第38話

「兄上・・・」

「久しいな、新之助。ただいま戻った」

「よくぞご無事にお戻りくださいました」

新之助は、頭を下げた。涙が出て下げた頭をなかなか上げれないでいると

「もっとよく顔を見せては、くれないのか」

声をかけて左馬之助が新之助の近くに来ると、肩に手をかけその顔を覗き込んだ。その場にいた者達は、しばらく声もなくその様子を見守っていた。その中でいち早く声をかけたのは

「久しぶりのご対面ですが、周りの者の気持ちもお察し下さい」

新之助と左馬之助が声の方を向くと、主水がしかめっ面でこちらを見ていた。

「主水も来ていたのか」

「むろん参っております。左馬之助さまには、現在の加納の家の事とこれからの事をご相談せねばなりません故」

「父上、母上は、兄上が帰国された事ご存知なのか」

「もちろん殿様も奥様も左馬之助さまが帰国された事、ご存知でございます。が、なにぶんこのご時世ですので、皆様には我慢して頂いております。殿様からは、

左馬之助さまの御側に使えるようにと言われております。殿様方の方には、信用出来る者達を置いておりますが、なるだけお伺いするように考えております」

「主水、世話をかける礼を申す」

主水は、新之助が頭を下げるのを見て一瞬驚いたような顔をしたが、新之助に向きなおり

「何を申されます。新之助様には、お伝えするのが遅くなり申し訳御座いませんでした」

この言葉には、新之助の方も驚いていた。左馬之助と清二は、そんな二人をみて笑っていた。

「なっ、主水。新之助に頼んで、いいと思うだろう」

「はい、新之助さまにお願いするのが一番かと思います」

「何のことでしょうか」

新之助は、左馬之助と主水の顔を見比べて聞き返した。そこで、やっと佐平が声を出した。

「お話は、尽きないと思いますが。おもとが膳の用意が出来たので、皆さんを呼んで来いとうるさく申しております。席を替えて頂きませんでしょうか」

「そうだな。おもとさんを怒らせるのはまずいな。さぁ、新之助、話はあとだ。あちらに、参ろう」

食事も終わり、酔いをさまそうと縁先に出ると波の音が聞こえて来た。ここは、江戸ではないと身に染みて思う。ぼんやりと考えていると、後ろから兄に声を掛けられた。

「新之助。よう父上、母上、しいては加納の家を守ってくれた。ありがとう」

「いえ、俺は何もしておりません。全部、主水が頑張ってくれておりました」

「そんな事はない。お前がいたから加納の家は、もったんだよ。このご時世だ、

父上も母上も不安であったろう。お前がいたから父上は、仕事を辞せた。母上は、笑って屋敷に居れたのだよ」

「兄上・・・」

「もう、泣くな。新之助は、笑っているのがいい」

「・・・はい。そう言えば、先程の話なのですが、兄上の頼みたい事とは何でしょうか」

「ああ、・・・東吾を探してもらいたい」

兄から告げられたのは、思いもしない事だった。東吾さんの行方が分からなくなっているなんて隣の屋敷に住んでいながら気づきもしなかった。兄は、井筒屋を通して東吾さんとも連絡を取っていたようだ。

堀江の家の現当主は、東吾の次兄だった。東吾のことを可愛がってくれていた年の離れた長兄が、突然亡くなって次兄が家督を継いだ。次兄と東吾は幼い頃から相性がわるく、次兄は事あるごとに東吾に辛くあたっていた。家督を継いでからは、あからさまに邪魔者にしていたが、剣豪と呼ばれる東吾を易々と屋敷から放り出すことも出来ずにいた。それでも東吾にとって居づらい事に変わりはなかった。左馬之助は、主水から堀江の当主が変わった事を伝えられて、直ぐに東吾に自分が帰国するまで我慢してくれと伝えていたようだ。新之助には、支えになる人が大勢いるが、東吾には周りに支えてくれる人がおらず心配だったと左馬之助は言った。


次の朝、新之助と清二は、早々に佐平の所を出て江戸に戻った。おもとなどは、もう少し泊まっていってくれと言っていたが、東吾の事を考えると気がせいていた。

江戸に戻って、清二は直ぐに堀江の屋敷の顔なじみの下男に会いにいって驚いた。屋敷はすでにもぬけの殻であった。堀江の家も早々に家財を処分して出ていったのだろう。清二は、下男の老爺の行方には見当がつくので、新之助を案内しそこを当たってみることにした。

老爺は、清二やまして燐家の若様である新之助が一緒に訪ねてきたことに驚いたが、自分の知る話を全て教えてくれた。

ある日、東吾は突然屋敷を飛び出したそうだ。そして堀江の当主の兄は、東吾を探すことをしなかった。その後、さっさと屋敷をたたみ、使用人達に暇を与え何処ぞに行ってしまった。東吾は、知らぬ間に生まれ育った屋敷を失くしていた。老爺は、自分も気にはしていたが、なにぶん年老いた自分にはどうする事もできずにいたと泣き出した。そしてもし、探して貰えるなら道場の方をあたって欲しいと、それ以外は思い浮かぶ所はないと付け加えた。

次の日、二人して道場の方を訪ねてみると、もうだいぶ以前に二、三日はそこで寝起きしていたが、いつの間にか出ていったと言われてしまった。何処か他に、東吾が身を寄せるような所はないかとたずねてみたが、そのようなところは、思いつかないと言われてしまった。

その後は清二が、宿無しの人間がたむろしそうな場所をあたってくれたが、まるで足取りを掴むことが出来なかった。何日か捜しあぐねて屋敷に帰ってみると、門の隙間に一枚懐紙が挟んであった。

「新之助殿、至急の用あり。伊織」と書かれている。東吾捜しに行き詰っていることもあり、取りあえず気持ちを切り替えるつもりで、清二と二人で翌日に奨元の薬院の方に足を向けた。勝手知ったる場所でなんの案内もなく、いつものように薬園の作業小屋に入って、そこにいる人物に驚いた。

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