第33話
その日、守善は、朝から落ち着かず仕事を終えて屋敷を出て来た。兵衛の家のそばまで行くと、大勢の人が家の前に集まって騒いでいる。それをかき分けて家の前に立って驚いた。そこには、表戸に大きく書かれた。「奸物を成敗す」 の文字。
何とも言えない不安を感じて、家の中に飛び込んだ。がらではないが刀の柄に手をかけて大声でよばわる。
「奥村殿、奥村・・・」
さほど広い家ではない。怪しい者達の気配もなく、奥の座敷に踏み込んで、腰を抜かしそうになった。座敷の壁にもはや息のない兵衛が、両手を火箸で縫い付けられている。いたる所に無数の刀傷を負いそこから滴った血は、すでに赤黒く色を変え溜まりをつくっていた。そして兵衛の縫い付けられた壁には
「この者、藩の公金を横領し私服を肥やす不埒な者なり。よって天に変わりて成敗す」
と兵衛の血を持って書かれていた。部屋の中は、足の踏み場もない程に乱れていた。そしてそこで初めて、部屋の隅に膝を抱えて動けないでいる人影を見つけた。曲者にしては、幼く震えているのも見て取れる。会ったのは、随分前だがきっとそうにちがいない。
「清二郎殿か」
声を掛けると驚いたように顔を上げて、そしてゆっくりと頷き、縋るような顔でこちらを見る。側に寄ろうしたその時、守善の後から恐る恐るついて来ていた大勢の人が部屋の中に入って来た。その瞬間座敷の中は、悲鳴があがり泣き出す者もおり大騒ぎとなった。守善は、入口付近の者を番所に走らせ、他の者を連れて一旦表に出ることにした。清二郎も連れて出ようと、先程のところを振り返って見るのだが、すでに、そこに姿はなかった。
「このあと道場の方に清二郎を探しに主水殿と町方の者が尋ねて来たんだ。町方は清二郎がずっとうちの道場にいた事を訊いて、下手人から外すと言って帰って行った。役人が帰って、主水殿からゆっくり話を聞いて、互いに何かあれば知らせると言う約束をした。それから、何年たったろう忘れた頃に、
清二郎を見つけました。当家で預り仕事をさせます。と知らせが来た。直ぐにそちらにやらせましょうかとも言ってもらったが、清二郎がその気になった時で・・・とお断りした。錦之助の件で奴の顔を見た時は、本当に嬉しかった・・・これが俺が知っている話の全部だ。後は、何も知らん」
「・・・ありがとうございました。後は、清二に訊いてみます」
「そうだな。そうしてくれ」
「あっ、あと一つだけお教え下さい。坂本さんと清二はどんな仲だったんですか」
「そうだなぁ。龍馬は、清二郎にとって兄であり、さなをはさんでは、恋敵であったかも知れん。まぁ、わからんが 三人は本当に仲が良かったよ。そんなもんだ」
「女師匠が、清二の・・・」
「はは・・これは、本人にもよく分かってなかったかもしれんがな・・・」
話を聞き終わって、道場の方に行くと井戸端で身体を清め終えた女師匠と出くわした。
「おはようございます」
「おはよう。今日はやけにはやいな」
「はい」
頭を下げると
「清二郎は、道場においてきた。今は、新之助の所で世話になっておるのだろ、連れて帰ってやってくれ。あ奴にも言ったが、たまに稽古に連れて来てくれ」
「はい、失礼致します」
背中を向けた乙女師匠が、ぼそりっと言った。
「清二郎を助けてくれて、感謝する。これからもよろしく頼む」
新之助は、黙ってさなの背に頭を下げた。
清二は、さなに打ち据えられて動けないでいた。剣の稽古はしていなかったが、無頼の者を相手に何度も命のやり取りをしていた。自慢ではないが多少腕に覚えがあったのに、さな相手には己の木刀は掠りもせず、何度もその長刀で打ち据えられた。打ち据えられるたびに体に痛みがはしるのだが、それ以上にさなの悲しみを感じた。この十年、色々回り道をしてここに戻って来た。今は、この長い回り道も
さなの悲しみを受け止めるためのものだったようにも思われた。何度も思い切り打ち据えられて気が遠くなりかけた頃、さなは何かをふっきったのか、長刀を置いた。
「清二郎、腕が落ちたな。これからは、新之助と一緒に稽古にこい。わかったな」
「は・・・い」
返事をするのもやっとの状態だったが、さなにはその声が届いたのか
「よし、今日はこれまでじゃ」
と言って満足そうに笑って、道場をでて行った。それを見送って清二は、なんとか半身を起こした。龍馬さん、さなさんにちゃんと伝えましたよ。俺とさなさんが
いる間は、龍馬さんは、ここにいますよね。あの頃と何も変わりませんよね・・・
ぼんやりと考えていると、道場に入って来る者がいるので、目を止めて驚いた。
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