第36話 決意

慶応三年の師走に、徳川の体制が瓦解する。それを機に、徳川の職と領地を返納しろと朝廷の方からお達しがでた。これは我ら、旗本三千騎全てが浪人となることをさす。武士なる者は、この国には用のないものになるのだろうか。

いよいよ年が明けてからは、その事に反対する者達によってあちらこちらで争いが起こる。

加納の家は父上が、早々にお役目を返上されて松戸の方に引きこもってしまった。領地の没収があるかも知れないので名主の千造から屋敷を買い取って、そこで暮らしている。主水は、兄上が帰ってきた時の事を考えて横浜の居留地に井筒屋の伝で小さな家を借りたようだ。さて、ここに至って俺と清二の身の振り方だけが決まっていない。俺たちは、何時でもお屋敷を返上するような沙汰があってもいいように、荷物の整理が済んだ母屋の方は、そのままにして留守番代わりに清二の家で一緒に寝起きしている。

「清二、掃除 終わったぞ」

「お疲れ様でございます。膳の用意も出来ましたんで、朝飯といきましょうか」

「おお、手 洗ってくる」

「へい」

食事を済ませて今日は、道場の方に顔を出すことにしている。清二も女師匠との約束を守って一緒に稽古をしているが、明らかに俺より強いことは、よく分かった。二人して道場に行って、稽古を済ませて身支度をしていると旗本の子弟が固まって話をしている。

昔から、錦之助の事があって道場に仲の良い旗本の子弟などいない。向うも俺のことは、空気のように思っているのだろう。誰も話かけてくる事はないし、気にも止めないでいる。

声を潜めて話していたのに激高したのだろう声が大きくなった。

「俺達は、どうなる」

「このままでは、薩摩や長州の連中に全てを奪われてしまうではないか。そんな事でいいのか」

「江戸城に籠って戦えばよいではないか」

「江戸で、闘うのか。凄いな」

新之助は、驚いたようにそちらを見て、足を向けようとすると清二が声を落として

「新之助様・・・」

清二と目が合うと、軽く首を振っていた。新之助は、踵を返して道場をあとにした。その後を清二が追ってきた。無言で足早に歩く新之助の後を清二も黙って付いて行く。暫くして、新之助が歩調を落とす。

「江戸で、闘うって言いやがった。ここは、俺達だけのもんじゃねいのに・・・」

「そうですね。ここは、お侍さまだけのもんじゃねい」

「・・・だが、どうしたらいいのか・・・俺にもよくわからねい」

「そうですね。その時は、二人で争いを止めてみましょうや。ね、どうにかなりますよ」

「清二は面白いよな。そんな事、俺なんかに出来るわけないじゃないか」

「いや俺は、新之助さんといりゃ何でも出来る気がするんですよ」


その日の帰りは、久しぶりに勝の所に顔を出すことにしていた。屋敷のそばまで行くと、何気に清二が距離を取る。

「新之助さん、あの松の木の男、それとあの角にも一人誰か隠れているようです。気になりますね。私は、このまま屋敷に入らずに通り過ぎてあちらの蕎麦屋に入りますので、帰りはそのまま後ろを見ずに帰って下さい」

囁きながら、後ろも見ずに蕎麦屋の方に足早に消えて行った。新之助も清二の方を見ないで勝の屋敷に入って行った。

「よっ、新之助。元気か」

「勝先生、ご無沙汰しております。あのご存知ですか、屋敷の前に何か怪しげな者達がおりますが・・・」

「ああ、すごいじゃねいか。気がついたのか。ぼんやりしてると、気が付かねぇみたいだぜ」

「清二が教えてくれました」

「はは・・そうか、そうだろうなあ。そんで清二はどうした」

「清二は、向こうの蕎麦屋で待ってます。それはそうとして、奴らは何者なんですか」

「さぁな、幕府の方か 朝廷の方か。ただ俺が、嫌いって奴かもしれんがな」

「また、呑気な事を」

「まぁ、見張っているだけで別段何もしてこねいよ」

「そんな事を・・・気を付けて下さいよ」

「お前も口うるさくなったよな。左馬みたいだな」

「ああ そうでした。今日お伺いしたのは、兄の事をお伝えしようと思いまして・・・先日、井筒屋から近いうちに兄が戻ってくると聞きました。先生の所に

よく顔を出していると言ってあったので、井筒屋から勝先生にもお伝えしてくれと頼まれました」

先程までの仏頂面を綻ばせて

「へー、帰って来るのか。良かったな」

「はい、戻って来ます。だから、先生も気を付けて下さい。先生にもしもの事があったら、兄が小言が言えずに困ります」

今度は、素直に頷いて

「ああ、左馬が帰って来たら三人で飲もうな」

「はい」

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