い、そう言って頂けると思っておりました。では、今日は他の仲間にも会って頂きたいので、飲みにでかけましょう」

「ああ、それはいいな」

小さな料理屋に入って、仲間だと言う男達を何人か紹介されたが既にそれは、頭に入らず。皆が酒に酔った頃に、俺はそこを飛び出した。後を追われたらその時は、命は取らずとも刀を抜いて逃げよう。気持ちは、決まった。屋敷に帰る事も出来ない、何処に行く宛てもないが、勝さんだけは切る訳には行かない。山川達に卑怯者だと思われても良い。本当のところ、このまま人の道を外して、人殺しになってしまっても別にいいのだが、・・・ただ勝さんを切るわけにはいかないのだ。そして行くあてもなく夜の道を走った。


「そこで、怪我をされたのですか」

「いや、そこでは何もなかった。後から追いかけて来る者もいなかった」

「・・・ところで、なぜ逃げたんです」

「なぜって、勝さんを切る訳にはいかんだろ。直接どんなお方か知らぬから、奴らの言う事が本当だとしても・・・勝さんは、切れんのだ」

「勝先生は、そ奴らの言うような人では、断じてない」

「新之助、聞いてくれ。断じてない事かもしれんが、あの時の俺は行き宛てもなくて、人の情けが嬉しかった。もしや騙されていたとしてもその気持ちに応えてやろうとする思いもあったんだ。だがな勝さんは、左馬の師匠で、大切な方だとずっと聞いていた。俺は、頭が悪いし、気持ちも弱い、だがな一つだけそんな俺の誇りと言えば、剣術の腕でではなく。加納左馬之助の友であることなんだ。誰が何といっても、左馬が嫌がることをする訳にはいかん。だから切ろうと思わなかった」

「それで、山川達を相手にする事もできずに、逃げたのですか」

「ああ、本来なら礼を尽くさねばならん相手だ。たとえそれが嘘だとしても・・・こちらも切るわけにはいかんよな」

「・・・」

「で、ここからなんだ・・・

兎にも角にも必死で走った。そこで、ごろつきに囲まれている老婆にでくわした。些か気が立っていたのもあって、多少暴れて老婆を助けた。話を聞いてみると、連れ合いの爺さんが急に苦しみだした。顔なじみの医者を呼びに行く途中に、所の悪いのに捕まってしまったと言う。家は近くの裏長屋だと聞いて呼びに行くより連れて行く方が良いだろうと言う事になり爺さんを担いで転がり込んだのが奨元どの薬院だった」

「それで、ここに居られたのですね。では、その怪我は・・・」

「ああ・・・ここに来た次の朝。やっと落ち着いて、新之助に勝さんの事を伝えねばと思ったんだが・・・静と言う娘に・・・屋根を修理しろと言われてな・・・落ちたんだ」

「屋根からですか・・・」

「ああ・・・で、二日ほど前に気が付いてな。それまでずっと寝ていたようだ。そこで、やっと知らせに行こうとしたんだが、事情を知った伊織さんに外に出て山川達と会ったら大変だと言われ、新之助とも顔見知りなので自分が呼んで来ると言ってくれて・・・」

「それで、今こうしていると言う訳ですね」

「そうなる」

話を終えて、東吾は俯いてしまった。新之助は、東吾がここから出なかった事は何よりだが、勝先生の事はそのままにはしておけぬと考えていた。

「清二、すまぬが佐平さんの所に行って、東吾さんが見つかったと伝えて来てくれぬか。俺はここでもう少し、東吾さんと話してから後を追う」

「へい、承知致しました。東吾様、さしでがましい事ではございますが、東吾さまの周りには新之助様やあっしらがおります。何かあれば、仰って下さいな」

清二の言葉に驚いたように顔を上げると

「うむ、その時はよろしく頼む」

「へい、では行って参ります」

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