第35話
二、三日して清二の傷が癒えた頃、時節は師走となっていた。清二は、屋敷の前で道場から帰ってくる新之助を待っている。約束通り、この身におこった話の全てを聞いてもらう決心がついていた。新之助の顔を見ると何も言わずに頭を下げる。新之助も何もきかない、笑って清二の部屋へとついて行った。
「用事は済んでいるのかい」
「ええ、ちゃんと仕事は済ましておりますし、主水さんにも断りを入れております」
「そうか・・・」
清二は、座りなおして改めて頭を下げた。
「今さら、こうやってお話するのも可笑しな事ですが、改めて、奥村清二郎の話をお聞きください」
「ああ、聞かせてもらうよ。この先、ずっと清二と付き合っていきたいいんでね」
「・・・重太郎さんと主水さんから話を聞いて貰ったようなので、父の話はもうご存知の事だと思います・・・そう私は、父を捨てたんでございます。殺されて亡骸になったあの人を卑怯者の何処の誰とも知れない奴の言葉を信じて、そのままにして逃げたんです」
「そんな捨てたって、仕方がなかった事だろう・・・」
「いえ、捨てたんですよ。まぁ、お聞きください。血みどろで壁に縫い付けられている姿に動揺し、父の醜い一面を告げらた。大勢の人が父を案じる中、その場から逃げ出してしまいました。
・・・逃げたは良いが帰る場所を無くした私は、どうしてよいかわからぬままに橋の下で暮らしたり、そのうち無頼者の中へと落ちていきました。小さい頃から自分一人で生きてるんだとつぱってましたが、父や周りの人に守られていたって思いました。・・・少し大きくなると、色々とわるさもしましてね。多少腕がたつので重宝がられて、その頃には住処と食い物には困りませんでした。もちろん酒も女も悪い遊びも覚えました。そんなこんなが何年も続いたある時、悪所で知り合った男に、「親の家に金の無心に行くので付いて来い」と言われましてね、そのままついて行きました。途中で他の男達も加わって、そこで初めて松戸辺りで押し込みをすると男から聞かされたんです。そこは、旗本の私有地で町方も簡単には入り込めないから逆に安全だと・・・」
「それって・・・」
「はい、加納様の所領地です。私もそこまで腐って無かったのと、物取りに殺されたような父の姿が頭を掠めて・・・いざって時に、裏切ってやったんです。得物はどす一本、相手はそこら辺のごろつきですが五、六人はいる。何とかなっても、こちらも命がないなとは思いましたが、まぁ、死んでもいいかと思ってました。取りあえずは、騒ぎを聞き付けて屋敷の者が目を覚ませばそれでいい。
そんな時、屋敷から出て来たのが主水さんでした。主水さんとは、父親同士が知り合いでしたので面識がありました。顔見るなり「お前、晴二郎ではないか。で
晴二郎この者達は盗人か」と言われて、「はい」と言うなり直ぐに加勢していただきました。あとは所領地の方々も出張って来て、男達は取り押さえられて行きました。自分も同じ穴の狢だから同じようにしてくれと言ったのですが、主水さんに「お前はこっちだ。ただでは、すまさん」と凄い剣幕で言われました。余りの剣幕に所領地の皆さんが驚いて、「この人のお陰で盗人に入られずにすんだんだから許してやって下さいな」って言って下さる位でした・・・」
新之助が、顔を伏せて涙を流している。
「・・・良かった。本当に良かった」
「新之助様・・・」
「うん、もう済んだことだって分かっているんだ。でも、清二がそんな事しなくて本当に良かったって・・・」
「有り難いのは、こちらの方です。あの時主水さんと会ってなかったら・・・
その後、松戸で隠居していらっしゃった守善様の所に連れて行かれました。・・・守善様が、私の顔を見て泣かれるのです。「すまん。すまんかった」と、「あの時なにを於いてもお主の事を一番にしてやれば良かった」と・・・それと父の亡骸を桜井様の菩提寺に葬って下さった事を聞きました」
「守善がそんな事をしていたのか・・・」
「はい、あの始末の一切を桜井様がして下さっていました。それとこの事は、加納のお殿様もご存知です。父に幾分の借金もあり、それを払って頂いたそうです。こちらにお世話になった折にその事をお尋ねしたのですが、忘れてしまったとおっしゃいました」
「父上までもご存知だったのか・・・」
「はい、ご存じでした・・・
守善様は、それとその当時父がどれ程の苦労をしていたか教えて下さいました。そして、あれほど立派な人物は他におらんと、息子の私が一瞬でも疑ったのに、あの方は、なにより最後に・・・父の事を自慢に思えと、私に言って下さいました。
・・・これで、もう何の隠し事もございません。これが、全てでございます」
「清二、俺にも何かしてやれる事ってあるのかな。なぁ・・・・いつかお前の父上を殺めた奴を一緒に捕まえようか」
「新之助さん、それは、いいです・・・」
「あぁ、すまん。思い出すのもいやだろうな」
「・・・いや、もういいんです。父は、喜ばない気がするんです。それより、父を奥村の墓に葬ってやりたいんです。今のご時世では、勝手に何処へも行けませんが、何もかも落ち着いたら・・・俺は、ずっと江戸で育ったんですが、一度だけ母の遺骨を国元の奥村の墓に収めに行ったことがありましてね。西国の小さな藩でした。父と二人の旅でした。いつも忙しかったあの人と・・・楽しかったんですかね今でもよく覚えてます。・・・付き合って頂けますか。いつになるかわかりませんが」
「あぁ、行こう。一緒に・・・」
清二は、一つ新之助にも秘密にした。誰にも言う事はないと思っていること、
誰も知らない霜月のあの日の事、自分一人の胸にしまっておけばそれでいい話。
十年前の霜月の夜。
父の非業の死は、十四才の清二郎には衝撃だった。無口で絶えず忙しくしている人であったが、その実優しく誠実な人柄である事はよく知っていた。口には出さぬが清二郎の自慢でもあった。それを真っ向から否定された。血みどろで壁に縫い付けられている姿に動揺し、父の醜い一面を告げらた。大勢の人の絶叫と混乱中で、その場からはやく逃げ出したいと思ってしまった・・・
一目散で行く所は一つしかなかった。
道場に戻って、落ち着いたならこんな悪い夢からきっと覚めるに違いない。夢だ 夢だ馬鹿な夢を見ているんだ。泣きながら走った。道場に戻って、何気に覗いた闇の中、かすかな月明かりに見えたのは、抱き合う男女の姿だった。見間違うはずはない。兄、姉と思う二人に違いない。
そこで、足が止まった。ここに割り込むことは、出来ない。そのまま顔を出せば良かったのかもしれないが・・・一度、逃げてしまうとそこに帰る勇気を持つことは出来なかった。
その後は、刀を捨て、身なりを変え、名を捨てた。二度と係ることはないだろうといつの間にか心に決めた・・・清二が誰にも言わない初恋のはなし。
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